10-39-後夜祭の終わりに

 アルカディアでは死と隣り合わせだ。

 だから自分では恐怖への耐性はあるほうだと思っていたし、多少のことでは動じない自負もあった。


 しかし車から八人もの黒服が同時に降りてきて、囲まれたときはもうダメだと思った。正直、ちょっと漏らしそうだった。


 灯里を背にかばいながら「ひぇっ、な、なんだよお前ら……」なんて情けない声をあげたとき、片方の車の後部座席からスーツ姿の女性がゆっくりと姿を現した。


 こんなときにあれだが、キャリアウーマン、という言葉がぴったりだと感じた。

 気が強そうな切れ長の目、おしゃれな赤縁のメガネ。清潔そうなショートの黒髪から、一筋の紫髪が片目を隠すように伸びている。

 仕立ての良さそうなスーツ、スラックス越しの脚はすらりと長い。


 彼女はじりじりとこちらに迫る黒服たちを片手で制し、その姿にぴったりな、理知的な声を夜のとばりに響かせた。


「突然失礼いたしました。お初にお目にかかります。わたくし、灯里家筆頭家令の三船みふねと申します」

「か、カレー? ……あ」


 たしか、アルカディアで祁答院が言っていた。

 灯里の家にはメイドさんと呼ぶと怒る家令がいて、その名前は……たしか、三船。


「……その顔は、わたくしのことをご存じないゆえ信用できない、といったところでしょうか」


 当たり前だ。

 目の前の女性が灯里の味方だと証明されるまで、灯里を託せるはずがない。

 とはいえ、どちらにせよ土地勘がなく、灯里の家や病院の場所を知らない俺からすれば、結局誰かに頼るほかないんだが……。

 それでも、この黒服の集団に灯里を渡せるかと問われれば、渡せない。


「ふふっ……」


 目の前の女性は声をかみ殺すように笑った。

 でもそれは、俺を馬鹿にするような嘲笑ではなく、相好を崩すといった感じの柔らかなものだった。


「わたくしどもは力ずくでもお嬢様を連れて行けるのですよ?」


 顔に反して、台詞は悪役そのものだった。

 彼女の言うとおり、俺なんかじゃ黒服ひとりの太い腕一本でぶっ飛ばされるだろう。


 しかし彼らはそうしない。

 むしろ彼女の言葉に驚いている様子で、どうすればいいのかと慌ててすらいる。


 この時点で彼ら、そして彼女は灯里家の者だろうと推察はできたが、確信ではない。

 たとえば身代金目的の誘拐犯ではない、とは言いきれない。


「なるほど、お嬢様がおっしゃるとおり、藤間少年──あなたは瞳で語る人間のようだ」


 わざわざ藤間少年、などと口にしたのは、彼女は俺の名前を知っているという示唆しさに違いない。


 馬鹿野郎、そんなんで信じられるか。

 名前なんて調べりゃすぐに知ることができるだろ。


 俺の態度を見てか、彼女はもう一度にこやかに笑んで、口を開いた。


 陰キャなめんなよ。

 そんな簡単に人なんて信じるわけが──



「丸焼きシュークリーム先生」

「あっ、すません、灯里はどちらの車に乗せればいいすか」



 ──人の黒歴史を突いてくるのは反則だと思う。



──



 灯里にはどうやら、高校入学前にチンピラに襲われたあの日から、こっそり三船さんによる護衛がつけられていたらしい。

 灯里の両親が三船さんに指示し、三船さんは自分の部下を使って護衛をさせていたという。特殊な雇用関係だと思ったが、俺が立ち入るようなことでもないし、そのつもりもなかった。


 ともかく、通学路の往来も、スタバでのやりとりも、今日のスクエアテンやラーメン屋のことも、すべて見られていた、ということらしい。

 それを不快に思うよりも、あんなことがあった灯里をこんなにも大事にしてくれている、という安心感のほうが強かった。


 灯里は大事ないとのことだったが、もう一台の車に乗せられ、自宅へ帰り、念のため灯里家の専属医師に診てもらうらしい。なんというか、スケールがすげえ。


 厳つい黒服たちは気を失った灯里を見て、


『ああお嬢様、おいたわしや……』

『お嬢様、我々が必ずご無事にお送りします……!』


 と過保護なほど慎重に灯里を車に乗せた。あいつらいいやつかよ。


 ……で、俺はといえば、俺を送るといってきかない三船さんたちの好意に甘え、乗り込んだ長い高級車内にいる。

 やけに上質なレザーの香りがする、広々とした最後部座席。


「妄想。同人作家の丸焼きシュークリーム先生は、藤間少年の妄想だったのですか……!」


 三船さんは俺の隣で顔を背け、笑いをこらえるように細い肩を揺らしている。


「くくっ……ぷぷぷぷぷ……ふごっ」

「あの、もうすこしこらえてもらえませんか。胸がえぐられるんで」


 黒服のふたりが二列目の座席から俺を振り返り、三船さんの代わりに「すみません」と謝ってくれた。


 三船さんはハンカチでメガネの下から目元を拭う。


「どれだけ調べても見つからないわけです。おかげで男性向けの同人作家に詳しくなってしまいました」


 どうして男性向けに限定するのか、と思ったが、そういや俺『先生の描くおっぱいが大好きなんです!』なんていらんこと言ってたわ。口は災いのもとって本当なんだな。よし、俺もう二度と喋らないわ。


「お嬢様もご自身でお調べになったのでしょう、あの日からお嬢様のお顔が少女からオンナになりました」

「言いかた」


 速攻喋ってしまった。三船さんはまた吹き出して視線を逸らしてしまう。

 はぁぁ……とため息をつく。視線を下げたとき、服にべっとりとついた血のことを思い出した。


「そちらは我々のほうでクリーニングしてお返しいたします」

「あ、いや、べつにいいっすよ」

「ほう? 藤間少年は、お嬢様の血液で今夜どのように愉しむおつもりですか?」

「言いかた!」


 どうやら三船さんは自分のボケを拾ってくれるのがツボに入るようで、車内にはまた彼女のこらえきれていない笑い声が響くのだった。


 あと、俺はなにも言っていないにもかかわらず、車が俺のアパートの方向へ向かうのが怖かった。



──



「ありがとうございました」

「こちらこそ、ご迷惑をおかけいたしました」


 ジャージに着替えたあと、部屋の前で灯里の血がついたシャツ、上着、パンツを三船さんに渡す。


 予感、とでもいうのだろうか、これだけで終わらない気がした。

 

「ところで藤間少年」


 ……ほらきた。

 三船さんの声が響く。表情が「本題はここから」と語っていた。


「我が主、灯里慶秀よしひでが藤間少年に会いたがっております」

「……は?」

「お嬢様を救っていただいたお礼を申し上げたいと」


 そんなのいいですよ、と返そうとした。

 大したことはしていない。だって俺、丸焼きシュークリーム先生って叫んだだけだもん。


「……と、これは半分建前です」

「はあ」


 口からひとりでに間抜けな声が漏れる。


「灯里慶秀は、警視総監として、藤間少年へ謝罪したいと申しております」

「謝罪って……」


 ここまできて、あのチンピラとの事件のことではないと気がついた。


あの事件・・・・にはメスが入り、獅子王正虎まさとらが告発されたことにより、警察の不祥事とともに真相が暴かれるでしょう」


 うさぎ小屋での事件は、警察の情報操作により、俺が加害者として一度は決着した。

 それが逆転し、俺は一転被害者、獅子王が加害者ということになる。


 俺にとってはそれが真相だ。

 獅子王のことはもちろん、俺にあることないこと言った警察官とそれを指示した獅子王の親父も許せないが、まんまと騙された俺も馬鹿だった。


 俺としては、それだけだ。

 昨日、マスコミの大仁田さんに語ったことだけでじゅうぶんだった。

 だからもう、放っておいてほしかった。



「……警察としては、謝るポーズが必要ってことですか」


 己の口から飛び出した声は自分で驚くほど冷たかった。


「違います」


 どうしてだろう。

 今日一日楽しかったのに、どうして最後にもの悲しい気分になってしまうのだろう。


「心からの謝罪だ、とでも言いたいんですか」

「違います」

「はぁぁ……?」


 自分の感情のなかに、呆れと苛立ちがうまれた。

 心からは謝る気がないって、そんなことを俺に言ってどうするつもりだ、と目つきが鋭くなったことを自認した。


「心からの謝罪であることには間違いないでしょう。しかし、藤間少年と語らう真の目的は、我が主があなただけに真相を話すことです」


 また、真相。


「裏には警察の不祥事があった、ってやつっすよね。そういうの、もういいっす」

「それはまだ、真相ではない。あの事件は──そもそものはじまりは、あなたと獅子王龍牙だけの問題ではなかった」


 扉を閉めようとした。

 不必要な情報を遮断したかった。


 でも、それは叶わなかった。



「獅子王正虎、朝比奈篤重あつしげ。そして──」



 朝比奈という苗字が、ドアノブを掴んだまま俺の手を縫いとめた。


 だから、そして──のあとに続いた名前がぼんやりと聞こえた。



「いま──なん……て?」



 こんなところで聞きたい名前じゃなかった。

 獅子王と朝比奈の苗字と並べてほしい名前じゃなかった。


 三船さんは笑っていなかった。

 無表情というか、仕事を忠実に執行する、ある種の冷酷ささえ感じた。


 三船さんが口を開く。

 一筋だけ垂れた、紫色の前髪がそっと揺れた。




月宮つきみや塔子とうこ




 ドグン。



 心臓が、飛び跳ねた気がした。



 なんで、その名前が、いま、このときに、出てくるんだよ。



「いまは藤間塔子。そう、藤間少年。あなたの──」



 かあさ──



「あなたの、ご母堂様です」



 視界が揺らぐ。

 足が震え、呼吸が荒くなり、たまらずドアノブから手を離して横の壁にもたれかかる。

 すこしだけ開いた扉の隙間越しに三船さんと目があった。



「藤間澪、藤間塔子、及びあなたの父、藤間いつきに関しては厳重な警護を続けております。ご心配なく」



 ……ぁ、そういえば、澪の警護をしてもらっているんだった。

 お礼を言わなきゃ──と、話をすり替えて楽になってしまおうとする自分がどうしようもなくいやだった。



「念のため、足柄山一家にも警護をつけております。無事家に到着したと報告がありましたのでご安心を」

「ぁ、足柄山って、アッシマー……? なんでアッシマーが……?」



 もうなにがなんだかわからなかった。

 動悸がする。胸が苦しい。


「本来ならそちらのご都合にあわせるのが筋ですが、我が主は多忙のため、申しわけありませんが、日程はこちらにあわせていただけると助かります」


 三船さんの声は聞こえているのに、それは言葉ではなく、暗号のようにしか捉えられなかった。


「では、またお会いしましょう。車内でのあなたとのやりとりは楽しかった。これは本心です」



 柄にもなく、今日という日を楽しいと思った。



 こんな日が続けば、と願った。



 部屋の外はあんなにも素晴らしかったというのに──



 この世にあるすべてのつまらない感情をこの部屋に閉じ込めるようにして、そっとドアが閉められた。




(了)




​───────​───────


大変おまたせして申しわけありません。

お読みいただきましてありがとうございます。

これにて10章(了)でございます。


以降の予定ですが、現在11章のプロットを制作しておりまして、お時間をいただくことになります。


そのあいだ、SSである10.5章、

【10.5-道化師たちのインテルメディオ】を投稿いたします。

コンセプトとしましてはキャラクターの掘り下げがメインになります。


気になるところで切ってしまい、透を書けー! と言われるのは承知の上ですが、なにとぞご理解いただけますとうれしいです(*´ω`*)


今後とも『召喚士が陰キャで何が悪い』を

よろしくお願いいたします(*´ω`*)

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