10-05-A Chilling Touch

 金色こんじきの壁にまじないが描かれたような不気味な部屋に、高木の泣きじゃくる声だけが響いている。

 コボさぶろうが高木に肩を貸し、ぷりたろうとコボたろうは俺の元に戻ってきた。


「ぐるぅ……」


 片膝立ててひざまずくコボたろうの顔は傷だらけで、いつもは綺麗に並んだ牙も何本か折れていた。


 骨だけのスケルトン、急所を貫いたくらいでは倒れないゾンビは、コボたろうの槍との相性が悪かった。


 表情には「お役に立てず申しわけありません」という悔悟かいごが色濃く貼りついている。


 それでもコボたろうは必死にモンスターに立ち向かい、俺たちのフォローをし、追いつかない俺の代わりに、はねたろうたちに指示を出してくれた。


「ありがとな……コボたろう」


 コボたろうは残りの召喚時間が短いことよりも、俺の召喚疲労を案じるように一礼し、青い光になって俺の胸に帰ってきた。


「……(ふらふら)」


 ゆっくりと近づいてきたぷりたろうもぼろぼろで、愛らしいパステルカラーは濁り、丸っこいボディはところどころへこんでいて、ぷるぷると身体を震わせながら一生懸命に窪みを平坦に戻している。


「……すまねえ、無理させちまって」


 アイテムボックスからリジェネレイト・スフィアを取り出して、ぷりたろうのHPを回復する。ぷりたろうの身体はみるみるうちにパステルカラーの緑を取り戻し、つるつるになった身体がぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねた。


「コボさぶろうもこっちに来い」


 消費した自分のMPを回復させながらコボさぶろうを呼び、傷を回復させてやる。……スフィアのHPもMPもほぼからになっちまった。


「高木と鈴原、SP大丈夫か?」


 高木はコボさぶろうの肩にしなだれかかったまま、憔悴しきった顔で力なく首を横に振る。

 鈴原は「まだ大丈夫ー」と応じてから、


「藤間くん、ウチ開錠すればいい? 一応、開錠率は全部80%前後なんだけどー」

「いや、やめとく。それよりも、一旦戻ってギルドに報告する。悔しいけど、ここはいまの俺らには荷が重すぎる」


 いま回復したぶんは、帰り道でモンスターに遭遇したときのためだ。

 正直、悔しい。

 絶対に助ける、なんて言っておいて、初戦で引き返すなんて。

 リーダーとしてしっかりする、って誓ったばかりなのに、鈴原やコボたろうたちに頼りっきりだったなんて。


「そっかー……」


 鈴原はすこし残念そうに木箱に目をやって、革袋を担ぎ直す。高木はその隣で気まずそうに顔を伏せた。


 そうして木箱を残し、引き返そうとしたとき──


《コボさぶろうが

 【ハンマーLV1】【戦闘LV1】【攻撃LV1】をセット》

《ぷりたろうが

 【戦闘LV2】【攻撃LV1】をセット》


「……え?」


 急にコボさぶろうとぷりたろうが警戒態勢に入った。

 コボさぶろうはコボルトボックスからウッドハンマーを取り出しながら、肩にかかる高木の腕をそっと外した。


「ま、まだくんの……?」

「藤間くんどうするー?」


 なんだかんだ言いながら、ふたりともボウガンと弓を構えてくれる。

 

「敵を確認してから──」


 俺が言い終わる前に、そいつらは奥の通路から現れた。

 それは、女性のフォルムをしていた。

 ゾンビよりも青い、真っ青な顔。顔だけじゃなく、腕も身体も、身にまとうボロギレすら青かった。

 そしてなにより、彼女たちふたりには。宙に浮いたまま、奥の通路から滑空して部屋に躍り出てくる。


「も、もうぃや……もぅ……たす、けて……」


 高木は女の幽霊から視線を背けることすらできず、傷のように刻まれた頬のわだちに新しい川をつくり、ガチガチと歯を鳴らす。


 高木のボウガンから矢が発射されることはなかったが、鈴原の和弓から放たれた矢は風をまとい、矢羽やばねを回転させながら右側にいた幽霊の眉間を貫いた──


 ──はずなのに、矢は幽霊の頭を通り抜け、奥の壁にコーン、と突き刺さった。ぷりたろうのタックルも、コボさぶろうのハンマーもすり抜けてしまう。

 二体の幽霊はそんなことまったく意に介さぬ様子で、広げた両手を掲げて口をぶつぶつと動かす。


 そしてその手を前に突き出した。


 《氷矢アイスボルト

 《氷矢アイスボルト


 二体の幽霊の両手、その中心から青白い氷柱つららが出現し、その片方がコボさぶろうの胸をえぐった。


「コボさぶろうっ! くそっ……!」


 俺にコボさぶろうを案じている暇などなかった。もう一本の氷柱は鈴原の元に向かっている。俺は叫びながらそちらへ駆けだした。


「うぉぉおおおっ!」


 アイテムボックスからレザーシールドを取り出して、鈴原の正面で氷の矢を受け止めた。


「ぐうぅうっ……!」


 シュウマツで唇おばけ──ファーストキッスの氷矢アイスボルトを防いだときと同じ。盾でガードしたというのに、腕から肩を伝い、左頬と背中にまで迫り来る冷たさと衝撃。

 レザーシールドは白く凍りつき、まるでドライアイスのように湯気が立ちのぼる。


「藤間くんっ、ごめんっ」

「俺のことはいいっ! 鈴原、アーチャーズ・トーチだ! こいつらにゃたぶん物理攻撃が通らねえっ!」


 鈴原の不安げな声を遮るように吼えた。そうしながらコボさぶろうに視線を送ると、彼は歯を食いしばるようにして地に膝をついていた。


「コボさぶろう、戻れっ!」

「がうっ、ぎゃうっ……!」


 コボさぶろうは「まだいける!」と俺に抗議するように遠くから叫ぶが、ダンジョン突入前の命令を思い出したのだろう。悔しそうに項垂うなだれ、


《コボさぶろうが召喚解除》


 青い光となって俺の胸に帰ってきた。


 コボさぶろうを戻したのは、傷ついていたからという理由ではあるものの、やはりハンマーによる攻撃が通らないことが大きい。

 その点でいえばぷりたろうも同じなんだが、俺は胸を押さえ、そのままかきむしりたくなるような衝動を抑え、あまりにも残酷な命令を下す。


「ぷりたろう、こっちに戻ってきてくれ!」


 幽霊が二体とも宙をふよふよと揺蕩たゆたっているあいだに、ぷりたろうを呼び寄せた。


 ……幽霊からの、盾になってもらうために。


 相手は部屋の天井付近をゆっくりと舞う幽霊二体。

 こちらはぷりたろう、俺、歯を鳴らす高木、アーチャーズ・トーチに矢を補充する鈴原。


 物理攻撃は通用しない。

 このままじゃ、有効な攻撃は鈴原の火矢しかない。それも一回射るごとに補充しなければならないうえ、そもそも通用する、なんてのは俺の希望的観測にすぎない。


 いっそのこと、逃げるか……?


 ──どうやって?

 ──幽霊二体を背に、召喚モンスターを犠牲にして……?


 ぷりたろうが、望むところだ、とでも言うようにぴょんと跳ねた。

 まるで、いざとなったら爆発してダメージを与えるから、とでも言うように。


「ふざけんなっ……!」


 ワンドと凍りついたレザーシールドをアイテムボックスに仕舞い、カッパーステッキを取り出した。


 それを右手と思うままに動かない左手で持ち、地面に突き立てる。


 そんな俺の姿を見たからか、幽霊の一体は天井高くから頭を下にして、急降下──


「キャァァアアアアアアーッッ!」

 《接触チリング・タッチ


 寒気がするような甲高い絶叫をあげながら、幽霊は俺へと滑空してくる。

 ぷりたろうは俺を庇うように身体を幽霊と俺のあいだにねじ込ませた。


 ぷりたろうと幽霊が重なり、身体をすり抜けた──はずだったが、バコンと衝突音がして、どういうわけか幽霊は右に、ぷりたろうは緑の身体を寒々しい青に変えながら左へと吹っ飛んでいった。


 ──よく頑張ったな、ぷりたろう。

 ──こんな俺で、ごめんな。



 でも。



 絶対に、負けねえからっ……!



「召喚っ! うさたろうっ!」



 地面に現れる、青色の魔法陣。

 コボたろうたちを召喚するときよりもずっと強い疲労感。


 魔法陣と同じ青の光が白雪のようなうさたろうの身体を形成しても、俺は杖を地につけたまま言葉を続けた。


信念の福音エヴァンジェライズ──」


 禍々しいほどの金色こんじきの部屋に白い光が現れ、うさたろうをスポットライトのように照らす。


 あまりにも美しい天使のはしごエンジェル・ラダー

 舞い降りる羽は、白というだけではもの足りない純白の翼となる。

 煮えたぎるような怒りを宿す紅い珠と、凍えるような哀しみをたたえる蒼い珠をともなって、うさたろうの背に集まった。


「ぷうぷうっ!」

「たの、ん……だ、うさ、たろ……」


 すべての魔力を使い切ったと、震える足と崩れ落ちる膝が教えてくれた。


《ぷりたろうが召喚を解除》


 ぷりたろうは自分の役目は終わったと、召喚疲労を案じ、俺の胸に帰ってきてくれた。


 空中を旋回していた幽霊が、うさたろうに狙いを定めて急降下をはじめる。


「キャァァアアアアアアーッッ!」

接触チリング・タッチ


「ぷうっ!」


 幽霊の両手を、うさたろうの左翼が防いだ。左翼は凍りつき、たちまち緑の光となって消えてゆく。

 ──しかし、そのとき、うさたろうは右翼を大きく振りかぶっていた。


純白の翼ブレイド・ピュアウイング


 キィン、となにかが煌めくような音がして、翼は幽霊の左肩から右腰までを切り裂いて、伸ばしたままだった幽霊の左腕がパサリと地に落ちた。


「キャアァァアアァアアーッッ!」


 絶叫をあげながらのけぞる幽霊の喉仏を、鈴原の炎をまとった矢が貫いた。

 幽霊は突き刺さった矢を残った右手で抜こうとするが、その手はふらふらと垂れ下がり、緑の光になって木箱へと変わっていった。


 残る幽霊は一体。

 ぷりたろうとぶつかったときの衝撃だろう、右腕が変な方向に曲がっていた。ふらふらと俺たちを警戒するように宙を舞っている。


 ハンマーや普通の射撃が通用しなかったのに、ぷりたろうやうさたろうの攻撃は通った──それはきっと、幽霊の攻撃スキル接触チリング・タッチの性能──というか、弱点なのだろう。


 接触というだけあって、このスキルを使っているあいだは身体が実体化するのではないだろうか。

 だから、ぷりたろうのタックルも、うさたろうの翼も通り抜けることなく命中したのだろう。


 そして、たぶんこの幽霊は、氷矢アイスボルト接触チリング・タッチしか攻撃手段を持たないのではないだろうか。


 だから、氷矢アイスボルトのクールタイム中は接触チリング・タッチを使用するほかなく、こうして俺たちを威嚇しながら、クールタイムが終わるのを待っているのではないのか。


 ──でも、残念だったな。


 うさたろうの紅い珠──インヴォーク・ザ・ペインが、幽霊の背後に回りこんでいた。


 ──終わりだ。


火矢想起ファイアボルト・インヴォーク


 紅い珠から発射されたファイアボルトが、幽霊の背中を焼き焦がす。

 幽霊は悲鳴をあげながら宙でのたうち回り、やがて全身の力がぬけたように垂れ下がり、木箱に変わりながら落下し、金色こんじきの部屋を揺らした。


《5経験値を獲得》


 終わ、った。


 しかし弛緩しかんした空気など流れるはずもない。

 俺たちに勝利の余韻を愉しんでいるひまなどない。


「かえ、るぞ」


 早く帰って、報告しなければ。

 ひとつでも多くのいのちを、助けるために。


 そうやって俺の知る数少ない美辞麗句びじれいくで飾り立てても、本当は、また新たなモンスターがやってくる前に、この恐ろしいダンジョンから逃げたかっただけなのかもしれない。


「ごめん……ごめんっ……!」


 鈴原に肩を借りながら、高木は鼻をすする。


 情けないのは、俺も同じだった。

 どう考えても判断ミス。

 突入して引き返して時間を無駄にするくらいなら、最初から援軍を呼んでいれば、救えたいのちもあったかもしれないのに。


 うさたろうの背に揺られながら、忸怩じくじたる己の無力は俺の胸を強く締めつける。


 サシャ・カタコンベを抜け、あたたかい陽光の下にこの身を晒しても、胸のうちは頭までずっぷりと泥濘ぬかるみに浸かったままだった。

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