第3話

皇子ら一行がエトに着いてから一か月が過ぎた。

到着した日に熱を出して寝込んでいたリューグも翌日には回復し、霊峰の魔力も手伝って、今では屋敷の外へ散歩に出かけることもできるようになった。初めのうちは常に傍にはルグルスとエルがいて、リューグの介助などを行っていたが、それが遊び相手に代わるのに大して時間はかからなかった。

今日も庭で三人の楽しそうな声がしている。


そんななかファムは書庫で一人、読書に耽っていた。近頃はずっと書庫にいることが多い。

原因はリューグが外で遊べるようになってから暫くの間はエルに引っ張られる形で一緒に遊んでいたのだが、ルグルスが事あるごとに警戒心を剥き出しにしてくるのでファムが我慢の限界を迎え口論となり、その後二人に説得されたのであろうルグルスが渋々謝りに来た時に、「嫌々なら謝るなバカ」と言った事で再びの大喧嘩となり今に至っている。

本当なら町に出て遊びたいが、バルドロから屋敷から出るなと言われている。いつものファムならバルドロに何を言われようとお構いなしに町に遊びに行っていただろうけれど、その時のバルドロの目が怖いくらいに真剣なものだったのでファムは仕方なく書庫で暇を潰していた。


しかし最近のファムは本を読むことが楽しくなってきていた。初めの方こそ何となくおとぎ話等を読んでいたが、読み尽してしまう。そこから手当たり次第に読んでやろうと思い立ち、戦記、伝記、戦術書、魔導書、図鑑、辞典、体術の入門書等様々な知識を得ることによって更なる広がりと深みと高みを見せてくれる事がいつの間にか楽しくて仕方なくなっていた。

食事や寝る間も惜しんでまで読書するファムの姿に周囲の者たちは、知識を得て一体何をするつもりなのか?または誰を屠るつもりなのか?と戦慄した。

そこで真っ先に名前が挙がったのがルグルスだったのは想像するに容易い。その後彼が暫くの間不眠症になったのは余談だ。


読書するだけで周囲の者を戦慄させる彼女の存在が、現在のように国中に認知される原因となる出来事が起こったのは、今から丁度一年ほど前になる。


エトの町の大通りを娘二人を連れてバルドロが視察に訪れていた際に、ふらふらとエルが馬車の前に歩いて行ってしまった。それに気づいたファムがエルを助けようとして無意識に魔力を発動、その頃はまだ魔法の基礎知識すら教えていなかったので当然魔力は暴走し周囲の物を吹き飛ばした。

バルドロが咄嗟に防護魔法を周囲に展開したので、バルドロの付き人たちやエルにケガはなかったが、大通りに店を構えていた商人や通行人の人たちの内、重傷者が何十人も出てしまう大惨事となった。

死者が出なかったことが本当に奇跡と言われるほどに酷い惨状だった。


周囲の建物が瓦礫の山に代わり、そこかしこから助けを求める声、怪我をした人のうめき声、泣き叫ぶ声などが溢れかえるように聞こえてくる地獄のような中で唯一人、


「エル、大丈夫だった?びっくりしたねー」


ファムだけは、まるで周りの惨状なんて目に入っていないように―――――。

助けを求める声や泣き叫ぶ声も気にもなっていないように―――――。

魔力の暴発さえもイタズラが大成功を収めた時のように―――――。

足元に転がる瓦礫さえも歩き慣れた道を散歩するかのような軽やかな足取りで、エルの前に立ち、


「立てる?」


満面の笑顔でエルに手を差し伸べたのだった。



黒鉄の蝙蝠が近くにいる可能性を知らされてから一か月程が過ぎた。

奴らの潜伏先等がわからない以上、後手に回るしかないこの状況下で警戒を続けるというのはバルドロたちにとってもかなり神経を磨り減らすものだった。

バルドロの屋敷には防衛のための魔法が敷地を取り囲むように張られている、侵入者があればすぐに察知できるようにもなっている。

それ故バルドロたちは黒鉄の蝙蝠はまず町の中で騒ぎを起こし、その混乱に乗じて皇子若しくは自分たち、または全員に襲撃を仕掛けてくると予測して町をできるだけ満遍なく見回っている。

町の者たちの信頼できるごく一部の者にだけは事情を説明し、事が起これば即座に町人を避難させられるよう徹底してもらっていた。


そんなある日の事、リューグ皇子が町を視察したいと言い始めた。

黒鉄の蝙蝠の脅威があることを知らない皇子が、生来の虚弱体質が少しずつではあるが改善され、体力が上がってきている現状で屋敷の庭では満足できなくなるのは当然のことだった。


バルドロとレグスは悩んだ末に、皇子の視察を決行することにしたのだった。



そして皇子の視察が行われる日―――――、


「良い天気だ。絶好の決戦日和だな」


レグスが屋敷の前で空を仰ぎ、誰に言うでもなく呟いた。

そう、二人は悩んだ末に皇子の視察を利用して黒鉄の蝙蝠を誘き出し、そのまま壊滅させようと考えていた。皇子の身辺警護にはレグスと精鋭を三名ほど選抜、残り全てを町の警護に行かせた。他にも町の案内役という建前としてバルドロと何故かファムも同行する事になっていた。


今回の視察を実行するとなって、危険が及ぶかもしれない皇子には黒鉄の蝙蝠について説明された。

それでもリューグは中止にするとは言わなかった。


「僕が出ることでそいつらが出てくる可能性が少しでも上がるなら、僕はお二人にこの命を預けたいと思います。その代わり、町の人たちへの被害を最小限にする努力だけは、決して最後まで怠らないでください」


この言葉に二人は跪き、約束を決して違えないと誓いを立てたのだった。



屋敷の前で準備運動として軽く体を動かしているレグスの傍に、まだ眠い目を擦って大きな欠伸をしながらファムがふらふらと歩いてきた。


「おはよー、おっさん。朝から暑苦しいね」


「おぅ嬢ちゃん、おめぇもどうだ?目が覚めんぞ?」


おっさんと呼ばれた事にも暑苦しいと言われた事にも全く腹を立てず、レグスはニッと笑いファムと会話をしていた。

ファムも嬢ちゃんと呼ばれることに何ら思うところなくだらだらとレグスの隣に並び、同じように体を動かし始める。


「なぁ嬢ちゃん。今日の事、あいつから何か聞いてるか?」


「んー。を起こしそうなのを見つけたらすぐに知らせて、その後は絶対に皇子様の近くに居ろって言われただけ」


「そうか」


バルドロから今日の視察で何か危険なことが起こるかもしれないと予め知らされた上で、それでも今日この場から逃げず、隣に立って体操しているファムの姿にレグスは心の底から感謝した。


最初バルドロがファムも連れて行くと言い出した時には気でも狂ったのかと思ったレグスであったが、バルドロは至って真剣な表情に悲しさを滲ませこうも言っていた。


「確かに魔力の総量で言えばエルが圧倒的に上、なんだけどね。感覚的な部分、センスって言うのかな?そこに関してファムはずば抜けている。同じ年の頃の僕と比べてもファムのは神懸っているとさえ思えるよ。僕だって本当の処は連れて行きたくはないけれど、ファムを連れて行く事で僕の負担が大きく減ることも悔しいけど事実だからね。負担が減ればその分他の事に気を回せる」


バルドロにしたって幼いころから天才と呼ばれていた事をレグスでも知っている。その天才が神懸っているとさえ言うファムを横目に見ながらレグスは準備体操を終えるのだった。

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