10-20-フラワーショップ『ディエーリヴァ』

 二週間ほどお世話になった宿を解約した。


 俺だけ宿に泊まり、オルハとミーナだけスカイラークに住むという俺の提案を、ふたりが頑なに断ったからだ。


 慎也と直人はいなかった。最近の彼らも心配ではあったけれど、正直オルハとミーナの境遇を考えれば、どちらの傍にいてあげたほうがいいかは明白だった。


 お互いに頑張ろう、と書き置きを残し、階下にいる宿の主人に声をかけた。


「そうかい……残念だねぇ。娘が寂しがるよ」

「あはは……ティータさんにもよろしくお伝えください。お世話になりました」


 寂しがるという宿娘のティータさんだが、幼い子ではなく今年18歳。

 俺が15歳だと告げると、慌てて「ほ、本当は16歳です!」なんて言って場を盛り上げてくれたっけ。

 ちょうど買い物に出ていて挨拶ができなかったことは残念だけど。


 ……どちらにしろ、俺には彼女の熱を帯びた視線にも、甘えるような言葉にも、応えることができなかったから。


 ただ幸せになってほしいという想いだけを残して、宿をあとにした。



 外で待っていたふたりと合流し、街の中央から富裕層が多く住む、南東区画へと足をのばす。


 もしかすると奴隷は区画にすら入れさせてもらえないかと危惧したが、そういったことはなく、むしろ中央よりも奴隷は多いくらいだった。


 驚いたのは、奴隷の服装がボロではなく、一般的なコモンシャツとコモンパンツの姿や豪奢な貴族服に身を包んだ格好が多く見られたことだ。


 そんななかでもたまにいる。

 ボロを纏い鎖に繋がれた奴隷。反して、豪華な服に身を包んで自慢気に通りを闊歩する主人。

 周囲にいる紳士風の男性や貴婦人はそんな奴隷の姿を見て眉をひそめささやきあう。

 ボロに包まれた奴隷の主人は、それに嫌らしい笑みを返しているのだ……。


 狂っている。

 俺にはその主人が、自分がどれだけゲスになれるのかを道楽で試しているようにしか見えなかった。


「たしかこのあたりだったと思うんだけど……。あ、あった」


 わざわざ富裕層までやってきたのは、アルカディアに来て初日にエシュメルデを散策したとき、花屋があったことを覚えていたからだった。


 富裕層の店舗の並びに花のアーチがあり、それをくぐると左右には色とりどりの花が咲き誇る庭がひらく。オルハとミーナはその美しさに感動しているようだった。目がきらきらと輝いている。


 左右の花を愛でながらレンガ造りの小道を20メートルほど進んだ先に、これまた花に囲まれた木造りの店舗があった。


 エレガントな黒いコートを羽織った貴婦人がちょうど店内から出てきたところだった。

 彼女はブリムの広いハットを脱ぎながら、


「ごきげんよう」


 と優雅に微笑んだ。

 後ろに連れていた、孫娘に見えるような女の子も俺に頭を下げる。


「こんにちは」


 俺が会釈を返すと、オルハとミーナもその場で一礼した。


 女の子の首には、黒い輪っか。……驚いたことに、彼女も奴隷なのだ。

 西洋のお人形を思わせるふりふりとしたドレスに身を包む彼女はプリンセスにしか見えなかった。


 貴婦人と彼女は、この店が奴隷でも入れるということを行動で教えてくれた。

 胸中でふたりに礼を言い、甘い香りのする店内へ。


「うわぁ……」


 ミーナがときめきをそのまま口にしたような声をもらした。

 店内には庭に負けないほど鮮やかな花々で彩られていた。

 たくさんのプランターが通路脇に並んでいる。壁にも花が飾られていて、どれにも隣には花の名前、値段などを印したタグがつけられている。


「ブルースカイフローラ、こちらはグレイトフルスカイ……」


 オルハは自分の髪色に似た花を見つけ、名前を確認していた。

 どうやら花の名前は日本とは違うものもあるようで、例えはバラはローズの名前が使われており、基本的なものはレッドローズ、ブルーローズとわかりやすいが、グレイトフルスカイと書かれていても、花について知識を持たない俺にはなんの花なのかわからない。


 店内には数人の客がいて、やはり富裕層なのだろう、服装が華美だったり、配色こそ地味だけれど上質そうなコートを羽織っている。

 花の香りや美しさ、そして街なかとの客層の違いは、ここがエシュメルデで、自分の住んでいる街であることを一瞬忘れさせた。


「いらっしゃいませ」


 その声に振り返ると、美しい白糸のような長い髪の男性が顔を上げるところだった。

 店構えも店内も客層も上質なら、店員の顔立ちも所作も上質だった。

 きっと彼の眼鏡越しに映る澄んだ水色の瞳には、カッパーシリーズの鎧を身にまとう自分と、コモンシャツ姿のオルハとミーナは随分とみすぼらしく見えているだろう。

 しかし店員はそんな態度を微塵も出さず、俺たち三人に柔らかい笑みをうかべてくれた。


「なにかお探しでしょうか。お手伝いできることはありますか?」


 すこし迷ったが、この店員ならばきっといやな顔をせずに応対してくれるだろうと期待して口を開いた。


「この子の髪色に近い色の花を探しています」

「お嬢さんの。はい、ございますよ。こちらへどうぞ」


 俺の勇気はいったいなんだったのだろうと首を傾げたくなるほどあっさりと、店員は俺ではなくミーナを誘うようにして奥へと歩いてゆく。


 ミーナは信じられない、という様子で俺にしがみついてきた。

 オルハと頷きあい、店員を追いかけるように奥へと進んだ。


「こちらがルージュ・ピュリティ。こちらがイノセント・ハートという花です」

「わぁぁ……!」


 ミーナが俺から離れ、店員が並べてくれたふたつのプランターに駆け寄って屈みこんだ。


「み、ミーナ……!」

「いえいえ、いいんですよ」


 オルハが慌てて止めようとするが、店員はオルハに笑みを向けてくれる。

 ミーナはそれにすら気づかない様子でうきうきとプランターを見比べていた。


「オルハも遠慮しないでいいと思うよ」


 声をかけると、オルハは胸に手を当てて、恥ずかしそうに顔を背ける。

 顔が戻ってきたと思ったら、俺と店員に深々と頭を下げ、ミーナの隣に走り寄った。


 オルハは屈みこみ、ミーナと一緒に無垢な目を花に向ける。その横顔がなぜか、スキルブックショップで見た、豹変にも似たオルハの無表情を思い出させる。


 声をかけたらすぐに目に光を宿してくれたけれど、オルハの本質がすべてを諦めたような、無関心の塊のような彼女ではなく、いまこうしてミーナとふたりで目を輝かせて花を愛でる彼女だと信じている。


 きっといまのオルハとミーナのこころには、人間と奴隷のON/OFFを切り替えるスイッチのようなものがある。

 俺はそれを可能な限り少ない回数で探らなければならない。


 願わくば、もう二度と、あんな顔をしないで済むように。

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