10.5-02-残心2 -憧れ-
人が人に
香菜にとって憧れの対象は、テレビに映る俳優や、ギターをかき鳴らすミュージシャンや、柔らかなビブラートで魅了する歌姫。
太陽や月と同じように、決して手の届かない場所にあるものだった。
パワフルで明るく、男子にも物怖じしない亜沙美に対しての憧れは内気な香菜にとって手の届かぬ輝きであったし、たとえば異性──祁答院悠真は、甘いマスクや優しく柔らかな物腰が同級生と思えぬ余裕を感じさせ、完璧ともいえる隙のない振る舞いは尊敬こそすれど、憧れを抱くことさえ許されないなにかがあった。
そして、クラスメイトや友人がすごい、と思うたび、己のちっぽけさに気づかされるのだ。
天体から見た自分は、あまりにも
星々はこんなにも煌めいているのに、どうして自分はこんなにもくすんだ色をしているのだろう、と。
藤間透に対しては、最初は怖いと思った。お近づきにはなりたくない、とさえ感じた。
伶奈の話も半信半疑だった。伶奈の語る優しく強い透の姿と、冷たい毒を吐き捨てる透の姿がどうしても重ならなかった。
しかし、砂浜で耳を強く打った言葉が、彼の印象を大きく変えた。
『灯里は俺のだ。お前らにゃ死んでも渡さねえ』
後から、あれは望月慎也と海野直人を追い払うための
鈍色だったころを知っているからこそ、羨ましかった。自分も一度くらいは、ああいうふうに輝いてみたい、と。
誰にも必要とされなかったからこそ、憧れた。誰かに愛される自分になってみたいと。
伶奈にも憧れた。
誰かをあれだけ好きになれることも。
ひどいことを言われても、全然諦めないところも。
その相手から誰にも渡さないと言われたことも。
空を見上げると、いくつもの星々が煌めいている。
香菜はそれらに憧れ、羨み……結局はいつものように俯いてしまうのだ。
落とした視線の先では
──ウチと、おんなじだね。
香菜は膝を抱え、あまりにも卑屈で自虐的なつぶやきをしておいてなお、その顔を歪めて
不安だった。
不安ながらも頑張った。
集団に置いていかれないように。
群れから追い出されないように。
しかしどれだけ精一杯励んでも、星々──悠真や亜沙美たちは、もっとずっと高いステージで頑張ったり悩んだりしているのだ。
パーティをより良くするためには。
伶奈の負担が大きいから、解決策を。
もはや、自分自身についての悩みですらなかった。
──待って、行かないで。
それ以上高みに行かないで。
置いていかないで──
このままじゃだめだ、という焦燥。
ウチなんかじゃ……という不安。
そうして自分自身の悩みを重ねれば重ねるほど、周囲を案じる友人たちとの差が開いてゆく気がした。
香菜が欲しかったのは、安息だった。
地を這う虫螻と同じ、安心できる巣だった。
香菜は香菜のままでいいんだよ、って。
優しい言葉を疑わなくていい、
それを──
──いいんだ、無理しないで。
──お前のペースでいいんだよ。
透がくれた。
香菜にとって憧れとは、手の届かないところにあるもののはずだったのに、それは不思議と心の柔らかい部分にそっと寄り添っていた。
──どうして、藤間くんなんだろう。
何度も何度も繰り返した自問。
それはきっと、彼の本音を、叫びを──毒を知っているから。
人は自分の醜い部分を隠したがる。香菜も漏れずにそうだった。
以前、透とは致命的ともいえる
それを乗り越えたからこそ、香菜は透が〝他人にいい顔をしようとしない〟ことを知っている。
だからこそ、透の言葉は上っ面ではないと信じられるのだろう。
だからこそ、安心する。
何度も何度も繰り返した自答。
もう、自分が透に憧れ、焦がれていることは認めざるを得なかった。
そうなると、今一度同じ自問をしなければならない。
──どうして、藤間くんなんだろう。
どうして、大事な友人が想いを寄せている相手に憧れてしまったのだろう、と。
どうして、応援する、なんて言ってしまったのだろう。
そうして毎夜、闇とともにやってくるネガティヴな感情。
──藤間くんでさえなければ、よかったのに。
仄暗い情動は透にも伶奈にも向かず、横恋慕をしてしまった自らに向く。
自分が憧れた相手が透でさえなければ、と枕を濡らした。
亜沙美と一緒にいると気が紛れた。
昨日、今日と泊まりに来てくれて、本当にありがたかった。
ひとりでは広すぎるこの部屋の隙間は、心までも空虚にし、ぽっかりと空いた場所を感情が埋めつくしてしまうから。
何度も何度も押し寄せる。
藤間くんでさえなければ。
いや、藤間くんだからこそウチは。
伶奈が藤間くんを好きになっていなければ。
違う、ちがう……!
「香菜」
亜沙美に名を呼ばれ、香菜は我に返った。
茶碗から見事に立ちのぼる湯気が、思考の旅がほんのわずかな時間だったのだと教えてくれていた。
「香菜」
もう一度、亜沙美に名を呼ばれる。
視線はまっすぐ香菜の目を射抜いている。
この目だ。
この眼光が、いつも自分の胸中を見抜いてしまうのだ。
亜沙美の口がふたたび開く。
香菜にはスローモーションに見えた。
──その先を、口にしないで。
口にすることで、ウチの心を
ウチの想いを、それは悪いことなんだよ、と
大好きな友達の口で、ウチを責めないで──
しかし、亜沙美は相好を崩して、にかっと八重歯を見せた。
「いまからカラオケいかね?」
身構えていた香菜は、呆気にとられながらも全身の緊張が抜けたことを自覚した。
「えっと……? どうしてカラオケ? もう七時半だよ?」
「ほら、今日カラオケの予定を変更したじゃん。あたし不完全燃焼気味ってゆーかさ」
たしかに亜沙美は、カラオケでは沁子の妹──つくねが退屈してしまうかもしれないと、予定を急遽スポッチュに変更していた。
しかし、だからといっていまからというのは唐突すぎるように感じた。
「ぁ……」
香菜は気づく。
亜沙美は、気を紛らわせようとしてくれているのだと。
それを「不完全燃焼だから」だなんて亜沙美自身のせいにして、誘ってくれているのだ。
「……もう夜だよ?」
「すぐ近くにカラオケあるじゃん。いまからなら二時間は歌えるっしょ」
「もうお風呂入っちゃったのに?」
「帰ってからもう一回入ればいいじゃん」
「ウチらすっぴんだよ?」
「マスクすれば平気だし!」
「ホラー映画観る時間なくなっちゃうよ?」
「あ……あれは一時間半のやつだし帰ってからでも余裕……だし……」
香菜は目頭を押さえる。
きっと亜沙美は、自分の
そしてたったいま、香菜の潤んだ目元を見ないようにして、亜沙美はふたたび食事に手をつけている。
強引なところが多い友人だが、だからこそ、こういった繊細な気遣いは香菜の心に沁みた。
感情が溢れて毎晩零れるため息を、亜沙美はあたたかい涙に変えてくれた。
「……カラオケ、行きたい」
「おっけー。んじゃペース上げて食べないとね。……この肉うんまっ!」
ギアで時間を確認しながら、上機嫌で箸を伸ばす亜沙美。
そんな姿を見て、知らぬうちに涙さえも笑顔に変わってゆくのだった。
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