11 ふわふわの灯りはやさしくない

「まずはお手本だ。四年生たち、杖を」


 バロウッズ先生の指示に四年生たちはさっと従った。どこからともなく取り出した杖を、ピッと顔の前に立てる。


「灯りを点けて。せーの」


 雑な合図に、しかし四年生たちはきっちりとそろって「きらめけgleaming」と唱えた。

 瞬間、すべての杖先に淡い光が灯った。アーチは静かに息をのんで、その灯りに見入った。電球ともろうそくとも違う、白に近いオレンジ色の、美しい灯り。本来、その明るさは月光をも押しのけるはずなのに、それが追い払ったのは凍えるような夜の暗闇だけだった。月明かりと光が混ざり、溶けあい、まるで庭先が月に包まれたかのようだった。


「この魔法が基礎中の基礎だ。『光明gleam』と呼ぶ」


 光を含んで、先生の髪がいっそう神々しくきらめく。


「魔法を使うのに絶対に必要になるのが、魔力と、言葉だ。魔力は魔法使いならば誰でも持っているけれど、どういうエネルギーなのかっていうことは、また別の授業であつかうね。言葉は、詠唱、と呼んでもいい。声に出さなければだめだ。音声なくして魔法は成り立たない――いくつかの魔法は、慣れれば無音声でもできるようになるけれど、それはごく簡単なものや、相性のいいものに限られている。基本は必ず、音と言葉が必要になる」


 だからか、とアーチは思った。学校のローブがのどを完全におおうような形をしていて、先生たちもほとんどみんな首を出していない理由がわかった気がした。


「さて、一年生諸君。君たちには今、四年生たちが“きらめけgleaming”と言ったように聞こえたと思う」


 まるで他の聞こえ方があるような言い方だ。あからさまに眉をひそめて首をかしげたアーチに、バロウッズ先生はちょっとだけほほ笑みを向けた。


「けれど、実際はそれだけではないんだ。あの瞬間、本当は、二つの詠唱が重なっていたんだよ。“きらめけgleaming”と“ふわふわのturn on灯りよthe fluffy点けlight”、この二つを重ねて唱えることで、ようやく魔法は実体を持つ」


 イメージとしては『光明フワフワ』って言っている感じかな、と先生はなんてことないように続けた。アーチはこんがらがってきた頭の中を整理するように、何度もぱちぱちとまばたきをした。二つを重ねて唱える? それって……それって、どういうことだろう?


「“きらめけgleaming”のほうを、音声上の詠唱。“ふわふわのturn on灯りよthe fluffy点けlight”のほうを認識上の詠唱、という。この二つがぴったり重ならない限り、魔法は発動しない。認識上の詠唱を頭の中で唱えながら、口では音声上の詠唱を歌う。思っている内容と言っている内容が食い違う、というわけだ。魔法の世界では、矛盾をそのまま受け入れる。矛盾は矛盾のまま、重なりは重なりのまま、バラバラになってしまうはずのものたちを共存させ、両立させるんだよ」


 それが難しいことなのかどうか、アーチには判別できなかった。別に、簡単にできそうなことじゃないか? 思っていることと違うことを言うなんて、よくあることなんだし。

 なんて思ってわくわくしていた心臓が、次の言葉にどきりと跳ねた。


「ここでは、まとも・・・な考えは捨てなくちゃならない」


 息が詰まるような感覚がした。『魔法はまともじゃない』――父さんの冷たい声がよみがえる。魔法を上手に使えるようになることが、まとも・・・でなくなっていくことだとしたら、この学校にいる限り父さんに背き続けることになるんじゃないだろうか。

 思わずうつむいていたアーチの耳に、バロウッズ先生の穏やかな声が届く。


「けれど同時に、どこまでもまとも・・・でいなくちゃならない」


 はっとして顔を上げると、先生と目が合った、ような気がした。先生は今も目をつぶるように笑っているから、そうとはっきり言うことはできないけれど。


「これもまた矛盾だ。こういう矛盾、ねじれた回路に、魔力を通すことで、初めて魔法はこの世に現れる。わかったかな?」


 見回された一年生たちは、そろってどっちつかずのうなずきを返した。アーチも――悔しいけれど――そうだった。

 ふふふ、と先生の笑い声。


「わかったような、わからないような、という感じだね。素晴らしい。その矛盾も魔法使いとしては大正解だ。正しいことだけが正しさじゃない。白黒つけた上で、両方を『正解だ』と断じるのが魔法使いだからね。さぁ、それじゃあ、習うより慣れよ、だ。さっそくやってみよう」


 それから先生は、認識上の詠唱を助けるための“前置詩文”を教えてくれた。夜空を黒板代わりに、金色の光が文字を描く。それは、アーチたちが素質検査の時に読んだ短い詩と、よく似た不思議な響きを持っていた。


「『それは羊の毛のように真っ白でふかふか、それは律儀な目のように真っ直ぐでぴかぴか、おかげで僕らは見通すわけだ、奥まで影絵を見透かすわけだ、光明フワフワgleaming』!」


 この程度の短い詩文なんか、アーチは難なく覚えてしまった。不思議な言葉を舌の上に転がすと、腹の底がぽかぽかとしてくるような、頭の芯がぼうっとふやけていくような、そんなみょうな感覚になった。

 一年生たちのたどたどしい詠唱で満たされた裏庭では、あっという間に一時間が終わってしまった。結局、誰の杖先にも灯りはちらりとも点かなかった――無論、アーチも、だ。

 バロウッズ先生が行ってしまった後も、アーチはぶつぶつと呪文をつぶやき続けていた。ロジャーに呼ばれ、おざなりな返事と一緒にのろのろと歩き出す。でも意識は全部魔法にかたむいたままだ。


(なんでできないんだろう……なんで……思いながら言う、思いながら言う……たぶん、思うのが難しいんだな。声は出してるんだからわかる。思ってないんだ……)


 ロジャーやライナスに聞いたらコツがわかるだろうか? と考えて、アーチはかぶりを振った。


(僕はひとりでもできる!)


 そのとき、ふとアーチの視界の隅をオレンジ色の光が横切った。


(あ。なんだっけ……ランタン持ちのジェニー?)


 ライナスが言っていた、ウィル・オ・ザ・ウィスプの別名。そのオレンジの光はふらふら、よたよたと、いかにも頼りなさげに校舎の中をただよっている。風に吹かれてゆらりとその身を細くするさまは、アーチに「今すぐ寄り添ってかばってあげなくては」と思わせるくらいだった。

 アーチの爪先がふらりとそちらを向いて、一歩踏み出した。

 瞬間、なにか骨ばったものにぶつかってたたらを踏む。


「……どこへ行こうと言うのかね」


 海底の岩に張りついた海藻のような声がアーチの耳にへばりついた。慌てて飛び退くと、そこに小柄な男性が立っていた。黒い髪は伸ばしっぱなしで、まったく手入れしていないどころか、顔の前が完全におおわれていることすら気にしていない。遠目に見たら黒いモップが逆さまに歩いているように見えるだろう。


「あ、ええと……クィルター先生」


 この陰気なケアリー・クィルター先生からは、まだ授業を受けたことがなかった。けれどアーチがその顔(というよりは髪の毛・・・)と名前を知っているのは、彼がアーチの知っている限りで一番陰気な風体の男で、なのに日輪寮ハウィルの寮監だと名乗ったからである。

 厚手のカーテンのような髪の毛のすき間から、猫柳によく似た目がアーチをにらみ見た。


「単独行動は禁止と、あれほど言われておったろうに……」

「えっ? 一人じゃないよ。ロジャーと、フィルと、ライナスが――」


 パッと振り返って、アーチはがく然とした。誰もいない。はぐれていたのだ、いつの間にか!

 猫柳がいやみったらしく細くなった。


「誰が、いると、言うのだね……? ん?」

「は、はぐれたみたい……さっきまでいたんだ、わざとじゃないよ!」

「故意か、過失か、など、さまつなこと……重要なのは、お前が、決まりを破ったことだ……」

「破ってない! だって本当に一人じゃなかったんだから!」

「罰則を科す、アーチボルト・ウルフ……」

「聞いてよ! 僕本当に――」


 反論しかけたアーチの鼻先に、ねじまがった大きな杖の持ち手が突きつけられた。


「問答は、無用だ……どうあれ、お前が今、一人であることに、変わりはない……」


 アーチはぐっと黙り込んだ。山ほどある“言い返してやりたいこと”が、お腹の中でぐるぐると、狼の群れみたいに駆けずり回っていた。


「厨房掃除の手伝いだ……一週間……明日から毎日、放課後に行くように……よいな……」

「……わかりました、先生」


 不満でいっぱいのアーチの顔を、クィルター先生はじろりと見た。


補助生サポーターは、誰だ?」

「ロジャー・クレイです」

「ならば、ロジャー・クレイ……そいつにも、だ」

「なんで?!」


 悲鳴のように聞き返したとき、後ろのほうからばたばたと駆けてくる音がした。


「アーチ! ああよかった、ここにいてくれて――」


 ロジャーはクィルター先生ににらまれ、アーチのとなりでぴたりと硬直した。


「お前が、補助生だな……?」

「はい、そうです」

「一年生を、一人にした、罰だ……こいつとともに、一週間、厨房掃除を手伝うこと……」

「わかりました、先生」

「なんでロジャーまで罰則になるの?! おかしいよ!」


 従順にうなだれたロジャーとは反対に、アーチはとても耐え切れなかった。腹の狼の群れから、とりわけ凶暴な一匹が飛び出してきて先生にかみつく。


「わざとじゃないけど、一人になったのは僕だ! 僕がぼーっとしてて、そのせいなのに、どうしてロジャーまで――」

「アーチ」


 ロジャーが暴れ狼の鼻先を押さえるみたいに、アーチへ手のひらを向けた。


「僕は、君をきちんと見ていなくちゃいけなかったんだよ。その責任があったのに、君を一人にしたんだから、罰則はあって当然だ」

「そんな……でもっ!」

「明日からだ。忘れぬように」


 クィルター先生はアーチの言葉など聞く気もなかったらしい。言うが早いか、くるりと背を向けた。カツ、コツ、と重たげな靴が床を打つ中に、歩行杖代わりにされた杖の音が混ざって遠ざかっていく。

 アーチはその後頭部に向かって思いっ切り舌を出した。心の中で、ハゲてしまえ! と呪いながら。

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