幕間 理髪師は過失で王様の秘密を晒したが、魔法使いは故意に狼の秘密を打ち明ける。

 ハデスを肩に乗せたウルフは、こちらをあからさまに気にしながら、裏庭を出ていった。

 とたんに、ふらりとよろめいたクレイを、バロウッズ先生が支えた。


「大丈夫かい?」

「……はい、平気、です」


 クレイは真っ青な顔で、バロウッズ先生の腕にすがりつくようにしたまま、か細い声でうなずいた。まだ額には冷や汗が浮かび、ひざが細かく震えていた。

 ついさっき見た、そしてウルフが平然とじゃれついていた、あの黒猫の姿をした何者か・・・が怖くて仕方ないのだろう。その気持ちはよくわかる。それは心臓の奥底からわき上がってくる、おさえようのない恐怖。


「さっきの……猫では、ないですよね。あれは、いったい」


 バロウッズ先生は正直に、彼女の正体を告げた。

 クレイはしばらくの間、言葉を失っていた。無理もない。そう簡単に飲み込めるような話ではないのだから。けれど彼は、いつまでも固まっているほど愚かでもない。何度か深呼吸をすると、姿勢を正した。まだ少し震えが残っているようだったが、気丈に視線を上げる。


「アーチは、なにも怖がっていませんでしたね」


 クレイの目が鋭さを帯びた。


「以前、ホーンズビーがアーチに呪いをかけたことがありました。呪いはきちんと形になっていたのに、彼は平然としていました」


 もしかして、先生。と彼は言葉を切って、バロウッズ先生をじっと見つめた。彼の目は真剣に、真摯に、ウルフのことを思いやっていて、ごまかしなど一切許さないと断言していた。


(やっぱり、クレイには話すと決めて正解だった)


 観察力に優れ、頭がよく、想像力もある子だ。こちらから言わなくとも、いずれ正解にたどり着くだろうと思っていた。

 バロウッズ先生は笑みを深くして、うなずいた。


「君の想像通りだよ、クレイ。彼は、少々特殊な体質を持っているようでね」

「呪いが効かないんですか?」

「正確には、“不可視性魔法インビジブルが効きにくい”と言うべきかな」


 魔法は可視性ビジブル不可視性インビジブルに大別される。魔力を目に見える形に変換するものは可視性魔法ビジブル、見えない状態のまま効果だけを得るものは不可視性魔法インビジブルと呼ばれていた。たとえば、『光明』は可視性魔法ビジブルだし、さっき教えた『開錠』『施錠』『収納』はすべて不可視性魔法インビジブルになる。

 クレイがさっと顔色を変えた。


「それじゃ、『治癒』も?」

「おそらくね。効かない、というよりは、効きにくい、というだけのようだけど、まだくわしいことは調べている最中なんだ」

「誰が調べているんですか?」

「僕だよ。僕以外は、今のところ、誰も関わっていない」


 それを聞いて、クレイは安心したように何度かうなずいた。彼は注意深くて慎重で、あまり他人を信用しない子だ。だからこそ、バロウッズ先生も信用に足ると判断したのだけれど。


「ハデスを恐れなかったのは、半分はその体質のため。もう半分は、ほら、彼は蛇に飲み込まれて戻ってきただろう? 蛇は死と再生の象徴だ。それに飲み込まれて生還したことで、疑似的な不死を得たらしい」

「不死?」

「あくまで“疑似的な”ね。死の呪いをまったく受け付けなくなったというだけで、本当に死なないわけではない。歳はとるし、怪我をすれば死ぬ。だからやっぱり、危険な場所へ行ってもらっては困るんだよ。だから、彼女との取引に応じた。彼を守ってもらうために」

「……向こうの要求は、なんだったんですか?」

「ウルフを観察させてくれ、と。それだけだ。興味があるんだって」


 クレイは真剣なまなざしで、考えをめぐらせているようだった。利発さと同じだけの実力を持ち合わせている彼らしい、責任感に満ちた顔付きだった。


「クレイ。君には少々たいへんな役を担ってもらいたい」

「このことを秘密にして、できるだけばれないようにするんですね?」

「話が早くて助かるよ」

「本人には――ああ、確かに、まだ言わないほうがいいですね」

「うん。伝えたら絶対、体質を過信して、校内を探索しつくそうとするだろう?」

「ええ、間違いなくそうなると思います」


 クレイははっきりとうなずいた。


「わかりました、先生。僕にできることがあるなら、すべてやります」

「ありがとう、クレイ」


 彼はウルフのことを気に入っているようだった。バロウッズ先生は一年生のころのクレイの、誰彼構わずにらみつけてばかりいた顔を思い出して、なんともいえない温かな気持ちになった。補助生サポーターになることで考え方が変わったり、責任感が芽生えたりする生徒は多いが、クレイの場合は他人のために動くことを覚えたらしい。

 バロウッズ先生はクレイの優等生らしい笑みを見返した。その裏に乱暴者がひそんでいることはよく知っている。


「ところで、ホーンズビーに呪いをかけられた、というのは、なんの話かな?」

「僕と彼の仲の悪さはご存知でしょう? ただそれだけの話ですよ」


 しれっと答えたクレイに、バロウッズ先生は「ほどほどにね」と苦笑を浮かべた。

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