20 影無き陰の舞台
アーチは目をぱちくりさせた。
「来るの? なんで?」
「ええと、その……」
「この先、危険なんだって。それでも来る? ベンフィールドにいじめられてたんだろ?」
チアーズはごくりとのどを鳴らしてから、ちょっとだけにらむような感じになってアーチを見た。
「い、いじめられてなんかない。違うんだよぉ」
「違うの?」
「うん。ホーンズビーとかがいないときは、ギルバート、すごく、親切なんだよぉ。勉強も、魔法のことも、教えてくれるし……口は悪いけどぉ……でも、いじめたりなんてしないんだぁ」
「嘘だ」
アーチは耳を疑った。とてもじゃないが信じられなかった。
「本当に?」
「本当だよぉ。これだって」
と、チアーズはポケットからキーホルダーのようなものを取り出した。図書館で会ったときにも持っていたものだ。あのときとは違って、青い石にはひびが入り、あとちょっとでくだけそうになっていた。
「ギルバートがくれたんだぁ。ぼくが、あんまり、いろいろ怖がってるから……悪いものをよける、お守り……これが、さっきの魔法をはじいてくれたみたい」
「ふぅん」
「でも、これを持ってたのが、ぼくじゃなかったらぁ……ギルバート、連れていかれなかったかもしれないからぁ……だからぁ……」
キーホルダーを大切そうに包み込んだ手が、ぷるぷると震えていた。
アーチは少し迷った。ハデス対策に誰か必要だと思っていたから、連れていくのは別にいい。けど、チアーズじゃ役に立たなそうだ。かえってじゃまになりそう。フィルがいてくれたら一番よかったのに、彼の姿はずいぶん前から消えていた。たぶん、言った通り、先生を呼びに行ったのだろう。
チアーズがちらりとこちらを見た。
「き、君のほうこそぉ」
「僕?」
「ギルバートと、いつも、けんかしてるのにぃ、どうしてギルバートのためにぃ?」
おずおずと尋ねられて、アーチはふと口を閉じた。
当然のことのように思っていた。誘拐犯を捕まえるとか、ギルバートを助けるとか、そういうことは。そこに“ギルバートのために”という言葉をくっつけるのは、違う。ギルバートのためじゃない。それは絶対に違う。見知らぬ十一人のため、というのも、ちょっと違う。問題だとは思っているけれど。あの女の子、リンジー・アータートンのため? そのほうがまだわかる。でも、それも少しずれている。
うーん、とうなりながら考える。いつも考えるより先に行動していたから、改めて「なぜ?」と聞かれると、よくわからなかった。
頭の中に出てきたのは、やっぱり物語の主人公たちだった。いろんなタイプの主人公がいるけれど、彼らは全員、おしまいまでになにかをやりとげる。ある人は勇気をふりしぼって、ある人は過去を後悔して、ある人は恩返しに。
それじゃあ、今の僕は?
「……あいつのためになんか動かないよ。嫌いだし」
「じゃあ……」
「でも、そういうの抜きで、助けなきゃって思ったから」
まともじゃないことはしちゃいけないし、悪いことは正されなきゃいけない。困っている人は助けるのが普通。ただそれだけの、当たり前のこと。
「僕は僕がやりたいことをやるだけだよ。さ、行こう!」
アーチはチアーズの腕をつかんだ。そして今度こそ壁を駆け上がった。まさか壁を登るとは思っていなかったチアーズが、引きつった声でわめいたが、アーチはそれを完全に無視した。
登り切って、窓を地下室への扉のように開ける。と、はしごが下――地面から見上げたなら、横――に向かって続いていた。
「『
アーチは灯りを灯した杖をくわえて、慎重にはしごを下りていった。チアーズがびくびくしながらついてくる。
はしごはマザーグースのように、あるいは奇をてらったジェットコースターのように、ぐねぐねと奇妙にねじ曲がっていた。アーチはもう、自分がどちらを向いているのか考えるのをやめた。今まさに重力が働いているほうが正解だ。
どれぐらい下りたかわからない。らせんを描いていたところが何か所もあったから、体感よりは短い移動だったはずだ。けれど、底に足を下ろしたときには、腕も足も気だるくなっていた。
アーチは杖をかかげて、辺りを見回した。
「せまいな」
アーチたちの部屋の三分の一ぐらいの広さしかない空間だった。土壁に丸く囲われていて、ひどく暗く、かびのようなにおいがする。
足跡ははしごと反対の壁に向かって続いていた。壁には大人一人分くらいの穴が開いていて、その向こうは空洞になっている。正方形の縦穴が、上にも下にもずっと伸びていた。カタカタカタカタ、という小さな音が響いている。
「なんだろう、これ」
音はだんだんと大きくなっていく。杖を突っ込んで下をのぞきこんでいたアーチは、ふと、その音が
上から降りてきた分厚い石の板が、ドンッ、と重たげな音を立てて、穴をふさいだ。危うく頭をつぶされるところだったと知って、アーチはちょっときもを冷やした。
「エレベーターみたいだ」
石の四隅には縄のようなものが付いていて、それによって上げ下げされているらしい。中央に金色の足跡が残されていた。とすると、これを使って上か下か、どちらかへ行ったのだろう。
「よし、行ってみよう」
「う、うん」
アーチとチアーズは万一に備え、せーの、で同時に石の上に乗った。石は二人が飛び乗っても微動だにしなかった。それどころか、上昇も下降も始めない。アーチは周りの壁を眺めまわして、ボタンのたぐいがなにもないことを確認した後、試しに「上へ」と言ってみた。すると石板は、カタカタカタカタ、と音を立てて上昇を始めた。
上昇はゆるやかで、アーチはこっそり安心した。エレベーターのふわっとくる感じが大嫌いなのだ。それがほとんどなかったことはありがたい。けれど、カタカタ、という音のうす気味悪さと、四方をぴったりと囲む土壁の圧迫感に、なんとなく胃が重たくなるような感じを覚えた。
音が少しずつ小さくなって、やがて止まった。目の前には赤いじゅうたんが敷かれた廊下があった。どこか冷ややかな印象のあるろうそくの火が、辺りを照らしている。
金色の足跡が見えなかったから、アーチはすぐに「下へ」と言った。再び、カタカタカタカタ、と音が響いて、今度は下へ下へと降りていく。一度アーチたちが乗った場所で止まったけれど、また「下へ」と言って、さらに降りていった。
「ねぇ……なんかさぁ、寒くない……?」
チアーズが言った通り、気温がずいぶんと下がっているようだった。息がわずかに白くなる。空気に触れているほおや指先が、どんどん冷たくなっていくのがわかった。
ズン、と重たい音を立てて、石の板は最下層に止まった。
真っ暗だった。暗闇の中に、金色の足跡がぼんやりと光っている。アーチが杖をかざすと、土の道が真っ直ぐに続いているのが見えた。
「こっちだ。行こう」
チアーズがうなずいたのか、それとも寒さに震えただけだったのか、アーチにはわからなかった。
アーチは土壁を触りながら、急ぎ足で足跡を追っていった。壁も地面もしめっているみたいにやわらかくて、足音はほとんど立たなかったし、指はちょっと押し込めば入っていってしまいそうだった。かび臭さは一段とひどくなって、あまり息をしたくないような感じがした。
しばらく進んでいくうちに、少しずつ暗闇がうすれていくのがわかった。ろうそくの灯りがあるわけじゃない。まして太陽があるわけでもない。どういうわけかわからないが、暗闇だけがただ消えていくのだ。
アーチは不審に思いながらも、杖の灯りを消した。もうそれがなくても充分歩けるほどになっていた。一方で、暗くなくなったせいか、足跡はだんだんと見えにくくなっていった。
やがて、道が急にカーブしたと思ったら、その先にホールのような大きな空間が広がっていた。それを見てアーチは足を止めた。
その場所に立っている人は一人だけだった。あのおじさんだ。アーチたちに背を向け、空間の中央に向かって両手を広げて立っている。右手には杖、左手には
おじさんの前には、石でできた台座のようなものがいくつも並んでいた。ここからではよく見えないが、おそらく放射線状に並んでいるのだと推測できる。
そしてその台座のひとつひとつに、小さな人影が乗っていた。子どもだ。子どもが横たわっている。子どもたちは眠っているようで、じっと身を固くしていた。アーチはそれを見ていたら、腹の底がむかむかしてきた。今すぐ飛んでいってぶん殴ってやりたいくらいだ!
「――、―、――――――」
低い声が途切れなく聞こえてくる。湾曲した高い天井に跳ね返ったせいで、その言葉の内容はまったく聞き取れなかった。
おじさんが前に進み出る。空間の中央、ひときわ高くて丸い台座に杯を置いて、その代わりに剣を手にした。照明もなにもない空間で、抜身の刃が、現実離れした輝きを放っている。
それを見てアーチはハッとした。なにか嫌な直感のようなものに突き動かされて、とっさに壁に指を突っ込む。土をほじくり返して、手のひらでぎゅっと押し込んで固めた。そしてそれを、おじさん目がけて投げつけた。
土の玉は見事、おじさんの後頭部に命中した。動きが止まる。
彼が驚いて振り返ったときには、すでにアーチは走り出していた。
「チアーズ! 誰か一人、連れて逃げて!」
叫びながら、おじさんに跳びかかる。
「なっ、君っ!」
驚いているすきに、思いっ切り腕にかみ付いた。
悲鳴を上げたおじさんの手から剣がこぼれ落ちて、やわらかな地面に突き刺さる。アーチは素早くそれを拾い上げ、
「貴様!」
「うわっ!」
首根っこをつかまれて持ち上げられた。アーチは足をばたつかせながら、おじさんに取られてしまう前に、剣をできるだけ遠くに放り投げた。
「この、問題児め……っ! だが、邪魔はさせないぞ!」
おじさんがアーチを持ち上げたまま、剣を拾いにいく。アーチはせいいっぱい暴れながら、チアーズがギルバートを引きずっていくのを見ていた。
(そうだ、そのまま行け……一人欠ければ、儀式とかいうやつはできないんだから!)
あとは自分が逃げれば、と思ったアーチを冷笑するように、おじさんが鼻を鳴らした。
「君は自分が魔法使いであることを忘れたのかい? 彼一人いなくなっても――」
剣を拾い上げたおじさんは、ギルバートがいなくなった石の台座に取って返して、そこにアーチをたたきつけた。
「あうっ!」
顔面を強く打って、アーチは悲鳴を上げた。体から力が抜けていく。ぼたり、と鼻血がしたたり落ちた。
ぐいと首を引っ張られて、あおむけにされた。おじさんは親切そうなほほ笑みを浮かべていた。悪いことをしている、とはまったく思っていない顔だ。アーチは背筋がぞくりと粟立つのを感じた。
「君を代わりに据えれば、儀式は実行可能だ。残念だったね」
「ん、ぐ……」
おじさんの手がアーチの首をつかんだ。彼の細い首は、ローブの厚みを加味してもまだ細くて、大人の手の中にすっぽりと納まってしまった。引き剥がそうと爪を立てても無駄だった。
圧力がかかったせいで開けてしまった口に、なにか生臭い液体が流し込まれた。瞬間、圧力が消えて、反射的にそれを飲み込んでしまう。それはどろりとしていて、腐った豆のような味がした。そのうえ、触れている部分がぴりぴりとしびれた。食道を針で引っかかれているような感じが、胃の中に滑り落ちていく。
「はい、これで準備完了だ。やはり予備を用意しておいて正解だったな。さて――」
「おえっ……まっず、なに今の……」
思わず不満を言ったアーチを前に、おじさんは目を丸くした。
「君……今のを飲んで、その……なんとも、ないのかい?」
「舌が変になりそう、ってこと以外で?」
「……やっぱり君は、少し――いや、かなりおかしいようだな」
「なにが? うっ……!」
聞き返した瞬間、再びのどに圧力をかけられた。
「おかしなことをされないように、少し眠っていてもらおう!」
「あ、う……っ!」
首をしめられる。空気の通り道がなくなる。どんな丈夫なローブであっても、大人の体重がかかればしまっていくものだ。
(ハデス、ハデス!)
アーチは他になにも思いつかなくて、彼女の名前を呼んだ。
(お願い、助けて! 頼むから……!)
けれど、ハデスはしっぽの先すら出してくれなかった。
(なんで?! 僕が言うこと聞かなかったから? 他に人がいるから? ハデス、ハデス……っ!)
アーチは涙が出てきそうになったのを必死にこらえて、全力で暴れた。けれどそれも、もう――目の前が暗くなってきて――目を開けているのか閉じているのかも定かでなくなって――全身の感覚がうすれていって――
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