10-33-ベンチの両端で

「藤木ィ! そっち!」

「わかってる……っつの!」


 白い羽根が宙を舞う。


 高木は前列。俺は後列。

 俺がリーダーだとみんなで決めた。

 だから、本来ならば高木が俺に指示を出すことはない。


 しかしそれはあくまでアルカディアでの話であり──


「はいアウトー! 俺らの勝ちー」

「嘘だろ!? はぁ、はぁ、……すまね」


 それがバドミントンともなれば、また別の話だった。


 俺が振りきったラケットは、シャトルコックの白い部分──ベースをガットの中心で撃ち抜いた。

 それがむしろよくなかったのか、シャトルはわずか白線の奥に落下し、高木&俺のチームは祁答院&海野チームに敗北を喫してしまった。


「くっそ、勝ち誇った顔しやがって……」


 海野は祁答院とハイタッチをした後、ラケットを肩に担いで優越感丸出しの表情でこちらに視線を送っている。

 まるで体育のテニスでの雪辱を果たした、とでも言わんばかりだ。


「ドンマイ藤木! 次どうするー? チーム変える?」


 高木は敗北を気にした様子など見せず、さばさばと次のことを祁答院と話しあう。


 俺が高木に言いたいことはふたつ。

 俺は藤間だということと、


「くそっ……運動するならジャージのほうがよかったじゃねえか……! はぁ、はぁ」


 ここはスクエアテン内、スポッチュと呼ばれるスポーツ施設とアミューズメント施設が合わさったような場所。

 時間制課金で、すでに金を払ってあるから三時間はスポッチュ内のどんなスポーツもゲームもやりたい放題だ。


 スクエアテン自体は混雑していたが、スポッチュは空いていて、バドミントンコートに至っては三枚すべて未使用だったため、こうして遊んでいるわけだ。


 隣のコートでは灯里と三好伊織の魔法使いペア対一徹と三好清十郎のペアという組み合わせで膠着試合が続いている。


 体育は男女別だから、誰が運動が得意で、誰が苦手で、なんてことはこれまで一切わからなかった。

 アルカディアでの動きや役割を見た感じ、高木は運動得意なんだろうなとは感じていて、それは正解だったわけだ。


 ならば、魔法使いの灯里と三好姉弟は苦手なのだろうかと思いきや、違った。


 三好姉弟はめちゃくちゃ素早い。そしてジャンプが高い。

 シャトルが高く上がるとすぐ真下に潜り込んで高く跳躍し、後列からでも平気でスマッシュを決めてゆく。

 ラケットのスイングがこれまた速い。あれ、このふたり祁答院と同じくらい上手いんじゃないの?


「くっ……お見通しなのよセイっ!」

「あははっ、楽しいねイオ!」


 あとなんだろう、汗がきらきらと光ってめっちゃいいにおいしそう。

 ……もしかすると俺は変態かもしれない。


 ふたりと比べると灯里は動きこそ拙いものの、一生懸命な性格からか、必死でシャトルに食らいついていた。

 灯里が激しい動きをするたびに長い黒髪がふわりと揺れ、すこし遅れてさらりと身体についてゆく。

 俺は灯里の黒髪を見るのに必死だった。うん。変態だ。


 清十郎とコンビを組む一徹はバドミントンが初めてのようで、最初はラケットをシャトルに当てることさえできなかったが、コツを掴むのが早く、持ち前の運動神経の良さもあり、もしかしたら俺より上手いんじゃないの、と思うほどまで急成長していた。


「オラァッ!」

「よっしゃあああああっ! 見たかコラァ!」

「見せてやんよ……〝スピードの向こう側〟を……!」


 ただ、うるさい。

 一徹が点を決めるたびに俺を振り返ってドヤ顔するのも恥ずかしい。

 とはいえ、アッシマーに頼まれていることもあって、結局負けて膝をついた一徹に近づいてゆく。


「一徹立て。次組むぞ」

「お、おお……! アニキ!」


 一徹は大きな目を見開いてきらきらと輝かせた。

 ……なんでこんなに懐かれてんのかは知らんけど。


「言っとくけど、俺あんまり上手くねえからな」

「へっへっへ、桃園とうえんの誓いってやつだな……!」


 俺の言葉を聞いている様子のない一徹はうきうきとラケットを振る。

 それにしても、こいつが三国志のエピソードを引用してくるとは意外だった。


「……桃園っていうにはひとり足んないだろ」


 桃園の誓いとは、三国志演義において、後にしょくを建国する劉備が義勇兵として立ち上がる際、関羽、張飛のふたりと桜の木の下で義兄弟の契を交わすという有名なエピソードだ。

 だからひとり足りない。


「あーそうか、姉ちゃんがいないとはじまんないもんな!」

「なんでアッシマー限定なんだよ……」

「義兄弟、ってそういうことだろ?」

「どういうことなの? いま俺が理解してるのは、お前と話が噛み合ってないってことだけなんだけど」

「へっへっへ、照れんなってアニキ!」


 にかっと笑って白い歯を見せてくる一徹だが、たぶんなにひとつ俺に伝わってないからね?


 そうこうしているうちに対戦相手が向こうのコートに並んだ。

 楚々とお辞儀をしてくる灯里と「よろしくねー!」と元気よくラケットを振る三好清十郎だ。


「さっきやりあった激マブねーちゃんと、オレと組んだねーちゃんか……。相手にとって不足はねーぜ!」

「……片方、男だぞ」


 一徹の顔がぴしりと固まった。

 真面目な顔になって、向こうのコートのふたりと俺へ視線を何度も彷徨わせる。


「嘘だろ……? マジ?」

「残念ながらマジなんだよなぁ……」


 おっといけない。図らずも、残念ながら、に力が入ってしまった。


「ふたりのうち、どっちが男なんだ……?」

「おうコラ灯里のことを男とか言ったらぶっ殺すぞ」

「ひでえ!」


 一徹はアッシマーのように「がびーん!」と身体全体をぴーんと伸ばして俺に抗議した。

 アッシマーみたいな遠くからでもわかる巨大装甲が灯里に搭載されていれば一徹もこんな質問はしなかったのかもしれない──なんて灯里の前では言えないどころか想像すらできない。俺は顔で如実に語ってしまうらしいから。


 さっき聞いた話だが、三好姉弟は世にも珍しい準一卵性双生児というやつらしく、本来、一卵性双生児は性別が統一されているみたいなんだけど、染色体がうんぬんで男女の一卵性双生児として産まれたそうだ。


 そんなわけで、姉の伊織に似た顔立ちの清十郎が女性だと勘違いされるのはそう珍しくないことだという。

 服のチョイスもボーイッシュ女子的で、なんというか……わずかな期待と希望を残してくれている気がするのが心憎い。


「じゃあいくねー!」


 清十郎が軽めのサーブを打ち、シャトルが宙に舞った。


「うぉおおおおおおいくぜアニキィィィィィ!! オレたち爆走兄弟のキズナ、見せてやろうぜェェェェエエエエ!!」


 そんなものはなかった。

 当然だけど負けた。



──



「あ、そーだ。あたし香菜と交代すっかな。ちょっと待ってて」


 高木がレンタルシューズからミュールに履き替え、スポーツドリンクのペットボトルを片手にコートを出ていった。


 アッシマー、つくね、そして鈴原はコートと同じ階にあるだだっ広いキッズコーナーで三人で遊んでいる。

 さっき俺と遊んだボールプールとは比べるべくもない大規模な遊具の数々につくねは瞳を輝かせた。


『ふじまー! あそこ! あそこ!』

『おーつくね、一緒に遊ぼうなー』

『だ、だめですよぅ! 藤間くんばっかり悪いですっ。ここはわたしが……!』

『あはは、じゃあウチも行こうかなー。ウチ、ああいうの結構好きなんだー』


 ……とまあこんな感じだ。俺もあそこで遊んでみたかった、とか思ったのは内緒だ。


「くぉぉぉぉぉおおおお! 見分けがつかねえ! 分身の術か!? 混乱パニクらせる気だろォォォォ!?」

「一徹くん、落ち着いて、シャトルをよく見て」


 疲れて棒立ちになっていると、三好姉弟vs一徹&祁答院の対戦が始まった。

 これは祁答院が負けるという稀有な光景が見られるかもしれない、なんて性格悪く思い、疲労した足腰を休ませるためにベンチに腰掛ける。


「くっそ……筋肉痛さえなけりゃな……」

「あーだりぃ……休みの日にスポーツかよ……」


 ぎしっ、とベンチから音がしたのは、俺の尻の下だけではなかった。


「げ」

「げ」


 俺と反対方向の端に腰掛けたのは、海野直人だった。


 俺もすぐに立ち上がってほかのベンチに座ればいいのに、足腰のだるさと、俺のほうが先に座ったというつまらない意地、そして高木から言われた〝歩み寄り〟という単語がくさびとなって俺の腰をベンチに縫い付ける。


 どうやら海野にもこの場所を譲る気はないらしく、目が合っては逸らすを繰り返す。


 ……気まずい。


 それを隠すように、汗ばんだ額をいつものクセで長袖で拭ってから、これ買ったばかりの服じゃねえかと思いだす。

 脳内でふたたび高木に舌を打ち、脚を組む、なんて慣れないことを試してみるが、祁答院とか七々扇とか高木のように綺麗には組めなかった。


 互いに歩み寄る、ってどうやんの?

 学校では教えてくれなかったけど、KUM○N式とか新研ゼミとかなら教えてくれたの?

 「今日はいいお天気ですね」なんて言えばいいの? 古代のテンプレなうえ、そもそもここ屋内じゃねえか。


 いま思えば、俺、自分から誰かに歩み寄ったことなんてないかもしれない。

 アッシマーも灯里も、祁答院も鈴原も、あれだけ言いあった高木だって、向こうから歩み寄ってくれて、俺が戸惑いを覚えつつも受け入れた、ってだけの話だ。

 ……俺、自分からなにもしてねえ。


 シュウマツを越え、リディアは俺に「透は、おおきくなった」と言ってくれた。

 それが俺の変化なのだとして、それが前向きなものなのだとしたら、いまここで俺が海野に声をかける勇気や、これまでのあれこれに目を瞑る度量くらいはすでに兼ね備えているのかもしれない。


 ……なんて前向きな意思を脳内でこねくり回しても、歪な形をした粘土が脳と喉にこびりついて、言葉なんて出てくる気配がなかった。


 海野に横目をちらと送ると、彼も同じように俺に横目を流していて、目が合うとどちらからともなくそれを外した。


「……あのよ」


 海野のほうから声がした。

 俺はきょろきょろと視線を彷徨わせるが、海野の周りには俺しかいない。

 海野は正面を向いたまま俺に視線を合わせてはいないが、声をかけているのはどうやら俺に対してのようだった。


「な、なに」


 なんでもないように取り繕って返事をするが、俺の声は自覚できるほど上擦うわずっていた。

 海野は目線だけを一瞬こちらに向けて、また正面に戻した。

 なんだよこいつ、と思いながらも平静を装って脚を組み替える。……そのタイミングが海野と被り、同時になってしまった。


 声をかけるだけかけておいて、海野はなにも続けない。

 組んだ脚の上に右肘を立てて、さらにその上に頬を乗せた。

 ……なんだよその退屈そうなポーズ。


 海野の声かけを俺なりに考えてみる。


 ……高木は俺に〝互いに歩み寄れ〟と言った。

 ならば、高木は俺と同じように、海野にもそういうふうに伝えたのかもしれない。

 だから海野はこうして声をかけてきたわけだが、いざ話すとなるとなにを話していいのかわからない……と、こんな感じだろうか。


 ……って、もしもそうだとしたら、俺とまったく一緒ってことになっちまうじゃねえか。

 むしろ声をかけることができたぶん、俺より海野のほうが優れているってことになっちゃうじゃねえか。

 ここで「いいお天気ですね」だなんて言葉が飛び出せば、それを実行に移せたぶん、俺のほうが負けってことになる。


 なら、俺からいくか? 「いいお天気ですね」って無理やり言うか?


 俺がみっともなくうじうじしているあいだに、とうとう海野が口を開いた。


「…………って知ってるよな」

「……え?」


 俺がくだらない考えをしていたことと、海野が口にした言葉があまりにも予想の外だったから、思わず聞き逃してしまった。


 ……いや、聞こえてはいたんだけど、なぜいまその話をするのかわからず、聞こえていても理解できなかった、といったほうが正しいかもしれない。



 戸惑う俺に対し、海野はため息をつくようにして、もう一度それを口にした。




「……セリカって女、知ってるだろ。あいつはマジでヤベぇ。気をつけたほうがいいぜ」



 ──どうして、海野からその名前が。

 ──なんで、いまさらあいつの名前が。


 急に凍えるほど冷えた気がしたのは、汗が引いたからではない。

 毛虫が背中を這い上るような恐怖にも似た嫌悪感のせいだと、うるさいほど跳ねる心臓が教えてくれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る