10-11-正義、いまだ見えず
小さいころ、ヒーローに憧れていた。
平和を守る戦隊ものにも、ひとりで悪の結社に立ち向かう
彼らは弱きを助け、強きをくじく。
途中ピンチになることも多いけれど、それでも最後は必ず勝つ──正義は悪をくじくのだとテレビ越しに教えてくれた。
夢中になった。
俺もあんなヒーローになりたいと思った。
「悠真、ヒーローになるならスポーツだけじゃいけないよ。勉強も頑張らないとね」
警察官である父の言葉に従い、小学生の俺は、スポーツでもテストでも俺は常にトップでありつづけた。あらゆる意味で影さえ踏ませなかった。
また父は俺に警察官にはなるな、と何度も繰り返した。殉職した俺の祖父のことがあったからだろう。
小学六年生のある日、帰り道で、クラスメイトの気弱な内田くんが虐められているところを発見した。
虐めていた三人を叱りつけて帰し、内田くんを振り返ると、彼は俺に煌めいた視線を送っていた。
「あり、がとう。祁答院くんは
当時流行っていたヒーローものの名前。
そのころはアニメや漫画がクラスの話題の大半を締めていたから、ヒーローものの名前が出てきて驚いた。
俺は内田くんと友達になった。
彼と話すのはヒーローについてばかり。
「祁答院くんはどの仮免ライダーがいちばん好き?」
「どれも好きだけど、トリプルかな。内田くんは?」
「わぁ……トリプルもいいよね! 僕はX3かなぁ」
「ははっ、初期の作品がくるとは思わなかったよ」
俺からすれば、とりとめのない話。
でも内田くんからすれば、俺がはじめての友達で、こういった会話がとても新鮮で、なによりも大切に感じていたということに気づくには、あまりにも遅すぎた。
ある日、クラスで盗難事件が発生した。
体育の授業で教室が空になった時間帯に、女子のリコーダーがなくなっていた、というのだ。
その女子は体育の授業前まで自席で運指の練習をしていたから、忘れてきたとか、どこかに置いてきたということはありえない。だから誰かが盗んだ、という話になった。
「内田じゃねーの? いっつもちらちらそいつのこと見てるし」
男子のひとりがそう口にしたことで、女子の隣の席にいた内田くんに疑いがかかった。俺は内田くんと一緒に、そんなことはありえない、と声を荒らげるが、内田くんのランドセルを調べろ、という意見が教室の大半を占めた。
「祁答院くん、僕、絶対にそんなことしないよ」
内田くんのすがるような声が、クラス委員の俺を苛む。
「わかってる。だからこそ、無実を証明するためにもランドセルを開けよう」
俺の放ったこのひとことが、内田くんをどれだけ傷つけたかなんて、気づきもしなかった。
俺は内田くんを信じている。しかし、内田くんからすれば、俺の言葉は”疑い”にしか聞こえなかったのだろう。
実際、俺は内田くんを微塵も疑っていなかった。
……同時に、誰かが内田くんを貶めようとしているなんて、疑いもしなかった。
誰かが内田くんのカバンを勝手に開け、なにかを忍ばせるなんて勘繰りもしなかった。
俺は委員長として、クラスの代表として、内田くんのランドセルを開けた。
そこには──
──
次の日から、内田くんは学校に来なくなった。
その三日後、内田くんの訃報が担任の先生からもたらされた。
クラスでは自殺の噂がたち、先生は「詳しいことはわからない」と突っぱねた。
放課後、内田くんのことを問いただすため、ひとり震える足で職員室に向かうと、先生は受話器に耳をあて、なにやら話しこんでいた。
俺に気づいた先生は受話器を置いて、今晩、迎えに行く、とだけ言い、俺に帰るよう指示した。
帰宅すると、先生から連絡があったと母親から聞かされ、先生が電話していたのは母だったのかもしれない、と気づいた。
喉を通らない夕食のあと、迎えに来た先生の車で向かった先は川向こうの一軒家で、表札には『内田』と刻まれていた。
内田くんのご両親は目に涙を浮かべながら、震える声で、内田くんは自死したのだ、と俺に告げた。
そのときの、ああ、やっぱり──という俺の諦観には、いろんな思いがぐちゃぐちゃになって含まれていた。
やはり、自死だったのだ──
やはり、俺があのとき、彼の胸中を推し量らず、無神経にランドセルを開けたから──
それに加え、まだ小学生の俺には、やはり俺は、そのことを責められるためにここに呼ばれたのだ──という、この期に及んで自らを案ずるような醜い感情が少なからず含まれていた。
ぐちゃぐちゃになった感情が、視界を滲ませる。
「翔太はね──」
嗚咽ながらに待ち受けた、内田くんの母親の言葉は、思いのほか優しかった。
「祁答院くんっていうお友達ができたって、いつも嬉しそうに話していたのよ」
「ぇ……」
ハンカチで目元を拭いながら、内田くんが鹿児島に転校してくる前の学校でも虐められていたこと、これまで友達ができなかったことを語る。
「これを」
内田くんの母親が俺に差し出したのは、ほんのり薄く緑がかった一枚の
それはみっつに折りたたまれていて、裏──俺から見える場所に、けどういんくんへ。と書かれていた。
「なかを、見ても」
「ええ。悪いけど、私たちはもう読ませてもらったわ」
受け取った便箋をうまく開けない。
ご両親も先生も、俺の震えが収まるまでじっと待っていてくれた。
やっと開いた便箋には、上手ではないけれど丁寧な、内田くんらしい字でこう書かれていた。
──────────
世界でいちばん強くてやさしい
ヒーローになってください。
内田翔太
──────────
便箋の端には、ふたりで語り合ったヒーローの絵がプリントされていて、変身時の格好のまま「正義!」と書かれていた。
「翔太のお友達になってくれて、ありがとう」
「ぅ……うぅぅ……うううぅぅぅぅ〜〜〜……!」
自分の涙と鼻水に溺れるんじゃないかと思うほど泣いた。
俺は彼の友達になることができて──でも、彼の心中を、いちばん大事な場所を守ってあげられなかったことも、きっと事実なのだ。
内田くんのご両親には
内田くんの自死についてはご両親の意向で伏せられたまま、日常は過ぎてゆく。
事情を話した先生も、俺の両親も、俺が責任を感じる必要はないと言ってくれたけれど、俺はそれを受け入れる図太さも、彼の一切を忘れる薄情さも持ち合わせていなかった。
世界でいちばん強くてやさしいヒーローになってください──
俺の、ヒーローになりたい、という夢は、内田くんと俺──ふたりの夢になった。
割れたコップは元には戻らない。
だから、割らないようにしなきゃいけないんだ。
──
「陰キャはパリピに迷惑かけねえ。だからパリピも陰キャに迷惑かけんじゃねえよバーーーーカ」
「もう話しかけんな」
「なんでお前らまでついてくるんだよ……」
俺は藤間くんのいまにも砕け散りそうな表情に、内田くんのような”危うさ”を感じた。
でも藤間くんは、もっとずっと堅固な心を持っていた。
「アッシマーと灯里を守るためなら、俺は悪にでもなる」
俺は彼の言葉に、ガラスなど及びもつかぬ意志をみた。
俺を射貫く眼光に、ダイヤモンドのような信念をみた。
「灯里を守るのは、祁答院、お前じゃない。──俺だッ!!」
まるで、俺が憧れたヒーローのような強さで──
生まれてはじめて味わった敗北感。
正義のヒーローは、弱きを守り、悪をくじく。
俺はずっとそうありたいと思い、常にそうあってきたつもりだった。
それが俺の正義だと信じて疑わなかった。
しかし、正しさだけでは人を救えない。
正しさこそが人を傷つけることもあると、俺は知っていたはずなのに。
俺は、俺が思っているよりずっと弱かった。
敗北感を振り払うように、劣等感を血で洗い流すように、ひとりで何十体ものモンスターを斬り伏せた。
人を襲うモンスターは悪。
悪をくじく俺は正義。
そう思うほど、正しさがわからなくなってくる。
モンスターを緑の光に変えただけ、虚しさが押し寄せる。
俺にとって正義とは、俺を俺たらしめる証でありながら、じつのところ、己を許すための免罪符なのではなかったか。
大丈夫だよ、祁答院悠真。
きみのままでいいんだよ、って、誰かに言ってほしくて、自分で言い聞かせているだけなのではないか。
正義とは、自己主張。
正義とは、自己弁護。
正義とは、自己満足。
正義とは、自己暗示。
ヒーローが変身後、フルフェイスや仮面で顔を隠すのは、誰かを守ったあと、自分に向けられた感謝の言葉や笑顔を受け止めたとき、己の顔が愉悦で歪んだことを悟られないためなのではないか。
正しさとは。
正義とは。
俺と内田くんの夢──強くて優しいヒーローとは。
答えを求めるふりをして、新たな血を求める。
モンスターの殺意は、俺が未熟者であることを忘れさせてくれた。
鉛のように重い足を引きずって街に戻ると、いつも折れる道の手前の路地から、ざわめきが聞こえた。
路地を進むと開けた場所に出た。そこには二十人ほどの人だかりができていて、視線の先には、台車に積まれた檻に閉じ込められたふたりの女性が立っていた。
──奴隷。
エシュメルデに奴隷制度が存在することは以前から知っていた。
学校の授業でも軽く触れたし、首輪をつけた人間を見たこともある。
一度だけ、奴隷に四つ足をさせ、犬のように引き連れて
ふたりが纏うものとよく似たボロギレに包まれた経験は入学当時の俺にもあるが、彼女たちの薄汚れたそれはところどころ破れていて、奴隷という立場からも、あれが一張羅なのだろうと想像するに容易い。
この街では、こういうことがまかり通っている。
人を買い、人を飼うことが倫理的に間違っていると俺がどれだけ声を荒らげても、この街では合法。
エシュメルデの民はきっと、自分か自分に近しい人間があの檻の中に入らない限り、疑問に感じることすらないだろう。
俺は彼女たちを哀れに思っても、ちっぽけなこの身にできることなどなにもないと思っていた。
「さあ、見ていってくれ! 姉妹の奴隷だよ!」
それにしても、せめてあのふたりの髪をすいて、綺麗な服を着せてあげたらいいのに──自分からこんなにも冷酷な思考がうまれたことに驚いたとき、
「まずは3シルバーから!」
台車を引く男が人混みの中心で
「3シルバー!」
「4シルバー!」
「4シルバー50カッパー!」
声の主は、まるで『その格好だからいいんだ』とでも言わんばかりの熱狂的な表情で拳を突き上げている。
「4シルバー50カッパー! さあさあ、他には!?」
そもそも、4シルバー50カッパーという価格はいったいなんなんだ。俺の持つ剣はおろか、ブーツよりも安いじゃないか。
だからふたりはあんな格好をしているのかと、納得はできないが理由は理解した。
俺はここで立ち止まって、なにをしようとしているのか。
俺にできることはなにもないはずだ。
憐れみの心では人は救えない。
本当に飢えたものが欲するのは、絵に描いた餅ではなく、食える餅。
正義や理想などではなく、腰に提げる小銭袋に入った、ちっぽけな銀貨なのだ。
俺はなにを悩んでいるのか、それにすら悩み、右手で顔を覆ったとき、厳つい声とはまた違う、野太く重い声が俺の後ろから響いた。
「7シルバー」
煌びやかな外套を羽織る、見るからに貴族な中年の男性だった。
彼の顔を視界に入れた者は、ここまでの熱狂など忘れたように顔を伏せた。
奴隷商人は俺をすり抜けて、揉み手をしながら貴族に近づく。
「これはラカシュさま……! いつもご贔屓にしていただき、ありがとうございます」
「うむ。姉妹か。妹のほうはそこらに捨ててもかまわんのだろう?」
ラカシュと呼ばれた貴族の言葉に思わず振り返る。
「それがそのう……。妹も一緒でないと、姉のほうが舌を噛むと」
「……なに? 貴様のところでは奴隷に自我を与えているのか」
「い、いえっ、滅相もございません……!」
「ならば早う寄越せ。わしがじっくりと調教してくれるわ」
あまりにも恐ろしい会話が、俺の隣で、さも当然のように交わされる。
モンスターの殺意とは違う、もっとどろりとした、生ぬるい悪臭を放つヘドロのような悪意なき悪意。
──俺は、どうしようというのか。
俺は、どうしたいのか。
あのふたりを助けたい?
偶然出会っただけのふたりを?
……そうじゃない。
俺は、俺の正義のために、俺と内田くんの夢のために、助けなきゃいけないんだ。
藤間くん。
きみが悪にでもなると言うのなら、俺は──
「10シルバー」
俺はこの日、人間に値段をつけるという悪を、自らに強いた。
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