10-32-ポップコーン・アンカヴァー

 メダルゲームとUFOキャッチャーコーナーに隣接する一角を、キッズゲームコーナーが占めている。

 子ども用の小さなメダルゲームやカードゲーム、ボールプールなどが設置されている、なかなかに広いゾーンだ。


 二十分ほどつくねとボールプールで遊んだんだが、はしゃぎまわるつくねに翻弄され、俺はすでにへとへとだった。


「つぎなにする? なにするー? あははははは!」


 対してつくねは俺の周囲を走り回り、元気いっぱいだ。俺より動いていたはずなのに。この元気はいったいどこからくるのだろうか。


 まあ、俺の疲れの一部は肉体的というよりも、子どもと遊ぶという慣れない状況と、俺とつくねが遊んでいることで、誰かに通報されないかという心配によるものが大きかった。


 なかには孫を連れてきたお婆ちゃんもいて、孫と遊ぼうと頑張って動いているわけだが、どうにも孫からしたらもの足りないらしく、派手にボールを波打たせて遊ぶつくねと俺のもとにやってきて、こちらに交ざってくるわけだ。


 そこからは違う子もわらわらとやってきて、一斉にボールを投げられたり、ボールの海に沈められたりと大変だった。なにこれ俺悲惨すぎ。


『ごめんなさいねー』

『お友達ができてよかったわねー』

『若いパパさんですねー』


 若いママさんがたはこちらを遠巻きに見ながら声をかけてくるわけだが、持ち前の暗さと人見知りが発動し「あ、いえ」「どもっす」「俺は父親じゃ──ぐえっ」くらいしか返すことができなかった。


 ボールプールに入ってからしばらくのあいだ危惧していた〝つくねと俺が遊んでいると事案〟に関しては、どうやら俺の思い過ごしだった、ってことになる。たぶん、高木と鈴原に選んでもらった服のおかげだろうけど。



『はーい、できあがりだよ!』


 画面のなかで、まんじゅうに顔と身体がついたキャラクターが手を振ってくる。上部についた看板では、


 『蒸したて! あんまんマンのポップコーンファクトリー』


 と子どもに大人気のアニメシリーズのキャラたちが勢揃いで笑顔を浮かべている。


「なんであんまんじゃなくてポップコーンなんだよ……」


 誰にも聞こえないように独りちながら画面の隣に設置された小さい扉を開ける。

 キャラクターに負けないくらいにっこにこな笑顔のつくねが扉に両手を入れ、100円とは思えないほど盛られたポップコーンを取り出した。


「すわるところさがそー!」


 つくねに躾が行き届いていることに、アッシマーへの評価ポイントが1上昇する。俺や澪だと立ったまま食うもんね。


 さすがに日曜ということで、スクエアテンはカップルや家族連れで結構混んでいた。

 空いたソファが見つかったのは、音楽ゲームやレーシングゲームといった爆音が響くコーナーだった。


「あー、あそこ!」


 つくねは轟音を気にする様子もなくソファに座り、隣を空いた手でぽんぽんと叩いてここに座れと促してくる。


 ちょうど目の前に自動販売機があって、つくねにどれがいいのかと尋ねると、白い乳酸菌飲料のペットボトルを指さした。俺はそれと水のボタンを押し、足元を見た価格に顔を引きつらせた。


「いただきまーす!」


 ご飯ならともかく、ポップコーンでいただきますと言えるのもしっかりしてるよなぁ……と感心していると、つくねは自分の口にひと粒放り込んだあと、俺の口元に手を伸ばしてきた。


「はいっ!」


 親指と人差し指のあいだにはポップコーンが挟まっていて、どうやら俺にくれるということらしかった。


「サンキュ」


 つくねの指の下に手のひらを上に向けて差し出すが、なかなかポップコーンが落ちてこない。

 こちらに伸びた手は「ん! ん!」というようにぴくんぴくんとアピールしている。


「あーん!」

「お、おう」


 自分の唇がつくねの指に触れないよう、恐る恐る口を近づけると、顔がなかなか近づいてこないことに業を煮やしたのか、つくねの指は俺の口内にずぼーっと侵入してきた。


 驚いて目を見開くが、つくねの顔はにっこにこのまま、俺の口内にポップコーンを残して指が引いてゆく。


 口のなかに広がるバターと塩の味。


「おいしいね! あははははは!」


 藤間菌とか言われなくてよかったという悲しすぎる安心と、俺なんかにも普通に接してくれるという寂しすぎる喜びが同時にやってくる。


 なに、なんなの? マジで可愛すぎか。

 美味しくて足をぱたぱたしてるのも可愛すぎか。


 でもなんだろう、つくねは将来、魔性の女になるような気がした。



──



 ポップコーンが半分になったころ。

 UFOキャッチャーは諦めたのか、みんなはいつのまにか合流していた。


 音ゲーコーナーでは祁答院と海野がギター、鈴原がドラムという少々意外な組み合わせでセッションプレイをしている。


「次の曲どうする?」

「香菜難しい曲ばっかり選ぶんだもんよー」

「うんうん、ウチ最後でいいよー。直人くんどうぞー」

「やっぱり難しい曲は選ぶのかよ!」


 雑音に混じり、ロックとメタルを合わせたような曲が流れてきた。

 祁答院はスマートに、海野はやや大げさにギター型のコントローラーを操り、やや不安定なリフを刻む。

 鈴原はミュールを脱いで、素足でツーバスを踏む。不規則なライトシンバルを叩きながらもバスドラムの音は正確だ。……かなりやってるな。これも意外だ。


 その隣には、ドラム型洗濯機みたいな筐体きょうたいが横にずらっと並んでいて、三好姉弟とアッシマーが画面の周りをぐるりと円を描くように並べられたボタンをタッチしていた。


「ほら、姉ちゃんいるぞ」

「んー? あ、ほんとだ、しみちゃん!」


「はわわわわわわぁ……!」

「あははは、足柄山さん、はじめてなのに上手だね!」

「それよりその声どうにかならないの!? 注目されて恥ずかしいんだけど!?」


 三人の後ろにはタオルと手袋持参のいわゆるガチ勢が温かい視線を三人に──おもにアッシマーに向けている。


 そうだ。初心者をあざ笑うやつにはゲーマーの資格もオタクの資格もない。

 ……なんて勝手に知った顔になって頷いていると、大きな声が聞こえてきた。


「くっ、やるじゃねーか姐御あねご!」

「あんたもただのイキりヤンキーかと思ったらやるじゃん!」


 シートに隠れて姿は見えないが、この声はどう考えても高木と一徹だった。


「きたきたきたきた……! 待ってたぜェ、この瞬間ときを──」

「あらよっと」

「げえええええええ赤甲羅ァァァァァァァ!」

「はいあたしの勝ちー」


 ギャルvsヤンキーの決闘バトルはギャルに軍配が上がったらしい。

 ……って、そのふたりで打ち解けるのかよ。姐御って……。


「いっくんもたのしそう! あははははは!」


 いっくん……一徹のことか。

 高木に負けたことでシートから転げ落ちて頭を抱える一徹は、俺からすれば悔しそうにしか見えない。

 しかし俺と違い、普段の一徹を知るつくねからすれば、あんな光景でも、兄はさぞかし楽しそうに見えているのだろう。


「つくねは偉いな」

「えらいー?」

「ああ。自分以外の誰かの幸せを喜べるやつは、偉いんだ」


 俺は家族の幸せを喜べる子どもだっただろうかと、記憶の糸を手繰る。

 しかしやはり、その途中で手が止まる。


 中学校のころ、獅子王と朝比奈にされた仕打ち。

 俺は乗り越えたんだ、と無理やり己に言い聞かせ、手繰る力を強めても、小学校高学年の獅子王のいやらしい笑みが、俺にその先を見せてくれない。


 結局、つくねと同じだった小学一年生の自分を思い返せぬまま、頭を横に振って追想の糸を断ち切った。



「藤間くん、どうしたの?」


 声に呼ばれて顔を上げると、目の前で灯里が自らの両膝に手を置いて、前屈みになって俺の顔を覗き込んでいた。


「んああ、いや、つくねが偉いって話」


 目が合って、やっぱり照れくさくて逸らしてしまう。

 ついでに過去を思い出したことからも逸らしながらつくねの頭を撫でた。


「藤間くん、やっぱり子どもに優しいんだね」


 灯里は俺とつくねに微笑んで、つくねに「隣、いい?」と柔らかく声をかけた。

 つくねは「うん、いいよ」とにっこにこの笑顔で俺の反対側のソファーをポンポンと叩く。


 つくねを挟んだ向こうに灯里が腰を下ろすと、つくねはポップコーンを一粒取り出して「あーん!」と灯里に差し出した。


 灯里は「ありがとう」と一言笑って、つくねの手に顔を近づけ口を開ける。

 髪をかきあげる仕草がどうにも色っぽく俺の胸をかきむしる。


 灯里がポップコーンを口に入れた瞬間、俺と目が合った。


「や、やだ、見ないで」

「んあ、わ、悪ぃ」


 謝って目を逸らす。

 ……いやなんで俺が謝るんだよと疑問を持ったとき、灯里がふたたび口を開いた。


「あ、ううん、見てもいいんだけど、むしろ見てほしいんだけど、その……食べてるところの不意打ちは……恥ずかし、くて」


 灯里からすれば俺が不意打ちを仕掛けた、あるいは図らずも不意打ちになってしまったような言いかただが、俺からしてみれば灯里の台詞のほうが不意打ちだった。


「私、ポップコーンって初めて食べたけど、おいしいね」


 照れ隠しのようにつくねに笑いかける灯里。つくねは嬉しかったのか、もう一粒灯里の口元へ差し出す。俺は慌てて視線を逸らした。

 つーかポップコーン食べたことないとか、そんなことある?


 灯里はつくねの手元にあるポップコーンのカップをちらと見て、あと半分以上残っていることを確認したのか、それでもうしばらくここに座っているだろうとふんだのか、立ち上がって自販機の前に立ち、レモンティーのボタンを押した。


「そういえばつくねちゃんと藤間くんって、以前にも会ったことがある、んだよ……ね?」


 ふたたび腰掛けながら問いかける。

 仕草からしても何気ない問いかけに見えたが、どことなくここからが本題です、といったふうに聞こえた。


「はじめてだ。兄貴の一徹とはジョギング中に何回か話したことがあるけど」

「あったことあるー!」


 俺の言葉尻はつくねの発言によってかき消された。

 え、なに、会ったことある、って。

 そいつ本当に俺なの? 俺によく似た目つきの悪い不審者とか変質者なんじゃないの?


 灯里は俺とつくねの返事に「ふーん」と笑みを濃くして、裏腹に口元は胡乱げな、そんな生中なまなかな表情でふたたびつくねに問いかける。


「藤間くんとどこで会ったの?」

「こないだのよると、こないだとこないだのよる! しみちゃんとおうちにきたー! あははははは!」


 ぴしっ、と灯里の笑顔が固まった。


「いや待てもしかして会ったってそういうことかよ。いいかつくねあれは会った、じゃなくて見た、が正しい」


 早口でつくねに説明するが、自分でわかっている。

 これは灯里に対する説明というか弁明だ。


「藤間くん、しーちゃんのお家に行ったの? ……二回も」

「行ってない。あ、いや、行ったは行ったけど」

「どっち?」


 家の前まで二回ほど送っただけ。それをつくねに見られただけ、と必死に口を回す。


「夜、だよね? 藤間くんもしーちゃんも部活入ってないよね? なに、してたのかな?」


 灯里の言葉は食いついて離さないピラニアのようでありながら、鈍く光る瞳は獲物を逃さない蛇のようだった。


「あー……じつはな。以前、親に仕送りを打ち切られた、って灯里に言ったことがあっただろ。その次の日から、アッシマーのバイト先に世話になってて、その……なんだ。夜遅くに女子ひとりで帰らせる、ってのもな」


 アッシマーをはじめて送った夜、彼女は灯里に申しわけないと弱々しく呟いた。

 そのとき俺は『なんで?』と返したが、こうして情けなく説明する自分のことを考えると、いまの俺はアッシマーの言葉の意味を理解している……と思う。


 ようするに、灯里の気持ちを知っておいて、なに他の女子を送っているんだ、灯里が悲しむだろ、と、そういうことなのだろう。 


「藤間くん、アルバイトはじめたんだ。どんなところ?」


 灯里の反応が悲しみではなく驚きだったことに胸を撫で下ろす。


「パン工場。つっても、みたらし団子とか饅頭まんじゅうとか担当してることのほうが多いけど」

「パン工場なのに? ……ふふっ」


 自然な笑み。

 そのなかに、悲しみが隠されていないだろうかと不安になって探してしまう。そんな自分がちょっといやになったとき、つくねが「パン?」と口にして「あ、そーだ!」となにかを思い出したように立ち上がった。 

 

「ふじま、いつもパンありがとー!」


 なんのことだろう、とわずかに逡巡しゅんじゅんし、まかないのパンのことだろうと思い当たる。


「どういたしまして。ちゃんとお礼が言えて偉いなつくね」


 アッシマーには素直になれないのに、つくねには素直に返せる。これが幼女パワーか。


「つくねはどのパンが好きなんだ?」

「クリームパン!」

「じゃあ次はクリームパン多めにしてやろうな」


 俺にしては気の利いた台詞だったはずなのに、つくねはふるふると首を横に振る。


「クリームパンがいちばんすきなのはつくねだけだから、いっこあればいい!」


 うーん、なんていい子。

 頭を撫でようと思ったが、つくねの頭はすでに灯里の手のひらに独占されていた。


「つくねちゃんは、藤間くんのどんなところが好き?」


 おいやめろよ、と目で訴えるが、灯里は素知らぬ顔でつくねの頭を撫で続けている。


 一徹から聞いた話だったらワルがどうのこうのって話になっちまうし、そうじゃなくてもパンをくれるから好き、とかそういうちょっと残念な回答になっちまうだろ。


「しみちゃんをげんきにしてくれるところ!」


 しかしつくねは考える素振りすら見せず、笑顔のまま即答した。


「しみちゃん、つくねのまえではにこにこだけど、ひとりだとしょぼーんなの。でも、ふじまとかえってきたあとは、ひとりのときもにっこにこなの! あははははは!」


 つくねの頭を撫でる灯里の手が止まった。

 凍てつく空気。つくねの言葉には俺の感情を揺さぶるなにかを孕んでいた気もするが、それ以前に生きた心地がしなかった。

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