7 破ってはいけない決まり

7 破ってはいけない決まり

 扉をくぐると、大歓声に出迎えられた。月下寮シェリの先輩たちだ。


「やっぱりお前は月下寮だったか!」

「そんな気がしてた」


 笑顔でそう言ってアーチの黒髪をぐしゃぐしゃにかきなでたのは、十七番ホームで会ったライナスとロジャーの二人だった。そういえばこの二人がいる寮だった、とアーチは今になって思い出した。

 次々に他の一年生たちが入ってくる。その度に部屋は沸きあがり、拍手であふれ返った。

 六人目にフィルの姿を見つけて、アーチは思わず駆け寄った。


「フィル! 君も月下寮にしたんだね」

「うん。迷ったんだけど……やっぱ、ここがいいかなって」


 フィルははにかむように笑ってうなずいた。

 それから十人目が来るまで、五分くらいかかった。レモン頭は別の寮に行ったらしく、現れなかった。アーチはほっと息を吐いた。別に入ってきたところでどうでもいいけれど、違うなら違うほうが住みやすいに決まっている。

 最後に、前でしゃべっていた監督生が入ってきて、それで寮分けはおしまいになったらしい。


「はーい、それじゃあ諸君、注目」


 部屋の奥のほうから春風みたいなゆったりした声がして、みんなが口をつぐんだ。


「一年生は真ん中に、他は脇によけて」


 上級生たちがさっと動いて、アーチたちだけが部屋の中央に取り残される。

 進み出てきたのは、銀色の髪を床すれすれにまで伸ばした、背の高い男性だった。アーチは一瞬、あまりに綺麗な銀色に目を奪われた。照明の下でキラキラと輝いている。まるで本物の銀を引き伸ばしたみたいだ。


「はじめまして、一年生たち。月下寮の寮監、キャロル・ケルビン・バロウッズだ。薬草学の担当でもある」


 バロウッズ先生はもともと浮かべていたほほ笑みをいっそう深くした。最初から糸目なんだろう。少し目尻の垂れた目は、ほとんどつぶっているように見えた。


「君たちはこれから七年間、この寮で過ごすことになる。みんなと仲良く、自由気ままに、楽しく過ごしてね。さて、まずはいくつかの決まりがあるから、それをよく覚えてほしい。一つ目に――」


 先生が決まり事を話している間、アーチは部屋や人の観察をするのに忙しかった。

 壁寄りに並んだ先輩たちは、ほとんどみんな髪の毛を伸ばしていた。どうしてなんだろう? 魔法使いはそうするものなんだろうか。

 この場所は談話室だ。大きなテレビとソファがある。居心地良さそうだけど、きっと先輩たちが占領しているのだろう。暖炉には温かみのあるカバーがかかっていた。その上に並んでいる置物は、あれはなんだろう? 鉄の輪っかをくわえたダチョウみたいなやつが立っている。その上の壁では、黒い馬の頭が歯を剥き出しにしていた。

 背の高いテーブルとスツールがいくつか。その上に、さっきまで遊んでいたらしいトランプが散らばっているのが見えた。それから――本棚だ! ぎっしり詰まっている本棚を見ると胸が弾む。この距離だとタイトルまでは見えなかったが、背表紙は色とりどり、遠目にも鮮やかだ。分厚いものもうすいものもあるようで、バリエーションには事欠かなそう――


「ヘイ、ボーイ」


 指先で額を軽くたたかれて、アーチはハッと向き直った。

 バロウッズ先生がにっこりと笑っている。


「僕の話、どこまで聞いてた?」

「ええと……“いくつかの決まりをよく覚えてほしい”ってところまで」

「そこまでよりそこからのほうが重要だったんだけどな」

「ごめんなさい、先生。僕、予知能力がなくて」


 周りの何人かが笑いをこらえるようなせき払いをした。

 先生も軽く肩を揺らして(ユーモアのわかる先生だ! とアーチは嬉しくなった)、それからあきらめたように両手を広げた。


「オーケー、ボーイ。君にはとりあえず、一番重要なことだけを覚えてもらおう。いいかい?」

「はい、先生」

「それは“一人で行動しないこと”だ」


 アーチは眉を上げた。一人で行動しちゃいけない? そんな馬鹿な決まりがあるものか!

 そう思ったのを見透かしたように、先生は少し真剣な声になった。なのに笑顔はそのままだったから、アーチはみょうな迫力を感じた。


「この学校には危険な場所がたくさんあるし、危険な生物がたくさん住んでいる。一歩間違えれば死んでしまうような危険が、本当にたくさんひそんでいるんだ」


 また大げさな言い方だ、と思ったけれど、今度も誰も笑わない。それでようやくアーチは、全部本当のことなのかもしれない、と思い始めた。上級生なんか特に、真剣な顔つきでうなずいている。


「今はとりあえず、決まりを守ること。どうして守らなきゃいけないかは、過ごしていくうちに実感できるから。いいね」

「はい、先生」


 アーチは従順にうなずいた。

 それからバロウッズ先生は部屋割を決めた。先生の気分で適当に決めているように見えたけれど、アーチは何の文句も持たなかった。フィルと同室になったからだ!

 二人の部屋は三階の突き当たりだった。どういう造りをしているのか、奇妙にねじ曲がった廊下を、スーツケースをぶつけながら進む。部屋は広くて、大きなベッドとクローゼットが二つと、頑丈そうな机が二つ、それにこれまた大きな窓が二つあった。

 アーチとフィルは先生に言われた通り、真っ先にクローゼットを開けた。中に入っていた黒いローブを取り出す。制服のないアンブローズ・カレッジで、唯一着用を義務付けられている服だ。

 アーチはそれを広げて飛び跳ねた。


「カッコイイ!」


 黒いローブはずっしりと重たい生地で、マントのように広がっていて、大きなフードが付いていた。いかにも“魔法使い”という感じがする。ゆったりとふくらんでからつぼまったそで口と、足首らへんまであるすその両はじに、銀の飾りがついていた。極端に描いた三日月のようなフープ。

 そでを通すと、初めて着たとは思えないぐらい肌になじむ感じがした。着丈もぴったりで、引きずることも短いこともない。チャックを下から一番上まで引き上げれば、硬い立ちえりがあごの下を完全におおった。


「すごい、魔法学校の生徒、って感じだ!」

「似合ってるよ」

「へへ、ありがとう!」


 それからアーチはベッドの上を転がったり、窓を開け放って外を眺めたりと、フィルが静かに荷物を整理する横で落ち着きなく過ごした。入口の正面にある窓からは、裏庭のような場所が見えた。前庭より少し暗い雰囲気の庭で、作業をしている人影があった。入って右手側、二つの机の間にある窓からは、学校を囲む森が見えた。森は黒々としていて、果てが見えなかった。ずうっと向こうにまで続いている。耳をすませてみたが、鳥のような鳴き声がいくつかと、あとは木の葉がこすれる音しかしなかった。

 この森はどこなんだろう。そう思ったとたん、そうか、自分は全然知らないところに来たのか、という実感が追い付いてきた。これまで踏み入ったことのない未知の世界に。魔法の世界に!

 アーチはニヤニヤしながらベッドに飛び込んだ。


「楽しそうだね」

「そりゃそうさ! だって魔法学校なんだから! フィルだってわくわくするだろ?」


 となりのベッドに腰掛けていたフィルは、少し考えるような間を置いてから、ようやく笑ってうなずいた。


「うん。なんか……アーチを見てたら、わくわくしてきた、かも」

「僕?」


 首をかしげたアーチの前で、フィルは両足を抱え込んだ。


「アーチってさ、怖いとか思わなかった?」

「怖い、って、なにが」

「この場所。校舎の中とか、廊下とか、歩いただろ? あの辺り……僕は、なんだか寒いし、ちょっと暗いし、怖かった。何かがいそうな感じがして」

「そうだった?」


 アーチはまったくピンとこなかった。確かにうす暗かったし、言われてみれば寒かったかもしれないけれど、恐怖なんてなんにも感じなかった。いろんな通路がどこでどうつながっているのか、それを知りたくてたまらなくて、大人しくついていくのに苦労したぐらいだ。


「フィルって繊細なんだね」

「アーチって鈍感なんだね」


 二人は同時にそう言って、同時にびっくりしてから、同時に笑い出した。二人はしばらくずっと笑い続けて、呼びに来た先輩に呆れ顔をさせた。

 尾を引く笑いをどうにか収めながら、談話室へ下りていく。集まった寮生の全員がそろいのローブを着ていた。これだけの人数がまったく同じものを着ていると、さすがに壮観である。アーチは階段の上で息をのんで、その拍子に笑いは完全に引っ込んだ。

 上級生たちにはさまれて、ぞろぞろと寮を出る。入ってきた時とは違う通路を使った。二人並ぶのがやっと、というくらいの細い廊下だ。緩い弧を描く天井には白色のランプが揺れていて、それがクリーム色の壁に不規則な影法師を焼き付けた。

 やがて一本の大きな廊下に出た。はじめに食堂から玄関ホールへ向かったのと同じ廊下だ。とすると、たくさんあった脇道のひとつは寮とつながっていたらしい。三つの寮生たちが合流して、足音も話し声も三乗になる。

 いつの間にかフィルとはぐれていた。どこではぐれたんだろう、と首をめぐらせて、その拍子に脇道が見えた。そこでアーチは目をむいた。


(女の子が一人でいる!)


 同じ年くらいの少女の背中が、暗闇に浮かび上がるように見えたのだ。ローブは着ていない。


(危ないから一人で行動しちゃいけない、って先生言ってたのに)


 気付いたものとしての責任感と、ちょっとしたいら立ち――僕はがまんしてるのに! それらがアーチの背中を押した。彼はすかさず行列から脱け出して、脇道に踏み込んだ。たった二歩進んだだけで、後ろの話し声は異様なほど遠退いていたのだが、彼はなにも気が付かなかった。


「ねぇ、君」


 少女はびくりとして振り返った。ふわふわした赤毛を二つに分けて、星の付いた髪飾りでまとめている。どんぐりみたいにころころした青い瞳には涙が溜まっていた。


「一人でいちゃいけないって先生が言ってたよ。戻ろう」

「あ、わ、わたし……わたし……」


 みるみるうちに涙が盛り上がって、ぼろぼろとこぼれだした。アーチはびっくりして固まってしまった。どうしよう、怖がらせたつもりはなかったのに、女の子が泣いてしまった!


「こ、怖い……怖いよぉ……ろうそくを持ってたのはキティーだったの……気付かなかったの、ごめんなさい……おうちに帰りたい……」


 ひっくひっくと少女がしゃくりあげる。アーチはだんだんかわいそうに思えてきた。この子はきっと、悪気なく道に迷って、ホームシックになってしまったのだろう。


(僕がしっかりしなくちゃ!)


 おろおろしている場合じゃない。アーチは自分を奮い立たせ、少女に一歩近寄った。


「大丈夫、怖くないよ。僕が一緒にいてあげるから、一緒に帰ろう」


 そして少女の手を取った。いや、取ったつもりだった。しっかりと彼女の、涙をぬぐった手をつかんだはずだったのに、


「え?」


 なぜかアーチの手は少女をすり抜けて、空をつかんだ。

 少女は泣きはらした眼でアーチを見つめ――その姿が、すぅっと流れるように遠退いていく。


「お願い……助けて……助けて……!」

「あっ、待って!」

「助けて……」


 お願い……――消え入るような声は、少女と一緒に本当に消えてしまった。追いすがろうとしたアーチを置き去りに。

 アーチはもうわけがわからなくなってしまって、立ち尽くした。女の子は確かにいた。けれど触れなかった。すり抜けた。幽霊ゴーストの足に埋まったペンケースみたいに。それじゃああの子はゴーストだったのだろうか? けれど、ひどく怖がっていて、そして助けを求めていた。それなら、どうにかしてあげないと! でも、いったいどうやって? とりあえず、いったん戻るほかないだろうか――

 そう思って振り返ったアーチが見たのは、真っ白な壁だった。


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