第190話 謎の者

「「………」」


俺の後ろに来た者は黙ったままそれから動かない。周りには人が大勢いるはずなのに何も音は感じないほど緊張している。

そして、それは俺が本当に後ろに誰か来たのかを疑い始めた頃だった。



「…お前は我らの同胞か?」


「っ!」


突然後ろの者が話しかけてきた。その声はかなり低かったので後ろにいる者はきっと男なのだろう。


「………」


俺はその質問に答えられない。もちろん、言っている意味が分からないというのもあるが、間違ったことを言ったらすぐに殺されるという恐怖があるからだ。


「口は動くはずだ。何でもいいから応えろ」


「な、なん、何の…は、はな、話だ…」


今度は逆に何か話さないと殺されると思い、すぐに言葉を発した。ただ、極度の緊張からか上手く口が動かなく、言葉が途切れ途切れになる。


「言っている意味が分からないのか?」


「あ、ああ…」


俺がそう答えてからまた少し無言の時間が続く。応えを間違えたのだろうか、殺されてしまうのかと不安になる。その無言の時間は実際には数秒に満たないのだろうが、俺にとっては何時間にも感じた。



「我らが姫も知らないか?」


「し、しら、知らな…い…」


当然、姫と呼ばれる者のことも知るはずがない。


「本当に知らないようだな」


疑いもしないところを見るに、どうやらこの者は俺の言ったことの真偽が分かるらしい。


(改めて見てもどこにでもいる普通の人族だ。あの時に感じたものは気の所為だったようだ)


「ぁ…」


後ろの男が俺には聞こえない何かを呟いたと思ったら、急に身体が動くようになる。とはいえ、全身に力は入らず、そのまま俺は膝から崩れ落ちてしまう。


「……」


ただ、興味本位なのか、一矢報いるためかは分からないが、顔を動かして後ろを見た。そこには俺から遠ざかっていく全身黒いローブで身を包んだ背が見えた。

たまたまなのだろうが、その後ろ姿は俺が闇魔装をした時と見間違えるほどにそっくりだった。



「ごめん!手を離しちゃって…って!どうしたの!?」


俺が崩れ落ちてからすぐに姉弟子が俺の傍にやってきた。


「全身震えてるし、顔も真っ青だし、それに凄い汗だよ!」


「…こ、こうなったげ、原因についてはた、多分も、もう大丈夫な、なんだけど、い、今の状態はだ、ダメかな。で、でも、ぽ、ポーションとかはい、いらないよ」


動けるようになってからは全身がまるで痙攣したかのように大きく震えている。また、背中がびっしょりと感じるほどの汗もかいているのは自覚している。ただ、顔が真っ青なのは知らなかった。


「とりあえず、急いで屋敷に帰るよ!」


姉弟子は俺を抱き抱えると、建物の屋根の上などを通って最短距離で屋敷へと戻ってくれた。



「2人とも!ヌルヴィスが!」


「どうしたのだ!これは毒なのか!?」


「大丈夫!?しっかり!意識はありますか!?」


姉弟子に抱き抱えられた俺を見て師匠と先生は血相を変えてやってくる。


「だ、大丈夫。け、怪我でも毒でも無いから。こ、これから何が起こったか詳しく話すよ」


姉弟子に抱き抱えられて移動している間に少し安心したのか、さっきの症状は治まってきている。もうほとんど普通に話せるようにもなった。

俺はさっきに何があったのかを3人に説明する。とは言っても俺にも分からないことだらけなので、起こったことをそのまま順番に伝えることしかできない。


「すまんが、儂でもそれが何か分からないな」


「私もです」


「僕もだよ」


「だよね…」


謎の男が発したことも、同胞か?、喋ろ、姫を知ってるか?の3つしかない。それだけでその者の正体が何者かは分からない。


「ただ、時期的に考えて、お主の試合を見て何か思ったのは間違いなさそうだな。お主がまだ冒険者を続ける気なら、できるだけ早く次の国に行った方が良いだろう。これ以上下手に目立つとまたその者がやってくる恐れがある」


「「っ!」」


元々俺がここに来た目的は、Bランクの魔物の攻撃でも即死しないために闘装と魔装を習得するためだ。

そして、その目的は俺はもう果たしている。本来ならもうここに居る理由は無いはずだ。ただ、ここの居心地が良過ぎるあまり、無意識に考えないようにしていたのだろう。

どうするかを考えとき、真っ先にこのままこの道場で過ごすという選択肢が生まれる。



「1週間後にはここを発つよ」


でもやっぱり俺は冒険者として他の国、他の場所に行きたいと思ってしまう。この気持ちだけは誤魔化せないし、誤魔化したらいけない。


「そのセリフはできればその格好悪い状態でない時に聞きたかったのう」


「あっ…」


今の俺は全身汗だくで四つん這いでまだ少し震えている状態だ。大きな決断を下すには相応しくない姿だろう。

自分の顔が少しだけ温かくなるのを感じた。

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