献杯 お世話になりました。
(1)
開始時間より十分ほど遅れて堀内家の通夜に出席した君枝は祭壇の方を見て絶句してしまった。故人である堀内さんが読経しているお坊さんの禿げ頭を、木魚を叩くリズムに合わせてピシャピシャ叩いて遊んでいるのだ。幸いお坊さんは気づいていない。
「ちょっと大家さん!何をしているんですか!」
君枝は故人に想念でたしなめた。する堀内さんが君枝に気づき
「ヨォ!」
と手を挙げて答え参列席の一番後ろに座った君枝の側にやってきた。
「いやぁ、月末の忙しい時に悪いね。死んじゃって。驚いたでしょ?」
堀内さんはそう言ってカッカッカッと笑った。
堀内さんは君枝の住むアパートの大家さんだ。ここ半年ほどは息子さん夫婦に仕事の一切を任して隠居しているが、それまでは、このお父さんが毎月、今時には珍しく家賃の集金に来て直接、現金で支払いをしていたものだ。そのたびに世間話をするのだが、その頃の明るく元気な印象は変わっていない。お互いにテレパシーで会話をした。
「脳卒中ですって?」
「あぁ、ヒートティックっていうの?風呂に入ろうと裸になったとたん急にね。」
「それを言うならヒートショック。でも、怖いですね。」
「あぁ、アンタも気を付けた方がいいよ。」
「ところでお坊さんの頭、叩いちゃダメですよ。」
「アハハ。全然気づかないんだもの。たいしたこたぁないね。あの坊さん。」
「別にお坊さんだから霊能力があるという訳ではありませんよ。」
「そうなの?それじゃなんだか、お経を唱えてもらっても、ありがたみがないねぇ。」
そう言って堀内さんは又カッカツカツと声を出して笑った。
(2)
如何せん、話し相手がいなくて退屈していたのであろう。堀内さんはお清めの席にも君枝についてきて会話をしたがった。君枝も最後にいろいろな話をしたかったので喜んだ。
「最後はご家族に看取られながら病院でお亡くなりになったと聞きましたけど、死ぬ時ってどんな心境でした?」
「そうさねぇ。人前で死ぬのってなんだか、こっ恥ずかしかったねぇ。」
「こっ恥ずかしい?」
「だってみんな、凄く深刻な顔して俺の顔を覗き込んでんだぜ。なんか照れちゃうよ。」
「照れる?」
果たしてそういうものなのだろうか?経験がないから君枝にはよくわからない。
「思ったんだけどね。ほら、猫とか死ぬ間際になると飼い主の所からいなくなってひっそりと死に場所見つけるっていうじゃない?あれ、やっぱり死ぬところを人に見られるのが恥ずかしいじゃないかね。」
「うーん。猫に羞恥心ってあるのかしら?」
「人間も死ぬ間際は、皆に別室に行ってて貰った方がゆっくり落ち着いて死ねるよ。」
「それは大家さんが気持ちの強い方だからですよ。普通、怖くて誰か側にいて欲しいと思いますよ。」
「そうかね?そういえば、おかげさまで死ぬのが怖くなくなったな。」
「そりゃそうでしょう。死んでるんだもの。」
「ある意味、俺、今最強。だって怖いものが何もないんだから。」
そう言って堀内さんはまたカッカッカッと高笑いをした。確かに人間、死ぬこと以外かすり傷であるならば、それは当たっているだろうと君枝は思った。なんにせよ、可笑しいぐらい悲しみが伝わらない。念の為、尋ねた。
「亡くなって悲しいとかないんですか?心残りな事とか。」
「悲しくないこともないけど、仕方ないやね。それに仕事も何も息子に引き継いでいるから安心だよ。心残りと言われても特には無いよ。それにまもなくアチラに行けるんだろう?」
「ええ。」
「だったら、先に逝ってるカミさんにも会えるし、ジイさんバアさんにも会える。親しかった友達もいるしね。早く会いたいぐらいだよ。」
そう言って堀内さんは微笑んだ。これだけ現世に執着がなければ、直ぐにアチラに行けるだろう。それを聞いて君枝も安心した。
(3)
ふたりで話し続けてはいるが、周りからみたら君枝ひとりでぶつぶつ言っているだけだ。しかも途中ニヤニヤしたり、笑いをこらえたりしているのだから気味が悪い。自然と君枝の周りに座るものはいなくなった。
さて、そろそろ帰ろうかというところで堀内さんの息子さんがみえた。
「本日はありがとうございます。」
そう言って君枝のグラスにビールを注ぐ。
「このたびはご愁傷さまで。」
と言って会釈をすると隣でお父さんの方が
「いえいえ。大した事ぁございません。」
と言ったので必死になって笑いを堪えた。
ここで吹き出したら失礼にもほどがある。息子さんは気づかず続けた。
「親父が随分お世話になったそうで。」
「とんでもないです。お世話になったのはこちらの方です。」
そう言って君枝は恐縮した。なぜなら現在、君枝が霊媒師として成仏屋をやっていけているのは堀内さんのおかげなのだ。
五年前、君枝が越してきた当初、堀内さんと世間話をしている中で、自身が霊と交信できる霊媒師である事を、つい打ち明けてしまった。今考えるとなんとまぁ不用意なことかとヒヤヒヤする。下手すれば気味悪がられて「出て行ってくれ。」と言われかねない。だが堀内さんは別に怪しむわけでもなく、
「へぇ~。凄い能力だね。」
と感心したのち、君枝にある相談を持ち掛けた。それは、堀内さんが所有するアパートの一つに、幽霊が出るという噂で誰も住みたがらない部屋があり、そこを見て欲しいというものだった。
相談を受けた君枝は早速、その部屋に赴きそこにいた霊を説得し成仏させることに成功した。以後、その部屋に霊が出るという事はなくなり、借り手が出来た。そのことを堀内さんは大層喜んだ。お布施も奮発してくれたものだ。
案外この手の悩みは多いらしく、その後、同じような依頼があちこちの不動産屋から君枝のところに来るようになった。おそらく堀内さんがどこかでしゃべったのだろうと君枝は推察した。
おかげで君枝の事務のパートだけでやりくりしていた生活が、金銭的に随分楽になったのだ。そして、それは今でも続いている。
息子さんと話をしていると見慣れた顔の二人が現れた。同じアパートに住む佐久間さんと緒方さんだ。佐久間さんは君枝より一回り年配の男性で、背は高いが猫背で君枝にも低姿勢、おっとりとして穏やかな人柄が身体全体から滲み出ているような人だ。一方の緒方さんはまだ若く、今年の春、社会人になったばかりの感じのいい好青年である。二人は君枝とは挨拶ぐらいしかしたことはなかったが、大家さんの息子さんとも知った顔ということで、こちらの席にやって来た。 息子さんに二人してお悔やみの言葉など述べて着席した。
「一緒に来たんですか?」
君枝が二人にビールを注ぐ。
「ムフフ。たまたまですよ。」
佐久間さんはそう言うと君枝と息子さん、そして緒方君のグラスに続けてビールを注いだ。
「トクトクトクトクトク。」
佐久間さんはビールを注ぐ際、その音を口で言う癖があるらしい。その都度、言うのが君枝は可笑しくて笑いそうになった。他の二人も不思議そうにその変な癖を眺めている。緒方君も佐久間さんのグラスにビールを注ぎ
「献杯」
と緒方さんが小声で声を発した。その際、堀内さんだけは
「乾杯!」
と言ったので君枝は思わずビールを飲みこむ際にむせてしまった。
「大丈夫ですか。」
緒方さんが心配そうに声をかけてくれる。
「すみません。大丈夫です。」
(本人とは言え通夜の席で乾杯はないだろう。)
君枝は心の中で突っ込んだ。
普段、同じアパートにいながら、ほとんど顔を合わせない者同士であったが、それぞれに堀内さんの思い出話を語り合った。
「大学時代、大家さんから頼まれて一時期バイトをしていたんですよ。僕。」
緒方さんが明かした。
「ほう。どんなです?」
「大家さんが持っている別のマンションの管理人です。といってもほとんどやることと言ったら清掃とか蛍光灯の交換なんですがね。けっこう時給を高くしてくれました。おかげで家賃も毎月滞納せずに払えたし生活も楽になりました。」
息子さんが
「知っています。親父、緒方さんからの家賃収入よりも緒方さんに払う給料の方が高いって笑っていましたよ。呑気なもんです。」
と言ってほほ笑んだ。緒方さんはしきりに恐縮した。
「私も大家さんの持っている別アパートの事故物件のお祓いしていました。」
君枝が続いた。
「お祓い?」
皆が驚いたが、けっこう酔いの回った君枝は自分が霊媒師であることを白状した。いったい大家さんにカミングアウトした時の反省はどうしたのか。だが言いたかったのである。皆はこの除霊話に聞き入り、しきりに感嘆の声を上げた。誰も色眼鏡でみることなく、君枝の話を信用したようだった。君枝は言ってよかったと思った。自分の仕事にもっと自信を持っていいのだ。隣で堀内さんがうんうんと頷いている。
「実をいいますとね、アタクシも大家さんにはプライベートでお世話になったことがございまして。」
と佐久間さんがおっとりとした調子で語る。
「アタクシ、大家さんから“いい娘さんがいるから会ってみないか”と言われましてね。お見合いの真似事みたいな事をしたことがあるんですよ。」
「え、そんなことあったんですか?」
これは息子さんも初耳だったようだ。
「ええ。もう十年以上前の話ですけどね。」
「で、どうだったんです?」
緒方さんが促す。
「ちょいとした料亭でアタクシと大家さん、それにその紹介された女性でお会いしたんですが、肝心の紹介者の大家さんがお酒を飲んで酔っぱらってしまって一人でベラベラおしゃべりになって。アタクシたちはただ黙ってそれを聞くだけ。挙句の果ては酔いつぶれてアタクシ達が介抱するハメになりましてね。ええ、それはもう大変でした。」
不謹慎だが遂に皆で笑ってしまった。君枝の横で堀内さんも頭を掻いて笑っている。
「そうでしたか。で、その女性とは?」
緒方君の問いに
「まぁ、呆れてしまってそれっきりですよ。」
と佐久間さんが笑いながら言った。
「それはどうも失礼しました。」
息子さんが頭を下げると佐久間さんは
「イエイエ。でもワタクシ、嬉しかったんですよ。あの当時、友達もいなくて孤独でね。何をやっても上手くいかなくて。息詰まっていました。そんなアタクシの様子を大家さんは気づいてくれていたんだと思います。晩御飯に誘ってくださったこともありましたね。大家さんがいるから自分は孤独じゃないんだなぁって思えて。おかげで随分、元気が出て前に進めたんです。」
と言った。平穏で泰然自若な雰囲気の佐久間さんにもそういう時代があったのかと君枝は意外に感じた。
「大家さん、優しいなぁ。」
緒方君が呟いた。
「考えてみると私のお祓いの仕事も大家さんがあちこちの不動屋さんに声掛けしてくれたのでしょうね。そうでなきゃ急に依頼がああも増えませんもの。今、私がやっていけているは大家さんおおかげですよ。本当にありがたいです。」
君枝がしみじみと言った。
「確かに僕も親の仕送りだけじゃ大変だっていつもぼやいていたからなぁ。・・・わざわざ仕事をつくってくれたのかもなぁ。」
緒方君はそう言ってビールをグイと煽った。横で堀内さんがニコニコして聞いている。
「トクトクトクトク。」
佐久間さんが空のグラスにビールを注いだ。
「これは大家さん用です。」
そして君枝に向かって言った。
「ここにいるんでしょう?大家さん。」
「ええ。わかるんですか?」
「ええ。わかります。大家さんと話をしていると不思議と温かい気持ちになるんです。今、まさにそんな気持ちですから。」
「それは霊媒師でなくてもわかりますよね。」
君枝はニコリとした。緒方君も息子さんも頷いた。
「お世話になりました。」
「ありごとうございました。」
「御恩は忘れません。」
「親父、お疲れ様。」
皆口々に呟き、そして声を合わせた。
「献杯。」
改めて皆で献杯をした。堀内さんも重ねるように声高らかに言った。
「皆さんに乾杯!」
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