第3話「万物?」
どんな学問でも突き詰めていくとやがて神に近づくと言われている。宇宙飛行士が宇宙に飛び立って青い地球を眺めただけで神を感じるというエピソードもよく聞く話だ。宗教、哲学に限らず、神はいろんな方向から意外と直ぐに近づいたり、感じたりできるものらしい。
そこで純理論系学問である数学で神に近づけるのか、超簡単な計算をしてみる。
★1×0=の答えは?そう0が正解。
計算問題の意味を言葉で表すと、1という〝在る″ものがどれぐらい在るかという設問なのだが、この場合はどのぐらいというのが〝無い″のだから答えは無い、すなわち0となる。
では次。
★1÷0=の答えは?これは少し難しい。
無限大♾と答える者がいるが、それは不正解だ。
〝在る″ものの中に、〝無い″ものがどれぐらい含まれるか?単純に算数計算してみる。
1/0=X →1/0×0=X×0 →1=0
1を無限大に置き換えても答えは同じになる。これが正解。
すなわち、〝在る″と〝無い″は等しいという答えになる。それが万物の本質なのだと数学は導くのである。
次に素粒子物理学方面から眺めてみる。万物の最小系を極限まで観察する。
物体→分子→原子→原子核=陽子→クオーク
ここまでは物理の教科書レベルの常識だ。
では、さらにその先の最小単位は?
それは〝ヒモ″であるという仮説(超ヒモ理論)が今や物理学の世界では主流の学説となっている。〝ヒモ″は輪ゴム状、U字状、S字状様々にあるが、総じてそれはプルプル振動している単なるエネルギーという存在なのだ。すなわち万物の最小単位は形ある物体ではなく無形のエネルギーというものなのだ。それがクオークの物理的な状態という学説なのである。
人間が電子顕微鏡を使い、肉眼で確認できる最小単位は原子なのだが、その単位で眺めてみても原子核をサッカーボールに見立てると、原子の周りをクルクル回っている電子は旅客機が飛んでる1万メートル離れた所に相当するのだとされる。すなわち原子の粒は相当スカスカしたものであり、殆どの部分は何もな い空っぽ(真空)のものだということらしい。
分子の世界も同様らしい。例えば毎日お世話になってる空気がある。主要な分子成分は窒素、二酸化炭素、酸素、水成分などで、それぞれの構成比率もわかっている。それらの構成比率は合計するとほぼ100%になると一般的には表されている。ところが体積の中でそれらの分子の体積の合計値が占める比率は0.1%ぐらいにしかならないらしい。これはどういうことでしょう???。すなわち、空気の99.9%は〝無″という真空部分により体積が構成されているのだ。それが学校で教わる教科書には書かれていない科学的な事実なのだ。生きていくのに欠かせない空気、その大部分も体積比率で観るとじつはほとんどは空っぽなのだ。
それは宇宙でも全く同じことが言えて、満天の夜空を照らす無限にも見える星の数々は、殆どが銀河なのだが、銀河と銀河、星と星は全てとんでもない距離に離れていて、その空間はもちろん真空。宇宙の殆どの部分は空っぽ、すなわち真空であるというのが科学的に究明されている事実なのだ。。
要するに宇宙は基本的に殆どが空っぽの〝無″というものであり、点在している物質と称されている物も実はスカスカなものであり、最小単位はプルプルしているだけの目に見えないエネルギー体(ゆらぎ)であり、極大から極小まで観察した万物は実はほとんど空っぽのものでしかないというのが科学的に究明された真実なのだった。
空っぽ(真空)は〝無″であり、〝0″である。従って人間は通常それをカウントしない。しかし万物のほとんどはそのカウントされない〝無″によって占められているのだ。
仏教の教典の一節には有名なこのフレーズが記されている。
「色即是空、空即是色」
その意味するところは「およそ物質的現象というものは,すべて実体がないということである。およそ実体がないということは物質的現象なのである」
と解説されている。
人類は科学が充分発達していない時代に、すでに〝在る″と〝無い″が等しいことを直感していたのだ。素晴らしい想像力だ。
万物はまるで雲のようなものなのだ。雲は地上から様々な形に見え、時に動物や食べ物や人の顔に見えたりするが、飛行機に乗り、雲の中に入る体験をすると、それは単なる水蒸気の微細な粒にすぎないことを認識する。そんな実体が無いというものが実は万物の正体だったのだ。
万物は〝在る″ようで実は〝無い″もの。
1=O
という不思議なものなのである。
万物の一部である人間も当然エネルギー体の雲、すなわちクラウド状のスカスカしたエネルギーの集合体で在るということになる。人間の目という器官で見るとそれが人間という映像に見えているという存在なのだ。雲をソフトクリームに見立てるということと何ら変わりない。まずその認識が基本になる。
エネルギーの〝ヒモ″の無限大の集積であり、霞のようなスカスカの人間は、正に雲のようなものであり、そのほとんどは〝無″で占められている。従ってその人間の「自分」という認識も意識も物理的には実は何の実体も無いものなのだ。「自分」は「自分の創作した虚像」そのものであり、実際「自分」の肉体が寿命を迎え、やがて朽ち果て、元々の原子分子に戻ると「自分」も「自分の人生ドラマ」も数々の「自分の思い出」もあっという間に消失し、〝無″に帰する。
プルプルしたエネルギー体は原始的な肉体を持った有限な命のある人間という構造体を作り、それを介して、ある一時期、意識を創り、様々な形、姿、イメージ、イメージストーリーを創作する。
一方で、人類が20万年かけて獲得した高度情報社会を創り出す半導体、コンピューター、AIなどのスーパーディジタル技術の根本原理は0と1を無限に組み合わせた二進法の数学である。その技術で現在はCGを駆使し、三次元技術を駆使し、音声ディジタル編集技術を駆使してまるで現実と見間違うようなイメージとイメージストーリーを創ったり出来る。例えば現代日本で初音ミクというボーカロイドとアニメのキャラクターが開発され、それが世界各地で公演され、多くのファンを熱狂させている。しかしその熱狂をさせてる対象全ての大元は、ただの1と0の数表データで出来た霞のようなものなのだ。
人間という実像も、人間が創り出した初音ミクという虚像も基本的には同じ原理の上で‶存在″しているのだ。
この世の全ては1と0、すなわち〝在る″と〝無い″の存在。
〝在る″と〝無い″で出来た実体はないが存在はある、プルプルエネルギーな存在。
これが神の創造による万物の正体だったのである。
では、〝在る″と〝無い″と「自分という意識」はどういう関係にあるのだろうか?
だんだん超越自然の深い秘密に迫っていきたい。
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