10.5-06-魔法2 -糸-

 沁子たちの両親がいなくなって、五年経った。

 優しい両親だった。沁子がどれだけ記憶を手繰っても、いつだってふたりは笑顔だった。

 なんの前触れも前置きもなく、なんでもない平日にふたり揃って煙のように消えた。


 当時小学生だった沁子が駆け込んだ先は、警察と、一家と親交が深い叔父・足柄山一発だった。


 警察は両親の仕事や交友関係、アルカディアへの参加不参加などを調べ、なんらかの事件に巻き込まれた──あるいは蒸発の両面から捜査を開始したが、それらしい手がかりは得られなかった。


 叔父・一発と妻の恵美子は沁子たちを不憫に思い、衣食住と金銭面のサポートに尽力した。


 一発はそのころ折り悪く新居を構え、五人の子どもたちと引っ越しを終えたばかりだったため、沁子たちと一緒に住むことこそできなかったが、沁子たちが住んでいたアパートを引き払わせ、旧宅にきょうだいを住まわせた。


 土地も家も売る段取りが進んでいたのに、不動産会社に頭を下げ、


『いやーあんな古い家じゃ売れねえなあ! 誰も住んでねえと家が傷むから、沁子ちゃん、悪ぃけどみんなで住んでくんねえか?』


 さも恥ずかしそうな表情をつくった。


 一緒に住むことこそできなかったが、一発か恵美子のどちらかが子どもたちを連れ、大量の食材や料理を手に、毎晩のように泊まりに来てくれた。


 今日も沁子が友人と遊ぶことを知り、きょうだいたちが困らないよう、また沁子が気をつかって遊びを断らないよう、急遽バーベキュー大会を開いてきょうだいたちに肉を振る舞ってくれた。

 今晩の食卓には沁子たちがつくったタンメンと、残りの肉が並んだ。


 また一発は沁子たちの未成年後見人にもなってくれた。一発は親権者になってもいいと考えていたが、それは沁子たちの両親が行方不明ではなく、死亡したという示唆になってしまうのではないかという配慮からだった。


 とはいえ、行方不明から五年経過したいま、ふたりが無事であるとは考えにくいと一発は考えている。


 対して沁子は、両親はどこかで生きていると信じている。

 なにか事情があって帰ってこられないのだと、蜘蛛糸よりもか細い可能性を、頑是がんぜない幼子のように信じている。


 それが、一発の不安だった。


 蜘蛛糸にしがみつく沁子。

 その糸が切れたとき、彼女は崩れ落ち、立ち直れなくなってしまうのではないのかと。

 小さなころから〝母〟を演じ、明るく気丈に振る舞うマリオネットのは、あと二年で切れてしまう・・・・・・・・・・・


 行方不明者は失踪から七年で死亡扱いとなる。

 つまり、五年前に消えてしまったふたりの余命はたったの二年。


 そして皮肉なことに、二年後はちょうど沁子が一八歳──成人となり、一発が未成年後見人ではなくなる年でもあった。



 沁子は、成人する晴れの年──同時に両親を喪う。



 ──この世に魔法なんてものがあるのなら、それでどうか沁子たちを救ってほしい。


 しかし一発は、この世には魔法など存在しないと、とうに理解している。


 魔法なんてものも、奇跡なんてものもない。


 あるのは、冷酷な現実と、刻一刻と迫る時間だけ。


 ならば、できるだけ早いうちに沁子に現実を理解してもらい、ある程度を自分たちに任せ、高校生活を謳歌してもらいたい。


 高校生は、しっかりと勉強し、うっとりするような恋をするべきだ。


 なのに、沁子はみっちりと組まれたシフト表に、びっしりとレシートが貼られた家計簿と向き合っている。


 一発はそのことがたまらなく悲しく、憐れでしかたなく、神仏に手を合わせる。



 人は結局、なにかに縋ろうとする生きものだ。

 家族、友人、恋人──または、一縷の望みとかいうものに。

 そのどれもに縋れない者、あるいは誰に縋ってもどうしようもないほどの人智を超える宿命を抱えた者が、神仏に縋るのだ。

 

 一発は手を合わせ、瞑目する。



 ──どうか、沁子たちに、幸あれ。



 しばらく合掌したあと、一発は厳つい顔のまま立ち上がり、キッチンにいる妻の恵美子に声をかける。


「おう。いまから沁子んとこ行くぞ」

「まあ。もうすぐ一○時ですのにご迷惑じゃないかしら」

「構いやしねえさ。チビどもは置いていくからな」


 こんな時間になぜ、昼も会ったのにどうして、といろいろと訊きたいことがあるだろうに、恵美子はなにも言わず外出の準備をはじめた。


 ──俺にはできすぎた女房だ。

 一発はわずかに相好を崩しながら、冷蔵庫から一瓶の〝憂いの玉箒たまははき〟を取り出し、それを片手に玄関へと向かう。



 沁子を縛る、魔法の糸を断ち切るために。



 糸の切れた沁子が崩れ落ちないよう、そっと抱きしめるために。

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