18 ウルフは嘘をつかない

 アーチは午前中をいらいらしながら過ごした。三人の会話が頭の中をぐるぐると回っていて、授業もほとんど聞こえなかった。


「どうしてそんなに怒ってるの?」


 そうフィルに聞かれたのは、お昼を食べ終えたときだった。ロジャーとライナスは午後の授業が少し早いらしくて、先に食堂を後にしていた。

 アーチはふくれっ面をさらにふくらませて、立ち聞きした話をそのまま語り聞かせた。誘拐犯が校内に侵入したかもしれない、という話。そして、その原因が自分にあるかもしれなくって――そのせいでバロウッズ先生が責められていたこと!


「バロウッズ先生を責めるのはおかしいと思うんだ! だって、僕が勝手にいなくなっただけなのに、それをミルが――あの、あの――」


 アーチはミル先生を表す最高の悪口を必死に考えて、ついにしぼりだした。


「あの、象足香水お化けめ!」


 耐え切れなかったようにフィルがふき出した。


「あっはははは! 象足香水お化けって! いいね、その形容。まさにそれだ。最高だよ!」

「事実だろ?」

「うん、事実だ」


 言いながら、フィルはそうとう面白かったらしく、くすくすと笑い続けた。一緒になって笑っていたら、アーチのいら立ちもだんだんと収まっていった。こんなふうに穏やかに怒りを静めたことはなかったから、アーチはなんだか魔法にかけられたように思った。

 ひとしきり笑い終えてから、ふとフィルは表情を改めた。


「誘拐犯が学校の中にいるって、本当かな」

「本当だと思うよ」


 アーチはあっさりとうなずいた。


「だって僕、聞いたから。“あと一人必要だ”って話してる声」

「ほんとに?」

「嘘はつかないよ、僕」


 言い返しながら、アーチはそのとき聞いた声を思い出す。頭の中を占めていたいらいらが消えたおかげか、今までに見聞きしたことが急にはっきりと見えてきた。


「誘拐犯は普通の子たちを十一人さらった。そのうちの一人がニュースで見た、あの女の子なんだろう。たぶん、全員十二歳だ。それで、あと一人、最後の一人は魔法使いが必要だって言ってた。十二歳の――つまり、僕らの学年だ」

「十二歳を十二人?」

「そう」

「そんなふうに子どもを集めて、どうするんだろう?」


 フィルの疑問に、アーチは注意深く記憶を掘り返した。


「……“十二人がそろわぬ内は、儀式も成り立たぬ”って、クィルター先生が言ってた」

「それじゃあ……」

「うん。なにか、儀式をするつもりなんだ。十二人を使った、なにかの、儀式を――」


 アーチはぞくりと背筋が冷たくなるのを感じた。寒さのせいじゃない。十二人を“使った”儀式。“使う”って、つまり、どういうことなんだろう? 彼らになにか特別なことをしてもらうのだろうか。それとも――彼ら自身を――


「アーチ」


 呼びかけられて、アーチははたと我に返った。

 フィルはひどく不安そうに顔をゆがめている。


「君が聞いたっていう声のこと、先生に言ったほうがいいんじゃない?」

「うん……うぅん、でも……本当に誘拐犯かどうかわからないし、それに、声だけで顔は見てないんだよ。誘拐犯を捕まえる手助けには――」

「なんのお話しをされているのかしら?!」


 背後から突然つるはしみたいな声を突き込まれて、アーチとフィルは飛び上がった。

 振り返ると、すぐそこでミル先生が仁王立ちをしていた。身長に対して広すぎる横幅。頭のてっぺんに作った大きなおだんごは、まるで二つ目の頭のようになっている。強烈な香水のにおいが押し寄せてきて、アーチはくしゃみを必死におさえこんだ。

 彼女はまなじりをつり上げて、短い腕を組み、アーチをぎろりとにらみつけた。


「誘拐犯だのなんだのと……不謹慎な嘘を語るのはおやめなさい!」

「嘘じゃない!」


 アーチはいきり立って怒鳴り返した。


「本当に聞いたんだ! あと一人必要だ、って話してるのを! それに、誘拐された女の子の幽霊みたいなのも見たんだ! 先生たちだってさっき、廊下で――」

「お黙りなさい! それ以上嘘をくり返したら、罰則を科しますよ!」

「上等だ、罰則でもなんでも受けてやるよ! だって僕は嘘なんかついてないんだから!」


 反射的に言い返すと、先生は大げさにため息をついて、首を振った。


「これだから月下寮シェリの生徒は……野蛮な問題児ばかりで!」


 対抗して悪口雑言をぶちまけようとしたアーチより早く、先生は「二度と不謹慎な嘘をつかないように!」とぴしゃりと言って、去ってしまった。

 アーチはしばらくの間、顔を真っ赤にしてうなっていた。口に出せなかった反論が、腹の中をぐるぐると駆け回って、ひとつの結論に食らいつく。


「見てろよ。嘘じゃないって証明してやる!」

「い、一応聞くけど、アーチ、どうやって?」

「決まってるだろ。犯人を見つけて、捕まえるんだ!」


 そんな無茶な! とフィルが悲鳴のように言ったが、アーチの耳には届かなかった。

 アーチはさっそく、その日の放課後から動き出した。授業が終わるが早いか、教室を駆け出し、教科書を自室に放り投げて、即座に取って返す。フィルがぴったり付いてくるのが少し気になったが、追及するような時間はない。一分、一秒でも早く、あの象足香水お化けの鼻を明かしてやらなくては!

 燃え上がる決意に突き動かされるようにして、アーチは曲がりくねった廊下を突っ切り、階段を駆け下りた。

 そこではちょうど、


「や、いいところに下りてきたね」


 バロウッズ先生が談話室の椅子に座ったところだった。

 アーチはびっくりして棒立ちになった。どうしてこんなタイミングで!


「生徒全員に伝えなきゃいけないことがあるんだ。今寮にいる子たちに、声をかけてきてもらえるかな? 今から戻ってくる子たちには、僕が直接言うからね」


 有無を言わせぬ調子で指示されて、アーチはしぶしぶきびすを返した。フィルがあからさまにほっとした表情を浮かべたのが目のはしに見えた。

 バロウッズ先生は生徒を全員集めると、はっきりと宣言した。


「これからしばらくの間、学年を問わず、単独行動を禁止する」


 アーチは悲鳴のような声が出そうになったのを危うく飲み込んだ。

 周りも少しどよめいていた。もともと、月下寮シェリは学校一単独行動と問題行動の多い寮として有名なのである。単独行動を禁止されて困るのはアーチだけではなかった。


「ど、どうして、ですか、先生」


 か細い声がざわめきのすき間をぬって、先生の耳に届けられた。監督生のシアーだ。ざわめきが止まる。


「危険な魔性ませい生物の侵入が感知されたんだ」


 アーチは思わず、となりにいたロジャーを見上げた。彼もまたアーチをちらりと見て、すぐ前に向き直った。くちびるがぎゅっと引き結ばれていた。

 先生のうすい笑みは変わらない。


「六年生、七年生であっても、ひとりでは対処しきれない生物だ。まして一、二年生ともなればなおさらね。だから、下級生は上級生と、できるだけ三人以上で行動するように。万一遭遇してしまったら、自分の身の安全を第一に考えながら、すぐに先生を呼ぶこと。わかったかい?」


 あからさまに不満げな返事がちらほらと上がった。バロウッズ先生は苦笑しながら、「頼むよ、諸君。特に補助生サポーターは、一年生のことをしっかり見ておくように」と念押しして、寮を後にした。

 ざわめきがあちこちで起きては消える。アーチもその内のひとつになることにした。ロジャーのそでを引いて耳打ちする。


「ねぇ、ロジャー。魔性生物、って嘘だよね? 僕らが聞いたの、違ったよね?」


 ロジャーは神妙な顔つきでうなずいた。


「儀式を行う魔性生物なんていないよ。しかも、表では誘拐事件だ、って言ってたし」

「やっぱり、そうだったよね」

「うん。でも、余計なさわぎを起こさないためだろうね。誘拐犯が侵入した、って言ったら、不安をあおることになるから。それに、きっと相手は本当に強い魔法使いなんだろう。だから先生たちも、こんなに対応を早くしたんだ」

「うん……」


 アーチはあいづちを打ちながら、困ったことになったぞ、と思っていた。これでは計画が立ち行かない。フィルならまだしも、ロジャーにぴったりはりつかれたら、どうにも身動きできなくなる。

 真剣な表情でだまっているアーチを見て、ロジャーは勘違いしたようだった。はげますように肩をたたく。


「大丈夫だよ、アーチ、そんなに不安がらなくても。先生たちがどうにかしてくれる」

「そうだといいけど」


 言いながら、アーチは内心で首をひねっていた。どうにかしてくれるのだろうか、本当に? あの象足香水お化けが? 陰気なぼさぼさ髪が? とてもじゃないけれど信じられなかった。


(やっぱ僕が、あの声を聞いた辺りをちゃんと調べないと……!)

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