10-19-相反する炎

 ココナのスキルブックショップ。

 三好くんたちが出ていったあと、俺たち三人はそれぞれが習得できるスキルをモノリスで確認していた。


 オルハのモノリスには【歩行LV1】が、ミーナのモノリスには【歩行LV1】と【開錠LV1】があるだけだった。


 異世界勇者は現地の人間と比べ、身体能力やスキルへの適性、ユニークスキルの所持によりスキルを習得しやすいことは知っていたが、それにしてもラインナップが少なすぎる気がした。


「ごめんにゃー、最近はルーキー冒険者さんのお客さんが多いから、LV1のスキルブックは在庫切れが多いのにゃー」


 ココナは肉球が柔らかそうな両手を合わせてウインクを送った。

 彼女たちが習得できるスキルが少ないだけではなく、スキルブックの在庫不足によるもの。ならば他の店ならばもっと──と考えたとき、ココナから苦笑が漏れた。


「今日はこれから仕入れに行ってくるつもりだったにゃん。お急ぎなら、ギルドの近くにあるおっきいお店にいくのもいいかもにゃー」


 笑いながらそう言うココナに若干申しわけなく思いながら、ふたりぶんの【歩行LV1】を購入しようとすると、オルハとミーナから慌てて止められた。


「いけません、これ以上私たちにお金を使っては」

「そ、そうでしゅ。ミーナたちはまだなにもできてないでしゅ」


 とはいえ【歩行】スキルはとても便利だ。

 速く歩けるようになり、歩いていても疲れにくくなる。

 地味でこそあるが、広いエシュメルデを歩くには必須と言ってもいい。


「いいよ、まだまだ余裕はあるから。心配しないで」


 小銭袋にある金額は多くなかったが、宿のストレージボックスにはまだ大銀貨が一枚残っていたはずだ。できるだけ頼もしく見えるよう、ふたりに笑顔をつくる。


 そうして60カッパーをココナに渡そうとしたとき、ミーナがなおも俺の腕を掴んで止めた。


「ど、どうせ買っていただけるのなら、こっちがいいでしゅ」


 ミーナがおずおずと指差すのは、スキルモノリスに書かれた【開錠LV1】の文字。


「ミーナ。開錠っていうのはね。モンスターを倒した際に出現する木箱の開錠成功率を上げるスキルだよ」

「知ってましゅ」


 顔こそ俯いていたが、俺の言葉を食うように肯定するミーナの言葉は力強かった。


「あはは……えっとね、モンスターっていうのは人間の敵で、人間を見ると襲い掛かってくる危険な──」

「知ってましゅ……!」


 そんなことは当然知っている、と首を横に振る。それもそうだ。奴隷だったとはいえ、異世界勇者なんかよりアルカディアの住民のほうが遥かにモンスターの恐ろしさを知っているに決まっている。


 ならはやはり、ミーナが言いたいのは──


「俺と一緒に戦場に出る、と言っているのかい?」

「そうでしゅ。お願いしましゅ」


 ミーナは深々と頭を下げる。

 もちろん、すぐにダメだと言おうと思った。

 しかし、きっとミーナがはじめて見せたであろう自分の欲求を即座に否定してしまうのは彼女にとってよくないと思い、躊躇ためらった。


 その隙に、ココナがミーナを応援するように会話に入ってきた。


「ユーマ。たぶんにゃけど、見た感じ、ミーにゃんはとっても開錠が得意にゃ。ユーマが得意じゃないなら、連れて行ってあげてもいいと思うにゃ。それにケットシーは夜目が利くにゃん。夜間の戦闘もずっと有利になるにゃよ?」


 たしかに俺の開錠成功率はマイナーコボルトから現れた木箱でも50%前後で、お世辞にも高いとは言えないし、これまでずっと香菜に開錠を任せていたからか、スキルを習得することもできない。


 夜はマナフライが照らしてくれるとはいえ、視界が悪くなる。嗅覚の強いコボルトや、そもそも視覚に頼っていない気がするジェリーなどに先手を取られることが多くあった。


 ミーナの能力は俺が喉から手が出るほどほしいものに間違いない。


 でも、俺が渋っているのは、役に立たないからとか、ましてや意地悪なんかじゃない。

 危険だから来ないほうがいい、ということなんだ。


「お願いしましゅ、お願いしましゅ……」


 ──しかし、俺の腰にすがりつくミーナの気持ちもわかる。


 人は誰かと共にいるとき、自分の役割を求める。なぜなら、役割こそが自分の居場所だからだ。


 ふたりが草刈りや掃除を頑張るのはきっと、これまでの経験や奴隷という立場があってのことだろうけれど、我々はこれだけ役に立つことができます、だから捨てないでください──という、俺の傍に居られる理由を探していたことはふたりの態度から明白だ。


「何回でも言うけれど、俺はふたりを捨てたりなんかしないよ」

「ぅぅ……お願いしましゅ……」


 俺の言葉を聞いているのかいないのか、ミーナはなおも哀願する。

 困り果ててオルハに視線をやって「どう思う?」と尋ねた。

 オルハは悲しげな表情を変えぬまま、


「…………ミーナが、危ない場所へ、行くのは、つらいです」


 言葉を探しながら絞り出した言葉なのだろう、一句ずつ途切れながらも応えてくれた。

 オルハは俺の瞳をじっと見つめていて、なにかを諦めるように顔を伏せた。

 それが俺にはまだ言いたいことがあるのだと感じ、もう一度質問を重ねた。


「なんだい? 全部話して」


 言ってから、しまった、と思った。


 オルハの瞳から光が消えてゆく。

 まるで、人から人じゃないものへ堕ちてゆくように。


「私がミーナでしたら、同じようにユーマさまに縋るでしょうから。受け入れていただきたい、とも思います」


 オルハはきっと、俺のお願いを命令と捉えたのだ。


「それに」


 これ以上はいけない、と思った。

 でも、もう遅かった。


「街の外であろうと街の中であろうと、奴隷が常に生命の危険に晒されていることには変わりはありませんから」


 俺には己の境遇への嘆きには聞こえなかった。


 薄い表情のなかに、ただ、己に対する無関心だけがあった。



──



 エシュメルデは北西の貧困層、北東と南西の一般層、南東の富裕層と大まかに区画が分かれている。

 中央には噴水広場と冒険者ギルドがあり、この地にエシュメルデをつくった調和の女神、エスメラルダの彫像が建てられている。


 調和とは、つりあいが丁度よく、整っていることだ。

 富める者がいれば当然、貧しい者もいる。

 しかしこの場に貧民や奴隷がいれば、まるで汚れものを見るような視線が注がれる。

 それを調和と呼ぶのなら、ダルマティカを羽織り柔らかな笑みを浮かべるこの彫像が、随分と滑稽なものに見えた。



 このあたりは一般層と富裕層の境界線であり、そこそこの値段でそこそこのものが買える店舗が並んでいる。そのうちの一軒の前で立ち止まった。


 以前、亜沙美たちとタオルを買うために訪れた日用品の店だ。その際、コップや歯ブラシも置いてあったことを思い出す。


 店の前にはボロを纏い首輪をつけた人間が四人、死んだような目で遠くを見つめている。オルハとミーナは当然のように彼らの隣に並び、表情を殺した。


 どうしたのかと声をかけようとしたとき、先頭にいる男性の前に立て看板が設置してあることに気がついた。


 そこには、


『奴隷置き場』


 と書かれていた。


 奴隷は店舗内に入れず、店の前で主人が買い物を終えるまでずっとここで立っていなければならない。

 オルハとミーナは四人の後ろについて、整然と並んでいた。


 ……まるで、コンビニエンスストアに駐車するように。


 いままでは目にも入らなかった立て看板の文字が、いやに大きく見えた。



──



「……ごめん、待たせてしまったね」


 結局、俺だけが店内に入り買いものをした。

 オルハとミーナも入れる店を探そうかとも悩んだが、それはそれでふたりに気をつかわせてしまうと思った。


 ふたりは俺に気づくと、買ったものが入った革袋を競うように持ってくれる。


「自分で持つからいいのに」


 声をかけると、ふたりと一緒に並んでいた、いままで無表情だった人たちが驚いたように俺に顔を向け、失礼いたしました、とでも言うように目の光を消した。


 その後は防具屋でふたりの着替えにコモンシャツを二着ずつ、コモンパンツを一着ずつ購入した。

 コモンブーツの替えも買おうかと思ったが、自分の靴の替えを持っていないことに気づき、また別の店でふたりぶんのソックスを二足ずつ選んだ。


 オルハとミーナは驚き、お金を使わせてしまい申しわけありませんと無用の謝罪を重ねながら喜んでくれた。


 とくに長短のソックスと、それぞれの髪色に合わせた歯ブラシとコップなどは、オルハもミーナも時折革袋を覗きこんで「へにゃぁ……」と顔を綻ばせるほどだった。

 ふたりの表情を見ればきっと、ふたりの立場が奴隷だなんて誰も思わないだろう。


 こうして街なかを歩いていると、首輪から伸びた鎖を主人に引かれる奴隷や、四つん這いで歩くことを強制される奴隷を目にする。


 これまではそういった光景を見かけたとき、奴隷への憐れみと主人への軽蔑の視線を亜沙美たちと一緒に向けるだけだった。


 同じ世界アルカディアに立ちながら、どこか違う世界のことなんだと感じていた。


 いざふたりを買ったとき、距離はぐんと縮まった。

 奴隷への憐れみは深くなり、主人への軽蔑は怒りにも似た感情に切り替わる。


 ……しかし、いまの俺にはどうすることもできない。

 四つん這いの奴隷を助け起こしても、いやらしい笑みを浮かべる主人に詰め寄っても、結局のところ俺も奴隷を連れているのだから、俺の言葉にはなんの説得力も宿らないだろう。


 火で火は消せぬ、という。

 また同時に、火は火で治まる、ともいう。


 奴隷を買った俺には彼らを救うことができない。

 あるいは奴隷の哀しさを知る俺だからこそ、彼らを救うことができるのかもしれない。


 相反する感情が並び、この世界を変えたいという思いも混ざりあい、脳がミキサーにかけて混ぜられる。


 結局俺はいま、この哀れな光景を目にしても、ミキサーの振動で拳を震わせることしかできなかった。

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