第三章 はじめの一週間

「いだい……」

 寝ぼけ眼を擦った。ローテーブルの上に、大部屋で見たのと一緒の知らないメーカーのノートパソコンが置かれている。恐らく各部屋一台ずつ置いてあるのだろう。パソコンは配信サイトを映している。何となく見てしまう。

『しおちゃんおはよー』『しおちゃーん』『JCの寝起き!』『よだれついてるよん』

 この時間はそこまで視聴者は多くないらしい。

 コメントがぽつんぽつんと流れていく。

「はっ!」

 慌てて袖で顔を拭った。

 栞の呼び名が薫子が呼ぶそれに定着してることはこの際どうでもいい。身だしなみを整えないと。JCの涎はマズい。いや、今の自分はJCでもJKでも何でも無い。ただの乙女だ。乙女だからって涎は許されないというより乙女だからこそ許されないのだ。

 パジャマのボタンに手を掛けて――。

『ストリーップ!』『キター!』『ひゃっほい!』『十六歳のエロ配信と聞いて飛んできました』

 急いで適当な私服を持って脱衣所に駆け込んだ。

「はあ……」

 そういえば――。

 朝になってしまえばどんなに閉め切っていても光は差し込むんだ。昨夜は頭が回っていなかったが、そうなればカメラも大活躍。乙女の寝姿もバリバリ覗かれる。ていうか覗かれた。どうしよう。明日は布被って寝るか。いいや、それだと息ができない。ダンボールでもスタッフさんから借りてきてそれ被って寝るか。いくらなんでもあんまりか。

 仕方ない。慣れるしかない。果たして慣れることが出来るだろうか。

「休まらないなあ……」

 呟き、いそいそとパジャマを脱いだ。


 大部屋へ入ると由利穂が一人朝食を取っていた。

「あ、おはよう……ございます……」

「ん。おはよう。えっと、栞さん」

 トーストを頬張っている。傍らにはコーヒー。

 緊張してしまう。元人気アイドルグループティンキー所属の少女だからとか、昨日あんなことがあったから、というわけではなく、栞は単純に人と接するのが苦手だ。打ち解けるには大分時間が掛かる。

「さんなんてそんな。栞で結構です」

「そう? じゃあ栞。そんな所で突っ立ってないで座ったら?」

「え、あ、は、はいっ」

「食べるよね? 一枚で良い? お砂糖とミルクは?」

「い、いいですいいですいいです。自分でやれます!」

「大丈夫だよ? やるよ?」

 あんな風に言っていたが生来のパシリ気質なのでは? と失礼なことを思ってしまう。

 由利穂は栞がもたもたしている間にパンをトースターに突っ込むと、コーヒーまで用意してしまった。インスタントであるが、コーヒーの味の違いなど分からない栞にはこれで十分だ。

 ――なんというか。

「……なんていうか、由利穂さん。昨日と随分雰囲気変わりましたね」

「うん。ほら、見てこれ」

 そう言って笑みを浮かべながら自身のスマホを見せてくる。表示されていたのはネットニュース。記事は昨日の由利穂の発言から始まり、事務所による神瀬由利穂の不当な事務所解雇、佐々木美玲の未成年喫煙問題、グループによる新人イジメなど、判明したティンキーの抱えている闇を、これでもかというくらいに取り上げ暴いていた。おまけのように丑田佳奈の名前も掲載されている。

「うわあ」

 大騒ぎだ。

「肩の荷がおりちゃった」

 そう言って由利穂は肩をすくめた。

「じゃ、私行くから。栞はゆっくりね」

「え? どこ行くんですか? って、ごめんなさい」

 由利穂が立ち上がり様、トースターが音を立ててパンが焼けたのを知らせる。傍らに用意されていた皿を取って栞の前にトーストを置くと、

「学校」

 と、襟をちょいちょいと手に取って自身の格好を示した。

「……ああ」

 全く気が付かなかったが、そういえば由利穂は制服を着ている。紺のブレザーとチェックのミニスカート。真っ白な部屋にアイドルと制服。PVの撮影みたいだ。あまりに似合い過ぎていて疑問に思っていなかった。風景融け込み系アイドル。

 今日は月曜、平日であった。学校に通っていない栞にはまともな曜日感覚が欠けていた。

「栞は何歳?」

「え、あ、今年で十六です。ちゃんと学校行ってたら今高一のはずで……」

「じゃあ一個下か。いいよ。タメ口で」

「でも。そういうわけにも」

「いいから」

「は――わかった。行ってらっしゃい」

「うん。バイバイ。レッスン大変だろうけど、頑張りなね」

 ニッと笑って部屋を出て行く。なんだかお姉さんみたいだなと思ってしまう。一人っ子の栞はお姉さんなんて知らないけれど。

「はっ……! レッスンあるんだった! って、いった!」

 言われて思い出す。正直筋肉痛の痛みでまともに体が動かせるか心配だが、あるならやらねばならない。

 テーブルに設置されているパソコンを見てみれば、

『由利穂ちゃんマジエンジェー』『てんす』

 といった文字が流れていた。

 喫煙アイドルというバッシングから随分な様変わりだ。まあ、言い過ぎということもない。接してみて分かる。あれはいい人だ。


 栞が食べ終えたくらいのタイミングで、ぽつぽつと大部屋に人が入ってきた。まずアリサが腹をかいて欠伸をしながら入ってきて、次に轍が、最後に新垣が昨日と同じようなハーフパンツ&Tシャツ姿で入ってきた。

「あれ? 千里さんもう着替えてるんだ」

 アリサが尋ねた。昨日の一件で打ち解けたのか、新垣に対する態度が少し柔らかくなっていた。

「ジムを使っていたんです」

「ジム?」

「ええ。七階にあります。今度ご一緒に行かれますか?」

「パス」

 応答しながら、新垣は冷蔵庫を開け、スポーツドリンクを取り出すと部屋を出て行く。どうやら飲み物を取りに来ただけのようだ。

 轍は昨日はじめて会った時に肩に掛けていたバッグを持っていた。栞が見ていると、中からパソコンを取り出し始める。スリープモードを解除し、カタカタとキーボードを叩き始める。

「これっすか? 執筆っす。飽きたら場所変えるのが書き続けるコツなんす」

 栞の視線に気づいたのか、轍は瞳を栞に向けながら、キーボードを操る手を止めずに答えた。器用なものだ。

「はあ」

「しゃーなしっすよねー。締め切りは待ってくれないっすから。書きながらアイドルやるしかないっすよ。正確に言えばまだアイドルじゃないかもしれないっすけど。その辺の定義ってどうなんでしょうね? 私たちは、さしずめアイドル研修生? でも今の状態ってただの生放送配信者みたいっすよね?」

「アイドル候補生じゃないのかな」

「なるなる。確かに。栞さんはどんなアイドルが好きなんすか?」

「どうだろう……お仕事の邪魔しちゃ悪いし。もう行くね」

「お気遣いどうもっす」

 話題があまりよろしくない方向に転がったので、体よく切り上げる。

 見れば、アリサは一人ソファに移動し、テレビを見始めた。だらんと脚を伸ばしてリラックスしている。

「……」

 由利穂は学校。そうなるとたぶん知菜も学校だろう。新垣はジムを使用していたと言っていた。ならば今から休むのか。それともアナウンサーの仕事がまだあるのだろうか。轍は執筆。愛の生活は――想像出来ない。同じ建物にいるとはいえ、栞にとっては天上人に等しい。彼女なりの何かルーティンがあるんだろう。なんたってミリオン歌手だ。

 意外とすることがない。ここに来る前はどうやって過ごしていたんだったか。

 ――やっぱりベース。いや……。

 良い機会だ。薫子を問い質さなければならない。


「おっ、おっ、おっ~♪ しーおちゃーんじゃーん」

「……なにやってんの?」

 薫子は部屋の真ん中で逆さになっていた。

 昨日と同じロングパーカーである。裾が捲れて新手の妖怪みたいだ。

「肩倒立」

「なぜ」

「たまにやりたくならない? この格好」

「ならない」

 そっかなあ、と言いながら薫子は部屋の中心であぐらをかいた。部屋を見渡す。市松模様の床にドクロ型の照明、大昔のパンクロックバンドのポスター。数珠、禍々しい妖怪のフィギュアに能面、鬼面、ひょっとこのお面。パンクロックとオカルトがごっちゃになったようなわけのわからない部屋。引っ越し業者はさぞや首を傾げただろう。記憶にある通りの薫子の部屋だった。この際元の部屋を再現せずに普通の部屋にすればよかったろうに。

「なにしに来たんだね! チミはっ!」

 ずびしと指を差されたので素直に答える。

「昨日の続き」

「あ、はい。ではそちらにお掛けになってえ」

「巫山戯てないで。ちゃんと答えて」

「わかったよお」

 転がっていた黒地にケシの葉が描かれた、今の栞にとっては大変笑えない柄のクッションを引き寄せ、適当な位置へと座る。あぐらをかいていた薫子は一瞬項垂れると、ずずいとそのまま栞に向かって尻を滑らせ近づいてきた。距離が近い。

「ごめん。しおちゃん。怖くなって」

「……うん」

 いつもより元気の無い声だった。

「でもしおちゃんも酷くない? 持ち逃げって……。まだそうと決まったわけじゃなかったじゃんか」

 ――そっか。言われてみればたしかに。まだ持ち逃げと決まったわけじゃなかったんだ。事情があって連絡できなかった可能性だって……ん?

「……や、だったら再開した時のあの土下座はなんだったの。やましいことがあったからああしたんでしょ」

「うぇへへー。ばれた?」

「ふ・ざ・け・な・い」

 左右からほっぺたを強い力で挟んでやる。タコみたいな顔をした薫子が焦った表情でこくこく頷いたのを見てやっと手を離した。

「ごめ……実は……」

 今更だが、これから話そうとしているのは配信で話していい内容なのだろうか。まず間違いなく今、スタッフによってメインカメラはこの部屋に切り替えられている。

 止めようかとも思うが、もう後には引けない。

「あきちゃんにね。お金貸してって言われたの。すぐに返すからって」

 その一言で全てを理解した。

 あきちゃんとは、Raybacksのギター、渡来明奈のことだ。

「なるほどね。それで逃げたんだ」

「うん。そのすぐ後にあきちゃんが逮捕されて。もしかしたらお金を貸した薫子さんも捕まっちゃうんじゃないかって思って」

「知らなかったんでしょ? あきちゃんが何に手を出しているか」

「うん」

 要は覚醒剤を使用する為のお金を明奈に貸した。貸した自分も罪に問われるんじゃないかと思い焦って逃げたらしい。そんなわけがないのに。その理屈で言ったら世の中もっと犯罪者だらけになっている。

「で、お金は?」

「一円も戻ってきてない……ごめ、ごめん! 本当! なんて言えばいいかわかんないけど!」

「はあ……」

「しおちゃん?」

「いいよ。もう」

 引き寄せ、抱き締めてあげた。

 不安だったんだろう。何の疑いも無く友人にお金を貸し、その貸したお金が原因の一旦になって捕まってしまった。少なくとも貸した本人はそう思ってしまった。捕まった原因を知り、薫子は裏切られたような気持ちだったろう。

 考え足らずなところがあるとはいえ、薫子は、何の躊躇いも、仲間への報告もなく、お金を貸すような子じゃない。恐らくは明奈に口止めでもされていたんだろう。

「あきちゃんにはなんて言われたの?」

「すぐ返すから。みんなには言わないで。お願いって。こんなこと知られたくないからって」

 震える声で紡いだ。

 やっぱりそうか。背中を擦ってやる。程なく、すすり泣くような声が聞こえてきた。その声を聞き、栞まで泣けてくる。なんだってこんなことになったんだろう。

 泣き止むまでしばらく二人でそうしていた。


「ありがと! しおちゃん!」

 ようやくいつも通りの薫子になった。

 少し赤い目元を擦りつつ、薫子が栞に問いかける。

「ところで。しおちゃんってアイドルになりたかったの? てかてか。むしろしおちゃんってアイドル」

「かおちゃんこそ。なんだってアイドル?」

 途中で話を遮る。下手なことは言わないで欲しかった。

「んー? 歌えればなんでもいっかなあって、そん時は。それになんか面白そうだったし」

「……ふうん」

 振ったのは自分なのにその答えは栞にとって面白くないものだった。また一緒にやろうよ、そう言いかけて言葉を呑み込む。

「わたしはね。弱い自分を変えたかったの。ほら、わたしって歌も下手だし、運動音痴だし、卑屈な性格してるでしょ? アイドルってわたしに正反対の存在かなって。全部を変えなくちゃなれない存在、みたいな?」

 思ってもないことを言う。いいや、あながち間違ってもいないというより、だいたい真実なのだろうが、特別、アイドルになりたいという気持ちが強いわけではない栞にしてみれば、どうでもいいことだ。アイドルを目指した理由など。

 大事なのはその先にある目標だ。

「はあ」

 薫子は分かったような分からないような顔で返事をした。いまいち納得のいっていない顔。付き合いが長い為誤魔化しきれないか。さてどうしようと悩んでいると、

 ぴんぽんぱんぽーん

 と、いう放送が聞こえた。

 栞と薫子は急いで着替えることに。

 助かった。なんとかその場を凌げた。

 そうして昨日と同じメニューを苦しみながら――あいにく苦しんでいたのは栞だけだが――も熟した。

 十七時を過ぎた頃、知菜と由利穂が帰って来ると、合流し、休む間もなくボイストレーニングに入った。

 昨日と同じような練習メニューを再度一日通し、改めて経験してみて思ったこと。

 やばい。これはきつい。こんなのをいつまで続けるのか。いや、そもそも続けていけるのか。そこが心配だ。その内体力が無くなって干からびて死ぬんじゃないか。わけのわからない思考がぐるぐる渦巻く。渦巻きながらも愛の作った愛ある手料理を頬張る、食卓では適当に愛想笑いをし、動くたびに体がぎしぎしと悲鳴をあげ、その後適当に薫子の相手をして、ぼけーっとしながらお風呂に入って、歯を磨いて、コメントをなんとはなしに眺めて、昨日と同じようにしてまた倒れるようにして眠る。


 そんな感じでそんなこんなで――。

 結局こんな感じの生活を一週間続けた。

 続けられた。

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