第5話(後) 裏市

 市場へと入ってエネシアがまず驚いたのは、だった。


 鼻の捻じ曲がるような強烈な獣臭と鉄臭い血の匂い、中には魚介類の磯臭さも混じっており、酷い激臭のオンパレードである。


 鼻を手で覆いながら商品を物色していく。


 バジリスクの翼にジャイアントクラーケンの目玉、ワーウルフの肉、スライムの残骸……。


 順調に御目当ての品を買っていくエネシアであったが、残り一つがどうにも見つからない。すっかりここの猛烈な刺激臭にも慣れて鼻を覆う必要がなくなるまで探したのだが、どうにも見当たらないのだ。


「コカトリスの卵……」


 それもそのはず。


 コカトリスはAランクにも相当する大変危険で獰猛なモンスターで、その卵となるとこのような村外れの矮小わいしょうギルドには到底出回ることのない代物だ。


 その辺の商人らしき人に所在だけ聞いて、無かったら商店街で卵でも買ってこよう……。


 そう思ってエネシアは後ろを向いている一人の老婆に話しかけた。


「コカトリスの卵ありますか?」


「……コカトリスだってえ?」


 エネシアの質問に、老婆は振り返って答えた。


「アンタね、こんなところでそんなの要求するんじゃないよ。大体ここらで冒険者なんて呼ばれている連中は皆ロクでなしのグズ共なのさ」


 老婆の物言いにはとてもとげが感じられて、周りにいた冒険者らしき装いの男たちも老婆を遠巻きにいぶかしんでいる。


 しかし老婆はそんなこと気にも留めないという調子で続ける。


「酒飲んで寝るだけのグータラ共だ。ウチの出不精だんなとまったく変わりゃしない。ざっこいモンスター一匹討伐した程度で舞い上がっちまうみみっちい奴らだよ」


「……おい」


 あまりにも好戦的な老婆の物言いに、流石に我慢ならなくなった男たちはエネシアを気にせず老婆に詰め寄った。


「さっきから聞いてりゃなんだいバアさん。えらく調子乗ったこと言うじゃねえか。冒険者がロクデナシだ? ギルドの規約さえなけりゃあ今すぐにでもその首がねられるってことを忘れちゃいけねえ」


 この男連中の代表らしい図体の大きな隻眼の男が、老婆の鼻先に胸板が当たるくらいまで近付き高圧的な目で見下ろす。


 周囲で老婆を取り囲む男たちもニヤニヤと下卑げびた笑みを浮かべて、やれかっちょいいだの、やれやっちまえだのとはやし立てる。


 the・チンピラといったやから共だ。


「だあれが調子乗ってるって?」


 突如、ここにいる者全ての腹の底に、深く響く低音が老婆の口から発せられた。


 一瞬にして静まり返る市場。


 老婆はそんなことを気にも止めずに、胸元のポケットから何やら一枚のカードを取り出した。


 黒光りし、枠が金で縁取られたそれは……


「え……Sランクカード……!!」


 怯えたように喉を震わせ、隻眼男が一歩後ずさる。


 しかしそれを逃さぬといった空気を纏わせ老婆が詰め寄る。


「まあ、引退した身だけどねえ」


 ランクカードというのは、冒険者ランクを示すギルド公認の認証カードのことである。


 通常、冒険者というのはFランクから始まり、実績を残した者はE、D ……とランクが上がっていく。


 Bランクでも五段階ランクの上がった上級者と言えるのに、Sランクはその上のAランクの更に上。


 老婆は引退したと言っていたが、それでもその実力は未だ衰え知らずなのだろう。


 そう思わせるだけの貫禄が、彼女にはあった。


「忘れちゃいけないよ。ここで商人やってる奴らは皆アンタら弱小冒険者よりもよっぽど経験積んだ猛者たちだ。規則に感謝するのは――」


 隻眼の代表を始めとした男達が老婆の言葉に周りを見回すと、市場の視線は彼らに集中していた。その目はまるで……


「アンタらのほうだよ」


 殺気


 目の前の老婆や、男たちを取り囲む人々は正に殺気立った目をしていた。


「さっさと討伐してきなっ!!!」

「さ……さーせんっしたああああ!!!!」


 男たちはもはや涙目で尻尾を巻いて逃げ帰る。


 そんな大人たちのやり取りを目の前で見ていたエネシアは、言葉の意味こそほとんどわからなかったが、この老婆がとんでもなく強いこと、チンピラ共が口程にもないということを知った。


「このところたるんでるから、いい刺激になりゃあいいけどねえ。まあ、あれは強くならんか」


 老婆はすっかりチンピラを撃退したときの殺気に満ちた顔ではなく、エネシアが話しかけた時の気難し気な顔に戻っていた。


「す……すごい」


 呆気に取られていたエネシアは、知らず知らずのうちに口からそんな言葉が漏れ出ていた。


「ああ、すまない。ヤなもの見せちまったね。そういえばコカトリスの卵が欲しいんだったかい?」


「あっ……はい」


 エネシアが遅れて返事すると、老婆は「ちょっと待ってな」と言いながら裏の方へ入っていった。そうして再び老婆が戻ってきたときに手にしていたのは、卵だった。


 老婆が両手で抱えてやっとの大きさである。


「コイツがコカトリスの卵だよ。全く酔狂すいきょうなモンだね。こんなので何するつもりだい」


 そう言って老婆が目の前で見せてきたコカトリスの卵は、エネシアの顔面ほどの大きさで、何やら禍々しい緑の色合いをしていた。


 老婆はエネシアの驚く顔を見て満足そうな笑みを浮かべている。


「いくらですか?」


 エネシアが聞くと、突如老婆がプッと噴き出した。


「いくらか、だって? アンタ強かだねえ! 普通はもっと吃驚びっくりするだろうに!」


 老婆はどうやらエネシアの質問がツボに入ったようで、ひたすらにケタケタと気味の悪い笑い声を上げている。


 正直、チンピラを蹴散らしたときの数倍エネシアの目には恐ろしく映った。


「アンタ気に入ったよ! ソイツは無償であげる。アタシも使い道に困ってたからねえ」


 ようやく笑い終えて呼吸を整えた老婆は豪快にもそんなことを言い出した。


 でも……とエネシアが食い下がろうとすると、老婆は続けた。


「それに、プロシアの妹だからねえ。邪険にはしないさ」

「っ……!」


 唐突に登場する姉の名前。


 エネシアは言葉の続きを失ってしまった。


「ほら、持ちな。重いよ」


 困惑するエネシアに老婆は言って卵を渡す。


 そのあまりの重量にエネシアはハッと我に帰った。


 まるで赤ちゃんを乗せているかのようなずっしりとした重みがエネシアの両手のひらに集中する。


「プロシアによろしく伝えといておくれ」


 卵の後ろの老婆は、早く帰れと催促するように手を振っている。


 そのことについてエネシアは山ほど聞きたいことがあったが、両手がとんでもなく重い卵で塞がっている以上長居はできない。


 今でもエネシアは顔を真っ赤にして卵を持ち抱えている。他の買い物も腕に引っ掛けてあるので余計だ。


「あ……ありがとうございました」


 一刻も早く家に帰ろうと、老婆に感謝を伝え市場を後にする。

 



 卵を落とさぬよう、慎重に歩くがためにひょこひょことした頼りない足取りになっているエネシアの後ろ姿を見送りながら、老婆はボソリと呟いた。

 

「あの子、あれで一体何作るつもりかね」



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『スキルのない私にはこれくらいのことしかできません!』五話を読んでくださってありがとうございます!


誠に図々しい限りですが、気に入りましたら応援、コメント、フォローして貰えると嬉しいです!


最新話投稿の活力に繋がります!(切実)

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