第7話「意識をどう意識するのか?」
万物の根源が〝無い”と〝在る″だけのものであるように、そして、プルプル、ユラユラのエネルギーであるように、
人間が20万年の文化文明の発展によりゲットした、高度情報化社会を支えるディジタル技術の根源が〝0″と〝1″だけの存在であるように、
人間の生命が鼓動と呼吸で維持されているように、
「人間の意識」も単純な原理が原点になっているように思える。
それは〝正″と〝負″という概念だ。
真-偽 善-悪 美-醜 愛-憎。すなわちそれが正と負。
喜怒哀楽の感情も基本的にはプラスとマイナスの振幅だ。
概して言えばそれもまた〝ゆらぎ″に相当するプルプルエネルギーの現れと言えるのかもしれない。
ゆらぎを繰り返し、覚醒意識とレム睡眠による潜在意識により無限大に〝正″と〝負″が紡がれ、物語が創られていく。
それを人間は様々な状況で、様々なその働きで、いろんな言葉で表現している。
「想い」「気持ち」「考え」「意見」「ひらめき」「直感」「イメージ」。
そして、こうした意識(心)の変遷が一定期間出来上がり、一個の人間の生まれた始まりから死ぬ終わりまでの部分をパッケージ化し、〝人生″と称したりもしている。
一方で小説や漫画や脚本、映画やドラマやアニメなどをフィクションと呼んだりして、リアルと区別したりする。しかしそれは人間が都合よく区分しているだけで、フィクションもノンフィクションも「人間の意識」によって創られているには違いないので、「超越自然」としての視点では両者ほとんど同じようなものだと思う。
物語は「自分」という一個の意識で創られるが、世界78億人の「自分」の意識が集約されると「時代」という物語になる。その物語により、個の物語は強い影響を受ける。万物の大元はエネルギーなのだから78億人のエネルギーの影響を受けるのは当たり前だ。
その「時代」は地球全体に在り、国にも在り、会社、地域、家族にも在る。南海の孤島に一人で過ごさない限り、決して「自分」は単独では存在出来ない。「時代」は現在のものだけでなく20万年分在るので、それらの影響も受ける。
良い影響はそこから多くを学び、「自分」の良い物語創りに活かして利用することだ。
悪い影響はそこから学ばず、恐れ、拒絶し、結果として「自分」の物語が見えなくなってしまうことだ。それが見えなくなると、迷走を始める。迷走が発散するとどん詰まりになったりもする。元々は全てが物語なのだから、気楽に自分の理解したいように理解すればいいのに、他人の理解や邪悪な目的で脚色された理解などに左右されると迷走しがちだ。
「時代」の物語は社会、世間、メディア、を介して感じたり、会社、学校、家族、友人からも様々に伝えられる。そのあまりの大量さとその尤もらしさに、小さな子どもなどは必要以上に強い影響を受けてしまう。そして恐れや不安を抱いてしまう。
良い影響を受けるように保護、サポートしないと直ぐ迷走してしまう。「自分」の物語を上手に創るには、その創作能力を時間をかけて養わないと出来ないのに、その前に他の物語で強く支配されてしまうと、「自分」の物語が創れず、他の物語に翻弄されたり、依存してみたりして、川に浮かべた木の葉のように流れに流される物語になってしまう。
「時代」の物語は、今や高度情報革命により、巨大な砂嵐のように「自分」の物語に襲いかかる。それは学ぶには好都合ではあるものの、余りにも大量で尤もらしいので、選別したり、遮断したりして過度に影響されたり、流されない為の防御能力も必要だ。その上でしっかり、着実に、焦らず時間をかけて「自分」の物語を紡ぎ、創っていくようにしなければならない。
物語は無限大にある。全てに影響を受ける必要はない。嫌いな物語は拒否し、好きな物語を選び、時には共有したり、共作したりすると楽しくなる。
創作の展開が行き詰まったり、つまんなくなったらサッサと変えればいい。物語はいくらでも創れるし、自由に創れる。
「自分という意識」は本来自分だけのものなのだが、そうかと言って決して自由創作をする条件が保証されている訳でもない。南海の孤島に行けば学べなくなるし、情報の砂嵐の中に居てボヤボヤしてると吹き飛ばされてしまう。
助けたり助けられたりする関係、物語を共有したり、共作したりする関係、自由創作を理解し支援してもらえる関係、様々な関係を沢山作るのが有効だったりする。
もちろん「自分」の物語の創作をしっかり作り上げる創作能力が最も大事になる。
超越自然の「意識」は〝ゆらぎ″によって営まれる。そこには〝正″と〝負″がある。真善美愛はいいが偽悪醜憎は拒否という訳にはいかない。両者はワンパッケージなのだから。感情も同じだ。喜怒哀楽もワンパッケージ。
そして何より大事なのは創作を愉しむことだ。創作は本来自由なものだとしっかり身につけることだ。改訂、書き換え、削除、引用、添付、全て自由だと思えばいい。
そしてさらに何より大事なのは物語を創る能力は「超越自然」だということだ。それは〝在る″と〝無い″、〝正″と〝負″を無限に紡ぎ、無限の物語を生み出せるということだ。
見たこともない宇宙生誕138億年もの物語を創れる科学者がいるということは、宇宙生誕138億年を絵に表すことや、文や映像に現す芸術家もありえることを意味してる。
「時代」は管理社会にがんじがらめになり、閉塞感に満ち、少子高齢化の元で経済の活力も無くなり、若者はみな病み、地球温暖化により災害が頻発し、そして感染症によるパンデミックが発生し、世も末だ・・・、なんていうような物語もマスメディアや評論家の創った営業用の物語だったりする。
過去の歴史で世も末だなどと言われたのは多分何百回もあっただろうが、未だかつて終わりになった試しはない。世はこれからも100億年以上続く。
そんな物語をせせら笑いようにMLBで毎日のようにホームランを打って爽快な物語を創ってる人もいれば、都会から伊豆半島に移り住みSDGsの活動に全力投球している人もいる。都会の片隅でせっせと自分だけの物語を創ってる人ももちろん沢山いる。人それぞれ自分らしく、自分が愉しめる物語を創る。
「超越自然」たる人間の意識(心)はそれを可能にする全ての人間に備わったスーパーパワーなのだ。
どれだけの物語に触れることができるか、
どれだけの物語を紡ぐか、
どれだけの物語を演ずるか、
どれだけの物語を実現するか、
人間は物語を楽しむ超越自然なのだ。
私自身も「自分」をそういう物語として創作している。
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