14 キャンノット・ゴー・バック

 魔法と口げんかの特訓を始めて一週間が経った。口げんかのほうは――もともと口の悪い姉の下で育ってきたこともあって――めきめきと頭角を現していたが、魔法のほうはどうにも上手くいっていなかった。

 そんなある日の自習時間に、テレビを見て、アーチはつぶやいたのだった。


「あ、父さんだ」


 自習時間中は自室にいることが義務付けられているのだが、破っている人は――特に上級生では――少なくない。けれど今、上級生たちはテストのために部屋へこもっていたから、談話室はがらんとしていた。それを知っていて、いつもは小型テレビで見ていたDVD(どちらの持ち込みも当然、校則違反だ)を大きな画面で見ようということになり、みんなで下りてきたのである。

 それでテレビを点けたら、父さんがインタビューに答えていたのだった。


「そっか、新しいの、もうすぐ公開するんだ」


 ロジャーとライナスとフィルが、同じおもちゃに目を奪われている子猫たちのように、アーチとテレビの間で首を振った。


「あーっと、誰が、誰の、父さんだって?」


 代表するようにそう聞いたのはライナスだ。

 アーチはなんてことないように、テレビの中でほほ笑む人を指差した。


「エイブラハム・ウルフ。僕の父さん」


 三人が互いの顔を見合わせて、それからそろって「ええーっ!」と叫んだ。それがあんまり大きな声だったから、アーチは危うく椅子から落ちるところだった。

 驚いたのは上の階の部屋もそうだったらしい。自習時間で静かにしていたところにあんな大声が響いたら、誰だって何事かあったと思うだろう。心配して訪ねてきた三年生たちを追い返して、それからようやく三人は事実を飲み込んだようだった。


「え、え、エイブラハム・ウルフが……君の、お父さん?」

「マジで? マジで言ってんの? 俺、ファンなんだけど」

「僕も……おじいちゃんとおばあちゃんが大好きで、一緒によく見てた」

「僕もそうだよ。マーヴェリック・スパイシリーズは全部見た」

「えー、エイブラハム主演なら『パスティーシュの休暇』だろ。あ、あれもオススメ。あの泥棒のやつ。なんだっけ、タイトル――」

「『子どもっぽいladdish-脚立stepladder』」

「それ!」


 ライナスはアーチの助け舟に飛び乗ってみせてから、突然その舟が転覆したかのような顔になって、まじまじとアーチを見た。


「言われてみれば似てるかもしれないな……」

「そう?」


 アーチはまったく信用していない目付きでライナスを見てから、テレビに目を戻した。

 数ヶ月ぶりに見る父さんは元気そうだった。家にいるときより、テレビに出ているときのほうがテンションが高い。演技をしている、とアーチにはわかった。役柄は“英国一の人気俳優”だ――あるいは、家にいるときこそ“父親”の演技をしているのかもしれなかったけれど。


『新作はジキルとハイドでしたね?』

『そう。あの名作を、舞台を現代に移してやったんだ。さすがバーミンガム監督の作品、っていう感じの仕上がりになってるよ。役もすごく面白かった。いつもは二分割するところを、三分割しなくちゃいけなくて、新鮮だった』

『二分割? 三分割?』

『うん。自分をね。割るんだよ。パカッと――等分か、二対一くらいに』


 平然と答えた父さんに、インタビュアーは理解できないということを理解したらしい。笑って『そうなんですか』と次の質問へ行った。あんまり慣れていない人のようだ。

 今のところは掘り下げるべきところなのに、とほおづえをついたアーチの批判を、証明するかのようにフィルが言った。


「自分を割る、って?」

「役の自分と役者の自分を分けてるんだって。そうしないと上手く変身・・できなかったり、変身したあと戻れなくなったりするから、って」


 言いながら、アーチは自分に素質が見つかった日のことを思い出して、口の中を苦くした。冷たい声が耳の裏に聞こえた。『魔法はまともじゃない』――そうだった、父さんは魔法が好きじゃないんだ。そうしたら、魔法学校で名前を出されるのも嫌うかもしれない――


「アーチ?」


 はっと気が付くと、フィルが心配そうにこちらを見ていた。


「どうかした? 大丈夫?」

「え? なにが?」


 とぼけたふりをしてアーチは笑った。

 ぽつりと言ったのは、ずっと考えるポーズを取っていたロジャーだ。


「人格を二つ用意する、ってこと? 役用と、いつもの自分の……保存用と」

「たぶん、そうだと思う」

「それじゃあ、台詞を言うのは役用の人格ってことなんだ?」

「そういうことになるね」

「その間、保存用の人格はどこでどうしてるの?」


 アーチはぽかんとして目をぱちぱちさせた。

 ロジャーはごまかすような照れ笑いを浮かべて言う。


「ごめん、僕、芸術科目の選択が演劇だから、なんか気になっちゃって。役になりきるために役用の人格を、っていうのはわかる気がするんだ。そんなこと僕にはできないけど。でも、体の主導権とか、周りの認識能力を持ってるのは保存用のほうだろ? どうやって折り合いを付けてるのかな、って」

「なんか魔法使いみたいだな」


 へらりとした調子でライナスが口をはさんだ。


「矛盾の共存、ねじれの許容!」

「そういえば、芸術家と魔法使いはかなり近しい存在だ、って習ったね」

「え? そうだっけ?」

「次の応用魔法理論のテスト範囲だぞ」

「わーお、やべぇな。なんにも覚えてない。頼むロジャー、ノートを――」


 今度「ああああっ!」と叫んだのはアーチだった。他の三人はびっくりして跳び上がり、また様子を見に来た三年生たちに謝って戻ってもらった。


「どうしたってんだよ、アーチ」

「わかったかもしれない!」


 アーチはぴょんと椅子から飛び降りた。

 そしてローブの大きなポケットから杖を取り出し、顔の前に構える。


(そうだ、二つに割っちゃえばいんだ、自分を! 認識用と、音声用に!)


 目をつぶってイメージする。二人目の自分を。自分とまったく同じ姿で、まったく同じ声で、まったく同じように動く二人目を。

 アーチは暗闇の中でアーチと・・・向かい合った。息を吸うタイミングも、声を発するタイミングも、ぴったり同じだ。


「『それは羊の毛のように真っ白でふかふか、それは律儀な目のように真っ直ぐでぴかぴか、おかげで僕らは見通すわけだ、奥まで影絵を見透かすわけだ――』」


 最後の一言。そこだけ、二人で言うことが違う。

 アーチは「きらめけgleaming」と言って、アーチ・・・は「ふわふわのturn on灯りよthe fluffy点けlight」と言った。二人の声がずれて重なった結果、詠唱は「『光明gleaminフワフg the fluffylight』」になる。

 もちろん、現実で音になったのは、


「『光明フワフワgleaming』!」


 のただ一言だけ。

 けれどアーチの耳にはその続きがはっきりと聞こえた。

 瞬間、腹の底のほうがふわっと浮かぶような感じがした。これまでの感じとは少し違って、それは突然ほかほかのベッドの中に放り込まれたような、幸せな温かさをしていた。

 確信をもって目を開ける。


「――できた」


 杖の先で、オレンジがかった白い光が煌々こうこうと輝いていた。


「できた! やったよ、できた!」


 飛び跳ねるアーチに、三人は割れんばかりの拍手を贈って、彼の頭をぐしゃぐしゃにかきなでた。喜びのあまり騒ぎ過ぎたものだから、三度みたび下りてきた三年生たちに思い切り怒られたのは言うまでもない。

 ロジャーが厨房からチョコレートをくすねてきて、ライナスが秘蔵のジンジャーエールを取り出した。


「アーチとフィル、二人の魔法デビューを祝して」


 かんぱい、と(ひかえめに)声をそろえ、グラスを鳴らす。

 アーチはようやく魔法を自分のものにできたのが嬉しくてたまらなくて、何度も灯りを点けたり消したりした。やっと魔法を使えた。父さんのおかげで――そう思うにつけ、やっぱりもやもやしたものが胸の奥にわだかまる。自分が今、怒っているのか、悲しんでいるのか、悔しがっているのか、わからなかった。自分のことなのに……ただひとつ確かなのは、『もう後戻りできない』ということ。

 僕は魔法使いになってしまった!

 フィルがちらちらとアーチの横顔をうかがいながら、なにか言いたそうにしているのが視界のすみに見えていたけれど、アーチはそれを完全に無視した。ロジャーはライナスに応用魔法理論のテスト範囲を教えている。

 テレビはいつの間にかニュースに変わっていた。


『――続いて、三カ月前から行方不明になっている少女に関するニュースです。両親が顔写真を公開し、広く協力を呼びかけています――』


 映し出された写真に、アーチはなんだか見覚えがあるような気がして、首をひねった。毛糸のようにふわふわした赤毛。丸くて青い瞳。歳は同じくらいだろうか?


『――リンジー・アータートンちゃん、十二歳。ノーサンバランド州アニックに居住。八月の終わり頃、家族で出かけた際に――』


 あ、とアーチは小さくうめいた。


「まさか、知ってる子?」

「いや、知ってるわけじゃないけど」


 アーチはフィルに真剣な目を向け、声をひそめた。


「たぶん僕、この子に会った。学校の中で」

「え?」

「ほら、入寮式の日に僕、行方不明になっただろ? あのとき、あの子が通路の向こうにいて、だからそっちに行ったんだ」


 母親らしき女性が泣きはらした目でインタビューに答えている。『リンジーは好奇心旺盛で……どこにでも行ってしまうから……でも、帰ってこないなんてことありませんでした。だから誘拐されたかもしれません。もしそうだったら……』

 フィルはとまどったようにテレビとアーチを見比べた。


「で、でも、本当に? 見間違いじゃなくて?」

「間違いないよ。だってあの子、“ろうそくを持ってたのはキティーだった”って言ってたから。ノーサンバランド州ではウィル・オ・ザ・ウィスプのことをそう呼ぶんだ、“ろうそく持ちのキティー”って」

「でも、じゃあどうして学校に? 迷い込んだってこと?」

「そういうことってありえない?」


 フィルはいろんな可能性を検討するように黙り込んで、ようやく答えた。


「……ないとは、言い切れないかも。どこがどうつながっているかわからないのが魔法界だ、っておじいちゃんが言ってたし、ウィル・オ・ザ・ウィスプは道を失わせるのが得意だから」

「じゃ、決まりだ」


 アーチは短く言い切って、テレビに向き直った。

 インタビューはまだ続いていて、母親はいよいよ泣き出していた。


『あの子が無事に帰ってきてさえくれれば、私は他に何もいりません。だからどうか、どうか……お願い、あの子を、リンジーをうちに帰して……!』


 任せて、とアーチは画面越しにうけおったような気持ちになった。あの子のお母さんはあの子が帰ってくるのを待っているし、あの子も「助けて、お願い」と言った。

 だったら、助けるほかない。

 フィルがおずおずと聞いてきた。


「アーチ、君、今、なに考えてる?」

「そりゃ当然、ウィル・オ・ザ・ウィスプに誘拐された女の子を見つける方法について、だ」


 固い決意を瞳に宿らせたアーチに、フィルは困り顔を向けた。

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