23 月下の子どもたち

 寮に戻ってきたアーチを、先輩たちはいつかと同じように、盛大な拍手で迎え入れてくれた。


「よくやった、よくやった! これぞ月下寮シェリの子、月下の子なり!」


 同じことを何度も叫びながら、アーチをもみくちゃにする。

 アーチの目の周りが赤くなっていることを、指摘する人は誰もいなかった。気が付かなかっただけかもしれないけれど。それでも、アーチはなにも言われないことに安心して、されるがままになっていた。

 騒ぎをかきわけるようにして、ロジャーが顔を出した。


「アーチ!」

「ロジャー」

「君ってやつは、本当に……!」


 ロジャーはそこでぐっと言葉を詰まらせた。きゅうっと眉根が寄る。言いたいことがたくさんあり過ぎて、渋滞を起こしたような感じだった。それで、もうほかにどうしようもなくなったのだろう、無言でアーチを抱きしめた。

 二、三度、背中を思いきりたたかれてから、アーチは解放された。


「ま、無事でなによりだ。これぞ月下寮シェリの子、月下の子なり!」

「それ、みんな言ってるけど、なに?」

「昔から月下寮シェリに伝わる、最上級のほめ言葉さ。とんでもない大失敗をやらかしたときにも使うけどね」

「けなしてんじゃん」

「矛盾の両立だよ。魔法使いらしいだろう?」


 そう言っていたずらっぽく笑ったロジャーに、アーチもにやりと笑い返してうなずいた。

 部屋に戻ろうとすると、ちょうど中から出てきたライナスに出くわした。


「おっ、アーチ! 本当にやらかしてくれるよなぁお前って。見逃した俺らの責任にもなる、って知ってたか?」

「あ、ええと……ごめん、ライナス。そこまで考えてなかった」


 素直にそう言ったアーチの頭をぐしゃぐしゃになでて、それからライナスはちょっと声量を落とした。


「フィルは、疲れた、ってもう寝たからな。静かに入れよ」

「うん、わかった」


 アーチは少し残念に思いながら、ロジャーたちと別れてそうっと部屋に入った。フィルと話したいことがたくさんあったのだ。地下で見たこととか、ロジャーたちを呼んできてくれたお礼とか。

 でも、フィルのベッドの上の丸い盛り上がりは、どんなふうに声をかけられることも拒否しているように見えた。そうでなくとも、眠っているところを起こされるのは最悪に嫌なことだ、というのはよく理解している。

 アーチはあきらめて、自分のベッドに入った。さっきまでもずっと寝ていたはずなのに、彼はすんなり眠りに飲み込まれていった。


 翌朝、食堂に向かう途中で、そのニュースは届けられた。


「脱走?!」

「したらしい。今朝の一面だ。『魔法庁の大失態、誘拐犯を移送中に逃す』」


 ロジャーがあきれ返った顔で、手にした魔法界のMagic新聞TIMEsを広げた。朝からなんだか具合が悪そうで、うつむきがちに歩いていたフィルも、ちょっと顔を上げた。


「『昨夜アンブローズ・カレッジ内で拘束された魔法使い、ロベルト・パーセルは、魔法使いの子どもを一人、一般の子どもを十一人、誘拐し、禁じられた悪魔召喚の儀式に臨もうとしていた。その罪を問うべく、魔法庁へ収容される予定であったが、移送の途中、移送車が何者かに襲撃しゅうげきされ、パーセルは脱走。魔法庁職員の一名が重傷、五名が軽傷を負った。パーセルは“一つ目とmono-eye逆さ十字団and SSORC”の一員ではないかと推測されている』――」

一つ目とmono-eye逆さ十字団and SSORCって?」

「悪い魔法使いの組織さ」


 ロジャーは思い切り眉をひそめた。


「魔法使いの資格を放棄したり、最初から取りもしないで、好き勝手に魔法を使う連中が集まって、そういう組織を作ってるんだ。くわしいことはよくわかってない。彼らは捕まったことがないからね」

「この世で起きた未解決事件の九割方は、こいつらの仕業だって言われてるぜ」


 ライナスが後を引き取ってそう言った。


「まぁ、マジで最低な連中だと思っておけばいいよ。お近づきになることはないだろうし――っていうか、なっちゃいけないし」

「それじゃ、もう一人もそうなのかな」


 なにげなくつぶやいたアーチの言葉を聞きつけて、ロジャーが紙面から顔を上げた。


「もう一人、って?」

「あれ、フィルが話してない?」


 フィルに目をやると、彼はぷるぷると首を振った。


「“声を聞いた”とは聞いたけれど、人数は聞いてないよ」

「“話してる”って言ったら、普通“誰かと”じゃない?」

「それならそう言ってよ」

「言わなくても普通わかるだろ」

「わかんないよ!」


 急にフィルが大声を出したので、アーチはびっくりして言葉を飲み込んだ。

 彼は顔をぐちゃぐちゃにゆがめていた。怒っているようにも、泣き出しそうにも見えた。


「わかるかよ、僕馬鹿なんだから! 君を置いて逃げるような、馬鹿なんだから……!」


 そこまで言って、フィルはにわかに言葉を詰まらせた。そして、パッとアーチに背を向け駆け出した。


「フィル!」


 アーチはとっさに、教科書を放り出して、その背中を追いかけた。教科書に殴られたライナスがうめき声を上げ、ロジャーが「デリカシー!」と叫んだのが聞こえたけれど、ちっとも止まる気にはならなかった。

 食堂に向かう生徒たちの合間をすり抜けて、フィルはどんどん走り去っていく。彼の足が思っていたよりずっと速かったことに、アーチは驚いた。一足遅れたとはいえ、今までこんなに追い付けなかった子はいない。

 アーチはムッとして、足を強く踏み込んだ。ぐんぐん間を詰めていく。

 ふと振り返ったフィルが、すぐそこにアーチが来ていることを知って、ぎょっとした顔になった。まさか来ているとは、それもこんな近くにまで迫られているとは、思っていなかったらしい。

 彼は慌てふためいた様子で、パッと進行方向を変えた。ちょうど外から入ってきたガーデナーのオヴェット爺さんと入れ違いに、庭に出る。アーチもすかさず後を追った。

 外は一面、雪景色だった。真っ白な雪が前庭を完全におおい、朝の陽ざしを浴びてきらきらと光っている。

 フィルはすぐそばの生け垣を曲がって内側に入った。それを見て、アーチはぎゅっと雪を踏みしめた。

 向こうが曲がったなら、こっちは直線で行けばいい! それは直感的な判断だった。アーチは生け垣に突っ込んで、バキバキと音を立てながら無理やり乗り越えた。

 そして、フィルの背後に降り立ち、即座に跳びかかる。


「捕まえた!」

「うわあっ!」


 二人はそろって雪の中にたおれ込んだ。

 しばらくの間、二人は二人とも、白い息を荒々しく吐き出しながら、じっと黙って雪に埋もれていた。

 やがて、


「……生け垣を突っ切るのは、反則じゃない?」


 ため息混じりにそう言ったのは、フィルだった。

 アーチはくちびるをとがらせる。


「だって、フィルが速かったから。こんなに速いとは思ってなかった」

「今まで鬼ごっこで捕まったことないよ、僕」

「だろうね。僕もそうだった」

「みんなを捕まえるのはすごく簡単だった」

「うん。で、次からは誘われなくなるんだ」

「お前がいると楽しくない! ってね」

「そう!」


 二人は雪まみれになった顔を突き合わせて、どちらからともなく笑い出した。全力で走ったせいか、体の中がぽかぽかしていて、両腕を投げ出して雪に寝っ転がっても全然寒くなかった。冷たい空気を笑い声が震わせる。それに刺激されたのか、あるいはそれから逃げるためか、雪の中から蝶に似たなにかがふわふわと染み出てきて、白いりんぷんをまきながら飛び去っていった。

 笑いが収まった頃、ぽつりと、


「ごめん」


 フィルがつぶやいた。蝶のようななにかを目で追っていたアーチは、それを切り上げてフィルのほうに顔を向けた。フィルは空をじっと見つめていた。


「なにが?」

「昨日、君を置いて逃げたこと。すごく後悔してるんだ」

「逃げたんじゃないだろ? ロジャーとライナスを呼びに行ってくれたんだから」

「ううん。逃げたんだよ。呼びに行く、っていうのは言い訳だ。……僕、怖かったんだ……上級生に逆らうのが。本当なら、君と一緒に、戦うべきだったのに」


 彼の声は本当に落ち込んでいるように聞こえた。アーチはようやく、フィルが昨日から元気をなくしていた理由を知った。知ったけれど、理解はできなかった。まさかそんなことを気にしていたなんて。


「フィルは真面目だな」

「臆病なだけだよ」

「それは違う。本当の臆病者なら、動けなくなるはずだから」


 どんな物語だってそうだ。臆病者は怖がるだけでなにもしない。そういうものだとアーチは確信していた。


「君は動いたんだから、臆病じゃないよ。謝る必要もない。なんなら、フィルが誰かを呼びに行ってくれたほうが、僕としては助かるぐらいだよ。役割分担するのは合理的だし、ほら、今回だって、そのほうが結果的に良かったんだから」

「でも……そうかもしれないけど、でもやっぱりさ」

「わかった」


 アーチはフィルの言葉をさえぎるようにして、ひょいと勢いをつけて起き上がった。

 手を差し出す。


「じゃ、次からそうしてよ、フィル」


 フィルは少しの間、呆気にとられたような顔をさらした。それから、


「うん!」


 笑顔になってアーチの手を取った。

 アーチは、なんだかひどく力が抜けるような感じを覚えて、そこで初めて自分が緊張していたことに気が付いた。どうして緊張していたのかわからなくて、首をかしげるアーチの背中から、フィルが雪を払い落してくれた。


「話はまとまったかね、ボーイズ」


 ふいに、生け垣の向こうからガーデナーのオヴェット爺さんが顔をのぞかせた。二人がそろってにっこりうなずくと、オヴェット爺さんもほほ笑んでうなずき、


「それじゃ、生け垣にひどいことをした罰は、二人に背負ってもらうことにしようか」

「「ええっ?!」」

「放課後、菜園へおいで。温室の片付けを手伝ってもらう。いいね」


 アーチとフィルは顔を見合わせてから、気の抜けた返事をした。


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