10-29-待ち合わせ、背伸び陰キャと鈴蘭花

「いらっしゃいませー!」


 市川駅のすぐそばにあるマックドナルドの自動ドアを開けると、すこしだけ油っぽい匂いとプライスレスの笑顔が迎え入れてくれた。


「なあ、マジでここで食うの?」

「ん? ハンバーガーきらい?」

「いや、そういうわけじゃねえけど」


 日曜、しかも昼どきのハンバーガーショップは若人でごった返していた。

 手を繋いだカップル、夏みたいな格好をしたギャル。部活帰りなのだろう、スポーツバッグを抱えた男子高校生の集団は制汗剤の香りをまき散らしている。


「混みすぎだろ。食う場所なんてあるのかよ」

「二階もあるし、なんとかなるよー」


 諸兄はもうご存じだろうが、俺は人混みがきらいだ。

 とくにメシ中なんかは孤独がいい。ひとりでひっそりと「こういうのでいいんだよ」なんて頷きながらうまいメシをゆっくりと咀嚼そしゃくしたい。……まあ俺の場合、だいたいスティックパンなんだけど。


 俺がここで食事をとることを渋る理由はそれだけではなく、高木の言う待ちあわせまであと20分をきっているということだ。これだけ混んでいれば、待ち時間もさぞかし長いことだろう。

 待ちあわせをしたのが俺ではなく高木ではあっても、約束の時間に遅れることはなんとしても避けたかった。だから俺はコンビニで適当に済ませようと提案しようとするが──


「次でお待ちのお客さま、どうぞー」


 四つあるレジは長蛇の列をものともせずにずんずんと進み、あっという間に俺たちの番になった。

 メニューを決めてすらいない。これがプロ……!



 いつもの俺ならば超お手軽な価格のハンバーガーふたつとかクーポンのポテトとか、挙句の果てには水ください、なんて注文して店員の笑顔の限界を試すことになるわけだが、今日はそういうことはせず、陽キャが注文しそうなてりやきマックドバーガーのセットにした。先入観ヤバいな俺。


 高木と鈴原に先導されながらトレイを持って二階へ上がると、やはりこちらも混雑していたものの、ちょうど四人がけの席に座っていたチャラ男ふたりが立ち上がったところだった。


「お、ラッキー」


 高木が弾んだ声をあげると、チャラ男ふたりも高木と鈴原を見て「おっ」とチャラついた顔になり、


「どーぞどーぞ」

「きみらふたり?」


 テーブルにトレイを載せたふたりに声をかけはじめた。


「あ、男なら間にあってるんで」

「藤間くん、こっちー」


 高木は男たちを一瞥もせず、また対応はにべもない。

 対して鈴原は助けを求めるように俺に手を振った。


 男たちは俺を振り返ると「ちっ」と舌打ちしながら、つまらなそうな顔をして階下へ消えていった。


 その様子を見て、高木と鈴原はほっとした顔になり、奥の椅子に並んで腰掛けた。


「ごめんねー、藤間くんを男避けに使っちゃってー」

「いや、いい。なんか逆に出る幕なくてすまんかった」


 言いながらふたりの向かいに腰を下ろす。あいつらのせいで椅子がほんのり温かいのがすこしいやだった。


「ああいうこと、よくあるのか?」

「まーね。香菜といると結構ある」

「やだ、違う、亜沙美だよー」


 いわゆるナンパってやつか。

 まあなんだ、同じクラスで、アルカディアで行動をともにしているからか、その、なんだ。目の前のふたりは近くのテーブルに座る女子たちよりも可愛く見える気もする。


「あんたがジャージのままだと、あたしらまで低く見られちゃうじゃん。結局人間は第一印象から入るんだから」


 高木は鈴原と互いのセットのサラダとポテトを半分ずつ分けながら、歯に衣着せぬことを言い放つ。


 俺がジャージのままだったらあいつらは「は? こんなやつと?」みたいなことを言われたり、なんなら「こんなやつより俺らと一緒に遊ぼうぜー」という面倒くさい展開になっていたかもしれないってことか。


 ……服なんかで、そんなに印象が変わるとは俺には思えないけど。


「あんたも素材は悪くないかもしれないかもしれないんだからさ」

「あはは、亜沙美素直じゃないなー。藤間くん、カッコいいと思うよー」

「あ、あざます」


 柔らかく笑う鈴原にテンパった声を返しながら、ガサガサと包みを開けてハンバーガーに口をつけた。


 ……それにしても、高木の素材は悪くないかもしれないかもしれないって薄めに薄めてほぼ水、みたいな褒めかた、最近澪にもされたなぁ……。


 高木がやや急いでいる様子でむぐむぐと食べ始めると、鈴原も時計に目をやっていそいそとハンバーガーに口をつけていった。



 俺が息を切らせながらふたたびきみどりの窓口に到着したの時間は12:55だった。

 約束の五分前であるにもかかわらず、まだ誰も到着していないことに安心した高木と鈴原は安堵の息を漏らし、この場所を俺に任せて化粧直しに向かった。


 女子って大変なんだな……。なんて思っていたら、背後から「やあ」と声をかけられた。


 振り返ると、襟元が膨らんだ白のジャケットとパンツ、深緑のインナーシャツに小ぶりのネックレスが光っている。

 彼はすらりとした長身に毛先だけパーマされた茶髪、なによりも甘やかに整った顔立ちを持っていた。


「よ、よう、祁答院」

「やあ藤間くん。休みの日に会うのははじめてだね」


 祁答院は俺をちらと見て「へぇ、やるじゃないか」と朗らかに笑う。


「な、なんだよ」

「ごめん。藤間くんが普段どんな服を着ているのか、気になってたから。制服とアルカディアでの服装しか見ていないだろ?」


 ここでようやく、服ってそんなに大事か? という俺が内心でやっていた『高木&鈴原vs俺』の闘いに決着がつく。ずっと劣勢だったけど。


 ガラスに反射する自分は高木の言うように『案外悪くないかもしれないかもしれない』というものだったけれど、祁答院はもうあれだ。次元が違った。


 俺は誰かの服装を褒める語彙なんて持ち合わせちゃいないが、それにしたって祁答院の服装は甘いマスクによく似合っていた。なんつーか、爽やかお兄さんでありながらも王子様っつーか。やだ本当に語彙力なさすぎ。


「ところでそのショップの袋、みんなが来る前にロッカーに預けてきたらどうだい?」

「大きなお世話だ」


 祁答院は俺が身につけている服装が、急ぎで購入したことに気づいている。なんなのこの洞察力。ホームズなの?


 このままでは俺が自主的に、みんなと会うから大慌てで服を準備したことになってしまう。それはなんだか俺の意に染まなかった。


 すこしだけ悩んで、紙袋からおもむろにジャージを取り出す。


「これ着てきたら高木に怒られた」

「あははは、藤間くんらしいなあ……。俺はジャージでもいいと思うけど、女子はいま着ている服のほうが喜ぶと思うよ」

「そんなもんかね」


 そんなにジャージ男と一緒にいるのが恥ずかしいもんかな、と首を傾げながら、視界にコインロッカーを捉えた。


 大きなお世話と言っておきながら、ロッカーにチャラくさい紙袋を預け、ギアを翳して料金を支払った。


 そろそろ時間だというのに、きみどりの窓口前は野郎ふたり。

 すこし離れたところでは同じく待ちあわせであろう、見知らぬ数人がスマホと改札を気にしている。


 高木と鈴原が答えてくれなかった「待ちあわせって誰が来るんだ? 祁答院だけなのか?」と質問を投げかけようと思ったとき、祁答院が先に口を開いた。


「……ありがとう。首輪、外してもらえたよ」


 祁答院は俺と一緒にきみどりの窓口のガラスを背にしながら、当てもなさそうに改札を見つめたまま真面目な顔をした。


 祁答院と首輪という、まったく共通性のなさそうなワードの組み合わせ。

 だからこそ首輪というのがアルカディアでミーナとオルハの首にあった戒めのことだとすぐにわかった。


「……そうか。よかったな」

「ああ。やっぱりちょっと悔しいけどね」

「悔しい?」

「俺がどれだけ言っても首輪を外してくれなかったのに、きみの言葉を告げたら外してくれたから」


 俺が祁答院に伝えた言葉とは、たしか、


『奴隷だから一緒にいるんじゃなくて、奴隷じゃなくなっても一緒にいよう』


 といった意味の言葉だったはずだ。


 それはいつかの星降る夜に俺がアッシマーにぶつけた言葉。

 ありったけの勇気を振り絞って、己を賭けて飛ばした本音。


『雇用とかマウントとか関係ない。ただの藤間透は、ただの足柄山沁子とこれからも一緒にいたいと思ってる』


 祁答院はふたりが奴隷だから一緒にいるわけではないと言った。

 俺の言葉を伝えたとき、こんな当たりまえのことでいいのか? と訊いた。


 祁答院からしたら当たりまえのことなのかもしれない。


 ……でも、俺にとっちゃそうじゃなかった。


 イジメやら罰ゲームやらを受け続け、嫌われ続けてきた俺にとって、一緒にいたい、と言ってくれる人がいることがどれほどありがたいか、祁答院は知らない。


 きっと、ミーナとオルハも俺も同じだった。


 祁答院が、アッシマーが、

 どんな表情かおで、

 どんな声色こえで、

 どんな心理こころで、

 どんな台詞ことばで自分を捨てるのか──想像するのも怖いほど恐れていたのだ。


 祁答院はいいやつだ。

 優しい。頼もしい。

 俺のような弱者でも、俺みたいないやなヤツでも助けてくれた。


 だけど、弱者の立場になったことがない。

 …………だから、弱者の被害者感情がわからないのだ。


 祁答院はまるで、正義と法、モラルに則って悪をくじく警察のようだった。


 日本に警察が必要なように、祁答院のようなやつだって必要だ。

 ぶっちゃけめっちゃ尊敬してる。そこは疑わない。



 でも、本当の本当に弱った人間に必要なのは、警察ではない。


『き、キモくない、です』


 自己犠牲。


『私が藤間くんのあかりになるから』


 暗闇のなか、先を灯すあかり。

 そして──


「祁答院」

「うん?」

「あのとき、お前がどんな気持ちだったのかはわからねえけど、俺はずっと感謝してる」


 テニスコートの上、友人の望月と海野から俺を守ってくれたとき。

 なんの得にもなりゃしないのに、俺を庇い、あいつらに説教し、俺と友達になろうと言ってくれたときのこと。


「感謝? いつだい?」

「……教えてやんねえ」

「ええ……すごく気になるんだけどな」


 自分で言っておいて、恥ずかしくてその先が言えない。

 しょうがないだろ、陰キャなんだから。


 感謝というキーワードで脳内検索すると、最近の記事がヒットした。


「あー、イメージスフィアで見た。シュウマツで、なんか俺にでっけえ盾を出してくれただろ。あれめっちゃ感謝してる。その、いろいろとマジで感謝してる」


 いろいろという部分は、俺が灯里にしたことを覆い隠してくれたことなんだけど、それはさすがに言えない。


「……さすがに驚いたよ」

「え」


 イメージスフィアではどんな角度からも見ることができなかったけど、もしかして祁答院からはなにかが見えていたのだろうか……?


「きみは俺に伶奈を守ると言った。……でも、あんなに後先考えずに庇いに行くなんてね」


 ……違った。祁答院は俺が灯里を庇った、そのこと自体に驚いているようだった。


「たぶん、きみだけだったと思うよ」


 なにがだよ、と横目で見上げると、やはり祁答院は苦笑していた。


「俺は──きっとみんなも、完全勝利を目指して闘っていた。エシュメルデへモンスターを一体も通さない、そんな勝利を。でも、きみの考える完全勝利は俺たちとは違った」


 そうだろ? と薄く笑んでくる。

 ここで「まあな」なんて応えられればカッコいいのだろうが、残念ながらなんのことだかまったくわからない俺は「あ?」と目を細めるしかない。


「きみの求める完全勝利とは、モンスターを一体たりとて通さないことだけじゃなく、異世界勇者である俺たちからも、ひとりも犠牲者を出さない──そんな勝利だった」

「馬鹿言え。灯里だから助けた……というより、身体が勝手に動いただけだ」


 祁答院はちょっと前からずっとこうだ。俺を過大評価して、勝手に俺をすごいやつだ、みたいに言ってくる。


「つきあってるのか? 伶奈と」

「はああ?」


 そのうえひどい勘違いまでする。


「そうでもないと、あそこまでして守ろうと思わないだろ?」

「ないっての。いまの俺じゃ灯里と釣り合わねえよ」


 言いながら、心がずきりと痛んだ。

 なんと空々しい、使い古した逃げ口上だろうか。

 シュウマツの際、俺は灯里をもっと識りたいと思った。

 それなのに、具体的な行動をせず、このままの状態をずるずるとキープして、自分の本当の想いに向き合うことから逃げている。


「……たぶん、ふたりが釣り合わないって思っているのは、世界できみだけだと思うけど」

「え」

「よく似合っているよ、本当に」


 祁答院はどうしたというのだろうか。

 シュウマツ後、宿まで来たときは様子がおかしかったが、ついにいろいろと壊れてしまったのだろうか。


 ああ、わかってる。

 誤魔化しだ。


 先延ばしにして、後回しにして、誰かになにかを言われても誤魔化す──いまの俺。



 そしてやはり、壊れてしまっただなんて誤魔化しきれないくらい、祁答院は聡明だった。



「それとも、悩んでいるのは足柄山さんのことかい?」

「っ……」


 正鵠を射る──という表現がぴったりくるくらい、祁答院の言葉は俺の胸の中心を貫いた。


 灯里を想えば、アッシマーが出てくる。

 アッシマーを想えば、灯里を思い出す。


 灯里の言葉を信じられるのはアッシマーのおかげで、

 アッシマーに笑いかけられるのは灯里のおかげなのだ。


「……ごめん。悩んでいるみたいだったから。でも、余計に悩ませてしまったみたいだね」


 祁答院の言葉が、ぐるぐると回り続ける問いをかき消した。


「よく考えたら、焦る必要はないよな。──だってまだ、四月なんだから」


 そう言われて、彼女たちとのやりとりを思い出し、はっとする。


 今日は四月二十五日。

 入学してからまだ、たった三週間。


 たったの三週間で、つがいになるとかならないとか。

 たぶん、きっと、そんなに焦ることなんてない、と思った。


「……サンキュな」

「どういたしまして」



 そんなとき、南口のほうから手を振り、ミュールの靴音を鳴らしながら小走りでやってきたのは──


「藤間くーん、祁答院くーん」


 白を基調としたワンピース。手首と裾のフリルは無垢な魅力を引き立たせる。シンプルだからこそ、彼女の美しさを一層際立たせていた。

 眩しくて目を細めたのは、彼女が背負う、南口から駅内に射しこむ陽光のせいだけではなかったに違いない。


「時間ギリギリ……ご、ごめんね?」


 街角に降り立った天使なのだろうか。そう感じたのは俺だけではないようで、彼女が通った道筋を波が打つように若干遅れて男たちがこちらを振り返った。


「あ、いや、いまきたとこ」

「そ、そっか、よかったぁ」


 やはり灯里もいつもと化粧の感じが違うのか、息を切らせながら俺を見上げる頬はしゅを帯びていて、視線を合わせるのが恥ずかしくなって顔を背ける俺の視界の端に、同じく顔を背ける灯里の顔が映った。


 やべえ、なにを話していいかわかんねえ。助けて祁答院! と思ったが、逸らした視界の先──すこし離れたところで、祁答院は高木と鈴原と談笑をはじめていた。


「藤間くん、私服カッコいい、ね。……やだ、顔、見れない」

「んあ……や、その……お前も、そのスズラン、いいな」


 服を褒めると、なんだか控えめに膨らんだ胸の辺りを見ていたと思われるのではないかとひねくれて考えてしまい、灯里の髪飾りを指さした。


「ぁ……う、うん。狙いすぎって思われないか心配だったけど、これにしてよかった……」


 えへへ……とはにかみながら、灯里はスズランの形をしたやや大ぶりの髪飾りをそっと撫でる。


 なにこれ、この感じ。

 学校や通学路、アルカディアで会うときと違う感じ。


 俺はわたわたと、灯里はもじもじと。

 交わす言葉を互いに持っているはずなのに、これ以上の賞賛も賛美も、陳腐なものになってしまうような気がして。


 そのとき──


「げ」


 と後ろから声がして、


「んあ……? げ」


 俺も同じように返した。


 なんでこいつがここにいるんだよ──と、俺とそいつの視線が高木に集まる。

 高木は口角を上げ、そいつに手を振った。


「直人、ういーっす」


 そこには派手なデザインの赤いパーカーを着た、海野直人が気だるげに立っていた。

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