成仏させたい君枝さん
大河かつみ
心残り
(1)
「あんた誰?」
その小柄な初老の男はいぶかしげに質問した。
「小林君枝と申します。霊媒師をしております。」
「霊媒師?・・・冝保愛子的な?」
「古いところ出してきましたね。まぁ、そういう事です。」
「胡散臭いね。どうにも。で、その霊媒師が俺に何の用なの?」
「あなたに成仏してほしくて参りました。」
「は?」
「あなた、ご自分でお亡くなりになったことに気づいておりません。」
「へ?・・・馬鹿言っちゃいけない。俺、死んだ記憶なんてないよ?特別、病気にもかかっちゃいないし、事故にあった憶えもない。」
男は腹立たしげに言った。君枝はすまなそうな表情で続ける。
「このお部屋で寝ている間にポックリと亡くなったのです。心肺停止です。」
「・・・。」
「あなたが会社に出社しないので同僚の方が見に来て発覚したのです。」
「あぁ、そう言えば俺が死んで葬式をやる夢を見たような記憶がある。妙にリアルだったんで憶えている。」
「夢でなく現実だったんですよ。」
「・・・マジ?」
「マジです。」
初老の男は虚空を見つめた。彼なりに気持ちの整理をしているのだろう。君枝は同情した。
「参ったな。・・・」
男が呟いた。
「何か心残りでも?」
「レンタルDVDをまだ返してなかった。延滞料が半端じゃない。」
そう言ってテレビの傍にあるDVDを指さした。一目見てアダルト系のタイトルだと分かった。
「・・・それは私が大家さんにお願いしておきます。心配しないでけっこうです。」
君枝は苦笑して言った。
(2)
「ヤマガタさん。」
君枝は、初めてこの小柄な初老の男を苗字で呼んだ。
「なーに?」
アパートの自室、万年床に寝っ転がりながらヤマガタさんが返事をしたが、どこか投げやりだ。
「ヤマガタさん。そろそろ成仏しませんか?
大家さんが困っているのです。」
「なんで?」
「そろそろこの部屋をリフォームして次の人に貸したいんですよ。あなたが居たら出来ないでしょう。」
「おかしいね。大家さん、俺のことが視えるのかい?」
「ええ。何度か視たそうです。大家さんだけでなく、両隣の部屋の住人も居ないはずのあなたの部屋から物音がするって気味悪がっています。それで、私が呼ばれたのです。」
「ふーん。でも、俺、死んだ実感がないからなぁ。急に成仏してくれってお願いされても困るよ。第一、敷金とか返そうにも金が。・・・」
「大家さんも今更、亡くなったヤマガタさんに敷金のことなんか期待していませんよ。」
「そう。・・・」
ヤマガタさんは少し安心したようだった。
「本当はヤマガタさん、心残りがあるんでしょう?」
君枝が和らいだ声で尋ねた。
「うーん。・・・」
「何かなければ自然と自分の死を受け入れて成仏します。ヤマガタさん、無意識に気が付かないフリをして自分を誤魔化しているんじゃないですか?」
ヤマガタさんは下を向いた。
「特別に何かというんじゃないんだけど。・・・なんというかさぁ。俺の人生ってなんだったんだろうってね。」
ヤマガタさんがポツリと呟いた。その言葉は君枝にも響く言葉だった。
「結局、何者にもなれなかったな。そりゃ、まあね。プロ野球の選手とかパイロットなんて夢は最初から諦めていたけど、自分なりに夢や目標はあったんだ。でもなれなかったな。」
「大概の人はそうですよ。」
「まぁね。で、なんとか就職した会社でも役職にもなれずに死んじまった。」
ヤマガタさんが自嘲的に笑った。君枝は黙って聞いていた。まだ三十代の自分が人生の先輩に軽々と偉そうに励ましの言葉を掛けるべきではないと思ったのだ。
しばらくの沈黙の後、ヤマガタさんは
「まっ、能力がなかったってことだ。仕方ないな。」
と言った。あっけらかんとした調子だったので吹っ切れたのだと君枝は判断した。これでヤマガタさんは成仏するだろうか?
「それと心残りといえば。・・・・」
(まだあるのか。)と思いつつ君枝が
「なんです?」
と尋ねる。
「君枝さんて結婚しているの?或いは彼氏とかいる?」
突然の質問に君枝はドキリとした。君枝が一番聞かれたくない質問がど真ん中ストレートで投げ込まれたのだ。
「・・・残念ながら。」に
君枝はヤマガタさんの目を見ずに呟いた。
「俺ね。今まで女性とつきあったことないんだ。・・・」
「一度もですか?」
「うん。一度も。」
「縁が無かったんですね。」
「というかさぁ、高校時代、好きな人がいたんだけどどうしても“好きです。”って言えなかったんだ。断られるのが怖くてさ。気が弱いんだ。それが今でも心残りで。」
(高校時代?一体何十年前の話だろう?それを未だに心残りって。・・・まだ好きなんだろうか。その同級生を。)
君枝は半ば呆れ、半ば感心した。本当に好きだったんだなと思った。
「聞いてて気持ち悪いだろ?でもホントなんだ。あの時、少しでも勇気があればって後悔しているんだよ。断られたってよかったんだ。それでも自分の思いを伝えられれば今、こうやって後悔してはいなかった。・・・・」
「切ないですね。その後、連絡とかとれないんですか?」
「むしろ忘れるためにここに来たし、同窓会にも顔を出したことはない。実は高校時代、クラスでいじめられていてね、いい思い出はない。だから、あの時も告白どころじゃなかったんだ。」
ここにも学生時代にいじめでトラウマを抱えた人がいる。君枝は自分と同種の人間に同情を寄せた。
(私が恋愛に臆病なのも、あの頃のトラウマが原因だ。自己肯定感が極端に失われ、今でも人を怖いと思っている。特に男性を。)
君枝はなんとかヤマガタさんに成仏して欲しいと心から思った。
(3)
「今からその人に会いにいったら如何ですか?」
君枝の提案にヤマガタさんが驚いた顔をした。
「その人に最後のお別れをしてくるんですよ。よほどその女性に霊感がなければ、ヤマガタさんの存在に気が付かないし告白したって聞こえないでしょう。思う存分、“好きです。”って言ってきてください。」
「そんなこと、できるの?」
「会いたいと念じれば会えます。まぁ、よほどあちらの守護霊さんがガードしなければ。ヤマガタさんがいい人なのは伝わるはずですから大丈夫だと思いますよ。私も全力で念じてお願いをしてみます。」
「枕元に立つってやつか。」
「他にもお別れをしたい方がいれば行ってきてください。」
ヤマガタさんと君枝の念が通じたのであろう。ヤマガタさんの姿がスッと消えた。君枝の心の中にじんわりと温かいものが感じられた。上手くいったようだ。
しばらくしてヤマガタさんが帰ってきた。
「お会いできましたか?」
「うん。だいぶ年取って変わっちまったが間違いなく本人だった。優しそうなご主人に高校生ぐらいの娘さんがいたよ。目元なんかあの頃の彼女にそっくりだった。」
「告白できました?」
「いや。しなかった。」
「え?そうなんですか。」
(何をやっているんだろう?この人は。・・・)
「うん。今の幸せそうな様子を見ていたら別にどうでもよくなっちゃった。でも、なんだろう。自分の好きだった人が幸せになっている姿を見られるってのもいいもんだと思ったよ。最後に“ありがとう。”とだけは言った。・・・」
「・・・ヤマガタさんは素敵です。」
君枝がヤマガタさんの目を見て言った。
「そう?」
「何者にもなれなかったとおっしゃいましたが、私は今、飄々としていながら強さと優しさにあふれたヤマガタさんみたいな人になりたいと思いましたよ。」
君枝は心からそう思ったのだ。
「そりゃどうも。あなたはいつまでもお元気で。いろいろとありがとうね。」
「こちらこそありがとうございました。」
ヤマガタさんの姿が徐々に薄くなっていく。その成仏していく姿を君枝は感慨深くいつまでも見届けていた。
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