10-24-憤怒 -人間と奴隷の境界-

 一時間ほどモンスターと闘い続け、街に帰還した。

 最初は緊張でガチガチだったミーナの表情にも余裕が生まれている。

 しかしやはり西門を潜った際には、ほっと安堵の息を漏らしていた。


「二十箱以上開けたのに、一箱以外成功なんて凄いじゃないか」

「いえっ、その……よかったでしゅ」


 街を歩きながら、ミーナは照れくさそうに俯く。


 正直、とても助かった。

 守るべき対象がいれば闘いづらくなる。

 しかし、ひとりで開錠する際の無防備、SPやMPの消費が解消され、俺よりも目が良く、モンスターを早く発見してくれることは、それを補って余りあるものだった。


 ……モンスターを倒して手に入る経験値は、どうやってもミーナには入らなかった。

 すべて俺の総取り。


 ミーナが俺の奴隷だから……俺の所有物だから、ということなのだろうか。


 ミーナは非戦闘員だ。俺にすべて経験値が入ることは俺にとって願ってもないことなのかもしれない。


 しかしそれでも、ぱんぱんになった革袋を持って俺と一緒に歩く一生懸命な女の子が人間として扱われないことに、悔しさを感じずにはいられなかった。


 仄暗い心をミーナに悟られないよう表情にこそ気をつかっていたが、気づけばうつむいていた。

 奴隷のこと。俺のこと。そして、藤間くんのこと。

 今日一日で慣れないことを多く考えすぎた。

 ため息をこらえ、顔から笑みを消さないよう意識して、背を丸めないように気をつけていたが、そのぶんどこかで綻びが生じ、俺の視線を下げさせたのだろう。


 これじゃあだめだ、と顔を前に向けたとき、向こうから歩いてくる見知った顔と目が合った。

 見知った顔、というよりも、美しすぎる彼女のシルエットは顔でなくてもすぐに誰か判別できる。


「リディアさん」

「悠真」

 

 彼女は周囲の目を引いていた。

 それは駅前にお忍びで現れたアイドルというよりも、乾いた大地に降臨した女神のようだった。


 ミーナはすぐその場に片膝を立て、俺の奴隷であると名乗る。


 リディアはわずかに驚いた様子で、眠そうな蒼い眼をすこしだけ大きくして、


「リディア・ミリオレイン・シロガネ。リディアでいい」


 俺たちにしてくれたときとまったく変わらない調子で自己紹介してくれた。


 その際彼女の白銀の髪が揺れ、先ほど花屋でルドラから聞いた癒しの民のことを思い出し、思わず彼女の手の甲を確認してしまう。


 ……なんの紋章も描かれてはいなかった。


「荷物をもつだけでも、きをつけて。そとは、あぶないから」


 リディアは俺たちが持つ革袋から飛び出したコボルトの槍の束を指さす。


「ありがとうごじゃいましゅ。でも、ユーマしゃまにはソウルケージも頂戴しましたので大丈夫でしゅ」


 ミーナはコモンパンツのポケットからソウルケージを取り出した。


 きっとミーナは、荷物を持つだけじゃない、と口にしたかっただろう。

 それが憚られたから、代わりにソウルゲージを誇ったのかもしれない。


 ならば俺が代わりに、ミーナは開錠や索敵もしてくれている──そう言おうとしたとき、リディアが首を傾げた。


「でも、このソウルケージは空。魂も肉体もはいっていない」

「……え……っと、どういうことですか」


 彼女がなにを言っているのかわからない。ただ、嫌な予感だけが俺の心を蝕んだ。


 俺はソウルケージの仕組みをよく知らない。

 ソウルケージを持っていれば、モンスターに倒されたとき、アルカディアの人たちでも復活できるという不思議で便利なものだという知識しかない。


「ソウルケージとミーナがリンクしていない。このじょうたいでミーナがやられると、しぬ」

「死ぬ、って……。……えっ?」

「ふつう、ギルドでソウルケージを買ったときにリンクしてもらえる」


 わけがわからない。

 ギルドでソウルケージを買った。

 2シルバー20カッパーだった。


 それだけじゃ……ダメということなのか?

 耳の長い店員の女性はなにも言わなかった。

 ……本当に何も言わなかった?


 思い出せ……。



『異世界勇者さまがソウルケージをお求めとは、珍しいですね』


 ……それだけだった。

 リンクなんて単語、出てこなかった。

 店員の目には間違いなく、俺の隣にいたオルハとミーナの姿も映っていたはずだ。


 俺は買ってすぐ、その場でミーナにソウルケージを手渡した。

 店員はちょっと驚いた様子だったけど、なにも言ってこなかった。


 異世界勇者にソウルケージは必要ない。

 それはわかる。

 異世界勇者はソウルケージなど関係なく、拠点で復活するのだから。


 じゃあ、なにか。


 店員は、ミーナの首に巻かれた黒い戒めを見て。



 まさか、奴隷とソウルケージをリンクさせるなど、考えもつかなかった、というのか……?



「ミーナ、いますぐギルドへ行こう」

「やめたほうがいい」


 ミーナの手を掴んだ俺の行く手をリディアが遮った。


「どうしてっ……!」

「…………」


 リディアは言うべきかどうか、あるいは言葉を探しているのか、俺の目を見つめたまま動かない。

 五秒ほど待っただろうか、リディアが口を開いた。


「リンクさせるのは、魔力のたかいハイ・エルフ。……悠真とミーナが、かなしいおもいをするだけ」

「それはどういう……」


 最後まで言葉にならなかった。

 きっとリディアはこう言っているのだ。



『奴隷相手に、ハイ・エルフがそんなことをしてくれるはずがない』



 今日感じた奴隷への風当たりを考えると、それはじつに想像に難くないものだった……。


 それでも。



「ミーナがなにをした……? オルハがなにをしたっ……!」


 拳を握らずにはいられない。


 リディアが優しい人で、俺たちが傷つかないように配慮してくれているとじゅうぶん理解している。


 それでもこの怒りを形にしてひと度表面に出しておかなければ、胸のうちに滾る炎がこの身を焼き尽くしてしまいそうだった。


「奴隷だからと一括りにして……! お前らにミーナとオルハのなにがわかるっていうんだっ……!」


 それは今日抱えたストレスと、今日感じた哀しみの爆発であり、命綱であるソウルケージがミーナと繋がっていないまま彼女を危険な場所に連れて行ったという恐怖だった。

 リディアからしてみれば筋違いの八つ当たり。


「リディアさんならどうなんだっ……! 多くのモンスターをひと息に倒すリディアさんなら、高い魔力を持っているんじゃないのかっ……! リンクっていうのもできるんじゃないのかっ……!」


 どうしようもなく醜い、仮面の内側。

 正義を名分に、正しさを誇りにしようとし続けた、俺の──祁答院悠真の内側。


 感情が堰を切ったようにまろびでて、同時に涙も溢れていたことにいまさら気がついた。


 随分とひどいことを言ったはずなのに、リディアは俺が落ちつくまでずっと待っていてくれた。


「リンクのやりかたはしってる。でも、やったことがない。わたしは──」


 リディアの表情に影がさす。


「わたしは、おちこぼれだから」


 リディアに悲しそうな顔をさせてしまったことを、心から悔いた。

 己の未熟を、なんの関係もないリディアに押しつけてしまった。


「……本当にすみませんでした。リディアさんは親切で言ってくれたのに、俺は」


 こんな己がみじめだった。

 自分でもわかるくらいに力なく肩を落とす。


「無理かもしれないけど、ギルドで頼んできます」


 もとより、自分からそういう道を選んだんじゃないか。

 シャワー施設を探して、寝床を探して……簡単な道じゃないってわかっていたはずだった。


 女将さんとココナに優しくしてもらい、花屋で同じ奴隷でも人として扱ってもらえて、すこし図に乗っていた。


 俺が……俺たちが抱える問題は、そんなに簡単なもののはずがなかった。


 長いあいだ掴んでいたため汗ばんだミーナの手を引いて、こんどこそギルドに向かおうとしたとき、


「まって」


 もう片方の手で肩に担いだ革袋をリディアに掴まれた。


 振り返ると、リディアは俺から目を逸らしていて、まるでなにかを考えこんでいるようだった。


 先ほどの悲しそうな表情のなかにもぼーっとしたような眠いような瞳をしていたから、いまの迷うような表情はすこし意外に感じた。


 リディアは揺らめく蒼い瞳を俺に合わせ、口を開いた。




「条件をうけいれてくれるなら、わたしがリンクをしてもいい」

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