10-08-神の風
胡椒のきいたチキンをサンドしたパンと具沢山のスープ、そしてサラダという朝とはうってかわって洋風の昼食を美味しくいただいた。
ご機嫌に鼻歌を口ずさみながらコーヒーを出してくれるベンテローネさんに何度も頭を下げたあと、食事中に気になっていた疑問を口に出してみた。
「先ほどからなにやら騒がしいようですが、なにかあったのですか?」
外から聞こえてくる喧騒。お屋敷の本館へと続く石の通路からも反響したような声や、忙しない足音がバタバタと響いてくる。
朝食の際も賑やかな音は聞こえていたが、それはお祭を楽しんでいる歓声のようなものだった。しかしいま聞こえてくるのは、指示出しの声や、それを受けて早足で動き回る靴音だった。
「ああそうか。ふたりには言ってなかったね」
ベンテローネさんは最後に自席にコーヒーを置いて椅子に腰かけると、私たちに優しい笑みを向ける。
「週末の風だよ。異世界勇者さまがシュウマツに打ち勝ったとき、どこからともなく吹く神の風さ」
週末の風。
異世界勇者がシュウマツをクリアしたとき、住民たちに訪れるボーナスステージのことらしい。
あるときはギルドから、あるときはエシュメルデの重鎮が『風の代弁者』となり、風が吹いたことを通達するが、風を起こすものが誰なのかはいまだにわかっていない。
「今回の風の代弁者はシュウマツで大活躍した勇者さまがたらしくてね。彼らからホビットに週末の風を実行するよう依頼されたっていうからさ」
その言葉を聞いて、今日はじめてアルカディアに来た私には、あいにくそれがどれほどすごいことなのかいまいちよくわからなかったが、イングローネさんが両手に握りこぶしをつくって鼻息荒く頷いているところを見るに、どうやらとても誉れ高いことのようだった。
「……きっとそういうことなんだけど、うちのアレが大げさに言うもんでね。みんな舞いあがっちまったのさ」
うちのアレという言いかたはどうかとも思うが、ダンベンジリさんのことで間違いないだろう。
「どういうことですか?」
「その、ね。アレがさ。週末の風を起こしているのは、じつは勇者さまだったのかもしれん。いや、そうに違いない! なんて言うもんだからさ。話が大きくなっちまって、あはは、その……勇者さまから
ベンテローネさんは笑いながらコーヒーを口にして、円柱型の白いカップの縁を指で何度もいじくる。
私にはベンテローネさんが、ダンベンジリさんの言葉を短慮じみた希望だと思いつつ、それが本当だったらどれだけ素敵なことか、と期待しているようにも感じた。
「それで、今回の週末の風ですが、いったいなにがもたらされたのでしょうか?」
「それはね……。あ、そうだ。どうせあんたらまた採取に行くんだろ? 平原じゃなくて海岸にしなよ。いまアレが海岸にいると思うしさ」
アレもあんたらに話したがっているはずだよ、とつけ加えたあと、ベンテローネさんは喋りたい気持ちをこらえるように目を閉じてうんうんと頷いた。
なんだかんだ言ってダンベンジリさんのことを大事に思っているのだと確信し、どこか嬉しくなった。
──
ホビットの住居はエシュメルデの北西区画に固まっていて、中央通りに沿うように、かぎ状に並んでいる。
北西地区といえば、いわゆる貧困地区。
一般地区と貧困地区の境目に家屋が並んでいることも、ホビットの立場を悪くさせている一端らしい、とイングローネさんは寂しげに語った。
私たちが住まわせてもらっているホビットの長老・ダンガンコブシ氏のお屋敷は街の最西端に位置している。
ベンテローネさんが言っていた、ダンベンジリさんがいるオルフェ海岸は街の東。私たちは十五分ほどかけてエシュメルデを横断し、東門から街の外へ出た。
正面に山が
眼下の砂浜からは桟橋が海に向かって何本も伸びていて、何人もの釣り人たちが糸を垂らしていた。
「この下にも一応採取スポットはあるんですが、見ての通り釣り人が多いのと、帰りは砂でいっぱいになった革袋を担いでこの坂を登るのが大変なので、おらたちはこのまま東へとまっすぐ進みます」
イングローネさんの先導で、ゆったりとした下り坂を進む。やがて平原から木々に囲まれたあぜ道へと景色を変えてゆく。
ちなみにいま私が担いでいる革袋はいまもらったばかりの新しいものだ。先ほどコボルトに倒されたとき、革袋をロストしてしまったからだ。
秘密さんは採取用手袋だったようで、彼女の手には真新しい手袋が装着されている。
そうして歩くこと10分たらず、私たちはあぜ道を抜け、エシュメルデの東に位置する砂浜──オルフェ海岸に到着した。
「すごいひと」
秘密さんがげんなりとした声で呟く。私も海岸の人だかりを見て辟易した。
太陽の光を反射して白く煌めくはずの砂浜は、
「おお、来たか!」
そのなかから、こちらに気づいたダンベンジリさんが手を振りながらこちらへやってきた。
「すげぇ数だろ。あまりにもうれしくてな、猛スピードで集めたんだ。ガハハハハ!」
ダンベンジリさんは笑いながら背後を振り返る。
わざわざ数えたりはしないが、採取をしている人たちの数は100をゆうに超すだろう。彼らのあいだにはほぼ均等に10人以上のホビットたちが立っていて、厳つい声で
「勇者さまが起こしてくれた週末の風だ。勇者さまはこの街の未来を案じ、我々ホビットを風の代弁者に指名してくださったのだ」
ダンベンジリさんが言うところによると、シュウマツを撃退した異世界勇者たちは、この街──エシュメルデの貧富の差をなくそうと、貧困街の人たちに施しを行なったらしい。
例年通りの金銭やレアアイテムではなく、採取用の手袋、伐採用の斧、採掘用のピッケル、釣り竿といった大量のツール、そしてソウルケージだった。
それも100ゴールドぶん。100ゴールドといえば1万シルバーで100万カッパー。現実に換算すると1000万円という巨額をホビットに渡し、それらを購入させ、貧民に配らせた、というのだ。
異世界勇者は
三船さんもそんなことを言っていなかったし、私の高校編入に際して穴の開くほど読んだ学校のパンフレットや生徒手帳、アルカディアに関するマニュアルにも、もちろん頼りにならないwikiにもそんなことは書いていなかった。
そんな大金をどうやって手にしたのか?
現実でも使える大事なお金をどうして寄付しようと思ったのか?
疑問は尽きないが、フジキトオルさんをはじめとするシュウマツを撃退した勇者たちへの私の認識は、”さぞかし立派な人たち”から”雲の上の存在”へと昇華した。
熱をもって語るダンベンジリさんの異世界勇者への認識も、”尊敬”から”崇拝”に変化しているように見える。
ともかく、貧富の差を埋めるため、フジキさんたちはたくさんの道具を貧民へと施し、ダンベンジリさんをはじめ、十人ほどのホビットたちがその指導を行なっている、という状況のようだ。
ダンベンジリさんは熱狂的に声を大にする。
「下のものにだけ施したんじゃ、上のものが納得しねえ。透たちはこのあたりも配慮してくれたんだ。人間の運営するギルドから大量の道具を購入した。ギルドの道具は大抵ドワーフやケットシーが、ソウルケージはエルフがつくってる。いまごろ工房は大忙しだろうよ。──つまりな、それぞれの種族が得するように仕向けて、不満をやわらげたんだ」
……なるほど、少量の金を全員に配布するよりも、そうやって経済を循環させたほうが遙かに有意義だ。
「しかし、恩恵にあずかれない種族の方々は不満を持つのでは?」
たしかエシュメルデに住む、数の多い種族には、彼らホビットと緑の鱗を有するドラゴニュートがいたはずだ。
「これも透の案なんだが、透から預かった金でドラゴニュートを二ヶ月ぶん雇って警護してもらってるんだ。貧民たちはこの砂浜だけじゃなくて、平原での採取や鉱山での採掘、森での伐採なんかもやってもらってて、そっちにもドラゴニュート傭兵団を派遣してる」
ダンベンジリさんは100人以上は雇ったんだぜ、と豪快に笑った。
なるほど、この砂浜にも至るところにドラゴニュートが立っていて、周囲を警戒している。
護衛戦力としてドラゴニュートを雇うのなら、たしかに彼らのメリットも大きいだろう。
「では、ホビットのみなさんはどうなのでしょうか? 採取の指導をしているということですが、なにかメリットはあるのでしょうか」
「風の代弁者として選ばれた栄誉もそうだが、ちょっと長い目でみりゃ、いちばん得するのはホビットだとワシは思ってる」
どうやらダンベンジリさんは自分たちが代弁者だと信じて疑わないようだ。
そういった精神的なことはともかく、金銭的なメリットはなにかあるのだろうか?
「残念ながら、貧民が採取をしても、ギルドで物を買い取ってもらえねえ。異世界勇者はともかく、こっちの人間が取引しようとしたらギルドカードが必要なんだよ。でも貧民はギルドカードを作れねえ。作成時にギルドから弾かれちまうからな」
無人市場の箱なんかはもっと無理だ、とダンベンジリさんは続ける。
「そこで、あいつらが採取したものを全部、我々ホビットが買い取る。あいつらはワシらから金を得る。ワシらはあいつらから買い取った素材を調合し、
ダンベンジリさんは緑の瞳を少年のように輝かせる。
「それでな。いつか、ホビットがエシュメルデにもうひとつギルドを建てるんだ。ホビットが馬鹿にされない、あいつらも馬鹿にされない、人を選ばず素材を買い取ってくれる、うまい酒を出すギルドをな」
うきうきと明るい未来を語るダンベンジリさんを見て、そして活き活きと砂に膝をつけて地面に手を這わせるボロを纏った人たちを見て、なるほどこれは良い案だと感じた。
貧民にわずかな金銭を与えたとしても、わずかな食料に変わり食べ尽くすだけ。
フジキさんたちが行なった施しはきっと、荒れた大地への
「しかし、もっと上の方々──この街の
「さあな。ひと悶着起きるかもしれねえ。透は──いや、透じゃなくて祁答院ってやつは、因縁をふっかけられたら異世界勇者を頼れ、って言っていたな。──まったく、頼りになる勇者さまがただよ」
そこまで言って、でも、と一度否定した。
「うちの長老ならなんとかしてくれる。ガハハハハ! 心配なんてなんにもねえ! ガハハハハ!」
大きな口を開けて笑う姿をみて、私にはむしろダンベンジリさんが、そのことはいまは忘れたい、と言っているように見えた。
(続)
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