第8話「今の日本」という物語

今の日本に住む人間は「今の日本」という物語に強い影響を受ける。その物語は40年前の「今の日本」の物語とはまるで別物だ。

 40年前頃の1980年代の日本の物語の特徴は、

右肩上がり、Japan as NO1、日本のものづくりが世界を席巻、日本が世界を買い占める?土地価格株価高騰、バブル経済、高級車ブーム、億ション、ワンレンボディコン、ディスコフィーバー・・・。

 日本は昇り坂の世界一だった。経済も社会も文化も全てが調子良く、なんでも上手くいき、世界中から評価され、勉強された。給料は安定して毎年上がり、生活は必ず昨年よりは良くなることが保証されていた。世相も浮かれ気味ではあったが一方バイタリティもあった。若者は都心に集まり、夜な夜な湾岸のディスコで踊り狂い、パリの有名な高級ブランドショップ店街では日本人の女子大生達が団体バスで乗り付け、高級品を買い漁った。お勉強していい大学入っていい会社に入れば一生安泰の生活が保証されていた。そういう道に進まなくても、お金が回る社会では何をしても何とかなった。一億総中流社会とも言われた。

 

 40年後の今の日本の物語の特徴はほとんど真逆だ。

日本の失われた10年、20年、30年と失われた年数は増えるばかり。付加価値と生産性の高い製造業は海外に移転し、国内には付加価値と生産性の低い業種、業態ばかりが残り、GDPは増えず、デフレは続き、給料も増えず、年功序列•終身雇用は崩れ、派遣社員ばかりに頼り、少子高齢化が言われ、右肩下りばかりの特徴が連なる。

社会のIT化は遅れ、行政の効率化も遅れ、企業はイノベーションを怠り、企業の盛衰は激しく、AI化で職種ごと職場が消えたりもする。希望の光が見えてこない。親よりも子どもが豊かになる保証はない社会になったとも言われている。

 何が失われたのだろう。政治力?行政力?ものづくり文化?大企業の挑戦力?収益力?若者の気力?総じて今の日本は活力が失われたとされている。内向きで、同調圧力のみならず最近は足の引っ張り合い合戦が横行し、批評と批判と否定が渦巻き、不安と恐れと心配に溢れて世間は閉塞感漂うネガティブモード一色だ。

 パンデミックに際しても、新型コロナ怖い、外出と旅行怖い、人と会うのも怖い、変異種が怖い、ワクチンも怖い、外国人が怖い、五輪も怖い、全てが怖くて不安だ。いっそ死んだ方が安心だ。こんな風潮にさえ感じられる。

 不安心理のパラドックスだ。

まるで落語の「犬のクソ」と同じだ。

落語の内容は、遠くに犬のクソを見つけた小僧が絶対に踏んづけまいと警戒するあまり、そして念入りに確認したいあまり、だんだん行為がエスカレートして、ついには犬のクソを食べてしまう話だ。「今の日本」はまるで悲劇を通り越して、そんな喜劇の物語になっている。

 日本の年間全死亡者も全感染病死亡者数も減少し、超過死亡はマイナスを示し、コロナ禍騒動のおかげで日本人の平均寿命が伸びたことなどは誰も話題にしない。TVは毎日明けても、暮れても全国の隅々から不安と怒りと哀しい話題を引っ張り出してくる。そうして、不安と不満と不寛容を煽り、全国民こぞって〝世も末物語″を創っている。


 総じて評価すると「今の日本」という物語はあらゆる階層、分野、業界、マスメディア、国民、政府があらゆる領域でゼロリスクを求めているように見える。

7つのゼロを公約にして首都の知事になった女性がいる。待機児童ゼロ、残業ゼロ、満員電車ゼロ、ペット殺処分ゼロ、介護離職ゼロ、都道電柱ゼロ、多摩格差ゼロ。結果はほとんど全てが実現ゼロ。それでも支持率は保っている。コロナゼロを唱える政党もある。科学的には合理性が無く、実現性が無くても国民に尤もらしく訴える。

 悲観主義で大げさに嘆き、憂い、演じ、言い放し、やりっ放し、成り行きまかせ。リスクとか責任とか実現とかからは逃げる。「逃げるは恥だが役に立つ」が横行する。

 今の日本の子どもたちに、大人は大真面目で破綻論理の人間教育をしている。

人に迷惑をかけるな、人と争うな、人と違うな、人より優れろ。そして何でもみんなの責任だ、そして何でもとにかく謝れ。

〝負″は全てダメ。〝ゆらぎ″もダメ。〝正″のみであれ。個の物語など尊重しない。失敗や学習プロセスよりも最初に結果を求める。意味のない連帯責任を強いる。

過剰に謝罪ばかりを求める。だから「うっせえわ」などいう女子高生の歌が流行る。希望は信用されず、競ってリスクと絶望感を探し求める「今の日本」の物語からはこの先、行けるところなど多分見つからない。

 万物はプルプル、〝在る(1)″と〝無い(0)″。そして、人間は〝正″と〝負″。

どちらかだけというのはあり得ないことなのだ。どちらかが無くなれば両方無くなり、〝ゆらぎ″のない完全な〝無い″に戻ってしまうのだ。それを人間は本能的に知っているはずなのだ。それなのにゼロリスクが「今の日本」の空気を支配している。要するに「今の日本」物語は終末物語なのだ。

 そういう物語が好きな人はそれでいい。毎日TVのワイドショーを見て、お笑いのMCと共に誰かの仕組まれた物語で、有名人の失敗や不幸や政治の揚げ足取りで無責任に絶望物語を楽しんでればいいのだから。しかし、ジジババはそれでいいとしても、未来を生きる若者はそんな物語に付き合う必要はない。

 

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