10-06-悔悟のバトン

 帰り道はモンスターに遭遇することもなく、商業都市エシュメルデの南門へと架かる橋に辿りついた。うさたろうに礼を言い、ふさふさの背からややもたつきながら降りる。


 モンスターを食い止める大きな木の門も、石でできた白い橋も、縁から見下ろす外堀に流れる透き通った水も、現実ではなかなかお目にかかることができないものなのに、いまの俺にはすべて土や泥でできているように見えた。


 鈴原と高木──とくに高木は、いますぐにでもシャワーに入って、いやなものを流し尽くしてしまいたいに違いない。ふたりには宿に戻るように指示し、俺は報告のため、うさたろうとふたりでエシュメルデの中央にある冒険者ギルドへと足を向けた。


 街中まちなかはやはり祭りの様相のまま、人々の表情には笑顔があふれている。

 冒険者ギルドの中はその象徴のようで、酒場のテーブルは喜びと乾杯の音頭で埋め尽くされていた。


 総合案内は二階だったことを思い出し、舌打ちして手すりに手を伸ばし、うさたろうに支えられながら階上のホールに上がりきると、その辺にいた冒険者風のパーティがすわ一大事とでも言わんばかりに駆け寄ってきて、そのなかの緑の鱗を持つ巨体──ドラゴニュートが俺に肩を貸してくれた。


「これは勇者どの。いかがなされた?」

「あ……いや、その、受付に」


 大丈夫だから離れてくれ、と言える状況でもなく、やけに頼もしい肩にすがりながら這々ほうほうの体で受付にたどり着くと、うさたろうは安心したように召喚解除し、俺の胸に戻ってきた。


 金髪ショートの受付嬢が案じるように立ち上がったが、俺はそれを遮るように口を開いた。


「コラプス……サシャ雑木林にコラプスが……」


 絞り出した己の声は予想よりもずっと疲弊しており、哀れなくらいかすれていた。

 コラプスという単語に、受付嬢だけでなく、俺に肩を貸してくれているドラゴニュートや周りにいる十人ほどの冒険者がざわめいた。

 そんななか、受付嬢はこともあろうに俺に頭を下げてきた。


「よく教えてくださいました。ありがとうございま──」

「礼なんか言うんじゃねえッ……!」


 受付嬢と俺を隔てるテーブルに手のひらを振り下ろし、彼女の言葉を断ち切った。

 喧噪はぴたと止み、うつむいた頭上では困惑が生まれているのだと、無言こそが雄弁に語っている。


 なにもできなかった俺に、礼なんて言わないでほしかった。


 なにもできなかったならできなかったなりに、すぐさま引き返せばよかった。

 こんなの、結果論だってわかってる。

 それでも、俺の判断はどう考えてもタイムロスだったのだから。

 そしてこの致命的なミスで犠牲になるのは、顔も名も知らないが、俺のものではない、ひとつしかない、いのちなのだ。


 顔を上げると、受付嬢が慌てた様子で、しかし不安げな視線を俺に向けていた。


「……すいません」

「いえっ……」


 俺が下げた頭にはきっと、急に怒ったことに対する謝罪のほかに、他者に当たるものではないと知りながら当たってしまった、あまりにもみじめな自分に対するごまかしも含まれていた。

 受付嬢はコホンと咳払いして、本題に戻してくれる。


「ただちに異世界勇者のみなさまにお知らせします。ご存じの情報を教えていただいてよろしいでしょうか?」

「はい。名前はサシャ・カタコンベ。サシャ雑木林に入ってから──」


 詳しい場所の説明に苦戦していると、受付の奥からべつの女性ギルド職員がサシャ雑木林の地図を持ってきてくれた。

 地図といっても、通路を線、部屋を大小の四角で表現した手書きの簡易図だ。

 場所を思い出しながら俺が指さした先に、受付嬢が何もないところから取り出した、キャップのついたペンで赤色の丸をつけた。


 このころには受付と俺を囲む半月型の人の輪もすっかり大きくなっていて、そのなかから、背が高く茶色をした短髪の冒険者風の男が「それで──」と俺に問うてくる。


「中には入ったのか?」


 銀色の鎧に身を包んだ彼は、顔の彫りが深く、顎の無精髭が手伝ってやや厳つい顔立ちをしていたが、俺に語りかけながら見せる笑顔は柔らかだった。


「はい。すぐに引き返すべきだったんですが、入ってしまいました」

「なあに、構いやしないさ。モンスターには遭遇したのか?」

「ゾンビと骸骨と女の姿をした青い幽霊と戦闘しました」

「ほー。ちなみにそのゾンビは──」


「ちょ、ちょっと、ランディさん! 一応、当ギルドを通してもらわないと困りますっ」


 話を続けようとする茶髪の男──ランディを受付嬢が慌てて制し、


「こほん。……それで、出会った三体の特徴を教えてください」 


 これまたなにもないところから取り出した紙に、俺の言うモンスターの特徴をサラサラと書き記していった。


 どうやら俺たちが出会ったのは、マイナーゾンビ、マイナースケルトン、マイナーゴーストという名前のアンデッド・モンスターだったらしい。


 あれでマイナー。

 マイナーコボルトとロウアーコボルトの力量差をかんがみると、もしも俺たちが出会ったのがマイナーではなくロウアーだったら……そんなことを考えて、心身ともに凍える思いだった。


「では、当ギルドで正式にコラプス・クエストとして発行いたします。藤間透さん、こちらはコラプス報告の報酬になります」


 受付嬢が指でつくったウィンドウがテーブルの上をゆっくりと滑ってきた。


──────────

《コラプス発見報酬》

──

コラプス発見   15シルバー

+早期報告    5シルバー

+第一階層の斥候 10シルバー

──

合計  30シルバー

──────────


「こん、なの」


 こんなもの、受け取れるわけがない。

 己の体たらくに失望し、みじめさに落胆する俺に、報酬……?


 冗談じゃない。

 30シルバーをウィンドウごと突き返そうとするが──


「いいから、持っとけよ」


 ランディがウィンドウを無理やり俺の胸に押しつけてかき消した。


「藤間透、っていったよな。透は救えなかったんじゃない。救ったんだよ」

「違う。俺は……」


「たしかに、透がもっと強けりゃ、いまごろコラプスは攻略されていたかもしれん。だが、透が無茶して死んでりゃ報告は復活した二時間後。もっと遅れていたし、透が無茶をして、パーティを再編成して次こそは、って挑む愚かなやつなら、ギルドに報告さえされていない」

「それは……」


「昨日、街の警備をしながらシュウマツの空を眺めていた。お前らは日が浅いにしては強いが、アンデッドに挑むにはあまりにも早すぎる。俺らからすりゃ、透の選択はベストだ」


 どういうことだ、と仄暗い気持ちのままランディの顔を見上げると、彼は周囲に視線を巡らせて声をあげた。


「エレナ、チャコ」

「いるわよ」


 応えたのは、黒いローブにとんがり帽子という明らかに魔法使いな格好をした妖艶な女性と、 


「はい」


 金のショートヘア、胸元に白い十字をあしらった水色のローブを羽織る、いかにも僧侶といった装いの柔和な女性。


「俺はマージを連れてくる。エレナはマーリンを、チャコはセドナを連れて十五分後、サシャ雑木林に集合だ」


 女性ふたりは頷いて、下り階段へと早足で消えていった。


「そういうわけでそのクエスト、俺たちが引き受けるぜ」


 ランディは頼もしい笑顔を俺に向け、受付嬢に手を伸ばし、クエスト受注を証明するものだろうか、なにやら紙切れを受け取った。


 彼らは俺たちよりもずっとレベルの高いパーティであろうことは装備を見ればすぐにわかる。

 しかし、俺が聞いた話では、コラプスは異世界勇者以外が入ると全能力が大幅に低下する、という。

 ならばこのランディという男は──


「ああ、言ってなかったな。俺も異世界勇者なんだ。さっきのエレナとチャコもな」

「え……」

「ちなみに日本人な。髪は染めてるだけ」


 そう言ってランディは逆立てた茶色の短髪をクイッと引っ張ってみせる。


「でも、名前が」


 もしかして、関■ランディとかいう名前だったりするのだろうか。なんだかダンスがうまそう。


「アルカディア専用の名前をつけたんだよ。言っておくが、そういうやつ、結構多いからな」


 ランディは歩きながら話すぞ、と人の波から抜け出した。俺は慌ててついていく。


「なんでわざわざ名前を?」

「雰囲気が出るから……ってのはまあ表向きで、アルカディアであんまり目立つと、現実でも鬱陶しい連中が絡んでくるからな。透も注意しろよ。近いうち、シュウマツの件でお前らのところにもマスコミの連中が行くかもしれん」


 たしかに俺のところにはマスコミがきた。しかしそれはあくまでも俺の過去に関するもので、シュウマツとはなんら関係がなかったが。


「まぁそれも表向きで……実際はコレだよ」


 ランディは階段を降りながら振り返り、小指を立ててみせる。


「女だよ。現実とアルカディアで違う嫁さんや旦那を持つやつは多いぜ。かく言う俺も、現実での俺の嫁さんも、さっきのエレナとチャコもそうだ。法には触れないとはいえ、現実と同じ名前だと罪悪感が半端ないからな。せめて名前を変えて別人のように振る舞ってる」

「……は?」


 開いた口から思わず情けない声が出てしまった。


「さっきも言ったが、俺たちみたいなやつは多いぜ。アルカディアには現実よりも危険が溢れている。自分の命を預けるんだ。”そういう仲”にもなりやすい」

「……吊り橋効果、ってやつですか」

「まぁそうだな。透もいつかわかるぜ」


 にいっ、と口角を上げるランディに、俺はなにも言い返せない。

 愛だの恋だのはともかく、アルカディアがなければ、俺はほとんどの女子たちと声を交わすきっかけすらなかっただろうから。

 


 ギルドを出ると、ランディは「そうだ」と身体ごと俺を向き、


「透にはまだ早いかもしれねえが、アンデッドとやりあうんなら、魔法使いマジック・ユーザーメインで攻めるか、属性付与の『強化エンチャント』つきの武器がないと話にならねえ」


 強化エンチャント

 武器に属性を付与すれば、鈴原の『☆アーチャーズ・トーチ』から取り出した矢のように、マイナーゴーストにもダメージを与えられるだろうし、タフなマイナーゾンビにもきっと効果的だろう。


 エンチャントはどこでどうやって──なんて、ゆっくり訊いている時間はない。ランディたちはこれからコラプスに向かってくれるのだから。

 幸いなことに、俺はこのアルカディアで強化エンチャントという単語を聞いたことがある。それがどこだったか、と記憶の糸を手繰っていくと、猫耳の母子が思い当たった。


『201号室の作業台だけど、簡単な強化エンチャントなら余裕でできるよ』 

『オルフェの白い砂は強化エンチャントに使われるにゃん』


 このふたりに訊けば、なにかわかるだろうか。


「おっ、目の色が変わったな。……だけど無茶するなよ。お前らはありえないくらい頑張ってる。すべての人間を救うなんて、そんなことは無理だ」


 はっとした。

 受付での俺の叫びが見透かされているようで。

 ……そして、ランディの言葉は、いつかの昼休み、俺が祁答院に言ったことそのものだったから。


「お前らはよくやったよ。怖かっただろうに、コラプスに入って斥候せっこうまでしてくれたんだから。俺がいまから魔法使いメインのパーティでコラプスに向かえるのは、お前らのおかげだ」


 ランディは俺の頭にぽんと手を置く。

 急なことで反応できず、乗せられた手の大きさと熱さを感じることしかできない。


「あとは大人の仕事だ。──俺らは絶対に勝つ。任せとけ」


 ランディの手が離れた。

 俺は俯いたまま、去ってゆく足音を聞くことしかできなかった。   



──



 それから二時間足らず。

 サシャ・カタコンベが攻略された、という報がもたらされた。




(続)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る