残された側

(1)

 (あ、面倒くさそうなのがいる。)

自宅アパートに帰宅途中、君枝はげんなりした。住宅地の一角にある民家のブロック塀の上に、見た目、やや化粧の厚い女性がつっ立って、家の中を窓越しに覗こうといている。小学生の男の子ならいざ知らず、派手な黄色いワンピース姿に赤いハイヒールを履いた女性が普通、そんな所に乗らない。幽霊で間違いない。

(目を合わせないように通り過ぎよう。)そう、心に決めて女性の横を通り過ぎた。

「ちょ、ちょっとアンタ、視えてるんだろう?」

「いえ、何も視えてません。」

顔を合わせず毅然と答える。女性が塀から降りた気配がした。

(やだなぁ。ついて来ちゃうよ。)

女性は君枝の横につき、一緒に歩きながら話かける。

「アンタ、霊媒師なんだろ?さまよえる魂をあの世に送る成仏屋って聞いたよ。」

「よく知っていますね。」

君枝はあくまで目線を合わせず頷いた。

「ねぇ、アタシの話、聞いてくんない?アタシ、あそこで何をしてたか気になるでしょ?」

「別に気になりません。」

スタスタ歩く。

「随分と冷たいねぇ。」

「急いでるんです。」

特に君枝に急用がある訳ではない。只、さっきまで事故物件のお祓いをして、どっと疲れていたのだ。おまけに初めて来た町で土地勘が無く、さっきから道に迷ってばかり。まだ残暑の余韻の残る夕時、汗をかきかき、ようやく駅への道がわかったばかりなのだ。早く家に帰って熱いシャワーを浴びて休みたい。いや、その前に冷房の効いた電車で一息つきたい。今はそれしか頭になかった。

「どうせアンタ、家帰ってもヒマなんだろう?」

足がピタリと止まった。くるりと女性の方を向き

「余計なお世話です!」

と強い調子で言った。実際何もないし、待っていてくれる人もいないのだが。

 正面から女性を初めて観察した。つけまつ毛が過剰で随分と派手なメイクをしている。

おそらく年齢的には君枝よりまだ若い二十代後半と思われるが、その厚化粧のせいで君枝より年配にも見える。

「深い意味じゃないって。気に障ったなら謝るよ。」

「・・・一体、何の御用ですか?」

君枝がイライラしながら質問した。

「ちょっとしたお願いなんだけどさぁ、まぁ、立ち話もなんだし、あそこの公園のベンチで話そう。ネッ、ネッ。」

そう言って夕陽のある方を指さした。ブランコとすべり台がある程度の、ごく小さい公園があった。誰もいなかった。

(やれやれ。)君枝は帰るのを諦め、女性に付き合うことにした。このままウチについてきても困る。


(2)

 女性の名はショウコといった。ごく最近、事故で亡くなったそうで、生前はキャバクラに勤めていたらしい。いわゆるキャバ嬢というやつだ。ご指名の多さではその店のナンバー1とは本人の弁だが本当のところはどうだろう?特別美人とも思えない。只、話は実に面白い。特に、店に来る変わったお客や同僚の変な人の話が可笑しくて君枝は大笑し、この辺が人気だったのかもしれないなと思った。それに、このあっけらかんとした明るさも魅力的だ。だが、この様な話をえんえんとされても堪らない。

「で、そろそろ本題に入りませんか?」

君枝が促すと

「メンゴメンゴ。すっかり忘れてたわ。」

ショウコは笑いながら言った。

(メンゴメンゴなんて随分久しぶりに聞くフレーズだなぁ。)と君枝の心で呟いた。

「あの、さっきあたしがいた家、私の馴染みだったお客さんが住んでるんだけどね。頭の薄い小太りのおじさんでさぁ、ウチの店に来ちゃア、しょっちゅう下らない親父ギャグばっか言っているような奴なの。それに、いまだに寅さんやジャイアント馬場の物真似して笑わそうとすんのよ。信じられる?若い女の子なんてキョトンよ。なんとなくイメージ湧くでしょう?」

「どちらかというと苦手なタイプですね。」

君枝は正直に言った。

「アハハ!でも決して悪い人じゃないんだよ。アタシもけっこう良くして貰ったんだ。」

ショウコがフォローした。

「それにあたしが死んじゃった後、わざわざお通夜に来てくれたんだよ。しかも泣いてくれちゃってさ。そんな客、なかなかいないよ。」

「それは良い人ですね。」

「うん。で、その人に伝えて欲しい事があるんだ。」

「私がですか?」

露骨に嫌な顔をしてみせる。だが、ショウコは意に介さない。

「だって私があの人と話せるわけないじゃない。」

(それはそうなのだけど。・・・)

君江は仕方なく、その伝言を聞いた。


(3)

君枝はショウコと共にその客の家に着いた。先程はまだ留守だったそうで、帰宅したか確認する為に中の様子を窺う事にする。玄関のチャイムを押そうという時、ショウコが

「ちょっと待って。」

と君枝を制した。

「いきなりじゃなくて、やっぱ外から中の様子を確認してからにしよう。」

「は?」

「だって、いきなり会うのコワくない?頼むよ。」

「いろんな意味で、アナタがそれ、言いますか?」

「お客とかいると悪いし。」

「その気遣いを私にも向けてほしかったです。」

仕方なく玄関から先ほどショウコが立っていた塀の方に廻った。

君枝は塀の上に両手をかけ、力を入れてよじ登った。そして塀の上からなんとか頭を出した。ショウコは塀の上に悠々と乗る。こういう時、霊は身軽だ。

 二人で窓越しに中の様子を窺う。リビングのソファにそのおじさんは上半身裸にトランクス一丁という格好でくつろいでいた。テレビを観ながらコンビニ弁当に缶ビールで一杯やっているようだ。トランクスの横から、見たくない物まではみ出ている。

(私は一体何を見させられているのだろう?)買い物帰りらしいおばさんがチラとこちらを見るし、他の通行人の視線も気になる。君枝はトホホと思った。

「ね?脂ギッシュなハゲ親父だろう?」

ショウコが同意を求めた。君枝は自分の身体を支えるのに疲れて塀から降りた。

「確かに。でも、他に人はいませんでしたね。」

「じゃあ、よろしく頼むよ」

ショウコも塀から降りて言った。

「わかりました。」

乗りかかった舟だ。君枝は意を決して家の玄関に廻った。表札の田中の文字を確認し、チャイムを押した。

「はい?」

インターフォンからおじさんの声がした。

「恐れ入ります。わたくし実はPというお店で働いていたショウコさんの知り合いなんですが、ちょっとお話がありまして。」

「・・・ショウコの?少々お待ちください。」

その後ドタドタと音が聞こえる。おそらく部屋着を捜しているのだろう、滑稽な姿が想像できた。君枝の隣でショウコがクスクス笑っている。

「お待たせしました。」

ドアが開きおじさんが半身を出した。白いYシャツに短パンという変な恰好だ。どうも酔っているらしい。

「突然にすみません。私、ショウコさんから言付けを託されてまして。」

「お店の人?」

「いえ、まぁそうじゃないんですけど。個人的な知り合いという事で。」

「・・・そうですか。どうぞ。中にお入りになって。あ、それとも近くにあるファミレスでも行きます?」

「いえ、ここで結構です。直ぐに終わりますから。」

「そうですか。」

「ええと、田中さん、霊感とか幽霊とか信じます?」

「えっ?」

明らかに警戒し出した。

「変な宗教の勧誘とか霊感商法とは違いますから。心配しないでください。」

田中さんはまだ怪訝そうな顔をしている。 

「私、霊媒師をしております。簡単に言うと霊と交信できるんですよ。」

「はぁ。・・・」

「で、ですねぇ。あなた、Pという、えーっとキャバクラですか?そこにいたショウコさんの事をご存じですよね?」

キャバクラという言葉を初めて口にした。

「今、私の横にショウコさんがおられます。信じられないでしょうから、ショウコさんにしかわからない質問をしてみてください。ショウコさんが私に答えを言ってくださいますからそのまま、私が声に出します。」

「えぇ?本当にそんなことが出来るの?」

「はい。特に田中さんとショウコさんだけが知っている事の方がいいでしょう。」

田中さんは腕を組んで考え始めた。そして試すように簡単なことから聞いた。

「源氏名は?」

(なるほど、お店では源氏名なのか。)ショウコが君枝の耳元で答えたのでそのまま伝える。

「マリナです。」

「当たっている。でも、それだけじゃあなぁ。」

田中さんが少し考えて質問した。

「俺が大好物だとショウコに言ったら、わざわざ作ってタッパーに入れてお店に持ってきてくれたものがあります。なんでしょう?」

ショウコの言った通り君枝が答える。

「里芋の煮っころがしです。」

「おぉ!ピンポン、ピンポ~ン。」

「では次の問題。二人で初めて行った場所はどこでしょう?」

「品川の水族館。」

「ピンポン、ピンポ~ン。」

「第三問.俺のカラオケの十八番は?」

「夢で逢えたら」

「ピンポン、ピンポ~ン、すっげぇ。本物だ!じゃあねぇ、じゃあねぇ。・・・・」

(もしかしてこの二人、アタシを介して遊びはじめてないか?何やってるんだろうか、私。)君枝の心の中で嘆いた。

「では最終問題です。ショウコのお通夜で俺は何しちゃったでしょう?」

ショウコの口伝えに戸惑いながら君枝は答えた。

「お酒飲み過ぎてゲロ吐いちゃった。」

「ピンポ~ン。大正解です!お清め会場でゲロ吐いちゃってホールの人に嫌な顔、されちゃいました~。」

君枝はあきれたが、田中さんは感極まったのか泣いてしまった。

「信じて貰えましたか?全て横からショウコさんが答えを教えてくれました。」

「・・・あなたのこと信じますよ。通夜の様子まで答えたんだもんねぇ。」

「ショウコさん、通夜に来てくれたことを喜んでいますよ。」

田中さんは

「そうですか。」

「それで、ショウコさんからお願いがあるのです。」

「何でしょう?・・・。」

「どうか死なないでくださいね。」

「えっ?」

田中さんが真顔になった。

「ショウコには、そんな風に見えてるんですか?私。」

「ええ。アタシにもそう見えます。」

田中さんが力なく笑った。

「そりゃあ、あまりにも突然、死んじゃうんだもの。参っちゃうよ。」

「でしょうね。」

「寂しいよ。ホント。・・・うん、寂しい。」

横でショウコさんが言った。

「ごめんよ。」

田中さんにも聞こえたのだろうか?ハッとした様子だった。

「田中さん、今、死ぬことに気持ちが引っ張られているでしょう?ショウコさんが突然いなくなってしまった喪失感で。」

田中さんは何も言わない。

「ショウコさんはそれを心配しています。私もそれは感じますよ。」

「当たっているかもしれません。鬱とまでいかないと思うけど、最近、休みでも何もする気がおきなくて家に閉じこもってばかりでね。家で酒ばかり飲んでるよ。」

「田中さんが明るく前を向かないと、ショウコさんは心残りで成仏できないんですよ。」

「そんな。・・・」

「田中さん、大事な人を失って孤独な人は世の中に一杯います。お辛いでしょうが、どうか前を向いてください。」

ショウコさんが君枝に伝える。

「どうか、又、あの店に行って、しょうもない親父ギャグをかましてください、と言ってます。」

その一言に田中さんが笑った。

「そうだな。また馬場の真似やっちゃおうかな!」

「それはやらない方がいいみたいですよ。」

「え、そうなの?」

でも、とにかく田中さんの顔から先ほどから見えていた不吉な影が消えつつあった。田中さんはショウコさんのいる方に自然と顔をむけると

「もう俺は大丈夫。成仏していいぞ。」

と宣言した。それを聞いて安心をしたのかショウコさんの身体が徐々に宙に浮び、上昇していった。成仏し天に召される瞬間だ。

「ショウコさん、空に昇っていきます。」

君枝がそう言って上空を指さすと田中さんも空を見上げた。そして大きな声で

「今でも惚れてるぞ!」

と言った。それに呼応して

「アタシもよ!」

とショウコさんも声を張った。そして君枝に向かって

「つき合わせて悪かったね。ありがとうね。」

と礼を言った。君枝は微笑んでお辞儀をした。


 田中さんは礼を言い、遠慮する君枝にせめてもの気持ちとして壱萬円札を一枚、手渡してくれた。イタイおじさんだがいい人なのだ。ありがたく受取った。そしてお互いに何度も頭を下げながら君枝は家路についた。


(やっと家に帰れる。正直疲れた。帰る途中、あたしもビールでも買おう。)そう呟くと、不意に後ろから声がした。

「お巡りさん。この人です。この人が、この家をのぞき見していたんです。」

「え?」

さっきの買い物帰りのおばさんがと警官が立っていた。

「女ののぞきか。珍しいな。」

「いえ、それには深い訳が。・・・」

「いいから、ちょっと交番まで来て貰おうか。」

「そんなぁ。」

果たして家に帰れるのは何時になるのか。君枝はベソをかいた。

「メンゴメンゴ。」

上空からショウコのすまなそうな声が聞こえた。

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