13 ファイティング・ボーイズ
十一月も終わりに近づいて、少しずつクリスマスホリデーのことを考える時期になってきた。けれどアーチは、ホリデーのことも、この間盗み聞きした謎の会話のことも、ほとんどなにも考えていなかった。
今のアーチにとって最も重要なのは、『光明』の魔法だった。習ってから一ヶ月が経とうとしているのに、まだまともに使えないなんて! フィルは出来るようになったのに! ルームメイトに先を行かれたのが、アーチを余計にいら立たせた。それはこれまで、やろうと思って出来ないことなんてひとつもなかった彼にとって、初めての挫折に近しいものだった。それでもまだ、ロジャーやライナスに教えてと頼むことはしていなかった。
「最初のコツをつかむのが一番難しいんだ、アーチ」
と、ライナスが真面目な顔で言って、アーチと肩を組んだ。
「俺も
「うぅん。そうなんだ」
アーチは素直にうなずけなかった。なんだか言い訳しているみたいに聞こえたからだ。
「校歌はもう覚えたか?」
「うん。それはばっちり」
「じゃあ、あとは魔法だけだな。がんばれば良いことあるぞ」
「良いことって?」
ライナスは周りをちらりと見て――ちょっと時間が遅いせいで、食堂へ向かう生徒はまばらだ。ロジャーとフィルは少し後ろで話している――声をひそめた。
「いいか、驚くなよ」
「うん」
「魔法が使えるようになって、校歌が歌えるようになると、単独行動の許可が下りる」
アーチは叫びそうになったのをすんでのところでおさえた。
「ほ、本当に? ライナス、それ本当?」
「本当さ。でも事前に教えるのは禁止されてる――特にお前には」
ろこつに不満げな顔をしたアーチに、ライナスは「前科持ちはつらいな」と笑った。
「ま、とにかくそういうわけだ。あせらず、くさらず、がんばろうぜ」
「うん!」
食堂の入り口が見えてきたちょうどその時、アーチはレモン色の頭が何人かを引き連れるようにして、ふんぞり返って出てくるのを見た。ギルバートだ。彼の
ライナスが小さな声でうめいた。
「げぇ、ジャスティン・ホーンズビーご一行だ」
彼はちらりと後ろを見て、目配せをしたらしい。ロジャーがひょいと前に出てきて、アーチと立ち位置を入れ替えた。
その直後だ。
「道をふさぐな、オッド生まれと
思い切り人を見下した言い方を、アーチはロジャーの背中越しに聞いた。それでピンときた。間違いない、きっとこいつが、この間ロジャーを殴ったやつだ!
ロジャーはいつものあっさりとした口調のままだった。
「道幅の広さもまともに認識できてないみたいだね。一度眼科、いや脳神経外科かな、とにかく病院にかかることをおすすめするよ」
「お前は言語能力に致命的な欠陥があるようだな。イタリアのいかれた魔女が混ざってるからか? 今のは“俺の前に立つな”という意味だ」
「ああ、そうだったんだ。ごめんね、君の表現力のなさを補ってあげられなくて。詩文の小テストも大した点数じゃない君に、人並みの表現力を期待した僕が馬鹿だった。ああ悪いことをした、申し訳ない」
「……謝罪の気持ちがあるなら行動で示したらどうだ? できないなら教えてやるよ。
「うわっ」
ロジャーが不自然にたたらを踏んで、肩から壁に激突した。反射的に抜いていたらしい杖が、カランッ、と乾いた音を立てて床に転がる。
それを踏もうとしたホーンズビーの足は、しかしなにもない床を踏みつけただけだった。
「この手のやつのやることって決まり切ってるね」
アーチは一瞬早く拾っていた杖をロジャーに渡してから、ホーンズビーに向かって思い切り舌を突き出した。
そのときに、ギルバートが勝ち誇ったように小鼻をふくらませているのを見た。
「やあウルフ! 『光明』は出来るようになったか?」
アーチはぐっと言葉を詰まらせた。マグマのような悔しさがかぁっとこみあげてきて、頭が内側から破られるような気になった。肌を引き裂かれるような恥ずかしさもあって、思わず足元に目をやってしまう。止めようと思う間もなく、顔が真っ赤になったのが自分でわかった。
ホーンズビーがわざとらしく『わぁ驚いた!』という声を作った。
「『光明』って基礎中の基礎だろう? 彼はそれが出来ないのか?」
「そうなんだよ、ジャスティン。これだからオーディナリー上がりは」
「
「まったく、その通り。さっさとあきらめて、パパとママのところへ帰ったらどうかな、ウルフくん?」
パパとママ! 幼児に向かって話すような口調だけでなく、その内容がアーチの胸をえぐった。もうがまんできない。激しい怒りに突き動かされるまま、殴りかかろうとこぶしを振りかぶり、
「ヘイ! ヘイヘイヘイヘイ、落ち着けロジャー、アーチ!」
ライナスとフィルが二人の目の前に割って入った。アーチは自分より少し背の高いフィルに両肩を押さえられた。ロジャーもまた殴りかかるか、魔法を使うかしようとしていたらしく、ライナスに腕をつかまれていた。
ホーンズビーがせせら笑う。
「臆病なピアソン。お前はいつもそうだな、この腰抜け」
「平和主義って言ってくれよ。それに、なぁ」
ライナスはまだ殴りかかろうとしているロジャーを背中で器用に押さえながら、『見られてるぞ』というジェスチャーをした。
「お前らのことはどうでもいいけど、友人が現行犯で捕まろうっていうのを見過ごすわけにはいかないんでね」
さりげなく示されたほうには、規則に厳しいと有名な先生が、目を光らせて立っていた。
ホーンズビーは鼻を鳴らして杖をしまった。
「雑種は大人しくすみっこを歩くように。わかったな? おチビちゃん、君もだ」
そう言って彼はアーチの頭をつかみ、髪の毛をぐちゃぐちゃにしてから爪先をひるがえした。ギルバートもわざわざ顔を近付けて「じゃあなー、おチビちゃん」と手をひらひらさせていった。
ロジャーが落ち着くのがあとちょっと遅かったら、アーチはフィルを振り払ってその腐ったレモン頭の背中に跳び蹴りをしていたに違いない。誰に見られているかなんてお構いなしに。そうと全員に確信させるくらい、アーチは全身の力を使って、ホーンズビーたちが視界から消えてなくなるまで暴れようとし続けていた。
「まったく、本当に嫌味なやつだ!」
「ううううううううっ!」
「アーチ、平気か? あいつ、最後に君に呪いをかけて行っただろ」
「うう?」
ロジャーが「人間の言葉を話せなくなる呪いか?」と首をかしげて、それから「
「……アーチ、本当に体の具合はおかしくない?」
「うう!」
「やっぱ言語喪失の呪いなのかな……」
眉根を寄せてじっと考え込むロジャーに、ライナスが場を取りなすように言った。
「なんか失敗したんだろ。かっこつけて無音声でやったからじゃないか? んなことより、早く夕飯に行こうぜ。血の気の多い誰かさんらを止めるのにエネルギーを使い果たしちまったから、腹が減って今にも死にそうだ」
「悪かったよ、ライナス。止めてくれてありがとう」
「魔法史のテスト範囲のノートでチャラな」
「オーケー、友よ。任せてくれ」
ロジャーはそれで怒りを(少なくとも表面上は)収めたようだったが、アーチはそうもいかなかった。
食堂で美味しいオムレツを食べても、べたべたする糖蜜パイを食べても、怒りは全然収まらない。むしろ燃料を得て燃え盛ったくらいだ。
「ううううう……っ!」
悔しくてたまらなくて、涙が出てきそうになるのを必死にこらえて、代わりに硬いパンをかみちぎってはほおに詰め込んだ。そうしていないと暴れ出しそうだった。
「のどに詰まらせないようにね」
「ううっ! う、ぐっ!」
「ああもう、今言ったばっかじゃないか。ほら」
ロジャーから冷めた紅茶を受け取って飲み込み、かろうじて事なきを得る。そのひょうしにせき込んで、涙の欠片が散ったのはそのせいということにした。
それからアーチは覚悟を決めた。勢いよく顔を上げると、背中をさすってくれていたロジャーに向かって、かみつくように言う。
「ロジャー!」
「ようやく人間に戻ったね。なに?」
「魔法の練習、したい! どうやったら出来るようになるか、教えて――教えて、ください……お願い……」
腹を決めたはずだったのに、最後はほとんど消えかけの声になってしまった。けれどそれがアーチの精一杯だった。
ロジャーはにっこりとして、すぐにうなずいた。
「もちろんさ、アーチ。今日からみっちり特訓しよう」
「うん!」
二人はこぶしを突き合わせた。そうやってようやく、アーチは胃の中が落ち着くのを感じた。燃え尽きたわけじゃない。山火事のようになっていた火が、焼却炉の中に納まったのだ。
それからアーチは、意地を張ってロジャーの手を借りようとしなかった自分を、ほんのちょっぴり反省した。ロジャーに助けを求めることと、ギルバートに馬鹿にされることの、どちらがより無様だろう? その正解がようやく身に染みた。
反省したついでに、さっき思ったことを言ってみることにする。
「それとね、ロジャー?」
「なに?」
「さっきの――あの――嫌味なやつ」
「ホーンズビー?」
「そう、そいつ。そいつへの言い返し方、すごかった。口げんかってどうやって特訓するの?」
ロジャーは少しだけ目をぱちぱちさせた。
「おすすめの映画と本がある。……そっちも勉強しようか」
「うん」
二人はそっくりの顔でにんまりと笑った。
ライナスが聞こえよがしに「あーあー、物騒なやつが増えちまう。苦労するぞ、フィル。覚悟しとけよ」と言っていたが、二人の耳にはまったく届かなかった。
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