仲間外れの泡は陸を目指して弾ける
※『デス・リベンジャーズ』の番外編(太陽編)です。
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色鮮やかなパラソルが並ぶ砂浜を、キャーキャー騒ぎなら女の子達が駆けていく。
その後を追うのは日に焼けていない白い肌をむき出しにしてはしゃぐ男子達。
絵に描いたようなリゾート地。楽しさがせめぎ合い、純白な幸せが集う場所。
灰色の僕にはなんだか居心地が悪くて、僕は先生の目を盗み、一人で海に入った。
泳ぎは得意だ。小学生の頃はスイミングスクールに通っていた。才能があるなんて言われたこともある。特に潜水が得意で、プールの底に落としたイガイガを拾う遊びは誰にも負けなかった。
実際小学三年生までは教室で一番の成績だった。
それも一時のことで、他県からの転入生が来たり努力家の同い年が急に才能を開花させたりがあって、気がつけば順位は下がっていったけど。
コポンコポンと耳元で水が弾ける。波があるから、音が水上と水中を行き来する。
口に入った水は塩を振りすぎたゆで卵よりもずっとしょっぱい。生臭くて、生温くて、僕は今自然の中にいるのだという実感が湧く。
プールの中と違ってなんて泳ぎづらいんだろうと思う。それでも僕はクロールを続ける。
海が生命の源だという話は理科の教科書を見て知った。だから生命は本能的に海を求めるのだという詩は国語の教科書から。
自由時間だし気まぐれに泳いでみようかと思ったのは、教科書から教わったことを体験してみようと思ったからなのかもしれない。
けれど僕には生命の進化を感じる知的センスも、海に安らぎを覚える文学的センスもないみたいだ。
ただただ、波と一緒に体にまとわりつく水の質量が不快だと思った。
浜辺から何メートル進んだだろうか。白っぽい砂だった海底は黒っぽい岩へと変わっていった。魚も少しずつ増えていく。
クロールする手を魚達がしつこいぐらい口の先で突っついてきて痛い。
そういえばこの辺りではシュノーケルを楽しむ人々がパンくずをよくばらまくそうで、餌を期待した魚がよく寄ってくるのだと浜辺にいた誰かが話していたっけ。
ごめんよ。餌は持ってきていない。
僕の気持ちには一ミリも気づかないで、魚達は僕の手に食らいつくのをやめない。痛い。痛い。小さいくせになんて力だ。
しつこい攻撃に耐えかねて、僕はクロールをやめた。
出る杭は打たれる。出る釘じゃないよと両親が笑いながら教えてくれた言葉だけど。
その言葉の意味はなんとなく理解出来た。
クラスで目立っていい奴は決まっているんだ。
面白い奴。頭のいい奴。ルックスのいい奴。
生まれた時からそうやって生きていいと神様に保証された特別な奴らだ。同じ場所にいるのに、僕とは全く別の世界で生きている人達。
何の取り柄のない僕は、せめて人と同じようになりたかった。
なんとなく友達を作って、なんとなく楽しいことをして、なんとなく青春して、いい感じの思い出を作って。
高望みしたつもりはなかった。そんな資格がないことくらいわかっている。
なのに。なのに。どうしてああなったのか。
水面から顔を出してみると、沖に丸い物がプカプカと浮かんでいるのが見えた。
キングスライムならぬキングピンポン玉みたいなあれ、名前はよく知らないけど、あれにはロープが結びつけられていて、そこから手前が遊泳エリア、その先が遊泳禁止エリアになっているらしい。誰かに教わったわけじゃないけど、多分そう。
あのロープの先にはどうして行ってはいけないのだろう? サメでもいるんだろうか。行ったら足からパクンと丸呑みされるんだろうか?
そんなわけないだろと、心の中で面白くもない突っ込みを入れる。
でもあのロープの先が死の世界だとして、安全な場所から覗いてみるのは悪くないかもしれない。
僕はもう一度クロールを始める。
あれだけたかっていた魚達は僕が餌をくれないと見切りをつけたのか、いつの間にか姿を消していた。
沖に近づくほど波は穏やかになる。まとわりつくようだった水の質量も気にならなくなってきた。
照りつける太陽は水の中にいるとポカポカと温かくて、ユラユラと波打つ水面に身を任せているだけで心地いい。
――海は生命の母。大きくて、青くて、優しい場所。
今なら教科書に載っていた詩の意味が理解出来る。もしかしたら僕にも文学的センスはあるのかもしれない、なんて。
あの詩の続きはどんな感じだったっけ。
――陸が苦しいのは、きっと命が海を覚えているから。
なんとなくでも覚えているものだな。記憶力は悪い方だと思っていたのに。
――水底に忘れてきた安らぎを求めて、わたしは海に潜った。
確かそんな終わり方をして、この後『わたし』は何をしたでしょうかなんて作文を書かされたんだ。
僕はなんて書いたんだっけな。
クロールをする手がふと止まる。モノクロだった目の前が急に色鮮やかになったからだ。
ロープから垂れ下がる網の先、深い崖を覗き込むと、赤と黄色と緑が揺らめく青い世界が広がっていた。
テレビで見たことがある。サンゴ礁だ。
枝みたいなサンゴが波に揺られていて、色鮮やかな熱帯魚達が泳いでいる。
ロープの先にある世界は深く仄暗い死の世界だと思っていたのに。どちらかと言えば竜宮城、綺麗なお姫様達でも出てきそうな美しい場所だった。
あの場所に行ってみたい。たとえあそこが死の世界だとしても、きっと今いるモノクロの世界よりはマシだろう。
思わず頬が緩んでしまうほどの高揚感。
越えてはいけない一線に手を伸ばす背徳感。
今なら何でも出来る気がする万能感。
ふつふつと湧き上がってくるそれらを抱えて、僕はロープを越えた。そして大きく息を吸うと、深く潜った。
潜水が得意でよかったと思う。塩素のにおいまみれになりながらイガイガを拾い集めていたあの日々が今になって役に立つなんて。
陸からやってきた僕の体は泡まみれで、水を掻く度に体から剥がれた白い粒が水面へ向かっていく。
そうやって泡を脱いでいくほど僕は海に近づくような気がした。
灰色の僕が色の世界に落ちていく。
色が侵食して、僕は初めてカラフルになる。
サンゴを避けて岩に手をつき、体勢を安定させる。サンゴのうねうねの中を小さな魚達が戯れるように泳いでいる。
なんて言うんだっけ、あのオレンジ色の魚。ディズニーに出てくるなんとか。
そうだ、ニモだ。映画の内容は知らないけど、ニモって名前だけはわかる。
本当にいるんだ。作り物みたいなのに本物なんだ。
僕が指先をそっと近づけるとニモが寄ってきた。案外人懐っこい。サンゴみたいに指を二本立てて揺らすと、その中を通っていった。結構可愛いじゃないか。
もっと色んな色に触れたくて、僕は更に潜水する。
飛行機に乗った時みたいに鼓膜がキンとする。あくびをするように口を開けてみると、シュボとくぐもった音がして痛みが消えた。
シマウマみたいな白黒の奴、水族館のマークみたいな三角形の奴、コンビニ弁当のたくあんみたいにビビットな黄色の奴。
海の中ってこんなに沢山の生き物がいるんだ。上も下も右も左も生き物だらけ。すげー躍動した世界。
なんて居心地がいいんだ。自分の部屋よりも、学校の教室よりも、寂れた公園よりも、ずっとずっと安らげる。
僕の居場所はこんなところにあったんだ。
あの時授業で書いた作文は覚えてないけど、今の僕ならこう書くんだろうな。
水底で安らぎを見つけた『わたし』は魚になって一生そこで暮らすことにしました。お父さんとお母さんと別れるのは寂しかったけれど、ここには『わたし』の机にゴミを投げつけてくる友達もいないので、とても幸せです、と。
いや、やっぱりやめだ。これは絶対後で黒歴史になる。文才のない奴が書いたポエムほど痛いものはないだろ、実際。
水の中で吐き出した笑いは大きな泡になって、ユラユラ揺れながら水面へと昇っていった。
もう手の届かないところまで泡が離れてから、僕は慌てて口を押えた。
息が苦しい。
海の中であんなに息を吐いてしまったんだから当たり前だ。その瞬間、嫌というほど思い知らされる。
僕は海の中にはいられない。陸の生き物なんだ。
「くっ……!」
久しぶりに安らぎを感じた場所だったのに、体はドクドクと脈打って音のない悲鳴を上げる。生きたいなんて思ってないのに、酸素が欲しくて気が狂いそうになる。
陸に戻ったところで待っているのは疫病神と罵ってくるクラスメイト達と、僕のことなんて微塵もわかってくれない親だけ。
生まれながらの不幸体質。大人達は気のせいだなんて無責任に慰めるけど、周りの子供と僕はわかっていた。
僕はどこか妙だったんだ。
僕に近づいた人は酷い事故に遭って、気が触れてしまう人だっていた。僕が近づくと何故か運命が不幸に変わってしまう。本当に疫病神なんだ。
不幸を振りまく厄介者。生きている価値がない。
「かはっ!」
なんで息をしているのかわからなくなるような灰色の世界。
どこかへ逃げ出したくて、けれどどこにも行けなくて、地縛霊のようにそこにいるしかない息の詰まるような場所。
やっと逃れられたと思ったのに、自由で安らげる海の中の方がずっと息苦しいなんて。
ああ神様、もしそこにいるのなら僕に息をするエラをください。海の中を自由に泳げる尾ひれをください。なんも考えてないようなアホ面で、口をパクパクさせるだけの存在で一生を送ることになったとしても構いません。どうせ僕のことなんて誰も気にやしないのです。
だからどうか僕をこの場所にいさせてください。
強く、強く願っても息苦しさはなくならない。空気と同じで目に見えないくせに、水は温かく僕を包み込んで窒息させる。
異物を排除するように、僕の口から出た泡を上へと追いやって。
そうか、そんなに僕は邪魔なのか。無気力になった僕をうざったい生存本能が水面へと導く。
水圧の変化で針が刺すように耳が痛む。それでも酸素が欲しくて浮上して、水面から出た瞬間あばらが軋むほど息を吸い込んだ。
「うあああああ!」
気がつけば叫んでいた。なんでそうしたのかはわからなかった。
泣きたかったのかもしれないし、呪いたかったのかもしれない。
とりあえず僕にこんな大きな声が出せることに結構驚いた。誰も聞いちゃいないけど。
「おい、君、大丈夫か!」
「……え?」
いや、聞いている人がいたみたいだ。ロープの向こう側を泳いでいたライフセーバーの人。僕の声に気づいて、ローブを越えて、こちらへやってきて、僕の体を抱えた。
「もう大丈夫だ。このままビーチへ行くから、力を抜いて」
「すみません。本当すみません」
「喋らなくていい。ほら、いくぞ」
なんて情けない。勝手に遊泳禁止エリアに出て、人様に迷惑をかけるなんて。
僕は結局陸の上でしか生きられない。浦島太郎にも魚にもなれないただの人間。どこへ行っても陸に戻される。
そんなことはわかりきっていたのに、叶いもしない子供じみたことを願って、勝手に失望して、一体何をやっているのだろう?
あんなに青くてカラフルだった海は遠のいて、僕の足は浅瀬の砂を掴む。
陸に出た体は浮力を失ってとても重かった。
居心地の悪い陸。息の出来ない海。
どちらからも拒絶されたような気がした僕は、頬に伝うしょっぱい水を静かに拭った。
〈終わり〉
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