迷い虫

 僕の生まれ育った生家は、とびきり田舎の更に山奥に建っていた。

 当時小学生だった僕は、通学に片道一時間以上かけて歩かねばならず、その度に何故うちはこんな辺鄙なところにあるんだ、と嘆いたものだった。

 往復するだけでもヘトヘトになってしまうが故に友達は誰も来たがらず、かと言って遅くなってから山を歩くのは怖すぎたので、友達の家に寄ることも出来ず。

 やることと言えば山での虫取りや畑の手伝い、夜になれば家の中でテレビを見るくらい。

 自分でも今思えば可愛そうな小学生だったと思う。


 有る年の夏休み、僕宛に突然電話がかかってきた。

 同級生の女の子、Aちゃんが突然うちに泊まりたいと申し出てきたのだ。

 とりわけ仲が良いわけでもないのに、なんでいきなり? と思ったのだが、詳しく聞くと、友達数人でうちでお泊り会をやりたい、と言うのだった。

 うちは山奥にあるが、昔ながらの日本家屋を改築してきたので中は結構な広さがあり、子供が数人泊まろうが大した問題にならないのだ。

 僕の家が広いから、という安直な理由で内心呆れたが、友達が遊びに来ることの滅多にない僕が誘われたのが嬉しかったらしく、親に事情を話したら二つ返事で許可が出た。

 僕はと言えば、やはりまんざらでもなかった。


 お泊り会当日、数人の男女で同級生達がうちに訪れた。

 はしゃいで大声を出そうがなにをしようが、ここら一帯は僕の家の敷地なので全然迷惑にならない。

 小学生の活力の底知れなさは凄いものだが、その日はいつも以上に張り切って遊んだ。

 母親が腕によりをかけて作った食事を食べ、父親が趣味で作った手作りブランコを楽しんだり、飼ってる犬とひたすら追い掛けっこをしたり、山の中で虫を捕まえたり。

 思いつく限りの遊びを終えると、夜になる頃にはすっかり疲れて、みんなグッスリ眠った。


 次の日の早朝、僕は身体を揺すられて目が覚めた。

 身体は重く、瞼もまともに開けられないが、うっすらと見えたのはAちゃんの顔。人差し指を口に当てて、しーっ、という仕草をしている。

 どうしたの、と声をかけると、ニコッと笑いかけ、手招きをしてきた。

 窓の外はうっすら明るく、時計を確認するとまだ朝の4時半ごろだった。道理で眠いわけだ、こんな朝早くにどうしたのだろう。

 音を立てず軽い足取りで外に出ていくAちゃんを追いかけ、玄関から外に出ると、Aちゃんはやっと口を開いた。


「○○君、迷い虫って知ってる?」

 知らない、なにそれ、と聞くと、Aちゃんは続ける。

「山の中でもし迷ったらその虫を見つけて、ついていけば帰れる。っていう御伽話があってね」


 Aちゃんの祖母から聞いた話で、その話が実際にあったとされるのが僕の家の周りだそうだ。

 その虫が見たいから山の中へ行こう、と言って、返事も聞かずAちゃんは僕の手を取り、裏山の方へ駆けていく。

 まずいよ、と言うが、聞く耳を持たない。

 僕は寝起きで抵抗する気力もなく、Aちゃんに連れられるがまま山の奥へと入っていった。


 Aちゃんは同級生の中でもとりわけ可愛く、秀才で、活発な子である。

 男子たちの憧れの存在のような子だったので、最初にお泊り会の話を聞いた時、たちの悪い冗談だと思った。

 特別に思いを馳せていたわけではないが、他愛のない会話をしながら山の中を二人、手をつないで歩いている。

 眠気が覚めてくると、恥ずかしさが勝ってきた。


「Aちゃんはなんでその虫がみたいの?」

 少しでも恥ずかしさを紛らわそうと思ったが故の質問だった。

「……私のお父さんとお母さん、離婚しちゃうんだ」

 Aちゃんは立ち止まり、振り向かずにそう言った。

 小学生の時分では、難しい言葉なのでイマイチよく理解出来なかった。

 だが、Aちゃんの寂しそうな声色でなんとなく悲しいことなんだ、と思った。

「いつも仲が良いのに、最近は二人共喧嘩ばっかり。……お互い自分の気持ちに迷ってるんじゃないかな。道に迷うのと同じだよ。ずっと迷ってばかりじゃイライラするし、そばにいる人にも酷いこと言っちゃうよね」

 Aちゃんは立ち止まり、僕の方を向いて続ける。

「だから、私がその虫を捕まえてきてあげれば、二人共迷わなくなるんじゃないかな」

 理屈としては無理やりだし、実現するかもわからない。そもそも御伽話の虫がいるかどうかもわからない。

 子供の頃など、誰かを思いやるなんてことはあまり考えたことも無かった。

 だから今考えればそのAちゃんの考えは、力の及ばない小学生が自分の出来る範囲で

 親を仲直りさせてあげたい、というとても慈愛に満ちた考えだったのだろう。

 馬鹿な子供だった僕はそこまで考えず、ただ、ふーん、とだけ返事をしたが、それでもその話をしているAちゃんの目はどこか遠く儚げで、それでいて優しさと思いやりに溢れ、とってもキレイだった。


 その後も他愛のない会話をしながら歩くが、ふと冷静になって考えたら、自分がどうやってここまで来たのか覚えていなかった。

 もちろんAちゃんの目的は迷うことであろうが、夢うつつの状態で山を歩いていた僕はここで現実に引き戻された。

 まずい、帰り道がわからない。

 本当に迷うからもう帰ろう、とAちゃんに言いかけた時、Aちゃんは立ち止まっており、目を見開いて前方を凝視していた。


「いた……」

 それだけつぶやくと、Aちゃんは腰をかがめ、抜き足差し足で慎重に歩き出した。

 だがその目線の先を追っても、虫らしきものはいない。

 Aちゃんには見えたのだろうが、そうなると僕も見てみたい、という欲求にかられる。

 Aちゃんが進む方向を変えるとすぐさま目線を移してそちらを見るが、やはり何も見えない。

 しばらくそれを繰り返すと、Aちゃんは突然走り出した。

 結構山を歩いたはずなのに、どこにこんな体力があったのかと思うほどの速さで駆けていく。

 倒木を超え、草をかき分けて凄い勢いで前に進む。食らいつくのに必死になり、途中から虫を見るのは諦め、Aちゃんの背中だけを見失わないように追った。


 息も絶え絶えになる頃、ふと見るとAちゃんは両手を合わせた状態で立っていた。

「捕まえた」

 ありがとう、一緒に来てくれて。とAちゃんが呟き、そのまままた走り出す。

 走り出した先は、裏山への入口になっている山道だった。完全に迷ったはずなのに、本当に帰ってきたのだ。

 なんだか今まで夢を見ていたような不思議な気分になり、安心感からか再び眠気に襲われる。

 僕はそのままうちへと戻り、みんながまだ寝静まっている中、泥のようにグッタリと眠った。


 お泊り会が終わり、その数日後。Aちゃんの家は一家離散の末路をたどった。

 両親、祖母、Aちゃん、まとめて全員が消息不明になったのだ。

 ある日の夜、買い物帰りらしいAちゃん一家を隣家の人が見かけたきり、次の日の朝には誰も彼もいなくなっていたという。

 当時、街中で大騒ぎになり、ニュースにもなった大騒動だったが、結局それから現在に至るまで、なんの痕跡も行方もわからないままだ。


 大人になった今、ふとこのことを思い出して母親に話をしてみると、確かにその虫の話は聞いたことが有るという。

 ただ、子供が追いかける時は正しい道を教えてくれるが、大人が追いかけると、逆に迷わせてずっと山から出さない、という話らしかった。


 Aちゃん一家に何が起こったのかは未だに謎のままだ。

 あの時、本当にAちゃんには虫が見えていたのだろうか。

 迷い虫との因果関係があるのかないのか、僕にはわからないし、知りたくはない。

 でも、今でも僕はあの時のAちゃんのまっすぐな瞳だけは覚えている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る