立つ人
交差点で信号無視の車に突っ込まれたことで、初めて入院したのは地元の病院だった。
僕が子供の頃は古く小さな田舎の病院だったが、市町村の合併に合わせて新しい病棟を建て、真新しく中央病院と名を変えた病院である。
今まで僕はあまりここにお世話になったことはなく、訪れる時というのは決まって風邪の診察、予防注射、健康診断の時くらいであり、病室が並ぶ二階に来るのは初めての経験だった。
通された病室は、二つのベッドが並ぶ相部屋だったが、隣は病気療養中だが優しい雰囲気のおばあちゃんで、安静していられるなと思った。
長くお世話になる事になったのだが、数日後には無事に手術も終わり、後は回復まで入院生活を全うするだけになった。
担当してくれた看護師の中の一人に、同級生のAという女の子がいた。
それほど仲が良かった訳ではないが、退屈な入院生活の中で知り合いの存在は大きかった。
「実はあの病室さぁ、変な噂があるんだよねぇ」
ある日のリハビリの時、Aがそう話しかけてきた。
興味をそそられ少し詳しく聞いてみると、どうも僕が居る病室では、窓際のベッドに割り当てられた人が必ず亡くなってしまう、という嫌なジンクスが看護師の間で噂になっているらしい。
統計的に見れば、それは高齢者がよくそこに割り当てられるからだ、という説が有力であり、ただの偶然が重なっているために変に噂されているだけ、とされている。
だが、そこの患者と接したことがある人たちからはそうじゃないと否定されている。というのも、その窓際のベッドに当てられた患者は全員、亡くなる前に必ずおかしな一言を遺すのだそうだ。
「あそこの屋根の上に人が立ってる」
今際の際に必ずこう言うそうなのだ。
確かに、二階に並ぶ病室から見える場所に、少し離れてはいるがぽつぽつと民家はある。
その中の一軒、赤い屋根の家を指差して、人が立ってると言い残し、その人は亡くなっていく。
それも、そこに割り当てられた人は必ず。
話を聞きながら、背筋に冷たいものが走る。
Aも先輩から聞いただけで詳しくは知らないようで、この話はここで終わった。
その話を聞いた次の日、僕の隣のおばあちゃんが亡くなった。
夜中に突然容態が急変し、そのまま亡くなってしまったということだった。
僕はその時の様子を伺っていたのだが、カーテン越しでよく分からない中でも、おばあちゃんが最後に呻きながら、「あの屋根の人……」と、そう呟いたのだけはハッキリと覚えている。
それから退院するまでの間にもう二人、高齢の方が僕の横のベッドに割り当てられ、そしてすぐに亡くなられた。
どちらもすぐに亡くなってしまうような重い病気ではなかったのに。
一人目は八十代のおじいちゃんだったが、話し方や記憶力もしっかりしており、時折冗談を飛ばしたりする快活な方だったが、ある日を境に全く喋らなくなった。
「最近元気がありませんが、どうしたんですか?」
そう僕が聞いた時、おじいちゃんはハッキリと「屋根の上の人が、こっちをずっと見てるんだ」
そう言ったきり、それ以上は何も話さない。目線もずっと窓の外を見ていた。
その翌日の朝、そのおじいちゃんは亡くなった。
二人目はおしゃべりが大好きなおばあちゃんだったが、僕が孫にそっくりということで気に入られ、よく話し相手になっていた。
お見舞いに来たお孫さんとも一度だけ顔を合わせたことが有るが、確かに同じ年頃で背格好も同じくらい。Aからも似ている、と言われた。
そのお孫さんがお見舞いに来た翌日の夜、おばあちゃんが震えた声で独り言を喋っている。
最初はよく聞き取れず、おばあちゃんどうかした? と聞いてみても、ブツブツと独り言を繰り返すばかり。
様子がおかしいので立ち上がって見に行こうとした時、おばあちゃんが呟いた。
「呼ばないで……○○、そんなところに呼ばないで……」
○○、と、ハッキリ孫の名前を呟いていた。嫌な予感がして、咄嗟にナースコールを押す。駆けつけたのはAだった。
隣のおばあちゃんの様子が変だ、と説明し、Aにカーテンを開けてもらう。
Aはその姿勢のままピタリと動きを止め、窓の方を直視しているようだった。
それとほぼ同時に、おばあちゃんが声を出した。
「屋根の上に……」
それから僕の退院日になり、僕はあの部屋から出ることになった。
病院を出る時、Aと軽く話すタイミングがあった。
「なぁ、あの時……何を見たんだよ」
僕がそう聞くと、Aは口を噤んだ。
「私が見たのは偶々だったんだと思う。偶々その瞬間そこに居たから、あれが見えたのかも」
俯いてから少し間があり、考えるような仕草をしたあと、Aは告げる。
「あなたにそっくりだった」
今でもその病院は開院しており、日々たくさんの患者が行き来している。
風邪や細かいことで通院するたび、たまにAに会うのだが、この話は意識的に避けている。
それでも一度だけどうしても気になり、屋根の話はどうなったのか聞いてみたことが有る。
Aはあれから二階の病棟に近づくのを嫌がり、詳しく知らないというが、噂では未だにあの部屋ではたくさん人が亡くなっているらしい。
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