10-21-花屋にて -異世界勇者に次ぐ光-

「すこしよろしいですかな」


 背後から中年男性の声がした。

 振り返ると、華美な法衣に身を包んだ50歳〜60歳くらいだろうか、肥え気味の男性が柔和に笑んでいた。


「これはルドラさま。失礼いたしました」


 花屋の店員は法衣の男性に深々と一礼したのち、男性から花に関する質問を受け、あれこれと説明し始める。


 男性の隣には、たぶん俺より年下だろうと思われる少年が立っていた。


 薄く紫がかった白の髪に、アイスブルーの瞳。

 緑を基調とした軽鎧、ベージュのパンツ。

 貴族と戦士を合わせたような格好に思えたが、彼の首元には奴隷の象徴がつけれらていた。


 この店に入るときにすれ違った貴婦人に従っていた少女を見ても感じたことだが、彼女と彼には、俺がこの街でいやというほど見た奴隷特有の無表情と死んだ瞳がない。


 少年はルドラと呼ばれた法衣の男性の護衛なのだろう。腰にはいくつもの星をあしらったデザインの鞘を持つ剣を差している。


 解析アナライズの魔法を持たない俺だが、本能が、彼が俺よりも強いだろうことを感じ取った。


 少年は俺のほうを見ていない。しかし、彼の纏う気──とでも言おうか、オーラのようなものが、間違いなく俺を見ている。


 もしも主君に危害を加えようとすれば、たちまちお前の喉を貫くぞ、と無言で雄弁に語っている……。


 彼から悪意や敵意は感じない。俺はルドラという男性になにかをしようとしていないからだ。


 ただ彼から放たれる覇気にも似た威圧感が、俺に冷や汗を流させる。


 どれほど俺は彼のことを見ていたのだろうか。少年は俺にたっぷりと畏怖を植えつけてから、まるではじめて俺に気づいたとでもいうように肩をぴくりと震わせ、俺に目を合わせる。


 いままでの威圧はなんだったのかと思わせるほどにあどけない顔立ちが、俺に呼吸を許してくれた。


「おや」


 ルドラもこちらに気づいて一礼する。俺も会釈で返した。

 それで終わりかと思ったが、彼は俺に興味ありげな視線を向け、少年とともにこちらに近づいてきた。


「これはお若いかたが珍しい。わたくしはルドラと申します。商いをやっております」


 この街の住人を富裕、一般、貧困で分けるなら、彼は間違いなく富裕層の──それもかなり上位に入る人間だろうと思われた。

 しかし、彼の態度は同じ富裕層であろう、オルハとミーナを買おうとしていたラカシュという貴族とは違い、物腰はこのうえなく柔らかだった。


「祁答院悠真です。……異世界勇者です」

「おお、やはり!」


 俺が名乗ると……もとい、異世界勇者と知ると、ルドラは俺の手を取る。

 上下にぶんぶんとたっぷり五回は振ってから俺の手を解放し、後ろの少年に「これ」と声をかけた。


 少年は「はっ」と思ったよりも高い声で一礼し、俺の前にやってきて、流れるように跪いた。


「商業都市エシュメルデ外交執政代表ルドラが第三位専属奴隷、シリウスと申します。以後、お見知りおきを」


 彼──シリウスは淀みのない口調で、やはりオルハやミーナと同じように、奴隷であることを誇るようにそう言った。

 その際、彼の手の甲いっぱいに刻まれた、星の形をしたタトゥーが目に入った。


 いったいなんの意味があるのだろう、と疑問に思ったとき、後ろからオルハとミーナがやってきて、ルドラに対するように跪き、同じように俺の第一位専属奴隷だと名乗る。


「ほうほう、これはこれは」


 ルドラが興味深げに頷く。それはオルハとミーナを見定めているというよりも、俺が奴隷を所有していることに驚いているように見えた。


 三者は同時に立ちあがり、今度は奴隷同士で互いに会釈する。

 そうしてから互いの奴隷は自らの主人に頭を下げ、主人の──シリウスはルドラの、オルハとミーナは俺の後ろに侍った。


 スキルブックショップではオルハとミーナの急な行動に戸惑ったが、もしかしたらこれが、アルカディアにおける奴隷の作法というものなのかもしれない。

 ……この店に入るまでは、そんなこと思いもしなかったけれど。


「ふたりが第一位……ということは、同時に買われた。悠真どのはふたりを買って長いのですかな?」

「いえ、今日の昼前です」

「今日!」


 俺が答えると、ルドラはやや大袈裟気味に驚いてみせる。

 また、ルドラの言葉から、オルハとミーナが言っていた第一位とか、シリウスの言う第三位が奴隷を買った順番であることが推察できた。


「いやこれは失礼。随分と身綺麗にしているものですからな」


 ルドラの口調に嫌味や皮肉めいたものは感じられず、むしろ嬉々としたニュアンスが驚きから伝わってくる。


 ルドラや店員の反応は、今日一日で奴隷の冷遇をいやというほど感じた俺からすれば意外なもので、きっと、このなかで一番驚いていたのは俺だった。


「綺麗な髪をしていますね」


 先ほどのシリウスの覇気にあてられたわけでも、この街のVIPであろうルドラにおもねろうとしたわけではない。

 どうしてだろうか、シリウスに向かって、そんな歯の浮くような台詞が口をついて出た。


 シリウスは先刻のオーラなどてんで知らないような素振りで顔を赤らめ、


「きょ、恐縮です」


 とか細い声で応えてみせた。

 ルドラは彼の隣で手を叩き、まるで我がことのように喜ぶ。


「おお、おお! 勇者さまに褒めていただけるとはありがたや! シリウスはですからな!」

「癒しの……民?」


 初めて耳にする単語だった。


「おや? 異世界勇者である悠真どのがご存じないとは」


 俺のことを本当に異世界勇者なのかといぶかっている様子はないし、むしろ異世界勇者ならば知っていて当然なのに、という意味に感じた。……しかし残念ながら、本当に聞いたことがない。


 ルドラは咳払いをひとつして、嬉しそうに説明してくれた。


「癒しの民とは、異世界勇者と同じくユニークスキルを持ち、異世界勇者に劣らぬ治癒魔法の適性があり、異世界勇者と同等の成長能力を持つ、異世界勇者に次ぐアルカディアの光です」


 アルカディアの光。

 それは俺たち異世界勇者が散々言われてきたことだった。


 モンスターに抵抗できる力を持ち、だからこそアルカディアの人々は俺たちを召喚しているのだと。


 しかし、癒しの民と呼ばれる存在が俺たちと同等の力を持つのなら、わざわざ俺たちを召喚しなくてもよいのではないだろうか……と疑問を持ったが、


「しかしアルカディアの民の宿命でしょうか。瘴気には弱く、残念ながらコラプスやシュウマツの渦には入ることができません」


 ルドラがすぐさまそれをうち払った。

 同時に、新たに現れた単語に首をかしげる。


「シュウマツ……の、渦?」


 コラプスはダンジョンを放置したために瘴気が生まれ、それが溢れたものだと知っている。

 しかし、シュウマツとは……?


「ルドラさま、そのへんで」

「お? おお、ついつい。悠真どの、忘れてくだされ。はっはっは」


 店員にやんわりと諭され、ルドラにはっきりと濁された。

 さらに話を逸らすように一歩下がって店員をこちらにそっと押し出すように手を伸ばす。


「こちらのレオニードどのも癒しの民でしてな。広範囲の回復魔法と大地魔法、さらには弓による射撃を得意としておられる」

「いえ、私など。しがない花屋でございます」


 店員──レオニードは謙遜した様子で頭を下げてくる。

 なぜかシュウマツという単語がしこりのように残り続けたが、俺も追求はせず、嬉々と説明するルドラに合わせた。


「癒しの民は頭髪の色素が薄く、白く美しい髪を持って生まれましてな。その能力に応じて幼いころに手の甲に紋章を彫るのです」


 レオニードの髪は長く美しい白銀。

 言われてみれば、彼の手の甲には月の紋章が刻まれている。

 シリウスは星だった。

 能力に応じて、ということだったが、月と星、どちらが長けているのかを訊くのは失礼にあたるかと思い、頷くだけの反応に留めた。


 そういえば街なかでも時折こういった色の髪をした若い人たちにでくわすことがある。

 ならば、彼らも癒しの民だったのだろうか。


 俺が親交のある人物で白い髪といえば、リディアだけだ。

 彼女の手の甲には紋章が刻まれていただろうか。

 ……なかったような気もする。


「願わくば、悠真どのもたくさん癒しの民をこしらえてくださると我々も嬉しいのですがな。わっはっはっは……」


 ルドラは俺の疑問を次々と新しいものに塗り替えてゆく。


「あの、それはどういう意味ですか?」

「おや、はっはっは、本当にご存じない。は時折、生まれたときから高い魔力を持っていることがあるのです。その子が癒しの民です」


 また、癒しの民は美しい白い産毛を持って生まれます。とルドラはシリウスの髪を誇るようにそう言った。



 夢のなかで俺たちの魂だけをここ異世界まで飛ばすアルカディア・システム。


 ゲームのような世界とはいえ、また、この身体が現実の肉体そっくりにつくられた仮初かりそめとはいえ、が果たしてアルカディアでも可能なのか──なんて会話、慎也と直人がしていたことを思い出した。

 そして、ふたりが俺から離れていった理由は、まさにそれだった。


 癒しの民は俺たち異世界勇者の子──それだけでネガティヴな感情が沸き出すのはもちろん、その行為に対する嫌悪感などではない。



 いま、目の前に──



 俺たちと同じ、異世界勇者の子が──



 奴隷になっているという事実が、どうしようもなく、胸を掻きむしった。



「ふむ、ぜひとも拙宅せったくにお招きし、異世界の話などを聞きたいところでありますが、残念ながら本日は用事がありましてな。私はこれにて失礼いたしますぞ。それでは悠真どの、レオニードどの、ごきげんよう」


 ルドラはそんな俺を捨て置いて一礼し、続いて深々と頭を下げるシリウスに鉢植えを持たせ、入口のほうへ消えていった。



 ……彼、シリウスは、どういう理由で奴隷になってしまったのだろうか。


 どうして、いつから?

 金銭的な問題? それともなんらかの罪を犯した罰? あるいは親の無責任?


 残念ながら、親の無責任なんて現実世界でもままある話だ。

 しかし、このアルカディアに異世界勇者として降り立ちながら、異世界勇者という名前を背負いながら、それはあまりにもひどい話に感じた。


 勇者とはなにか。

 きっとそれに明確な解はない。

 だからこそ俺はずっと憧れ続けたヒーローや、父や祖父のような警察官を勇者に重ね合わせて、悪をくじき、弱きを助ける存在になろうとしたんじゃないか。



「あ、あのう……ユーマしゃま?」


 ミーナの声で我に返る。俺は即座に表情を緩めて笑顔を返す。


「あ、ごめん。なんでもないんだ。ミーナ、どちらにするか決まったかい?」

「あ、しょ、しょの……ミーナが選んでもいいのでしゅか? 本当に?」

「ああ、本当だよ」


 ミーナはふたつならんだプランターの片方を恐るおそる指さす。

 『イノセントハート』と書かれたほうだった。


「うん、いいね。じつは俺もそっちのほうがミーナに合うんじゃないかな、って思っていたんだ。では、こちらをください」


 もう片方のルージュピュリティは花びらが大きく、ミーナの髪よりもやや赤いそれはまるで唇のように重なっていて、花としての見応えがある。

 対してミーナが選んだイノセントハートは花びらこそ小さいものの、その名の通りハートの形をしていて、ミーナの髪よりもやや白みがかっているが、無垢と恥じらいが楚々として表現されている。


「ありがとうございます。花苗で購入されますか? それともこちらをそのまま持ち帰られますか?」


 すこし悩んだが、苗ではなく、五本九輪のイノセントハートが咲いているプランターのまま買うことにした。

 開花までが長すぎることと、プランターや腐葉土などを買うと、金額的にはそう変わらないからだった。


「さ、3シルバー50カッパー……ユーマしゃま、本当によろしいのでしゅか?」


 ミーナが値札と俺にせわしなく目線を動かして問うてくる。


「うん、かまわないよ。あと、そちらのプランターもください」


 イノセントハートの奥にあるプランターを指さすと、オルハがはっと顔をあげた。


 先ほどからミーナの隣でオルハが眺めていた、同じくハートの形をした花びらの、薄い水色をした花。

 タグを見ると『スカイアズールハート』と銘打たれていた。


 こちらのプランターは四本七輪とイノセントハートよりも一本少ないが、花びらは大きめで、ふたつのプランターを並べるとちょうどいいバランスだった。


「あの、その、い、いけま……、…………。…………いけま、せんっ」


 オルハは自分の立場を考えて意見を言っていいものか躊躇ったのか、それともお金のかかることだから俺に遠慮したのか、あるいは本当に欲しいものだったから己の欲と争ったのか、さんざん躊躇した挙句、身体全体で絞り出すようにして遠慮した。


 オルハには笑顔だけを返し、レオニードに「お願いします」と告げた。

 彼は恐らくアイテムボックスにふたつのプランターを仕舞い、もう一度俺に礼を言って入口近くにあるカウンターに向かっていった。



 ふたりは、空の色を知らなかった。

 オルハに至っては、涙の流しかたさえ知らなかった。

 ……ならばきっと、花の愛でかたも知らなかっただろう。


 俺は、知ってほしい。

 この世には、いやなことも多いけれど、いいこともたくさんあるって。


 俺は、見たい。

 いまだ見ていない、ふたりの笑った顔を。


 俺は、信じている。

 自分の感情を持って空の色を知ったように、

 自分の生を実感して涙の流しかたを知ったように、

 花を愛でるゆとりを心に持つことで、笑顔の咲かせかたを知ってくれるって。



 レオニードから花の管理に関する簡単な説明を受けてからふと視線をずらすと、草花とは別に、野菜の種も売っていることに気がついた。

 オルハに訊くと、スカイラークの畑で育てられるものだという。

 プランターふたつと数種類の種を見繕って、計7シルバー90カッパーの買いものだった。


「良いご主人さまに巡りあえましたね」


 レオニードはそれぞれの色の花が咲くプランターをふたりに丁寧に渡しながら、そう言って柔らかく微笑む。


 ミーナは戸惑った表情のままこくりと頷き、オルハはまだ信じられないとでもいう顔で「はい」と弱々しく口にした。


 安くない買いものだった。

 それでも、とても有意義に感じた。


 思えば、アルカディアではスキルブックや武具ばかりにお金を使っていて、こういったことにお金を使ったことはなかった。


 これまでの日常ではきっと味わうことのなかった、不思議な充実感。


 残金は5シルバーとちょっと。

 買わなければならないものはまだある。


 しかし、オルハとミーナは長方形のプランターを両手で大事そうに抱えていて、俺はそのぶん革袋をみっつ持っている。


「いったんスカイラークに戻ろうか」

「はいでしゅ」

「はい」


 腕のなかにある草花の隙間から返事をするふたりの表情には、うきうきとした嬉しさと、それを享受きょうじゅしきれない戸惑いが表れている。


 花は自らの喜びのために花を咲かせる、という。

 ふたりも、俺のためではなく、自分たちのために生きてほしい。


 ちょうど、ふたりの黒い首輪が花の影になって隠れた。

 うん、やっぱりこっちのほうがいい。


 花屋の庭を抜け、中央通りを北上する。

 今日はまだまだ終わらない。太陽が俺たちの進む道を眩しく照らしていた。

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