11-06-一矢の訓

 鈴原は意外と──と言ったら失礼かもしれないが、筆まめだ。

 〝泉の拠点〟と呼んでいる、サシャ雑木林の休憩ポイントかつ採取スポットに俺たちが辿りつくと、鈴原はぺたんと座り込んで腰に提げた革袋からペンとインクを取り出して【紙生成】のスキルで白い紙を出現させた。


──────────

٩( 'ω' )و今日の目標!٩( 'ω' )و


・藤間くんから採取を教わる!٩( 'ω' )و

 →エペ草でD判定がとりたい!

  ライフハーブもとれるようになりたい!


・二回目の転生がしたい!٩( 'ω' )و

 →LV9からLV10にして、さらに転生可能な経験値を稼ぐ!

 →ジェリーの意思は街で買う!


・たくさん荷物を持って【運搬LV1】スキルを覚えたい!٩( 'ω' )و

 →あわよくば【☆アイテムボックスLV1】も!


・いぇい!٩( 'ω' )و

──────────


「いぇい……、っと」

「なあずっと思ってたんだけど、顔文字と最後のいぇい! って必要なのか」

「必要だよー。モチベ上げていこー」


 これってモチベ維持のためだったのか。


「ごめんねー。ウチ、書かないとすぐ忘れちゃうからー」

「いいって。メモするだけ偉いじゃねえか」

「ううん、偉いのはメモしなくても覚えられるみんなだよー」


 鈴原の言葉を受け、なんとなくゲインロス効果について考えてしまった。

 プラスからマイナスに、マイナスからプラスに感情が転じるとき、その変化量が大きいほど人の心象に与える影響が大きい、というものだ。


 平均点を取れている息子がテストで七〇点をとるよりも、いつも二〇点くらいしか取れない息子が七〇点をとったほうが、母親からすれば「すごい!」と感じる。

 ゲインロス効果でよく引用されるのが、不良が猫を助けるっていうシチュエーションだ。

 普通のやつが助けるよりも、不良が助けたほうが、そのギャップで心象に残り、トゥンクしやすいっていうアレだ。


 いや、違うだろ。

 善人だろうが悪人だろうが、猫を助けるというその行為こそが尊いんだろ。


「じゃあ、同じだな」

「うん?」

「みんなもだけど、鈴原も偉いな」


 腰に提げた革袋にメモ──A4用紙ほどの紙切れを仕舞いながら鈴原は顔をあげる。

 目が合うと、すぐに逸らされた。


「めっちゃ褒めてくれるー……」


 褒めたわけじゃないんだけど、照れられていることがなんだかこっ恥ずかしくて、いつもの捻くれたひとことが口をついてしまう。


「まああれだ。みんな偉いんだよ。俺なんて、そこにいるだけで偉い、って安直かつ軽率に褒められたいもんな」


 いつもならここいらでアッシマーか高木が俺の陰キャぶりに突っ込んでくる。それでオーケー。いつものオチ。


 なのに、いまはそのふたりがいなくて──


「う、ウチは、そこにいてくれるだけで、う、嬉しい、けど……」


 木々のざわめきは、俺の聞き間違いだと疑えないほど静かだった。


「え、ちょ、な、なに急に」

「う、ううん、ご、ごめんっ」


 もはや疑えるものは、鈴原がほかの女子陣にやっている「亜沙美だいすきー」みたいな軽率な百合を、いつものくせで俺にやっちゃったんじゃないか、みたいな勘繰りと。


 ダンジョン内にひとりでいるよりも、俺みたいのでも──というよりもコボたろうとコボじろうがいてくれたほうが頼りになって嬉しい、という仲間意識からの言葉だったんじゃないか、ってことだけだった。


 でもそれらを疑おうにも、顔を伏せる鈴原の顔は真っ赤になっていて、きっと俺の顔も同じようになっているだろう。


「と、とりあえず採取する前に、周囲のモンスターを倒して安全確保しようじぇ」

「う、うん、あ、あはは……」


 こうなると必殺技『誤魔化し』を発動させるしかない。噛んだけど。

 鈴原も困っていたようで、俺の必殺技にのってきてくれた。


 じゃあ行こうぜ、とコボたろう、コボじろうに視線を向けると、いつのまにか離れたところにいたコボたろうは俺に冷ややかな視線を送っていて、その隣のコボじろうは淡白な表情でため息をついた。


 ふたりが俺の情けなさを責めているように感じ、そんな考えを振り払うように、


「よし、行こうぜ!」


 慣れない大きな声で、慣れない音頭をとる。


 コボたろうが憤懣ふんまんやるかたない様子で、


「がうっ……!」

「きゃうん!?」


 コボじろうの肩を小突いた。

 コボじろうがめちゃくちゃ可哀想だった。



─────



 泉の周りのモンスターを掃討すべく付近の探索をはじめて三○分ほど経ち、もう一度モンスターと遭遇したら引き返して採取をしようと考えていたころ。

 斥候として俺たちから離れた位置でモンスターを捜索していたコボたろうが息を切らせ、声を荒らげながら駆け戻ってきた。


「がうっ! がうがうっ!」


 この声は、俺たちと実力が均衡した難敵、あるいは団体と遭遇したときの合図だ。

 この場合、闘うかどうかの判断は俺に委ねられる。

 ……が、俺たちゃレベル上げに来てるんだ。逃げの選択なんてねえっ……!


 こちらに猛然と駆けてくるコボたろう。まだ敵の姿は見えない。

 俺たちの7メートルほど先にいるコボじろうが俺の考えを察したのか、いつでもこいと槍盾を構えた。


「鈴原も構えてくれ」

「うんっ」


 流れるような動作で背から『☆三散華』を、腰の箙から二本の矢を取り出す。

 一本の矢を口にくわえ、もう一本を股下で弓に番える。

 鈴原はその状態から足を開き「ふー……」とひと呼吸おいた。


「来たぞ。コウモリが三、コボルトが四……ってあれは……」


 およそ60メートル先。

 コボルトのなかで一際立派な体躯を持つ──あれはマイナーコボルトのユニークモンスター『☆臆病のピピン』だ。シュウマツとかコラプスの奥とかじゃなく、こういう場所でも出てくるのかよ……!


 鈴原はすでに構えを終え、矢を放つのみの状態になっていた。


「コウモリから頼む」

「ふっ……!」


 音速の矢はこちらに駆けるコボたろうの頭上で三条の青い閃光に変わり、コウモリ二体の胴と一体の翼を撃ち抜いた。


 残るはコボルト三体とピピン。──遅れてその後ろでは二体のジェリーが仲良くぴょんぴょんと飛び跳ねている。


損害増幅アンプリファイ・ダメージ……!」


 茶色のもやが先頭のピピンとコボルト二体に纏わりつく。


 木々に囲まれた通路を駆けてくるコボたろうが向かって左にずれた。

 鈴原は咥えていた矢をすでに番えている。


「鈴原、中央のピピンと向かって右のコボルト」

「ふっ……!」


 鈴原の【散矢マルチプル・ショット】がふたたび放たれた。

 一本の矢は右端の靄がかったコボルトの頭を射抜き、一本はピピンの槍に弾かれてしまったが、もう一本の矢はピピンの肩に突き立った。


「グッ……!」


 ピピンは顔を苦悶に歪めたのみで、お構いなしに駆けてくる。


「コボたろう、コボじろう、頼む! 鈴原は『☆アーチャーズ・トーチ』でジェリーを」

「えっとー、うんっ」


 鈴原の反応には「先にピピンじゃなくて?」という疑問が含まれていたような気がしたが、俺に従い、レア箙──火属性の矢を放つことができる『☆アーチャーズ・トーチ』から矢を取り出しながらジェリーを狙うことができる射角へと駆けてくれた。


 転身したコボたろうとコボじろう、臆病のピピンと残り二体のコボルトがぶつかり合う。


 コボじろうはピピンの槍を盾で防ぎ、自らも突きかかってピピンと激しい攻防を繰り広げた。

 コボたろうはコボルトの二本の槍をかわし、その際、片方の喉に槍を突き刺した。

 残ったコボルトがコボたろうの隙を狙い、脇から突きかかるが、コボたろうは槍を引き抜くため、いまにも光に変わろうとしているコボルトを蹴りながら後ろへ跳び下がった。

 それだけの動作で槍を回避したコボたろうは、緑の光とともに穂先から相手の血が消えゆく槍──『☆クルーエルティ・ピアース』を構え直し、あっという間に三体目のコボルトをも木箱に変えてしまった。


 そんなコボたろうに、二体のジェリーがいまにも飛びかかろうとしていた。

 しかし──


「ふっ……!」


 炎を纏った三本の矢が二体のジェリーに突き刺さった。

 二本の矢を受けたジェリーは燃え上がりながら苦しそうに蠢いて、一本の矢をうけたジェリーは焦げた音をあげながらもコボたろうへと飛びかかった。


「ぐっ……!」


 コボたろうは槍を横に構えてそれを受け止めると、弾かれたようにすっとんでしまった。


「コボたろう、ジェリーは任せろ!」

「が、がうっ!」


 叫びながら〝装備変更〟と念じる。

 両手に持つカッパーステッキがアイテムボックスに収納され、代わりにブレスレットとアンクレット──体術用の武器、カッパーアーツが俺の両手足に装着された。


 二本の矢を受けたジェリーはすでに緑の光になっていて、残ったジェリーは俺に狙いを定め、タックルを仕掛けてくる。


「うおおおおおおっ!」


 ジェリーと俺の脚がぶつかり合い、衝撃が火花となって俺の脳に散った。

 弾力と反動で脚が後ろに吹き飛びそうだ。


 LV1がなんだ。後衛職がなんだ。

 お前にやられて涙した、あのころの俺じゃねえっ……!


 歯を食いしばり、左の軸足をひねりながら右足の甲を下に向けて蹴り抜いた。

 ジェリーは俺の眼前でぼよよーんとバウンドする。


「ぉぉおおおおっ!」


 正拳突きとは口が裂けても言えないほど乱暴な拳。

 全体重を乗せた、ルール無用の喧嘩パンチをジェリーの中心にぶち込んだ。

 ジェリーに触れて感じた、弾力でも反発でもない、硬い感触。


 俺の拳はジェリーの核石コアを打ち抜いて緑の光に変えた。


 戦闘は決着しつつあった。


 コボたろうがピピンの槍を撥ね上げる。

 その隙に繰り出されたコボじろうの槍が、ピピンの喉を貫いた。

 視界の奥では、鈴原がピピンに向けて弓を構えている。

 鈴原は、余分な一矢でこの場に乱暴な決着をつけることはしなかった。


 ピピンはコボじろうに「見事だ」あるいは「次は負けないからな」とでも言うように口角を上げ、漆黒の光に包まれて青空へと溶けていった。


《戦闘終了》

《16経験値を獲得》

《レベルアップ可能》


「っし……!」


 拳を握る。

 口をついた短い歓声は、難敵かと思われた相手への勝利、はじめて己の拳でジェリーを討ち取った高揚が大いに含まれていたが、それだけではなかった。


 俺はこれまで軽率に前に出て軽率に傷つき、軽率に死んでいた。

 それはいつも「こうするしかねえっ……!」という、袋小路に追い詰められた窮鼠きゅうその思考だ。


 今回は──たとえば、このままジェリーをコボたろうに任せ、コボじろうにはピピンの猛攻を抑えてもらい、鈴原の射撃を待つ──そんな選択もあった。

 たぶん、もっとあった。


 だけど俺は今回、いくつかのたらればの先を考えたうえで、リーダーは前に出てはいけないという考えに拘泥こうでいせず、かといって闇雲に突撃するわけでもなく、自らが前に出るほうがよりよい未来に繋がると信じ、ジェリーに向かうという選択ができたんだ。


 もしかしたらどの選択でも勝つことはできていたかもしれない。

 しかし、腰の箙に戻した鈴原の一矢は、この選択でしか守られなかっただろうと思う。

 ……まあこれは結果論で、最後の最後で鈴原が矢を射なかったおかげなんだけど。


「わーい、やったやったー!」

「が、がうっ!? がうがうがうっ!」


 鈴原がコボたろうに抱きついた。

 コボたろうは「こ、こらっ、戦闘が終わったからといって警戒を解いてはいけません!」みたいな様子で顔を赤らめる。


「がうがうっ♪」


 その様子にコボじろうが「警戒は僕に任せて」と悪戯っぽく笑って離れていくと、コボたろうはコボじろうに抗議の眼差しを送る。

 しかし……


「く、くぅーん……」


 そのまま鈴原に頭を撫でられると、舌を出してうっとりとした表情になってしまうのを抑えきれない様子だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る