5 霧の先へ


「新入生は一号車だ! 二年生から上は二号車以降に移れー!」


 キーリー先生の大声がとどろき、なにも持っていない身軽な上級生たちはパタパタと車内を駆けていった。

 アーチはスーツケースの角をあちこちにぶつけながら、よたよたと列車に乗り込んだ。中は不思議なにおいがした。これまでに乗ったことのあるどんな乗り物とも違う。アーチはブラウン・ストーン・パークを思い出した。木々に囲まれている感じがしたのだ。床にも座席にも赤いビロードのような生地が敷かれていて、足元はふわふわ、ふかふかしている。座席は全部、二人掛けのものが向かい合わせになっていた。

 アーチは空いている席の中から、進行方向と同じ向きで座れる場所を探した。乗り物酔いを起こしやすい体質だからだ。逆さまに座りなんてしたら絶対に耐え切れない。ところが、最初のほうはほとんどみんな、三人とか四人とかで埋まってしまっている。

 車両のなかばくらいまで来てようやく、まだ一人しか座っていない区画を見つけた。アーチは迷わず彼のとなりに座った。

 突然真横にやってきたアーチに驚いたようで、その子はパッと振り向いた。


「やあ。僕、アーチボルト・ウルフ。よろしく」

「あ、うん。よろしく……」


 その子はちょっととまどったようにしながら、アーチの握手に応じた。


「君は?」

「フィリップ・ヘンウッド」

「フィルでいい?」

「いいけど……」

「よろしく、フィル。僕のことはアーチって呼んでよ」

「うん。わかった、アーチ」


 フィルは穏やかな顔立ちをしていた。栗色の髪はふわっとしているし、瞳は優しげなブラウン。賢くて大人しい子馬みたいだ。

 ふいに汽笛が響いて、窓の外が霧におおわれた。そして列車がゆっくりと動き出す。アーチはフィルを押しつぶすようにして窓に近付いた。


「どこ通っていくんだろ?!」

「み、見たいんだったら窓側に行ったら?」


 ごもっとも。でもアーチはほおをふくらませて、彼の言葉をはねのけた。


「僕こっち向きに座りたいんだ」

「じゃあ、あの、ちょっと放してくれる?」


 アーチが素直にフィルを放すと、つぶされていた彼はするりと向かいの席に移った。


「ほら、これでいいだろ」

「君っていいヤツだね」

「わがままには慣れてるんだ」


 フィルはそう言ってから、パッと片手で口元を押さえて、アーチのほうをうかがった。けれどアーチは窓の外を見るのに夢中になっていて、彼の仕草にまったく気が付かなかった。

 外は相変わらずミルク色の霧一色だ。けれど不思議なことに、その流れていくのがはっきりと見えた。霧、というよりは絹糸の束のようで、しかも時々銀色の糸が交ざるのである。不規則に波打つ銀色。途絶えてはまた現れ、また消えて、と繰り返すその光を目で追っているうちに、ふと白の種類が変わった。

 霧のミルク色から、お日様の純白へ。

 まばゆい光に一瞬目をつぶる。再び開いた時には霧はすっかりかき消え、一面の草原を見下ろしていた。


「わぁ……!」


 海のように広がった草原に、白波のようなかたまりがいくつかある。羊の群れかなにかだろう。

 随分と高いところを走っていた。窓にほおをはり付けて見れば、列車がとてつもなく高い陸橋の上を進んでいることがわかる。古臭いレンガ造りの大きな橋――そこでアーチはとんでもないことに気が付いてしまった。


「ねぇ! この橋、浮かんでるよ?!」


 橋を支えているはずの柱が、途中で切れていたのだ。その下は空っぽ。なのに橋は落ちていかないし、列車は問題なく走っていく。

 フィルも窓に額を付けて、感心したように言った。


「すごい。魔界側を通るってこういうことだったんだ」

「魔界?」

「うん。魔界」


 聞き慣れない言葉に首をかしげていたら、フィルはていねいに教えてくれた。


「僕も教えてもらったばかりだから、よくわからないんだけど……世界地図が二枚あるって思うといいんだって。一枚目は僕らが普通に住んでいるところ。二枚目が、おとなりさんフェアリーとか悪魔とかが住んでいる魔界。世界はこの二枚が重なってて、それらの間は“狭間はざま”って呼ばれる、また別の場所なんだってさ」

「へぇ、そうなんだ」


 彼の言い方には馬鹿にするような響きがなかったから、アーチは素直にうなずけた。続けて「アーチって家族に魔法使いがいないんだ?」と言われたときも同じだった。


「うん。フィルは家族にいるの?」

「おじいちゃんがね、そうなんだ」

「へぇ!」


 フィルは自慢する様子は見せなかった。むしろ、どこか寒い場所にいるような顔をしていた。

 アーチは、この子が相手だと反発する気持ちが出てこないことに気が付いて、なんだか新鮮な気分になった。いつもだったら、自分でも嫌になるくらい張り合ってしまって、それで友達が出来なかったのに。


「すごいね。おじいちゃんが魔法使いなんて」

「すごくなんかないよ。アンブローズ・カレッジじゃ普通さ」

「そうなの?」

「おいおい、なんにも知らないんだな。これだからオーディナリー上がりは」


 反対側の席から思いっ切り馬鹿にする声をぶつけられて、アーチはムッとして振り向いた。

 レモン色に近い金髪の男の子がせせら笑っている。真ん中がツンと立っていて、ソフトモヒカンのなりそこねみたいな、みょうな髪形をしていた。目も髪と同じ綺麗なレモン色をしているのに、見下してくるからひどくにごって見えた。


「間違っても同じ寮に入らないでくれよ。程度の低いオーディナリー上がりと同じ寮なんて、死んでも嫌だからな」


 アーチはフィルに顔を寄せて、こっそり聞いた。


「“普通のオーディナリー”って?」

「魔法を使えない一般人、のこと。魔法使いは遺伝するんだ。君みたいな、まったく誰も魔法使いじゃない家系から魔法使いが出るのは、めずらしいことなんだよ」


 と、なぜかフィルのほうが申し訳なさそうな顔をしている。

 言い方からしてきっと悪い意味なんだろう、と予測していたアーチは、そう悪いことでないらしいと知って安心した。むしろ、それってより特別・・って感じでいいじゃないか。そう思ってから改めて、そのみょうな髪形の子に向き直る。


「こっちこそ願い下げだね。君みたいな変な髪のやつと同じ寮だなんて」

「変っ……?!」

「鏡を見て思わなかった? 半分に切ったレモンが腐ったみたいな髪形してるよ」

「な」

「魔法使いってそんなセンスが普通オーディナリーなの? だったら最悪だなぁ。君と君の家族だけが特別・・であることを願っちゃうね」


 その子は頭を押さえて、顔を真っ赤にして、口をパクパクさせた。酸欠の金魚みたいだ。アーチはにやりとした。そっちが黙っても、こっちはまだまだ言えるぞ!


「ああ、いっそ同じ寮に入ってもいいかもしれないね。どうやって寮を決めるのか知らないけどさ。同じ寮は死んでも嫌なんだろう? だったら同じ寮になって、君が死んでくれたほうがきっと学校のためになるよ。それに――」


 ふいにそでを引かれて、アーチは口を閉じた。

 フィルが優しげな瞳を曇らせている。


「言い過ぎだよ、アーチ」

「なんで? 先に言い始めたのは向こうだ」

「そうだけど、オーバーキルはよくないよ。死体にむち打ってるみたいだ」


 フィルがあんまり真面目な顔付きで、真剣な口調でそう言ったものだから、アーチは思わず吹き出してしまった。


「あっははっ! オーバーキル! 死体! 確かにね! 君の言う通りだ」

「え?」

「勝利宣言ありがとう、フィル!」


 アーチの言葉を聞いて、フィルはようやく自分がどんなことを言ったのか理解したらしい。急に慌ててみょうな髪形の子に「あっ、や、ごめん! そういうつもりじゃなくって」なんて言い始めたけれど、遅かった。

 レモン色の目がうるんで、でもギリギリのところでこらえてアーチとフィルをにらんだ。


「お、お前ら……許さないからな!」


 その子は涙声でようやくそう言うと、ぷいと向こう側を向いてしまった。

 フィルは“やってしまった”という顔でおろおろしていたが、アーチはまったく気にしていなかった。嬉しくてたまらなかった。フィルとなら仲良くできるかもしれない。友達になれるかもしれない! だって自分をたしなめた子も、自分よりきついことを言った子も、これまで一人もいなかったのだから。

 アーチはほおをゆるめたまま、再び窓の外に目をやった。草原をころころと転がっていく白いかたまりの群れ。よくよく目をこらすと、それは羊ではなくて、つるりとした感じの奇妙な姿をしているようだった。が、もっとよく見ようとした矢先、列車はトンネルに入ってしまった。

 がっかりして座り直す。


「さっきの草原にいたの、羊じゃないみたいだった」

「そうだった?」

「よく見えなかったけど……もうちょっと見ていたかったな。そうすればわかったのに」


 フィルがぽつりとつぶやくように言った。


「おじいちゃんが言ってた。あんまり、魔界のものをじっくり見ちゃいけないって。見る、ってことは、見られる、ってことだから」


 その言葉に一瞬ぞっとしてしまったのを隠したくて、アーチは「ふぅん」と気のないあいづちを打った。

 父さんの顔がふと脳裏をよぎった。魔法はまともじゃない……まともじゃないものに関わってはいけない……――アーチはぶんと頭を振って父さんを追い出した。そんなことない。魔法はわくわくして楽しいものなんだから。

 列車は汽笛を鳴らしながら、トンネルの中を疾走していく。特別・・な場所へ向かって。

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