第5話

逃げ続ける全ての気配を無理に追うことはせず、リューグの視察は細心の注意を払いつつ継続された。

こちらの動きは事前に町に知らせている視察ルートで相手に筒抜けなのだから、本格的な襲撃があるとすれば視察の最後にリューグ皇子が締めの挨拶を行う町の中央広場だろうと予測したのである。


実際、黒鉄の蝙蝠は視察途中に襲撃してくる事は無かった。

リューグ皇子を一目見ようと町中の人が道の両側にごった返していた。沿道のそんな様子を見て、時に微笑んで手を振りながらリューグは少しずつではあるが、表立って何事も起こらない現状から警戒を解いていってしまうのだった。


「このまま何事もなく視察が終わればいいのに・・・」


「終わるわけないでしょ?まだまだ周囲にうじゃうじゃ気配は残ってるんだから。そんな事よりも笑顔が固い。もう少し愛想良くしてあげたら?」


「・・・それ、ファムにだけは絶対に言われたくないかな」


「あら?ずいぶんと言うようになったじゃない」


何気なく呟いた言葉にファムが反応してくれたことが嬉しくて、つい軽口で返してしまい焦るリューグだったが、ファムは特に気分を害した様子もなく「ふふん」と笑う、それだけでリューグは顔が赤みを帯びていくのを自覚した。


護衛の為に馬車と並ぶように馬を進めていたレグスはそんな二人の様子を見て、馬の足を速めて今度は御者席に座るバルドロの横へと並べると、


「町で何度か爆発があったってのに、皆平然としたもんだな」


バルドロと他愛のない会話を始める。これが彼らの戦場に赴く前のゲン担ぎの儀式的な物だった。


「幸か不幸か、この町の者は皆こういった騒ぎには慣れているからね。この場に居る大多数の人間はファムの仕掛けたイタズラが失敗したんだろう程度にしか思ってないと思うよ?」


「嬢ちゃんの悪名に感謝だな、おかげでこっちの予想よりもパニックにならずに済んでる。それにしても皇子様はずいぶんと見てて初々しいもんだ。こりゃあこんな厄介事なんざとっとと済ませて国王陛下にお知らせしとかないとなぁ。いやぁ楽しみが増えた増えた」


意地の悪い笑みを浮かべ様子を窺うレグスに、バルドロはため息をついて、


「馬に蹴られたいのかい?」


とだけ言い、ジト目で未だニヤニヤと笑うレグスを睨む。


「けどよぉ、あの様子を見てみろよ?なかなか良い雰囲気だと思うぜぇ?俺は脈ありだと見てるんだが、実の父親からの意見はどうよ?」


「さてね。どうなんだろう?ファムは嫌いな相手とはとことん反発しあうから、少なくとも嫌ってはいないんじゃないかな?」


「父親だろ?何か頼りねぇ答えだなぁ」


期待していたような答えが返ってこなかったことにレグスは呆れたように頭を掻く、


「仕方ないだろう?何でも話してくれるエルとは違ってファムはわかりにくいんだよ。まぁ、なるようにしかならないんだからじっくり見守っていればいいさ、元々シフィスの家名はエルに継がせるつもりだったからね。今は想像できないけれどファムが誰かに嫁ぎたいって言うなら喜んで送り出すつもりだよ」


「思ってたより冷めてんのな。それで?エルの嬢ちゃんに家継がせて、あっちの嬢ちゃんはどうするつもりだったんだ?てっきり娘たちは誰にもやらんと立ち塞がるのかと思ってたぜ」


「そんなつもりはないよ、ファムは・・・僕の師匠の下に預けるつもりだった」




英雄バルドロの魔法の師匠ミューレ・ラルク。

この世界最強と謳われる魔導士で、今はもうどの国にも属さず隠居生活を送っているが、かつてはアルテヴァでバルドロたちとともに戦った。

その戦いの中で滅ぼした国の者は未だに魔女と罵り、救われた国の者は今も尚聖女と称えられている。

その絶大なる魔力と知識はバルドロの思う理想の魔導士の姿であり憧れた存在でもある。


「けどよ?あの婆さん気難しいから子供なんて預かってくれんのか?」


「ファムを見ればきっと預かってくれるよ。クセは強いけどあの人の目は確かだから」


そろそろ中央広場が見えてきたところで会話を打ち切り、二人は互いに軽く拳を打ち合わせて気を引き締めなおす。

それは馬車に乗る二人も同じで、中央広場を見つめる表情は緊張していた。

馬車はそのまま広場に設営された舞台に横付けされ、バルドロとレグスが馬車からリューグを迎える。


「殿下、準備はよろしいでしょうか?」


「はい。よろしくお願いします」


レグスを伴い壇上に上がっていくリューグの背を見て、集中を切らさぬようファムはもう一度気合を入れなおすのだった。



壇上に上がったリューグは、緊張のあまり震えそうになる膝と声を落ち着けるために深呼吸を一つして、リューグが壇上に来たことで湧き上がる大歓声を手を上げることで制した。


「私がアルテヴァの第八皇子リューグ・アルテヴァです。まずはこのように皆が集まってくれたことに最大級の感謝を、そして私のわがままを出来るだけ希望に沿い叶えてくれたバルドロとその家臣たちに感謝を――――――」


それぞれに軽く頭を下げることで感謝の意を示した。

そしてここまで付き添ってくれたファムに対しても感謝の言葉を出そうとした時だった。

突然暗雲が立ち込め、ひやりと感じる風が吹き始めた。

魔力を察知したファムとバルドロは目を合わせて、リューグの傍へと駆け寄る。

レグスも不穏な空気を察し、広場の警護に当たっていた者たちに警戒を呼びかける。


彼らの迅速な対応で避難が開始されると同時に壇上には黒い靄のような物が出現し、その中から黒いローブを身にまとった魔導士らしき男が壇上に現れ出てきた。

その男に続き、同じように黒いローブを羽織った者たちが次々と出てくる。顔などはローブについたフードを目深に被っているためわからないが、敵であることだけは彼らの放つ気配からバルドロたちには充分理解できた。


「空間転移の魔法か、またずいぶんと大掛かりな演出で出てくるじゃないか。黒鉄の蝙蝠お前たちはいつからそんな派手好きになったんだい?」


黒い靄が消え、ざっと三十人程の集団出てきたのを見届けたバルドロは、最初に出てきた男に対して質問をしてみた。


「我は黒鉄の蝙蝠序列第三位、ゲーヴェル・ヨードである。此度は英雄の二人と王太子殿下の命、頂戴しに参った」


返答を期待していたわけではなかったので、名乗りが返ってきたことにバルドロは驚いたがそれを表情には出さない。

自然と背後にいるリューグとファムを庇うように前に出る。


「暗殺者集団ごときに序列なんてものがあるとは知らなかったよ」


バルドロの軽い挑発にゲーヴェルと名乗った男は一瞬顔を顰めたが、すぐに真顔になり剣を構えた。


「我らが序列は殺しの量はもちろん、その対象の質でも決まる。お前たちを殺せば我は晴れて序列一位を名乗る事が出来よう」


「残念ながらそうはいかない。お前の出世のなんかのためとかいうくだらない理由を聞いてしまったら余計にこの命、くれてやるわけにはいかなくなったね」


バルドロも剣を構えて応じる。

黒衣の者たちがバルドロを取り囲むようにして剣を構える。

そんな膠着状態の中、


「気づいてないみたいだから言うけど、周りのやつらは逃げ回ってたやつらが転移してこっちに来たみたい。捕まると自爆されるよ?」


ファムがバルドロの意識を阻害しない程度の声で囁く、娘からの思いがけない援護にバルドロは笑みを漏らした。

それが開戦の合図となった。

まずバルドロの背後にいた数名が斬りかかってきた。目標はファムとリューグだったらしいが、その剣が二人に届くことはなかった。それより早く斬りかかった連中を背後からまとめて両断していたのは部下を引き連れ、両手で斧を振るったレグスだった。


「おいおい、俺を忘れちゃいねぇだろうなぁ?てめぇらの標的の一人がわざわざ来てやったんだ。手厚くもてなせよ!!」


さらに斧を振るい、もう何人か仕留めたところで部下たちに檄を飛ばす。


「お前らは周りにいる奴らの相手をしろ!!俺とバルでそこのリーダーらしき奴の相手をする!!暗殺者ごときとナメてかかるんじゃねぇぞ!!」


「町を逃げ回っていた気配の連中だ。捕まらないように用心深く行動するんだ」


バルドロがレグスの指示に補足する。


「・・・英雄二人が相手とは少々分が悪いか」


ゲーヴェルはバルドロとレグスを交互に見て溜息交じりに呟く、


「逃げてみるかい?生憎こちらはそうはさせないけどね」


レグスと二人並んで武器を構えて、気軽に話しかけるがその目は決してゲーヴェルから視線を外さない。


「逃げる?なぜ逃げる必要がある?標的が今この場に勢ぞろいしているというのに。我一人で分が悪ければ、援軍を呼べばいいだけのことよ」


そう言ってゲーヴェルは懐から紫水晶の結晶のようなものを取り出し空に掲げた、最初に吹いていたひやりとする冷たい風が竜巻のよう水晶に集まり、次第に水晶が眩い光を放つ。

その光は警戒するバルドロたちの動きを完全に止めた。

やがて結晶が砕け散る音がして、光が徐々に弱まってくる。


そして、あまりの光の強さに目を閉じていたバルドロたちが、ようやく目を開けると彼らの前には異形の魔獣がいたのだった。

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