森へ(2)



「何かあったの?」

「姫様がお気になさる事ではありませんから。さぁ、お着替えを致しましょう」


「気になるから、話して?」


すがるように見上げながら食い下がると、マイラは躊躇ためらいながらも言葉をくれる。


「それが……レティシア王女様が、雨の中でお怪我を。知らせを聞かれたラエル殿下が早朝から駆けつけられたので、皇宮内がちょっとした騒ぎに……」



———なんですと。



「あっ、いえ……お怪我と言っても、お命に関わるようなものではないのですよ。骨折ですって……左足の。あら姫様っ? そんな風にひどく案じられなくても」


(いやいや、驚いているのは怪我のことじゃなくて! あ……もちろんレティシア様の事は、心配ですけれど……)



——お兄様が、と!!



「そ、それって……ラエルお兄様は……今日は戻って来られないって事、よ……ね?」


レティシア王女はラエルお兄様がとても大切にしているお兄様の婚約者だ。怪我をされたと聞けば、あの優しいラエルお兄様なら飛んで行って当然だと思う。


「ア、アルベルトお兄様はっ?! 今日、何をされているか、マイラは知っている?」

「アルベルト殿下は、ラエル殿下の代わりに陛下とご公務に就かれると聞きましたが」


この瞬間にエリスティナのは打ち砕かれた。


ようやく開けた長雨。

窓の外はキラキラと、光の妖精が舞っている。


(待ち侘びていた、こんなにも素敵な日に。出かけないという選択肢は無いでしょう……!)







マイラに馬術の練習をすると言えば、快く支度を手伝ってくれた。


手早く朝食を済ませてうまやへと向かう。もう何度も一人きりで訪れている場所だから造作はない。

いつか嵐の夜、怖がる愛馬の首根っこを抱きしめて、一晩 ここで眠ったこともあるのだから。


「アンドリュース!」


真珠の粒を集めたみたいに艶やかな白馬の愛らしい黒目が、エリスティナをじっと見つめていた。


「……昨日の豪雨、怖かったわね。大丈夫だった?」


主人の顔を見て、白馬の目の輝きが増す。ブルン! と嬉しそうに鼻を振るわせて、は甘えるように首をもたげてくる。


「さあ、お出かけしましょう! 今日はあなたとわたしのだけれど、こんなにいいお天気ですもの。平気よねっ」


心地よい風と光を頬に受けて、エリスティナは愛馬の手綱を力強く引いた。




豪雨のあとのみちには点々と水溜りが残っていて、まだ随分とぬかるんでいる。

軽快に弾む馬の背の上に堂々と跨るその背中には、高い位置でまとめられた髪——まさにポニーテールが、と同じ調子リズムで左右に揺れていた。


「アンドリュース、水溜りに気をつけて……!」


森への抜け道なら、兄たちと何度も出かけているので良く知っている。

流石に皇城を囲う壁の外にひとりで出るわけにはいかないけれど、少し走れば景色の良い場所まで行けるのだ。


嵐のあとの空は高く澄んでいて、耳に届くのは規則的な蹄と爽やかな風が木々を揺らす音、微かな鳥のさえずりだけ———。



♪ ラ〜ラ〜ル ラ〜



上機嫌で鼻歌の続きを歌うエリスティナ。

城を出てから十分と走らないうちに、は起った。



イイイーーーーーン!!!



突然、アンドリュースが足を止め、大きく後ろにのけぞる—— ……


黒っぽい、けもの


子犬ほどの大きさのけものが、物凄い速さでアンドリュースの足元を横切ったのだ。



…… ———— 今のは、何っっっ!?



あっ、と声を上げる刹那すら与えられないまま、グラッ………。

身体が宙に浮いていた。


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