10-15-空に浮かぶ島

 目の前の景色にひとことで感想を述べるなら、圧巻、だった。


 どこまでも続く、青い空と白い雲。


 普段、空を見上げれば望める景色であるにも関わらず、空に在って目線の高さで見たそれは、どこか非現実的ですらあった。



 転移陣はココナのスキルブックショップの裏庭にあり、女将から転移陣利用の許可を得たことで、俺たち三人全員が利用可能になった。

 ……厳密に言えば、俺ひとりが許可をもらい、奴隷であるオルハとミーナは俺の”所有物”扱いで自動的に利用可能になったわけだけれど。


 地上からアークへの転移には30分の時間を要するらしいが、体感では一瞬だった。

 モンスターにたおされたとき、120分という時間経過を感じず、一瞬で拠点のベッドで目が覚めるときと同じ感覚だ。


 アークの転移陣は島の縁にあり、俺たちは外側を向いた状態でこの場所に転移された。


 転移陣の狭さゆえ、俺と密着するようにこの場に立つオルハとミーナはこの空を見ても無表情──というか、どこか上の空のようだ。女将から借りた農具を抱えたまま、青い空をまっすぐ見つめている。



 島の縁には木の杭が”おそらく”島を囲むようにぐるりと打ち込まれていて、杭と杭の間には、膝とへその高さに二本の麻ひもが結ばれている。誤って落ちてしまわないためのものだろう。


 杭の頂点に手を乗せて安全を確認しながら島の縁から眼下を望むと、やはり青空と白雲が続いていて、地上を目にすることはできなかった。

 しかし、見上げる空と正面に見る空が違うように、見下ろした空も、雲の広がりがまた別の景色に見えた。


 高所恐怖症というわけではないが、さすがに寒気がして振り返ると、オルハとミーナの肩越しに、緑と茶が混じったような色の雑草が俺の背丈ほどまで伸びている。

 木の杭が”おそらく”ぐるりと、というのは、この雑草のせいで島の全景が見えないせいだ。


 目を凝らすと、雑草の隙間から焦茶色した木造の小屋が奥のほうにあることに気がついた。……正直、前もってアークのミニチュアを見ていなければ気づかなかったかもしれないけれど。


 小屋の中を先に確認したい思いもあったが、壁のようにみっしりと生えた雑草は、たかが数メートル先の小屋を随分と遠くに見せた。


 これは草を刈りながら進まないと無理だ。そう思って革袋を足下に降ろしたとき、オルハもそう判断したのか、


「ご主人様、作業を始めてよろしいでしょうか」


 無表情なまま、しかし先ほどよりも光のある瞳を俺に向けた。


「ああ、最初はすこし窮屈だけど、三人で手分けすれば──」


 言いながら、両膝を地面につけようとしたとき、ふたりは荷物を慌てて地面に置き、俺の膝の下に手のひらを滑りこませてきた。


 こんなことは想像もしていなかったから、当然ふたりの手は俺の膝の下敷きになり、オルハとミーナの顔が一瞬歪んだ。慌てて立ち上がる。


「お膝が汚れましゅ」

「作業は私たちにお任せくださいませ」


 ミーナは当然のようにそう言って、オルハがあとに続いた。


 ふたりはいったい、これまでどのような扱いを受けてきたのか。

 そんなこと、ふたりから聞くまでわからない。しかし、


「だめだよ、こんなことしたら」


 これから考えるのは、これまでのことではなく、これからのことなのだ。


「俺はふたりにひどいことをしないし、ひどいことを求めない」


 ふたりの手を同時に握る。


「このくらい、汚れるとも思わないし、汚れたのならシャワーを浴びればいい。服は洗えばいい。汚れるのはふたりだけじゃなくていい」


 そのままゆっくりと両膝を地面につけた。ふたりの目が大きく見開く。


「失敗したら謝ればいい。間違えたら次に気をつければいい。過ちを繰り返さない意思さえあれば、他者を傷つけない限り、俺はふたりを咎めたりしない」


 きっとふたりは、ことあるごとに厳しい叱責と激しい折檻を受け続けてきたのだろう。痛々しい鞭の痕が、それを如実にもの語っている。


「わからなかったら問えばいい。忘れてしまったら訊けばいい。人はそうやって覚えていくんだから」


 きっとふたりは、人としての在りかたを学ぶことなく育ってきたのだろう。恐怖を無理やり塗り替えるような無表情が、それを如実にもの語っている。


「俺はふたりが自由になるまで、ふたりを捨てたりなんかしないから」


 ふたりは唖然とした表情で俺を見つめていたが、やはり、やがて揃って視線を落とした。


 信頼なんて、ものの数時間で得られるものではない。

 だから、いまはそれで仕方ないとも思う。


「でも、これだけは守ってほしい。俺のために自分やお互いを傷つけることはしないでほしいな」


 それだけ言って、両手でふたりの頭を撫でたあと、三人で草むしりを始めた。



──



 一時間ほどが経過した。

 また生えてくるからと根っこから抜いていたが、埒があかないため、女将さんが貸してくれた手鎌で刈り取るようにしてからぐんとスピードが上がった。


 女将さんからは「ゴミとか抜いた雑草は、島の外から捨てちゃいけないよ。マナーだからね。ちゃんと持ち帰ること」と言われ、そんなことをするはずがない、と思ったものだったが、次々と雑草でぱんぱんに膨れてゆく革袋の数が十を超えたとき、ああなるほど、とひとり得心したものだ。


 すでに三人とも汗だくだ。男性の俺でも相当疲労を感じているのだから、オルハや、とくにミーナは随分とこたえているだろう……と思ったが、表情に疲れこそ見えるものの、思いのほか元気な様子で「よいしょ、よいしょ」と言いながら、オルハと俺が刈り取った雑草を革袋に詰めている。


「疲れたら俺に遠慮しないで休憩していいからね」

「平気でしゅ」

「ありがとうございます」


 ふたりは手を休めて返してくる。しかしそれも一瞬のことで、また作業に戻ってしまった。


 このままだと倒れるまで作業しかねない。一度無理やりにでも休憩を挟むか、いやせめて小屋に辿りついてからのほうがいいか、と考えていると、もう一度手を止めて立ちあがったオルハから、躊躇いがちに声をかけられた。


「ご主人様、僭越ながらご提案を申しあげてもよろしいでしょうか」

「もちろんだよ。どうしたんだい?」


 休憩ならばむしろ望むところだった。しかしオルハは積み上げた雑草の革袋を手で示す。


「こちらの雑草なのですが、廃棄するのではなく、植物堆肥として再利用してもよろしいでしょうか」

「しょくぶつたい……なんだって?」


 オルハの言う植物堆肥しょくぶつたいひとは、農耕に使用する肥料のことらしい。


「肥料には牛糞や鶏糞、米ぬかなんかが使われるって聞いたことがあるけど、雑草も肥料になるのかい?」

「はい。普段は土とぬかを混ぜ合わせますが、この雑草は自然と魔力の混合物質のようですので、私がぬかの代わりに魔力を注げば、ぬかは必要ありません」

「そうなのか。すごいじゃないか。オルハは詳しいんだね」

「い、いえ。私にはノームの血も流れておりますので」


 とまり木の翡翠亭でステータスモノリスを確認したとき、オルハの種族適性が並んでいるなか、たしかにノームと書かれていた。

 はじめて聞いた単語だったが、スキルに農耕の適性を得ると書いてあったから、きっと畑仕事を生業としている種族なのだろう。


「俺は畑に関しての知識を持っていないから、畑の管理はオルハに任せていいかい? もちろん、マンパワーが必要なら手伝うからなんでも言って」

「いえっ、そ、そんな、恐れ多い……!」


 オルハは慌てた様子で首を横に振って汗を飛ばす。


 畑を一任されたことか、あるいは俺が手伝う、と言ったことに対してか……どちらに恐れ多いと感じたのかはわからなかったが、ありのままの人間らしい表情を見ることができて、思わず口の端が緩んだ。




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明日も投稿します(*´ω`*)

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