10-30-これまでの俺ならば -友達の友達-

 なんでこいつがいるんだよ聞いてねえよ……という顔をしたのは俺だけではなく、海野直人もだった。


 しかもどうやら俺と海野以外はお互いがここに来ることを知っていたようで、祁答院は「まあまあ」と苦笑し、高木なんて「してやったり」とでも言わんばかりに口角を上げている。


「亜沙美ちゃん、ほかに誰が来るんだっけ?」

「えっとー、しーちゃんは来るんだよねー?」


 灯里と鈴原は話題を逸らすように、あるいは助けを求めるように、同時に高木へと顔を向ける。

 高木はギアをいじりながら「んー」と気のない返事をしたあと、俺たち全員を笑顔で振り返った。


「予定変更! スクエアテン行こ!」


 高木の言うスクエアテンという名前は、俺でも知っている。

 ゲームセンター、カラオケ、ボウリング、ビリヤードやダーツ、さらにはスポッチュという身体を動かす──テニスやバドミントン、バッティングといったスポーツも楽しめる、大型アミューズメント施設だ。


 スクエアテンは金沢にもあり、澪と一緒に何度か行ったことがある。まあ俺たちは当然のようにカラオケやビリヤードといったチャラくさい遊びではなく、ゲームセンターばかりだったけど。


「えー、ウチと伶奈、ミュールなんだけどー」

「シューズ借りればいいじゃん! 行こ行こ!」

「カラオケじゃなかったのかよー」


 市川駅の北口へ向かう高木。

 鈴原と海野がすこし渋る様子を見せながら彼女に続くと、祁答院が、


「ははっ、亜沙美が自由なのはいつもだよ。それも彼女の魅力のひとつだと思う。さあ行こう」


 俺と灯里の背を押した。


 ……いや、自由もなにも、俺なんて誰が来るか、どこへなにしに行くかも聞かされてなかったんですけど。



──



 石川県に住んでいた俺としては、千葉県って東京に近いぶん、めっちゃ発展しているものだと勝手に思っていた。


 しかし市川駅付近、とりわけ北側の路地はわりと地味で、くたびれた居酒屋や古ぼけたサインポールの理髪店が立ち並んでいて、どこか懐かしさと安心感を与えてくれる。


「亜沙美ちゃんはね」


 最後尾、俺の隣を歩く灯里が声を潜めた。


「たぶん、藤間くんと海野くんに仲良くなってほしいんだと思うの」

「は? 俺と? あいつが? なんで?」


 俺は相当間抜けな顔をしているのだろう、灯里がたはは……と困ったように微笑んだ。


「性格、かな。亜沙美ちゃん、本当にお友達思いだから」

「……それは知ってるけど」


 以前、鈴原が海野と望月と揉めたとき、鈴原について一緒に宿を出たくらいだ。歯に衣着せぬ物言いや、高圧的な態度が癪に障ったこともあったが、なんだかんだでめちゃくちゃいいやつ、というのが嘘偽りない俺の高木に対する評価だ。


「今回は海野くんと香菜ちゃん、藤間くんが仲良くなるための企画なんだと思う」

「……」


 鈴原はともかく、だから海野にも俺にも、お互いが来ることを知らせなかったのか。

 ……そりゃそうだよな。海野が来るって知ってたら、きっと俺はここに来なかっただろうから。


 大きなお世話だ、という言葉が喉までせり上がったが、それは言葉にならなかった。

 かつて部屋の隅で膝を抱えてばかりだった俺が、こうして誰かと喋っていられるのは、いつだって誰かの大きなお世話だったのだから。


「なれる気はしねえけど、そういう意図があるってことだけは覚えとく」

「うんっ」


 俺の曖昧な返事だけで、灯里はぱあっと笑顔を咲かせた。


 ……高木と鈴原は俺のことを友達だと言ってくれた。

 しかし、ふたりは海野とも友人なのだ。


 俺と海野は友人同士ではないが、どちらとも友人の高木からすれば、俺たちが互いに顔すら見たくない、という状況が好ましくないのであろう。

 なんとなくだが、高木のそんな感情はわからなくもない。


 シュウマツを越え、俺が海野に持つ印象はすこしだけ軟化していると自覚している。


『悠真、なんでそんなやつに声かけてんだよ』

『反省ひとり、喧嘩腰ふたり。喧嘩腰ひとりが残る簡単な引き算だな』


 互いに聞こえるように悪口を言いあう──俺と海野はそんな仲だったけど、


『起きたんなら……その、手伝え、よな』

『え、あ、お、おう』


 互いの軋轢あつれきを理解して意識したうえでなんとなくごまかし顔を背けあうような仲になっている。


 イメージスフィアであのシュウマツを俯瞰ふかんした今だからこそ知っていることだが、コボじろうが海野を庇い、そのコボじろうをぷりたろうが庇って爆発したときから、コボじろうと海野のあいだには絆が生まれていたように思う。


 それになんだかんだ言って、渦のなかでは、俺はたしかに海野をまあその、仲間だと認めていた。

 あいつがいなければ、とくに最終──第七ウェーブは越えられなかった。


 だから、これまでのあれこれで許容できないところはあるにせよ、海野はそれだけじゃないと心のどこかで思っている。


 ……それでも。


 ……それでもやはり、


『藤間のやつ、オンナに任せて休憩してね?』

『地味子じゃなかったら殴ってたわー』


 なにも悪いことをしていない、アッシマーに対するあまりにも理不尽な暴言が、記憶の片隅に残っている。


 胸の一隅を占めるこれらの言葉が消えない限り、仲良くなんてできそうもない。


 ……俺、やっぱり心が狭いのだろうか。


「……高木、鈴原」


 先頭が祁答院と海野になり、ふたりが会話をはじめたタイミングでふたりにそっと声をかけた。


「鈴原、お前あいつにひどいこと言われたんだろ? そういうの、許せるのか?」


 鈴原は「んー」と人差し指をおとがいに当て、考えるような素振りを見せる。


「許すとか許さないとか、あんまりそういうの考えないかなー。仲良くできればそれでいいっていうかー。気まずいのはもっといやっていうかー」


 なんとも鈴原らしい、マイペースな回答だった。


「思い出してムカついたりしねえの?」

「ムカつくっていうのは違うかなー。ときどき夜に思い出して寝付けなかったりするけどー」


 それ、じゅうぶんヤバいと思うんだけど……。

 そこでふと、俺も鈴原に迷惑をかけていないか心配になった。


「俺、大丈夫か? 俺のせいで寝られないってことないよな?」

「うぇ!?」


 ないよな? という言葉尻通り、ないことを前提とした確認のような問いだったが、鈴原の反応は俺が予想したものと違った。


「え、マジか」


 慌てふためく鈴原を横目に記憶の糸を手繰り、俺が鈴原にしたことを思い出してゆく。


 ……あ。


『パリピも陰キャに迷惑かけんなよバーカ』


 ここ最近ずっと一緒にいたから、以前に自分が言い放った暴言を忘れていた。

 ……しかし果たして、そのことなのだろうか。

 いつだったか、互いに態度が悪かったと謝罪しあったはず──


「ち、違うの、そういうのじゃなくてー」


 俺の感情はやはりそのまま顔に出ていたのだろうか、鈴原はわたわたと両手を振る。


「な、内緒ー」


 鈴原は俺からぷいと顔をそらし、たったっと歩みを速め、祁答院たちのところまで走っていってしまった。


「お、おい。──あいた


 右隣りの灯里と、鈴原がいなくなったことで俺の左に並んだ高木から同時にバッグで叩かれた。

 なんだよ、と抗議の視線を向けると、高木が口を尖らせながら口を開いた。


「人間関係は、許す許さないじゃないんだって。あたしも許せないやつっているし、あたしのことが許せない人っていると思う。でもあたしはそんなやつにも声かける」


 かつて俺が高木のことを内心でクソゲロビッチと呼んでいたことを思い出す。きっと俺が高木を憎らしく思っていたように、高木も俺を同じように思っていただろう。


 でも、高木は俺に声をかけてくれた。

 それは俺よりも高木のほうが勇気があるとか、陽キャだからとか、そういうことじゃなかったんだ。


「青春の三年間、あんたずっとそれでいいわけ? そうやっていがみ合っててさ。この世は白と黒だけじゃない。白は自分のキャンパスを汚す黒を許せないかもしれないけど、十五年も生きてれば、みんなすでにグレーなんだっつーの」


 人間関係を諦めてひねくれて、それでも憧れた俺なんかよりも、きっと高木は──そう、大人だったのだ。


 自分が子どもだったのだといま気づいても、どうしていいかがわからない。

 だから俺の口からはじつに子どもらしいストレートな疑問が飛び出した。


「……じゃあどうしろってんだよ」

「許せないところがあっても、あんたらの場合はお互いさまなんだから、お互いに歩み寄れ、って言ってんの」


 そんな俺の情けない質問にも、高木はまるで先生のように即答してくれる。


「友達と友達は仲良くしてくれたほうがうれしいに決まってるじゃん。あんただって、あたしと伶奈が気まずい感じで、顔を見たら避ける、みたいなのイヤでしょ?」

「あ、あはは……それは私もいやだなぁ……」


 そんなの……想像したくもない。

 高木と灯里だけじゃない。

 鈴原もアッシマーも七々扇も、まあほら、ついでに祁答院とかも、仲がいいに越したことはない。


 ──と、ここで知らず口のが緩んだ。


「ん? なんかあたしおかしいこと言った?」

「いや、すまん。自分がおかしかっただけだ」


 高木も灯里も首をかしげる。

 クラス内の超トラブルメーカーだった俺が──実際、いまもトラブルメーカーかもしれないけど──みんな仲良くあってほしいと思うなんて、どれだけ自己中なんだよって思う。


 昔の俺なら、高木の言葉を「善人ぶるんじゃねえよ」なんて一蹴していたかもしれない。

 でもいまの俺なら、高木の言う"友達"という単語をこそばゆく思いながらも信じられる俺なら、高木の言葉を咀嚼そしゃくすることができた。


「まあ善処してみるわ。でも、喧嘩になるかもしれねえ」

「いーじゃん、喧嘩すれば。お互いに気に入らないところ言いあったら? いまよりずっとマシ」

「け、喧嘩はしないに越したことはないからね?」

「ちな、伶奈を引き合いに出したけど、もちろん伶奈と直人が同じ、ってわけじゃ全然ないからね。あたし、伶奈大好きだし!」


 高木は俺を押しのけるようにして、逆方向にいた灯里に抱きつき、くるくると回転する。

 灯里はあわあわと慌てたように汗を飛ばしながら、高木の頭を撫でるのだった。


 ……いつだったか。

 学校に向かう長い坂道で、水面に水滴をほんの一雫垂らすように、小さな声で呟いたことがあった。


「…………ありがとな」


 高木には聞こえないように、やはり俺はひっそりと、駅裏の空にほんの一滴だけ零した。


「んー? なに?」

「ふふっ、亜沙美ちゃん、藤間くんが『ありがとな』って」

「お、おいこら灯里、それ反則だろ。っつーかお前地獄耳すぎない?」

「聞こえなかったし。もう一回言ってみ? 言ってみー?」


 高木に人差し指で脇腹を突かれながら歩く路地。

 喋りながら歩くスクエアテンまでの10分の道のりは、やけに短く感じた。



「あ、みんなー! やっほー!」


 スクエアテンの入口脇にある駐輪場から手を振る少年……? の姿が目に入った。


 すこしだけだぼっとした薄いベージュのパンツ、近い色の袖なしの上着からは、白と水色のストライプ模様の長袖が覗いている。

 先頭の祁答院と海野が手を振り返すと、彼、あるいは彼女はなおのことスイングを大きくした。


「ちょ、ちょっとセイ、声大きいわよ」


 彼? の後ろにいたもうひとり──三好伊織がたしなめる姿を見て、ああ、清十郎のほうだったのか、と気がついた。


 三好伊織は膝までのジーンズとデニム生地の上着に桃色のインナーを身にまとっている。

 男女の双子はあまり好みが似ない、と聞いたことがあるが、この双子はそうではないのか、三好伊織は白と水色のストライプが入った長いソックスをはいていた。


「高木さん、今日は誘ってくれてありがとう!」

「うーっすセイ。イオのほうは渋ってたみたいだけど、ちゃんと連れてきてくれたじゃん」

「あはは、ごめんね。イオってばシャイなとこあるから」

「放っときなさいよ」


 三好姉弟がいることで俺はようやく、この場が人間関係を修復させるためだけの場ではなく、高木が企画したシュウマツの打ち上げなんだろうな、と認識した。


 清十郎はみんなとひとしきり話してから俺のほうを向く。当然、目が合った。


「わぁぁ、藤間くん、私服かっこいいね!」

「ぐあ……ど、ども。お前もその、よく似合ってる」


 中性的な顔立ちに中性的な格好がマッチして、祁答院とは違う意味で王子様というか、演劇部の女子が演じる王子様的な姿が、男女の境目を超越した魅力を俺に見せつけてくる。なに言ってんだ俺。


「足柄山さんは? まだ?」

「や、知らねえ。ぶっちゃけ俺、誰が来るのかも聞かされてねえ」


 高木にやや不満げな視線を送ると、やはり彼女は微塵も動揺を見せず、


「あとしー子たちだけ。あ、きた」


 しー子”たち”という言葉に若干の不安を覚えながら、高木が指差すほうに首を回す。


「遅くなってごめんなさいぃぃー!」


 そこには歩道から敷地内へどべべべべー! と駆けてくるアッシマー……だけじゃなかった。

 

「あははははは!」


 幼稚園児か小学生と思われる幼女が、にっこにこの笑顔でアッシマーの手を引き、こちらへ猛然と走ってきた。


 さらにその後ろには──


「アニキぃぃぃぃいぃぃぃーっっ!」


 俺の姿を確認し、同じく顔をほころばせて駆けてくる金髪坊主──足柄山一徹の姿があった。

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