11-09-賽のゆくえ

 みんなが出払っているので当然だが、とまり木の翡翠亭に入っても人の気配がなく、驚くほど静かだった。

 入口扉の上部についている鈴の音や、階段を上がるふたりぶんの足音がやけに大きく聞こえる。


 上りきったところで鈴原と別れ、それぞれの部屋へ。

 なぜかアッシマーと俺が住む部屋だけ扉が開け放たれていた。


 部屋のなかは出かけたときのまま、オルフェの砂が詰まった革袋がいくつも積み重なっていて、作業台に載ったままのオルフェのガラスが、アッシマーがぎりぎりまで作業をしていたことを仄めかしていた。


 俺から見て作業台の奥──俺のベッドの隣にあるストレージボックスの前で、膝をついてなにやら作業している人影があった。


 女将だった。

 彼女は猫耳をひょこひょこと揺らしながらふんふんと鼻歌を口ずさむほど上機嫌な様子で、俺の帰還に気づいた様子すらない。


「あの……なにやってんすか」

「ふんふん……ふん?」


 女将は俺の登場に驚いたそぶりも見せず「ありゃ、ばれちゃった」と、ちっぽけなイタズラがバレた幼子のように舌を出してみせる。


 まさか俺の荷物に手をつけているんじゃ……なんて勘繰りがほんの一瞬だけ脳裏をよぎったが、登録者以外は中身を取り出せないストレージボックスの堅牢なセキュリティと、これまで過ごした女将との日々がつまらない考えを打ち消した。


「さっきさ、魔石もらったでしょ? その恩返しってやつさ」


 女将は「開けてみな」と俺のストレージボックスを指さす。

 女将がいる手前、いつもよりそうっと荷物を置き、誘われるままストレージボックスに手を触れた。


──────────

《ストレージボックス》

LV2 → LV3

─────

容量 100 → 150

金庫容量 1ゴールド → 1ゴールド50シルバー

──────────


「以前、綾音にストレージのレベルを上げてもらえないかってお願いされたことがあってさ。ダンベンジリたちから貰った素材もあったし、みんなの部屋を順番に回ってた、ってわけ。あんちゃんのストレージで最後だよ」


 ああ、シュウマツの報酬が多すぎて、とくに金がストレージに入りきらなくて困っていた。

 大金を持ち運んでモンスターにやられて所持金半分ロストした、ってんじゃ目も当てられない。

 だからいまも、ストレージに収まりきらないぶんの金はリディアに預かってもらっている。

 そんな状況に鑑みて、七々扇が女将に頼んでみたと言っていた。でも酔っ払っているときだったから、ちゃんと聞いてくれたかはわからない、と肩をすくめていた。……どうやら酔っ払っていても、ちゃんと覚えていてくれたらしい。


「そりゃ助かります。いま稼いできた金も預けておきたかったんで」


 さっそくいま稼いできた金をストレージに保管し、その表示が1ゴールド6シルバー80カッパーになると、女将は「へぇ」と声を漏らした。


「ずいぶん稼げるようになったじゃないか。まだ午前中なのに」

「あ……いや、まあ」


 女将のことは信頼しているが、金の話になると目の色を変えることも知っている。

 まさか宿代を値上げするとか言わないだろうな、と、女将の目の前で稼ぎをさらしたことをほんのすこしだけ後悔した。


 でも女将は優しい顔になって、


「でもあんまり無理するんじゃないよ。モンスターにやられても身体は復活するけど、こころはそうもいかないんだからさ」


 ほんのすこしだけ寂しげに、水面みなもに水滴をぽたりと落とすように口にして、俺の胸にわずかな波紋を刻んだ。



─────



 部屋を出る女将にもう一度礼を告げ、ステータスモノリスに手をかざす。


──────────

《レベルアップ》

─────

藤間透 ☆転生数2

LV1 → LV5

EXP 7/35

─────

HP 20→30

【HPLV2】【体力LV1】【○生命力LV1】

SP 22→32

【SPLV4】【技力LV1】

MP 20→30

【MPLV3】【魔力LV1】

──────────

《消費素材》

1シルバー

コボルトの槍×7

コボルトの弓×2

ジェリーの粘液×1

エペ草×3

ライフハーブ×3

ホモモ草×2

──────────


 近くに置いた革袋が淡く光り、袋からはみ出したコボルトの槍や弓といった必要素材をかき消した。袋のなかの草も減っているだろう。

 手元に残した一枚の銀貨──1シルバーも消え、胸がすこし軽くなった感覚で、アイテムボックス内からジェリーの粘液もなくなったと確信する。


「一気に4レベルも上がると、やっぱり違うな」


 ステータスが軒並み10成長した。

 採取ばかりしていたころはとくにSPの上昇値を気にかけたものだが、いまは召喚に必要なMPの上昇がこのうえなく嬉しい。

 MPがこれだけあれば、消費がダントツのうさたろうを除き、無理なく三人同時に召喚することができる。


 午前中だけでくたくたになってしまったが、レベルアップによるステータス上昇のおかげか、身体が軽くなった気さえした。


 荷物をストレージボックスに放り込み、鈴原の準備ができるまでなにをしようかと視線を巡らせる。

 たまには部屋の掃除でも、と思ったが、すでに女将が清掃してくれていて、ベッドクリーニングはもちろん、木製の床もぴかぴかだ。


 すこし考えて、着替えと10カッパーを取り出し、俺もシャワー施設へと向かった。


 壁越しのシャワー音には聞こえないふりをして、午前中の汗を流す。

 手早く着替えたあと、施設を出ようとしたとき、壁の向こうからゴー…という音が聞こえてきた。


 なんの音だったか思い出し、施設を入ったところに設置された、壁掛けの大鏡の下に視線をやる。

 そこには銃のような取っ手がついた石の筒がふたつ置いてあった。


 取っ手の底に大銅貨を挿れるための細い穴があいていて、ここに10カッパーを投入すると、筒内部の風の魔石、火の魔石が反応して数分のあいだ熱風が出る仕組みで──ようするに、ドライヤーだった。


 実家にいたころは母親が「ちゃんと髪を乾かさないとだめよー風邪ひいちゃうから」なんてうるさかったもんだから面倒に感じながらも使っていたものだが、ひとり暮らしをはじめてからは一度も使用していない。

 一回10カッパー……シャワーと同じ金額のドライヤーをアルカディアで使用することなど、もっとなかった。

 金のない時期が長かったためか、存在すら忘れていた。


 女子ならともかく、男子はべつに使わなくても──と改めて思ったが、そういえば世の中の男子はどうしているんだろう、とふと疑問に感じた。

 ……祁答院あたりは使っていそうな気がする。なんかふわっとしてるし。


 金があるうちだけの贅沢だと思い、ドライヤーを使ってみようかな、という気分になったが、全財産をストレージに入れてしまったことを思い出した。


 やはり俺にドライヤーはまだ早い。

 そう結論づけ、いつものように乾いたタオルで頭を拭った。



─────



「藤間くん、鈴原さん、もしよかったら、北東にあるダンジョンに行ってみない?」


 中央広場で合流するなり、三好清十郎がうきうきと両拳を握った。

 彼曰く「近くて街との往復がしやすいから」らしい。


「近いに越したことはないけど、そのぶん人が多いんじゃねえのか? 知らないやつらで混雑した狩り場とか怖すぎるだろ」


 別パーティの流れ矢が飛んできたら……とか考えると怖すぎる。

 それ以前にまず人混みが怖すぎる。


「うーん、ぼくたちがよく行くダンジョンなんだけど、ぼくたち以外、見たことないんだけどなあ。あっ、ぼくたちっていうのは、仁尾におさんとかね!」


 お友達なんだあ、と笑顔で説明してくれるが、残念ながら俺には仁尾というのが誰かわからない。


「学校でアンタの左隣。……クラスメイトの名前くらい覚えときなさいよ」


 三好伊織が呆れたように首を振る。

 ……というかすごいな。入学してまだ一ヶ月も経っていないのに、彼女はクラスメイト三一人全員の名前を覚えているのだろうか。……とはいえ、隣の女子の名前を知らないところがさすが俺といったところだ。



 エシュメルデの東門から出てまっすぐ行くと砂の採取で散々世話になったオルフェ海岸だが、途中の分岐路を北に曲がったところに清十郎のいうダンジョンがあるらしい。


 北上して二分。

 右手には木々に囲まれた、オルフェ海岸に向かう緩い上り坂が見える。

 左手は崖になっていて、遠くには街の北にモルフェウス鉱山がそびえている。


「ウチ、こっち側来たことないー」

「俺もはじめてだわ。こっちってたしか釣り場があるんじゃなかったっけ」


 いつか女将が、フライ用の魚はこの辺りで釣っていると言っていたのを思い出した。

 崖下を覗くと、一〇メートルほど下は海に面した砂浜と岩場になっていて、五〇人ほどの貧民がひしめいている。


 数人のホビットが指揮を執り、採取と釣りの指導をしているようで、ボロをまとった人々は一生懸命砂浜をタッチしたり、岩場に足をかけて釣竿を振っている。


「強い、な」


 つい漏れてしまった小さな呟きは、誰の耳にも届かぬまま、雲ひとつない晴天に溶けてゆく。


 週末の風──エシュメルデの民へのボーナスをどうするか、という話をエンデから振られたとき、高木と鈴原は『食料や衣服を与えたらどうか』と提案した。


 対し俺は『魚を与えるより、釣りかたを教えたほうがいい』と、採取ツールの提供を勧めた。


 最終的に俺の案が採用となり、貧民たちはいまこうして地面を探ったり、竿を降ったりと忙しなく動いている。……やはりというべきか、みな、ガリガリだ。


 改めて彼らの姿を俯瞰ふかんして、案を出した俺の姿をも同じように俯瞰し、俺はもっともらしいことを言いながら、ひどく冷酷なことをしてしまったのではないか、という気になった。


 なにかを決断すると言うことは、なにかを捨てるということだ。

 その〝なにか〟が俺にはあまりにも大きすぎて、いまさら気後れしてしまっているのだろうか。


 ……ある日の昼休み、祁答院が伏し目がちに俺に相談してきたときも、こんな気持ちだったのかもしれない。


 あのとき、俺は大切なものを守るためならば悪になると言った。

 守るとは、そういうことだとも言った。


 ならば、救うことも同じなのではないか。

 悪になると決めたのならば、救えなかったいのちではなく、救ったいのちのことを考えるべきなのだ。


「わああ、みんな笑顔でがんばってる! うれしいなー!」


 いつの間にか清十郎も俺の隣で崖下を見下ろしていた。


「三好、こっから下にいる人の表情までわかるのか」

「うん! ぼく、目がいいほうだから!」


 俺もわりと目はいいほうだが、みんな一生懸命やっているなーくらいにしかわからない。


「でも……そうか、笑顔、か」

「うんっ!」


 過ぎたことでなにを悩んでいるのかとか、すでに投げられたさいの行方を気にしてどうするのかとか、己の女々しさをぶっ飛ばしてやりたい。


 ……でも。


 彼らは、強い。


 彼らが笑っていることで、胸の暗雲がすこし晴れた気がした。

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