10-13-とまり木に住まう猫
奴隷商から聞いた、鎖と首輪の外しかたは拍子抜けするほど簡単だった。
そもそもこれらは奴隷商がつくりだした魔力物質らしく、鎖や首輪に対して主人……つまり俺が「消えろ」と命令し、奴隷……ふたりが受諾すれば、緑の光になって消えてゆく代物だそうだ。
黒い首輪から伸びていた、繋がる先のない銀の鎖は俺の指示で簡単に消え失せた。しかし、
「首輪、消えろ。……だめだね。消えない」
ふたりの首輪だけは消えてくれなかった。
「俺のやりかたが違うのかな」
「いえいえ、そのようなことはございませんが……」
彼女たちは物心ついたときからすでに奴隷であり、奴隷として生き、奴隷として死ぬことを魂から植えつけられていて、首輪を外すという俺の行為が受け入れられないのではないか、と奴隷商は困惑の表情を浮かべた。
「どうでしょうお客様。一日いただければ、言うことをきくよう、よく躾けなおしますが」
オルハとミーナの肩がぴくりと震えた。
先ほどミーナが目に涙を浮かべただけで鞭を振りかぶるこの奴隷商にふたりを預けるなど、考えるだけでぞっとする。
奴隷商の申し出を断り、ふたりを連れてその場をあとにした。
──
大通りに出ると、俺たちは思いのほか目立つことになった。
行き交う人々がこちらを見て顔をしかめてすり抜けてゆく。
最初は奴隷の首輪のせいかとも思ったが、それよりもふたりの放つ悪臭が原因ではないかと気づき、シャワー施設へ向かうことにした。
「だめだめ、うちは奴隷禁止なんだ」
しかし俺が知っているシャワー施設は三軒とも全滅。
理由を尋ねると、奴隷が使った施設を嫌がる人が多いから、ということだった
どうして、なんだ。
同じ人間じゃないか。
これじゃあ、モンスターよりも人間のほうが──
『笛パクったの、どうせ内田じゃねえの?』
『ランドセルのなか、開けてみようぜー!』
人間のほうが、よっぽど──
「ご主人様、発言してもよろしいでしょうか」
俺の心にどす黒いなにかがうまれたとき、オルハの声が俺を繋ぎとめた。
「喋るのに俺の許可はいらないよ」
「では失礼いたします。エシュメルデの北西区画は貧困街。そちらの大通り沿いに居を構えるホビットたちは我々のようなものにもお優しい、と聞いたことがあります」
ホビットといえば、藤間くんや足柄山さんといっしょによく採取をしている、中肉中背の──
『透がワシの代わりに死んじまう! 誰か透を助けてくれよ!』
自分以外の誰かのために大声で叫ぶことのできる、厳つくも優しそうなスキンヘッドの男性を思い出した。
「よし、行こうか」
視線から逃げるように中央通りを早足で抜け、街の北西へ。
やがて、まだあまり土地勘のない俺でも見覚えのある場所にでた。
「ここは……」
すこし色あせた白壁。
赤い屋根から伸びた煙突のてっぺん付近からは横倒しになった丸太が伸びていて、先端には猫耳を模した飾りつけがされている。
INN・とまり木の翡翠亭。
藤間くんたちが住まう宿。
彼らはいまごろ、宿に居るだろうか。
……彼らなら、救ってくれるだろうか。
この、ふたりを。
……あるいは、悪に堕ちた、俺を。
奴隷を買うという外道に足を踏み入れた俺を、それでもいいと、受け入れてくれるだろうか。
『なにも捨てられないお前に、誰かが救えるとは思えない』
……藤間くん。
やはり俺には、なにも捨てられなかったよ。
ちらと中を覗くと、看板通り受付がなく無人。
どうやら銅貨──10カッパーを台座に載せると銅貨が消え、代わりに十五分間シャワーから湯が、逆さまにされた半透明の容器からは石けんとシャンプー代わりのエペ草の粉末が出るタイプのようだった。
「使いかたはわかるかい?」
ミーナは首を横に振ったが、オルハは知っているようで、ミーナに教えるよう指示して20カッパーを手渡した。
「どうして……」
「いいから。ゆっくり浴びておいで」
ふたり揃って口にした「どうして」の先には、どうして奴隷にお金を使おうとするのか、というあまりにも哀しい言葉が続く気がして、なかば無理やり断ち切るようにして遮った。
ふたりは納得したわけではないだろうが、シャワーを浴びることが俺の命令だと捉えたのか、戸惑った表情のまま施設内へ消えてゆくと、俺は建物に背を向け、武具屋を探して走りだす。
せっかくシャワーを浴びても、あの汚れきったボロギレをふたたび着せるのは可哀想だった。
幸い、それは近くにあった。
コモンシャツ、コモンパンツ、コモンベルト、コモンブーツといった最低限の装備をふたりぶん購入し、急いでシャワー施設へと戻った。
施設の前にふたりの姿はなかった。
耳をすませると、なかから、
『姉しゃま、これは……』
『手でよくこすり合わせて、髪に……』
『すぐに水が黒くなるでしゅ……』
『透明になるまできれいに……』
ふたりの声が聞こえて安心した。
しかし困った。手にした衣類をふたりに渡すには、脱衣場まで行かなければいけないが、さすがに男性の俺にそれは無理だろう。
となれば、結局もう一度ボロギレを着てここまで来てもらい、服を渡すしか……
女性ものの衣服を持ったまま、自分の考えのなさにため息をついたとき、背後に視線を感じた。
「じー……」
「うわっ」
振り返ると、猫耳の少女が俺にじっとりとした視線を向けていた。
「ヘンシツシャはっけーん、と思ったら、ユーマだったにゃ……。一応訊くにゃ。こっちはおんにゃのこ専用にゃけど、その前でなにをしていたにゃ?」
ココナはシャワー施設の女性専用入口と俺を見比べて、
「ココナが思っているようなことはしていないよ。ただ、これを」
すこし大げさ気味に、手にした衣類を持ち上げてみせると、ココナは「あー」と納得したように頷いてくれた。
「よかったらココにゃんが持ってってあげるにゃ」
「本当かい? 助かるよ」
ココナにブーツと衣服を手渡すと、彼女はとてとてと小走りで施設内に消えていった。
疑いが晴れてよかったという思いと、ふたりに服を渡すことができたという安堵が混ざり、想像よりもはるかに深いため息となって曇り空へ溶けてゆく。
雲が太陽を覆い隠すのなら、俺の醜い迷いも隠してほしかった。
あのままラカシュという貴族に買われていれば、少なくともミーナは彼の言葉通り、その辺に捨てられていただろう。それどころか、殺されていたかもしれない。
だから、俺は、救ったんだ。
そうやってどれだけ己の行動を正当化しようとしても、人間に値段をつけ奴隷を買ったという、彼らと微塵も違わないやりかたが、俺に胸を張らせてくれない。
藤間くんに対抗しようと己を悪に染めても、俺には「何が悪い」と開き直るだけの強さがない。
心のなかの白い部分が黒く染まってゆく。
光が闇に、昼が夜に移ろってゆく感覚。
「ユーマ」
「あ、ああ」
ココナの声が、まだ昼だったと俺に教えてくれた。
「やっぱりワケありだったにゃ」
その声は困惑をはらんでいて、しかしそのなかには抗議めいたものが感じられなかったのがありがたかった。
「脱衣所の汚れたボロギレ、曇りガラスの向こう側に見えた首元のシルエット……奴隷にゃ?」
「…………ああ」
隠していても仕方がない。俺はもう、踏み出してしまったのだから。
「いつからにゃ?」
「今日。ついさっき」
「にゃるほど。それで無人シャワーを探してここに。……でも、ユーマに奴隷が必要とは思えないにゃ。買った理由を訊いても?」
ココナの、俺には奴隷が必要と思えないという言葉は、まさしく
ふたりが必要だから買ったのではない。
「俺が、俺であるため、かな」
自分のため。
己の正義を証明するため。
藤間くんへの劣等感を払拭するため。
「ワケありなのはユーマのほうだったにゃ」
ココナは大きく息を吸ってから、はぁぁー……と大げさにため息をついた。
「ご飯はどうするにゃ。泊まるところは?」
「これから探すさ。どこか奴隷でも泊めてもらえるところを」
いま俺が宿泊している小綺麗な宿では受け入れてもらえそうにない。
シャワーですら難しいのに、果たして泊めてくれるところはあるのだろうか……? いやきっと、探せば見つかるはず──そんな俺の希望を、ココナの唖然とした顔が否定した。
「もしかして、ベッドで寝かせてもらえると思ってるにゃ?」
表情から、この言葉はココナが奴隷に持つ嫌悪感によるものではないことに安心する反面、やはりこの街では当然のように奴隷を人間として認識していないという事実に気づかされる。
ココナはなにやら思案するようにあごに触れ、よし、と一度頷いて、
「ママに相談してくるからちょっと待っててにゃ」
「いや、大丈夫──」
俺の制止など聞く素振りも見せず、目にも止まらぬ速さでとまり木の翡翠亭へと飛び込んでいった。
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