10EX-後夜祭 -The Warriors' Rest-

10-26-藤間透がジャージを着て何が悪い

 人間にはそれぞれ自分の価値観というものがある。

 己の正義や主張、信念があって、当然人それぞれ違うものだ。


 だから、自分の主張を通すときは自分の価値観を押しつけないように気をつけなければならない。

 そうしなきゃ戦争だ。戦争ってのは多くの場合、価値観の押しつけあいなのだから。


 同時に、単なる会話でも言葉には気をつけなければいけない。

 人はときに、強い言葉やネガティヴな単語に強烈な反応を示し、会話の主軸を忘れてしまう生きものなのだから。


 ……ところで、このRainメッセージをどう思う?



──────────

高木亜沙美:

藤木ー! 今日ひまだよね?

──────────



 今日ひま? という質問ならよかった。

 ひまだよね? は俺の人間関係の希薄さをよく知ったうえで「あんたみたいなゴミクズ陰キャが日曜に予定なんてあるわけないよね? 草」という、確認だ。質問ですらないじゃねえか。ついでに言うなら俺は藤木ではなく藤間である。


 ギア上部には小さな文字で8:00と表示されている。

 早朝ジョギングで今日も牛乳配達中のアッシマーと弟の一徹と出会い、主に一徹から男──むしろ漢に関する質問攻めを受け、適当に返しながら帰宅し、シャワーを浴びたところだ。


 パン工場のバイトがあるならば「忙しい」と自慢気に親指を動かすこともできただろうが、残念ながら日曜は工場が休みだ。……あれ、俺、バイトがなかったら休日にやることなくね?


 忙しいフリもできなくはなかったが、アルカディアでの高木の様子を思い出す。


『うっく……ひっく……ごめん……! ごめん…………!』


 グロテスクなアンデッドの群れを相手にするには、女子にはつらいものがあるだろう。なんなら俺もめっちゃ怖かった。もしも鈴原がいなかったら……と想像するのも怖い。


 あの後、秘密の特訓とやらを終えた灯里、七々扇、アッシマーと一緒にレベル上げに向かった。


 高木は普段通り振る舞っていたが、やはり空元気だったのだろう、女子陣に心配されていた。「なんでもないから」なんて言っていたが、最後には「ごめん、明日にはちゃんと元通りになるから」と気まずそうに長い金髪の先をくるくると弄んでいた。


 とまあこんな様子だったから、俺の親指はどう答えるべきか短くない時間を悩んだ挙句、



──────────

藤間透:

まあ、ひまっちゃひまだけど

──────────



 結局、なんの予定もないガラ空きの休日を誤魔化しながらそう答えた。

 返事はすぐにきた。



──────────

高木亜沙美:

んじゃ12:00に市川駅のなかにある「きみどりの窓口」の前ね!

──────────



 返信の内容は、俺が予想していたものと大きく異なった。俺はRainか電話でアルカディアに関する相談かなにかをしてくるものだと思っていた。

 まさか休日にクラスメイトと顔を合わせるなんて考えてもいなかった。これが陽キャと陰キャの差というやつだろうか。

 「用件ってRainで済ませられねえの?」と入力し、しかしやはり昨日の高木の顔を思い出して文字を打ちなおす。



──────────

藤間透:

わかった

──────────



 それだけ返してギアを仕舞い、濡れたままだった頭をバスタオルで拭いて、昨日澪が来ていたためやり損ねていた宿題を机に広げた。



──



 アパートから徒歩で10分足らず。

 いつも学校に行くために曲がる道をまっすぐ進むと、ベージュ色の高いビルが建ち並ぶ。

 そんなビル群に挟まれた、これまたベージュ色の平たい建物こそが目的地である市川駅だ。


 市川駅は千葉県が誇るショッピングセンターシャポーが併設されていて、俺も数回、買い物に訪れたことがある。

 アパートは駅の南にあるから、俺が駅に入るときはいつも南口からだ。南口からはそのシャポーに直接入る入り口と、二階へと続く短いエスカレーターが設置されている。

 エスカレーターを上がった先にある宙吊りの看板に、待ち合わせ場所であるきみどりの窓口が記されていた。

 案内に従って左折すると、ライムグリーン色をしたガラス張りのテナントが目に入った。ガラスにはポップなフォントできみどりの窓口と書かれている。


 ギアを確認すると時間は11:50。10分前集合とか俺めっちゃ優秀。


 視線を巡らすと、新聞や飲みもの、千葉名物の落花生などを販売しているこぢんまりとした店舗を見つけた。水でも買おうかと歩み寄ったとき、改札のほうから声がした。


「あっ、あそこにいるの藤間くんじゃないー?」

「え、マジ? ……げ、マジで藤木じゃん」


 それなりに人がいるこの市川駅でふたりの声が鮮明に聞こえたのは、知った声であることと、会話に自分の名前が入っていたからだろう。

 教室の喧騒のなかでも自分の悪い噂だけは耳ざとく聞こえてしまうのは、陰キャ特有のスキルであろう。哀しいな俺。


 声に振り返ると、改札を抜けたところでふたりの女子が俺を指さしていた。


 言いたいことは多々ある。鈴原が来ることをいま知ったけどどうなってんのとか、自分から呼んどいていやそうな顔をするとかどういうことだよとか、あと俺は藤間だ、とか。


 でもそんなことはふたりに近づくとすぐに忘れ、俺の思考は、ああ、こいつらの私服を見るの初めてだわ、というものに変わった。


 鈴原は薄桃のニットに紺のロングスカート。白のミュールからは綺麗に切り揃えられた清潔そうな爪が見える。

 高木はデニム生地の短いショートパンツにレッドのシャツ、その上に白いカーディガンを羽織っている。


 それに加え、服装に色を合わせたハンドバッグを持つふたりは、先月まで中学生だったとは思えないほど大人びて見えた。


「お、おす」


 ふたりがなにも言わないから、俺のほうから声をかけた。その声はすこし緊張じみた熱を持っていた。


 返事が返ってこない。

 高木は胡乱うろんげな視線で俺を上から下までなぶるように見てため息をつくし、鈴原はそんな高木と俺を見比べて「あ、あはは……」と苦笑している。


「え、な、なに」


 もしかして服に汚れがついてるとか、チャック全開だったかと慌てたが、黒のジャージは綺麗なままだし、チャックなんてそもそもついてない。


 高木はもう一度ため息をついてから、


「普通さー。女友達から連絡受けて、ジャージで来る?」


 じっとりとした視線を向けてきた。


 俺は慌てて目をそらす。それは高木の視線が怖かったとか、たしかにいま考えるとジャージって……とかそういう後ろめたさもあったが、いちばんは高木が言い放った友達という言葉への照れだった。


 視線の先にあるきみどりの窓口の窓ガラスのなかに映る俺は、高木と鈴原に比べると、あまりにも無頓着に見えた。


「私服、こういうのしか持ってねえんだよ」

「はぁ? んなわけないじゃん。人間なんだから。…………そんなわけない、よね?」


 高木は俺の言葉が見え透いた嘘に違いないという怒りの表情から、もしかして藤木ならあるいは、と思い当たった顔になり、最後にはドン引きして俺から一歩後ずさった。


 それにしても人間ならジャージ以外の私服を持っていて当然みたいな言い草だ。

 しかしふたりの服装と見比べてしまったいまの俺には、ジャージの素晴らしさを説く力はなかった。


「藤間くん、ショップとかいかないのー?」

「ショップ? 店? スーパーならそこにシャポーあるだろ」

「あはは、そうじゃなくって、服のお店。高いところじゃなくても、ウニクロとかジーウーとかしまむろとか。意外といいのあるんだよー」

「そりゃさすがに名前くらいは知ってるけど……」


 俺の反応に、今度は鈴原までもが一歩下がった。なにこれ、泣くぞ。


「でもあんた、ジャージは買うんでしょ? スポーツ用品店で買ってんの? マジでジャージしかないの? これまでどうやって生きてきたわけ?」

「や、実家にはあるんだよ。こっち来るとき、ジャージと制服しか持ってこなかったんだよ。夏になるころに買えばいいかなって」

「じゃあ実家の私服はどこで買ったのー?」

「さあな。親が買ってきたものを着てただけだし。……ん、どうした?」


 高木と鈴原は俺からさらに一歩引いてひそひそと相談を始めてしまった。


 なんだろう、世の中の男子はどういう格好をしているんだろう。

 服に興味がないのは俺だけじゃないはずだ。

 通り過ぎる若い男の服装に目をやってみると、短パンにシャツとその上に薄手のカーディガンを羽織っていたり、地味なパーカーに黒のパンツだったり。


 しかしどれがカッコいいのかがわからない。

 あの短パンなら文句を言われなかったのか? それともあのパーカーなら引かれなかったのか?

 ぐぬぬ、ジャージとの違いがわからん……。


 俺がうだうだと考えているうちにふたりの相談は終わったらしく、高木が声をかけてきた。


「決まった。予定変更。みんな来るの13:00だし、いまからあんたの服、買いに行くから」

「は? みんなって誰だよ。13:00ってなんだよ……え、ちょ、おい」

「はいはい、いーからいーから!」


 高木は質問に応えず、戸惑う俺の手を引く。


「ごーごー♪」


 同時に、鈴原がにっこにこの表情になって俺の背中を押してきた。


 まるで全細胞が一気に熱を持ったかのように、急激に身体が熱くなる。


「ちょっ、待て、まてまて」

「だってあんた、こうでもしないとついてこないじゃん!」


 じつに不機嫌そうな言葉だが、俺の手を引いたまま振り返った高木の顔はにししーと楽しそうにほころんでいる。


「ついてく、ついてくから。……って、服ならシャポーに売ってるだろ」

「あははー、藤間くんはまずそこからだねー」


 高木に引っ張られ、鈴原に押され、周囲の耳目を大いに集めながら、俺たちは陽光降り注ぐ駅前に躍り出た。

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