10-28-恐怖と勇気と落ちてゆくメイク
結局、インナーシャツ、黒のパンツに上着、ネックレスのうえに、高木が「黒のシューズに小学生みたいな白の無地ソックスはないっしょ」と言うもんだから、ストライプの入った靴下まで購入した。
「あのー、このまま着て行くので、タグ外してもらってもいいですかー?」
鈴原が声をかけると浅黒い肌の店員はにこやかに俺のそばでハサミの音を鳴らした。
お会計、14700円。
ここまでしてもらっておいてなにも買わないっていうのも高木と鈴原に申しわけがなかったし、いつかは買わなきゃいけないものだ。
一万円以上の出費はこれまでの藤間透王国のGDPからすれば痛手ではあるものの、意外にも支払いに
アルカディアでは、つい先日まで生きるか死ぬかという生活だったのに、メイオ砦の攻略報酬、シュウマツの渦の撃破報酬、そして昨日のコラプス発見報酬が重なり、俺たちの持ち金はそれぞれ4ゴールド……四十万円を容易く超えた。
宿のストレージボックスは1ゴールドしか保管しておけないため、死亡時のペナルティを考えて残りの金はリディアに預かってもらっている。
アルカディアの金は、現実でギアを使用することでストレージボックス内の金を現実の金に両替することができる。
つまり、一日に1ゴールド──十万円までしか両替できないってわけだ。
リディアに金を預けっぱなしにして迷惑をかけないよう、数日は1ゴールドずつアルカディアの金を現実の金に替えよう、と俺たちの意見はまとまった。
ギアを取り出し、アルカディアのアプリを起動させる。
画面には十万円以上の金額が表示されていた。今朝両替したぶんだ。
そんなわけで、生まれてはじめて懐が潤っているという状況も、服に金を使うことへの
レジ横の機械にギアをかざす。チャージ金額がちょうど六桁を切った。
「ありがとうございました。また来てね」
厳つく馴れ馴れしい店員から、黒を基調としたシックな色合いの、しかしやけにチャラくさい紙袋を渡される。
中には試着室で脱いだ俺のジャージが入っていて、和洋折衷ならぬ陰陽折衷だな、なんてつまらないことを考えた。
──
「でさー、あんとき泣きそうでさー」
「うんうん、最近アイドルも演技上手だよねー」
ショップを出て、ふたりの後ろを歩く俺。
ふたりから「この人ストーカーです!」なんて指をさされたら一発アウトな構図である。
「藤間くんってドラマとか観る人ー?」
彼女たちはときどき振り返り、陽キャふたりと陰キャひとりというこの絵面を、クラスメイト三人に塗り替えてくれる。
「んあ……ほ、ほとんど観ねえな」
「そっかー」
「藤木はドラマよりアニメっしょー」
でもダメ。俺の経験値が低すぎて、鈴原のキラーパスをトラップできない。
しかしさすがというべきか、陽キャエースの高木が笑いながらアシストを出してくれる。
「あたしらもアニメ観るよ。桃滅の刀とか」
高木が出したアニメのタイトルはじつに有名な作品のものだった。
当然、俺も観ている。マイナージャンルだけでなく、メジャータイトルも履修してこそオタクなのだ。
高木のアシストを受け、俺は華麗にシュートを放つ。
「あー……。作画すげえよな。声優も豪華だし」
言い終わる前に、口を開けるふたりの顔を見て、俺のシュートが外れたことを知る。
「えーと……そーなん?」
「せ、声優さん、みんな上手だよねー。あんまり詳しくないけどー」
これである。
言ってしまってから気づいたが、ふたりの……というか、一般的なアニメの話題とは、あのキャラカッコいいとか、あのシーン熱かったよねとか、きっとそういうさらりとしたものなのだ。
制作に金がかかっているとか、監督が誰だったとかそういった話題はきっと、オタク同士で楽しむべきなのだろう。
まあ俺にはオタク友達もいなかったわけだけど。
正直、歩み寄ってくれるのはありがたい。しかし近づけば近づくほど、それぞれの日常の
しかし、俺も昔の俺のままじゃない。
「あ、悪ぃ、やり直す」
「は? やり直すって?」
ふたりはきょとんとして顔を見合わせる。
「先週の見た? ついに鬼ヶ島って感じだよな」
同じアニメの話題でも、博識者ぶらず、見識者のフリもせず、頭を空っぽにして観ていれば思いついたであろう何気ない感想に言い直した。
俺の意図に気づいたのか、高木が乗ってきてくれる。
「そーそー。やっとだし。過去編長すぎだっつーの」
「馬鹿お前、あれがいいんだろ。あの動物園でボス猿とのやりとりがあったからこそ、猿に感情移入ができるんじゃねえか」
「あはは、猿に感情移入って言葉強みー」
どうやら鈴原がツボったようで、手で口元を押さえて顔を背ける。
つられて高木も笑った。
……よし、軌道修正完了。
距離を感じたなら、こいつらが俺にしてくれたみたいに、今度は俺のほうから歩み寄ればいい。
「でもさでもさー。やっぱ犬のほうがカッコよくね?」
「顔面はいい。でもなんか胡散臭いんだよなあ……。あいつはいつか裏切る。賭けてもいい」
「あはは……藤間くん、暗いアニメの見方だねー……」
アーケードを歩く。
通り過ぎるアクセサリーショップのガラス戸にはきっと、陽キャも陰キャも関係ない、三人の男女が横並びで映っているに違いない。
──
今度はあたしにつきあってよ──と高木に連れられてやってきたのは、メディアのレンタルショップTATSUYAだった。
レディースの店とかだったら居心地が悪くてたまらない、と不安だったから、俺もよく知る店で心から安堵した。っつーかここ、モンハンを買いに来た店じゃねえか。
日曜だということもあり、結構な数の客がいて、ふたつあるレジは三人ずつの客が並んでいる。
「んじゃ10分くらいでいいか? あとでここに集合な。俺、ゲームんとこ見てくるから」
「な、なに」
「あんたさー……はぁぁ……。あんたさぁ……」
「あ、あはは……三人で一緒に見ようよー。あとでゲームも一緒に行くからー」
高木はジト目でため息、鈴原は苦笑という、すでに見慣れてしまった表情をしていた。
ん? 俺またなんかやっちゃいました? ……言ってて泣きそう。
高木と鈴原は店の奥へとずんずん進んでゆく。
ドラマや映画、アニメといった売れ筋ジャンルを素通りし、さらに奥へ。
時代劇や大河ドラマ、ドキュメンタリーのような年配者のニーズを意識した作品もスルー。
……ここまできたら、俺が入ったことのない、いや~んなのれんくらいしか残っていない気がするんだけど。
やがて高木の足がゆっくりになり、鈴原が横並びになると、高木は鈴原のセーターをきゅっとつまんだ。
「こ、ここからゆっくり……!」
「んー? あははー、大丈夫だよ亜沙美ー。怖くない怖くなーい」
のれんの直前で右に曲がり、辿りついたのは『ホラー・パニック・サスペンス』のコーナーだった。
「お前、こういうの苦手なんじゃなかったのか。じつは好きなの?」
「好きなわけないじゃん! と、とりあえずあんまり怖くなさそうなやつ選んで」
「これはー?」
「ぎゃぁぁぁあああああぁあ!?」
鈴原が何気なく取り出したパッケージには、脳天がふたつに裂けた、どアップのゾンビが映っていて、至近距離でそれを見た高木は後ずさりながら悲鳴をあげた。
「えー、だめー? だめかなー。可愛いと思うけどー」
「ちょ、ちょっ、早くそれ戻して! 香菜あんたおかしいって! もっとマシなの絶対あるっしょ!?」
鈴原は「
……正直、可愛くはないよなぁ……。高木もビビりすぎだとは思うけど。
まあとにかく、このコーナーに来た理由は俺でもさすがに理解できた。
ようするに、高木は昨日のサシャ・カタコンベでのことを気にしていて、こういったDVDを観ることで彼女なりに克服しようと考えたのだろう。
「か、香菜、やっぱあんたじゃなくて、藤木が選んで……!」
で、こういったことに微塵も恐怖を示さず、なにが怖いのかもわからない鈴原よりも、若干ヘタレな俺が選んだほうが、高木にとってちょうどいい怖さを理解してくれると思ったのだろう。自分で言ってて哀しくなるな。
棚から三本ほど適当に取り出してパッケージを確認する。
「これなんかどうだ」
三本のなかから俺がチョイスしたのは、ゾンビや心霊のようなものが映っていない、古ぼけた洋館がおどろおどろしく描かれている作品だった。
高木は鈴原に抱きついて、薄い目でパッケージを確認する。
「ひぇっ……こ、これならなんとか、まぁ。あらすじは?」
自分で見ろよ……なんて思ったが、裏面にはチェーンソーを持った血まみれの大男が映っていて、早々にこりゃ無理だと諦めながらあらすじを読みあげた。
「えーと、ふとしたことで荒廃した洋館に入った太郎と花子は」
「ちょい待ち、なんでそんな怖いところに自分から入るわけ!? ふとしたことってなに!?」
「そこからかよ」
高木はまたも叫んだ挙句、荒廃した洋館を想像したのだろうか、それだけで肩を震わせた。
「太郎と花子は閉じ込められてしまう。洋館内を散策すると、賞味期限を30年は過ぎた食材や薬品が」
「なんで散策するわけ!? 逃げ出すかじっとしてるでしょフツー! 自ら危険を探す必要ある!? もういや……ぐすっ……! あ、メイク落ちる」
叫んで泣いて冷静になって、と忙しいやつだな……と呆れながら、むしろこれが高木らしさなのかもしれない、と気づき、思わず苦笑がこぼれた。
結局、高木は俺が別にチョイスした作品を一本だけレンタルした。
その際も、
「あたしのレンタル履歴にホラーがあるってだけで怖いから、香菜、代わりに借りてくんない?」
と鈴原に料金を手渡していた。
ここで俺はずっと気になっていたことを口にした。
「そこまで無理に慣れる必要なんてないんじゃねえのか」
「どーゆーこと?」
「や、だってアルカディアでゾンビが出てきてもビビらないように、こうやって慣れようとしてるんだろ?」
高木はふてくされたように顔を背ける。
その態度こそが、俺の言葉が正解だと如実にもの語っている。
「せっかくパーティ組んでるんだから、全員が全員、全部のことが得意じゃなくてもいいだろ。高木はこういうのが苦手だってあらかじめ知っておけばまた対処もできる。俺は開錠ができない。鈴原は前衛がいないと闘えない。高木はゾンビが苦手。灯里とか七々扇とかアッシマーにもそれぞれ弱点がある。それでいいじゃねえか。こういうのを補うのもまたパーティプレイの醍醐味だろ」
慣れないことを一気に口にしたせいか、とたんに口のなかが乾いた。
鈴原はうんうんと何度も頷き、高木は顔を背けたまま、なにやら迷っている様子だ。
「…………ん。そりゃま、わかるんだけどさ。やってみてダメだったら仕方ないかなーって思うけど、克服する努力くらいはしないと、あたしが納得できないから」
高木はそう言って、鈴原と一緒にレジへと向かった。
借りたディスクをバッグに入れながら「あとさー」と俺を振り返る。
「昨日のことといまのこと、みんなに内緒にしといてくんない? 克服できれば言わなくてもいいことだからさ」
「言うわけねえだろ」
本人からしてみれば、それはとても恥ずかしいことらしい。
俺からすれば、お、こいつにも可愛いところがあるじゃねえか、と前向きに捉えられることなんだけど。……まあ、本人だけ恥ずかしいと感じることってあるよな。俺にもすげえある。俺の場合は本人だけとは限らないけど。
「ん。ありがと」
高木は白い歯を見せて快活に笑った。
そうしてからほっそりとした腹部に手を当てて鈴原に向き直る。
「おなかすいた! ごはんどーする?」
「わー、もう12:40になっちゃうよー。みんな食べてくるよねー?」
「あーね。んじゃダッシュでマックドでも行く?」
「さんせー♪」
おい、みんなって誰だよ──そんな俺の質問は駅前の喧噪に消えてゆく。
高木と鈴原はといえば、すでに歩き出していて、街中にきゃいきゃいと笑顔を咲かせていた。
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