ᴸᴵᴾ ᵀᴬᵀᴼᴼ ⁴
あの日、真夜中のバスケットコートはすでに夜明けの道筋を具現していた。
貴方がほんの少しジャンプして腕を伸ばした方向へ弧を描くボールがゴールに吸い込まれてく。
吸い込まれるなんて表現馬鹿馬鹿しいと思ってたけど、本当に相違ない表現だった。
飲み込まれるみたいで怖くなって思わず立ち上がったら、よし来たとでも言いたそうにボールをこちらへよこした。
そんなんじゃないのに、私という私も一応そのボールを受け取った。ゴールへと放てば縁に当たって落ちてしまった。
─── 私は軌道を逸していた。
「ドラマはさ」
「ん?」
「最終回まで見ない」
「え、」
「終わりが嫌いだから」
「それ見る意味あるの」
「好きなものはいつも一歩前で止めたいだろ」
軌道を逸したボールを漠然とみつめる私にお構い無しでおかしな事を言うから意味がわからなかったが、危うく返事をしてしまったので会話をインプットした。インプットされたものが必ずしもアウトプットに繋がるとは限らない。だが、花を具現したみたいに甘く掠れた声を吐き出すから心臓が疼く。
たぶん完結よりも永遠が欲しい、だから終わらないものを求めているのだ。
誰もがきっとそうだった。
最終回を待ち望むよりも、来週の予告を期待しているんだった。もうどれが嘘で真実なのか、それさえ分からぬほど切なげな瞳が惑わせた。これが最後だなんてまた嘘みたいだ。
暇を噛み潰すようにして、バスケットボールが何度地面へと叩きつけてもどこかへ行ってしまうのを繰り返した。闇夜に浮かぶ境界線を渡るみたいだった。
やがて向こうの方に飛んでいって、近くのアパートの庭に入ってしまった。誰のものか分からないボールが、誰の家か分からない場所へと飛んでいってしまった。まるで異邦人。
× × ×
追いかけるものをなくしてベンチに座った。
隣で貴方はiphoneを横にして、真夜中だっていうのにイヤホンもせず、映画のセリフを垂れ流しにしている。
私が話しかけない時、貴方はいつも片手に煙草を摘み上げて動画を見ている。
私と同じように暇を噛み潰しているのか、それともそれには深い整合性を求めているのかわからない。
「なんでNetflixばっかみてんの」
「おわんないから」
「…え、」
「YouTubeとか大っ嫌い」
「基準ってなんなの」
「だから終わんないかどうか」
「Netflixだって終わるじゃん」
「自分で止めるまで終わらずに済む」
他の、YouTubeだってTikTokだって何だって自分で終わらせれば終わるじゃんって、そう思ったけどそれは絶対に彼の欲しいアンサーではなかった。それは間違いではないけど、正当ではない、そう気がついたから適当な相槌で終わらせた。
「じゃあ煙草もやめたら」
「なんで」
「体に良くないし」
「なに、説教」
「それにさ」
「ン」
「おわっちゃうじゃん」
「…」
「踏み躙られてもいいの?」
「Netflixと同じなんだよ、コイツは」
そう言って愛おしそうに甘い煙が向かう先を見つめていた。私はその匂いも好きじゃない。
煙なんか吸わされてたまったもんじゃない。
でも、その煙の行く末が多分蝶の向かう経路だって知ってた。だから見つめた。あまく甘く描く軌道に乗るのは今日で、それが向かうのは明日、もしくはずっとずっと先の方。
そんな横顔が消えてしまうのは嫌だった。
未来永劫、冷たい瞳に揺れる露を消したくはなかった。煙や燃え殻みたいに、踏み躙られるのなんてそんなの矛盾じゃないか。
Netflixと煙草は同義だなんて、巻き戻せないフィルムを手で手繰り寄せるのより難解である。
私は貴方に終わらない世界をあげたい。
ほしいなら全財産、家、車。有形物は全てあげられる。なのに終わらない世界を私は所有してない。明日隕石とか降るんだったら何もかもあげるのに。
なんなら要らない愛とか、ちょっとした記憶力といった無形物もあげられるもんならあげたい。
でも隕石落下という事態が起きてしまえば貴方だけ隕石の落ちない世界で生きてく事は不可能なわけで、なんで私なんかと同じ人間に生まれちゃったのって思うけど、それが蝶だろうが狼だろうが隕石には勝てないんだろう。
この世のもの全て有形になればいいのに。一生割れない鏡が貴方なら、私はもっと呪いを唱え続られるかもしれないのに。
「紫陽花」
「…え、?」
私が終わりなき思考を逡巡させていると、隣でゴールの向こう側を指さした。ずっと遠くにあるから黒い点ぐらいにしかみえなかったけど、近づいたらちゃんと紫陽花だった。ましてや黒いから疑った。黒い灰みたい。
「ずっとこのままだったらいいのに」
そう呟くから、ドライフラワーにすることを提案したら首を横に振られた。花壇から抜いて持って帰るなんて出来ないし、そんなの否定されて当然だった。
でも、彼が肯定しなかったのはそんな理由じゃない。たぶん壊れてしまうことが嫌だったんだと思う。
萎びて、乾ききって、どこか違う色味にさえなってしまって、原型が分からなくなってしまうドライフラワーじゃなくて、この瑞々しさをそのまま閉じ込めたかったのだ。
私もふとそんな気がしたから、それ以上はなにも言葉を返せなかった。言葉を返せない代わりに、先程体に悪いからと取り上げた煙草を返した。
私の紅黒い唇紋がくっきりとタトゥーのごとく刻印されたそれを長い指で受け取って、そのまま咥えて彼は火をつけた。
たまらなくなって凝視した。視線を他へ放るのが答えだとは分かっていたけどじっと見つめた。この瞬間、匂いと感覚まで、全部閉じ込めたかったから。
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