10-03-Entering the Nightmare -Sascha Catacombe-

 サシャ雑木林に、紫の光が煙っている。

  地下から救いを求めるような、あるいは地獄から怨嗟の声を伝えるような、妖しく禍々しい、俺たちがシュウマツの渦でいやと言うほど見た、毒々しい紫。


 土を斜めに掘り進めたような傾斜に、等間隔でじぐざぐの、明らかに人工的に見える階段。

 だいだいの灯りが紫の先で妖しく光っている。


 俺たちはシュウマツの前日、これを目にしている。


「コラプス……じゃねえのか……?」


 ダンベンジリの友人、サンダンバラが囚われたメイオ砦へと続く階段によく似ていた。


 コボたろうとはねたろうが俺たちに視線を送ってくる。

 ……どうする? ということだろう。


 メイオ砦のときは、俺たちは六人だった。

 いまは三人しかおらず、かなり疲弊している。

 ちらりと【オリュンポス】のウィンドウを開くと、コボたろうとはねたろうはあと十五分ほどで召喚解除されてしまう。

 リジェネレイト・スフィアこそ満タンなものの、回復効果を倍化してくれるアッシマーもいない。


 一度引き返すか、それとも、この状態で進むか。


 〝まだ行ける、は、引き返せ〟というRPGにおける格言がある。

 それにならうなら、間違いなくここは引き返すポイントだ。


 しかしサンダンバラを救出したとき、ダンベンジリのオッサンも、ギルドの副長であるエヴァも、ダンジョンの踏破が早かったから間に合った、と言っていた。


『わたしたちが間にあわず、救えなかったいのち、なのでしょうか』


 こんなときに、いつの日かギルドで見たアッシマーの涙を思いだす。


 ここで俺たちが引き返してギルドに報告し、灯里たちに手伝ってもらうよう頼んだ場合、散ってしまういのちがあるかもしれないのだ。


 ……何回だって言うが、俺は祁答院のように全部を救いたい、なんて考えるほどいいやつじゃないし、そもそもいいやつですらない。

 それでも俺が拳を握るのは──もしかすると、あの泣き虫に、ずっと笑っていてほしいからなのかもしれない。


「決まった?」

「どうするー?」


 俺を待ってくれている高木と鈴原に首肯で返す。


「俺は進む。お前らは──」


 コラプスに突入するふたりと街へ報告に走るひとりに分けたほうがいいに決まってる。

 あるいは俺が偵察としてコラプスに入り、ふたりに戻ってもらったほうがいいんじゃないか。……実際、メイオ砦に突入する前はそのように提案したのだから。


「すげぇ危険なところにつきあわせて悪いとは思ってる。……でも、ついてきてくんねえか」


 でも、俺が目指すのはいまここでダンジョンを踏破する、それだけだ。

 気づけばふたりに頭を下げていた。


「上等じゃん」


 そんな声に顔を上げると、高木が口角を上げている。


「あたしらは帰れ、ってまだそんなこと言うようなら、ぶっ飛ばしてたし」


 高木はアイテムボックスからハンマーを取り出して肩に担いでみせる。おっかねぇ。


 鈴原はぽかんとしたように口を開けていて、


「頼ってくれた……」


 ひとこと呟くと、胸に手を当て「あはっ」と目を細めて微笑んだ。

 

「あ、いや、わ、わりぃ、疲れてんのに」


 それがなんだか眩しく見えて、誤魔化すようにそう返すと、


「あははー、疲れなんてふきとんじゃうよー。ウチ、がんばるねー」


 まさか死地に自らいざなった俺がいま、いつものように「お前のペースでいい」なんて言えるはずもないし、だからといって、どうして鈴原の疲れが吹き飛んでしまうのかなんて訊けるはずもない。

 俺は照れを隠しながら「お、おう」と顔を背けるしかなかった。


 視線の先には跪いたコボたろう。


「コボたろう。はねたろうも。あと10分そこいらしかねえけど、ぎりぎりまで闘ってもらうぞ」

「がうっ!」

「ぴいっ!」


 コボたろうが当然だ、と立ちあがり、はねたろうはもちろん! とでも言うように俺の肩から離れて宙を旋回する。


「……でも、入る前に、コボたろうとはねたろうに言っておくことがある。……あー、違うな。ふたりだけじゃない。全員に命じる」


 俺が胸に手をあてると、コボたろうはふたたび跪き、はねたろうはコボたろうの肩に留まってこうべを垂れた。同時に胸の奥で、四人の意思がぽうっと灯った気がした。


「俺はもう、自分に犠牲を求めない。……そんな藤間透はもう卒業した」


 これまで俺は自らを低く見て、俺さえ死ねばなんとかなる、俺に差し出せるものはこの身体くらいしかない……なんて思って、いつも無茶なことばかりやってきた。


「だからお前らも、もうそういうのは終わりだ。召喚爆破サーモニック・エクスプロードで自分が死ねば事態は好転する……そんなふうに勝手に考えるのは、もうなしだ」


 こいつらは、俺なんだ。

 だから、自分からいのちを散らすように、紫の空を赤く燃やしていったんだ。


。俺の命令を無視することは許さねえ。俺が召喚解除っつったら黙って戻れ。俺も鈴原も高木も、お前らの犠牲の上に勝利を求めない。誰かが犠牲にならなきゃいけない──そんな考えを乗り越えた先にある勝利を求める。──そしてこれからは、それをどうやるかを考えるのが俺の仕事だ」


 俯いたまま肩を震わせていたコボたろうが立ち上がり、俺に詰め寄って吠えたてた。


 ──それが命令なら従う。……しかし、と。


「がうっ……がう、ぎゃうっ!」


 俺や鈴原、高木のいのちを自分たちのいのちでまかなえるのなら、自分たちはそうしたい。それが我々の役目だ、と。


「俺はお前らの意志を優先したい。だけど、俺が戻れと言ったら戻れ。これからの俺が戻れって言ったときは、お前らが死ななくてもなんとかなるときだ」


 コボたろうはつぶらな瞳で俺の目をじいっと覗きこんでくる。俺の真意を探るというよりも、俺が本当に、コボたろうたちよりも鈴原と高木、そして俺のいのちを優先する気があるかを確かめているようだった。


 五秒ほどそうしたあと、コボたろうはその場に跪いて「がうっ!」と納得してくれた。コボたろうの肩に乗るはねたろうもひと鳴きし、ふたたび頭を下げた。

 俺の胸もぽうっとあたたかくなり、四人がそれぞれ頷いてくれた気がした。


「……うし。行くぞ」


 コボたろうとはねたろうを先頭に、俺、鈴原、高木の順で狭い階段を一歩ずつ踏みしめながら降りていった。



──



 暗く狭いのは階段だけで、下りきるとそこは横幅5メートルはあろうかという通路だった。


「くんくん……この匂いって……お寺ー?」

「アルカディアに寺? ま、お箸もご飯もあるし、ありえないことじゃないけどさ」

「日本の文化がここにも、ってことか? ……たしかに香木の匂いだな」


 すんと鼻を鳴らすと、たしかに寺のような匂いがする。

 通路を囲む壁や天井、床もぴっちりまっすぐ人為的につくられていて、ところどころ壁に設置された松明たいまつに照らされて、悪趣味な金色こんじきに照らされている。


「ねぇ……なんか気味悪いんだけど」


 高木の言うとおり、たしかに気味が悪い。

 というのも、壁にも天井にも床にも、金色の壁にまるで黒の筆で書きなぐったかのように、日本語でも英語でもない、例えるならば象形文字のようなものがびっしりと描かれているのだ。


 それはまるでビラミッドで御霊を閉じこめるための言霊ことだま。あるいは……呪詛じゅそ、だった。


「行くぞ」


 怯えていてもしかたがない。通路の奥に足を踏み出すと、視界の端にウィンドウが表示された。


《コラプス》

《サシャ・カタコンベ》


「……あのさ、カタコンベってどーゆー意味?」

「地下墓地、だな」

「ぼ、墓地……!?」


 高木は弾かれたように跳び上がって、急に寒くなってきた、とでも言うように華奢な身体を己の腕でかき抱いた。


「む、無理無理無理無理……!」


 そのまま膝を折ってその場にうずくまってしまった。

 鈴原が手を差し伸べるが、高木は震えたまま首を横に振る。


「亜沙美、ホラーとかサスペンスとか超苦手だもんねー」


 鈴原は言いながら手を引っこめて、どうする? と俺の顔を窺ってくる。


「鈴原は大丈夫なのか?」

「ウチは平気ー。ホラーとかお化け屋敷とか、結構好きなほうだからー」


 その言葉は本当のようで、ありえないくらい怖がる高木とは対象的に、鈴原はにこにことどこか上機嫌にすら見える。

 それはともかくとして、高木がこれではどうしようもない。


「高木」

「ちょっと待って、ちょっとだけ。……はーっ、はーっ……」


 高木は通路の奥をちらりと覗き見て、曲げた膝の間に自分の顔を埋める。

 そしてもういちど奥の深淵を睨みつけ、


「……ごめん。もう大丈夫だし」


 足こそ震えているものの、どうにか立ちあがってくれた。


「無理ならすぐ言えよ」

「……そしたらどうせあんた、あたしだけ帰れって言うんでしょ。それだけはイヤ」


 また顔に書いてあったのだろうか、寸分の狂いもない図星だった。



 金と呪詛の通路を進む。

 いちど右に折れ、すこし進むと広い部屋に出た。


 相変わらずの壁だが、教室三部屋ぶんほどのスペースに、6メートルほどのそれなりに高い天井。正面に奥への通路が見える。


 警戒しながら通り過ぎようとしたとき、コボたろうが「がう?」とひと声あげて、


《コボたろうが【パイクLV3】【攻撃LV1】【戦闘LV1】をセット》

《はねたろうが【戦闘LV2】【攻撃LV2】をセット》


 気配を感じ取ったのだろう、スキルを戦闘用にチェンジした。


「敵だ」


 鈴原と高木にそう告げるが、敵の姿は見えない。

 不思議そうに部屋の中央で周りを見わたしているコボたろうがいち早く気づいて部屋の奥に目をやった。


 ──音が聞こえる。

 ガシャガシャと音をたてて、奥からなにかがやってくる。


「鈴原、高木、弓」

「はーい」

「う、うん」


 高木の声にいつもの覇気がない。


 通路の闇からやってきたのは──人の形をした、骸骨がいこつ

 二体が横並びとなって、抜き身になった両刃の剣と丸盾ラウンドシールドを構えてこちらに駆けてくる……!


「うおっ、スケルトンってやつか……! う、射てっ!」

「ふっ……!」

「ひいっ……!」


 ふたりの矢はスケルトンの盾に防がれた。……が、鈴原が射ったほうのスケルトンは、矢の威力ゆえか、盾を構えたまま通路の奥に吹き飛んでいった。


 コボたろうとはねたろうが同時に追撃に向かう。


 新しい敵、アンデッド……! 七々扇がいれば解析アナライズで能力を知ることができたのに、とやや残念な気持ちになったが、そんな余裕は一瞬で消し飛んだ。


 ボコッ、ボコッとなにやら音がした。

 地面から何かがせり上がってくるような、気持ちの悪い音。それが複数聞こえてくる──


 今度はカタカタカタと聞こえてきた。それは高木が歯を鳴らす音だった。

 青ざめた高木が指さす先の地面にはいつの間にか黒い筆で描いたような魔法陣が描かれていて、そこからは


「なんだあれ」


 俺が間の抜けた声を出しているあいだに、二本目の腕が伸びた。

 は両手を床につけ、踏ん張るように地の底から這い上がり、その姿を現した。


 ボロギレを纏った青白い身体。

 生気のない表情と血に濡れたような赤い短髪。


 これ、パニック映画なんかでよく見る、ゾンビってやつじゃねえのか……!


「やばいかも、囲まれてるよ」


 正面にはスケルトン二体、部屋の四隅からはボコボコと音をたてて四体のゾンビが俺たちを囲むように迫り来る。



「ォォォオオオオォォォォ……」

「いやぁああああァァァッッ!」



 ゾンビたちが哀れを乞うような、あるいは俺たちを死の世界へいざなうような声をあげるのと、高木の甲高い悲鳴がこの地下墓地をつんざいたのは、ほぼ同時だった。

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