10-23-憤怒 -人間と獣の狭間-

 店員のエルフからソウルケージを2シルバー20カッパーで購入し、ミーナに与えた。

 ミーナは予想に違わず「こんな高いもの……!」と遠慮したが、外へ連れて行く最低条件だと伝えると、渋々……というか恐る恐る受け取ってコモンパンツのポケットの奥へとそれを仕舞った。

 持ち合わせがなく、オルハのぶんはすこしのあいだお預けだ。


「今日これから稼ぐお金でオルハのぶんも買うからね」

「いいえ、その……はい。ミーナ、ユーマさまによくお仕えするように」

「は、はいでしゅ」


 だからオルハとはココナの店の裏庭で別れた。

 ソウルケージがないことはもちろん、草刈りは途中で畑は手付かず。彼女はそれを気にしていて、早くお世話がしたい、と表情がもの語っていた。


「じゃあ行こうか」

「はいでしゅ」


 転移陣の上で光になる姉を最後まで見送ったミーナを連れ、エシュメルデの西門へと向かった。



 話は飛ぶが、学校──鳳学園高校は千葉県内随一の進学校でありながら、他の高校よりもLHRロングホームルームの時間が多い。

 これは鳳凰子おおとりおうこ学園理事長の『学校は学ぶ場所であるが、国語数学ではなく、自分で調べる、学ぶ姿勢を身につける場所だ』という理念に基づいているという。

 俺が在籍する1-AクラスのAはArcadiaアルカディアのAと呼ばれているくらいで、ほぼすべてをアルカディアについての話し合いに使うLHRは毎週八時間〜十時間と同学年クラスのなかでも極めて多い。


 LHRの授業内容も鳳理事長の方針が顕著に反映され、担任の西郷先生はあれこれと口を挟まない。

 アルカディアに関して感じたことを生徒同士で言いあったり情報の共有をしたり、と生徒主体で、先生は時折生徒の作文を読んで掘り下げるくらいに留まっている。


 そんな先生がよく口にしていることは、


『異世界勇者という自覚を持って恥ずかしくない行動をしろ』

『アルカディアでは十四歳から成人だ。十五歳以上の諸君は大人として扱われる』

『逆に、現実に帰ってくれば諸君は未成年だ。飲酒、喫煙などしないように』

『根拠のない情報に惑わされるな。自分が体験したことを信じろ』


 こういった広義のことばかり。

 そんななか、


『諸君が降り立つ商業都市エシュメルデには、東西南北に街の出入口が存在するが、北のモルフェウス鉱山は強力なモンスターが出現する難所だ。死にたくなければ最低でも二ヶ月は近づくな』


 ここだけは随分と具体的に教えてくれた。

 しかし、それに従いまったく近づかないのは、自分が体験したことを信じろという西郷先生の言葉に反することになる。


 そんなわけで二日めに北門まで足を運んだ結果、そこで見たのは、街の北西に追いやられた貧民の垢にまみれた姿と、それに対してきらびやかな武具を身につけた戦士や、豪華な杖と美しいローブを羽織った魔法使い、そして彼らを雇ったのであろう、猫車を押すドワーフたちだった。


 彼らの装備を見るだけで、北門はいまの俺たちが近づいてはいけない場所なのだということを知った。



──



 西門を抜けると、ミーナの表情が硬くなった。緊張しているのだろう。


 無理もない。ソウルケージを持っていれば完全に死ぬわけではない、と知らされていても、経験のないミーナからすれば、心からそれを信じきることなどできないだろう。


「ミーナ、大丈夫だよ。俺が必ず守るから」

「は、はいでしゅ」


 やっぱりミーナは戻るかい? とは訊かなかった。

 ここで戻ってしまえば、きっとミーナは落ち込んでしまうから。


「これ、持ってて」

「は、はいっ……!」


 革袋とその中から取り出した、かつて俺が使っていたコモンシールドをミーナに手渡した。


「利き腕の右に盾を構えて、右足を前に。足はもうすこし開いて、心臓が後ろになるように。……うん、そんな感じ」


 ミーナは慌てて構えをとる。付け焼き刃にしてはじゅうぶんだった。

 心臓、という単語で自分がいま危険な場所にいるのだと改めて気づいたのだろうか、口を引き結んだミーナの頬を一筋の汗が伝った。


 盾をどちらの手に構えるか、については様々な意見がある。

 近年では、武器を利き手に、盾を残った手に、というのが一般的な考えとされている。実際に俺もそうだ。利き手から放たれる一撃のほうが強いに決まっている。


 盾を利き手に持つ、というのは古代ヨーロッパで広く採用されていたらしい。

 盾も鈍器であり、利き手の一打で相手がよろめいたところを刃物で仕留める。

 心臓は左にあるから、相手から見て遠くにあったほうがいい。

 生命の危機が迫ったとき、思わず動くのは利き腕だから……などなど、諸説ある。


 そういう理由があり、また、ミーナの場合はそもそも武器を持たないので、利き腕に持たせた、というわけだ。


「戦闘中、ミーナは無理に俺の手伝いをしようとしなくていい。俺を信じて、俺の指示に従って。自分のいのちを守ることにだけ専念して」

「は、はいでしゅっ……!」


 北側に敵の影なし。山にも気配なし。

 左手にエシュメルデの外壁。


 普段よりも警戒を強めながら、ふたりでエシュメルデをなぞるように南下した。



──



「ゆ、ユーマしゃま! も、モンスターでしゅ!」


 ミーナは俺より遠くを見ることができるらしい。ミーナが指さす先を見ても、左手のエシュメルデの外壁と右手の山のあいだには、山に沿うように生えた木々しか見えなかった。


 やがて、こちらに駆けてくるふたつの犬顔が見えた。

 俺はすぐさま山際と後方を確認し、一番手前にあった木を指さして、


「あそこに隠れていて」

「は、はいでしゅ!」


 コボルト二体の到着を待たず、駆け出した。


 何度も死線をくぐったからだろうか。

 勇者として戦士として成長したからだろうか。

 それとも、モノリスに触れなければ目に見えぬレベルが上がったからだろうか。


 一週間前はあんなに恐ろしかったコボルトの動きが、じつにゆっくりに見えた。


 低い姿勢から盾も構えず突進する俺に、二体のコボルトはまっすぐ、愚直に、同時に槍を繰り出した。


 疲弊しきっているならともかく、万全の状態の俺にとってそれは、当たってやるほうが難しかった。


 心臓を狙う二本の槍を身体の捻りだけでかわしながら、剣を横に振って駆け抜けた。同時に舞う、俺の右側にいたコボルトの首。


 振り返るついでに、まるで居合の抜刀のように左から剣を右に振るう。

 刃の先には、一瞬で味方がやられたからか、驚いた表情のまま俺に向き直ろうとするコボルトの首──


 ザンッ、と音が響いた。



《4経験値を獲得》



 コボルトの首元から──あるいは頭部から噴き出した血が俺の目に入り視界を汚したが、コボルトが木箱に変わると同時にそれは消え失せた。


 周囲の安全を確認してから木陰に手を挙げるとミーナが駆け寄ってきた。


「すごいでしゅ、すごいでしゅ……! ユーマしゃま、かっこいいでしゅ!」

「あはは、ありがとうミーナ」


 さぞ不安だったのだろう、俺の胸に飛び込んできたミーナの頭をなでてやる。


 ミーナは俺に頬や鼻先をじゅうぶんに擦りつけたあと、ここからが自分の仕事だ、と言わんばかりに木箱に真面目な視線を落とした。



──────────

《木箱開錠》

マイナーコボルト

──開錠可能者→開錠成功率──

ミーナ → 81%

祁答院悠真 → 56%

──────────



 今日何十箱も開錠して経験を積んだ俺よりもはるかに高い成功率。

 

「ミーナ、すごいじゃないか」


 声をかけるが、ミーナは開錠のウィンドウを見つめたまま、なにか考えているようだった。


「ミーナ?」

「名前……ちゃんと、変わってましゅ……」


 ミーナは愛おしそうに、まるでとても大事なものに触れるように、ウィンドウに書かれた自分の名前に両手で触れた。

 言われてみれば、ミーナというのはあくまでも俺がつけた名前であるにも関わらず、誰が観測したのだろうか、ウィンドウには確かにミーナと書かれている。

 ここでもう一度周囲に視線を送り、モンスターの不在を確認する。


「前は、六番とか、足置きとか呼ばれてたから……」


 周囲を警戒していた俺の視点が、ミーナの言葉で止まった。


「足……置き?」


 思わず口に出してから、しまった、と思った。

 それはミーナの辛い記憶を呼び起こしてしまうのに違いないのだから。

 でもミーナは「はい」と小さく頷いて、


「だから、ユーマしゃまにかわいい名前をつけていただいて、とってもうれしいでしゅ」


 俺に笑いかけてくれた。


 ……奴隷が番号で呼ばれていた、というのはオルハと奴隷商人の言葉から察することができた。


 でも、足置きというのはいったいなんなんだ。

 足置きって、椅子に座ったときに足を置く、あれなのか?

 オットマンとかフットレストと呼ばれるあれなのか……!?


 とても人につける名前だとは思えない。

 なんの……ために?

 まさか、自己満足のために、実際に足置きをつかえばいいのに、まさか……。


 ミーナをうずくまらせて、その上に、足を置いていたというのかっ……!?


 脳内が煮えたぎる激情に染まってゆく。

 いまの顔をミーナに見られたくない。

 だってきっと、俺はいま、般若はんにゃのように怖い顔をしているだろうから。


 だから、ミーナが開錠に取りかかるまで、何度も何度も周囲を見わたして、モンスターを厳しく警戒していることにするしかなかった。


 幸か不幸か、その後ミーナはすぐ開錠に取りかかってくれた。


「失敗しても気にしないでいいからね。俺よりもミーナのほうが上手なのは明らかなんだから」


 できるだけ優しく声をかける。


 開錠は確率が明記されていながら、採取のようにミニゲームが始まる。

 いくつもの凹凸が表示され、それらを丁寧かつ迅速に組み合わせていくつもの四角を作らなければならない。

 

 以前のパーティで開錠を担当してくれていた香菜から話を聞くと、俺よりも凹凸の数が少なく、またわかり易い形をしているようで、開錠成功率とは数値が表示されているものの、開錠の難易度を下げてくれる目安のようなものらしかった。


 俺も毎回50%前後の表示だが、実際はもっと成功している。失敗するときは決まって連戦の疲労が溜まっているときだった。


 三秒ほどでバコン、と音がして木箱が開く。

 ミーナはほっとした顔をして、すぐにもう片方の箱も無事開けてくれた。


「ありがとう、ミーナ」

「よかったでしゅ……!」


 よほど緊張していたのだろう、ミーナはその場に尻もちをつく。

 木箱の中身は両方30カッパー。

 合わせて大銅貨六枚を新しい小銭袋に入れ、ミーナに手渡した。


「あの、これは……?」

「街に帰るまで、ミーナが持っていてくれ。失くさないようにね」


 きっとミーナは、自分のいのちを軽く考えている。

 お金を渡すことで、いのちの大切さをすこしでも理解してほしいと思った。



 モンスターを突き、裂いて、ときには魔法──落雷サンダーボルトで打ち据える。



 奴隷のことも。

 己のことも。

 ……そして、藤間くんのことも。



「ユーマしゃま、右手に敵! 二体でしゅ……!」

「いくぞっ……!」



 いのちのやりとりだけが、忘れさせてくれる気がした。



────────────────

祁答院編、長くなっておりまして申しわけありません。

残るは

祁答院視点一話、

???視点一話

で透視点のEXストーリーに突入します。

よろしくお願いします。



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