10.5-道化師たちのインテルメディオ

10.5-01-残心1 -反響-

「んまーい!」


 アパートの一室に、亜沙美の嬉々とした声が響く。


「やっぱり香菜のごはんおいしー!」

「そ、そうかなー? ありがとー」


 折りたたみのテーブルから立ちのぼる湯気を隔てて、香菜は照れくさそうに微笑んだ。


 本八幡もとやわたにある香菜の部屋。

 高校生のひとり暮らしにしてはやや広めの1LDK。西洋風のタンスやドレッサーの上には丸っこいぬいぐるみがずらりと並んでいる。


「ほふぉひふふはーい!」

「亜沙美、食べるか喋るかどっちかにしたほうがいいよー」

「……………………」

「あ、徹頭徹尾てっとうてつび、食べるほうにいくんだ……あははー……」


 食卓に並ぶのは牛肉のしぐれ煮、豆腐とわかめとネギの味噌汁、大根とキュウリのサラダ、白菜の漬物とご飯。

 スクエアテンからの帰り道にふたりで買った食材で、香菜がさっとつくった夕食だ。


 ごぼうと玉ねぎと一緒に煮られた甘くどい味付けの牛肉が、亜沙美の茶碗を瞬く間に空にした。


「やば、おかわりしていい?」

「もちろんいいよー」

「マジやばい、太るわー」


 亜沙美は女子として気にする素振りを見せながらも残りのおかずの量を考え、山盛りの白米で茶碗を満たした。

 香菜は嬉しそうに微笑みながら、自分の茶碗にも三杯めのご飯を盛りつけるのだった。


「今日だけじゃなくて、いっそ香菜んちに住みたい」

「えっと、本気ー?」

「わりとマジ。もちろん家賃も食費も半分出す。てか、ごはんつくってもらうわけだし、家賃か食費はあたしが全部出すって」

「んー……ちなみに亜沙美は料理しないの? 楽しいよー?」

「あたしそーゆーの苦手だから。将来は専業主夫と結婚してあたしが働くつもりだったし」


 香菜は亜沙美とアルカディアで同室ということもあり、亜沙美の男性的な部分も女性的な部分も知っている。

 筋の通らないことが嫌いで、感情豊かで、男子にも物怖じせず、頼りがいがある女性。

 そんな亜沙美をひとことで表現するなら『姉御肌』だった。


「香菜、いっそあたしんとこに嫁に来ない? なんつって、にししー」


 金髪を揺らしながら白い歯を見せて屈託なく笑う亜沙美の思わぬ男性性に、香菜はどきりとして胸を押さえた。


 同性の友人になにを──というだけではないと、香菜は気づいている。



 それはきっと、今日、ともに過ごした少年の姿を思い出さないように。


 友人への不義理で、自分を嫌いになってしまわないように。


「あ、あははー、亜沙美、野菜も食べなきゃだよー」


 結局、言葉で誤魔化して、自らの想いを胸の奥に閉じ込めた。


 そうして封じ込めた想いは、出口のないトンネルを何度も何度も反響し、小さくない音を響かせながら際限なく膨れあがってゆく。


「香菜」

「う、うんー?」


 名前を呼ばれ、香菜はぴくんと身体を震わせた。

 亜沙美の瞳が真面目なものになり、自分を射抜いていたからだ。


 いつも一緒にいるからこそわかる。

 目の前にいる女の子は、人の胸中を見透かす不思議な力を持っている。



 ──亜沙美のことは大好きなのに、いまはちょっぴり──ほんのちょっぴり、怖い。


 この想いを──痛いほど鳴り響くこの想いを暴かれたうえで、それはいけないことなんだよ、と責められそうだったから。

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