09EX02-Epilogue
09-38-『涙の川、そのほとり』(前編)
清流を
木の近くでは”ひとり”のコボルトが
一歩踏みだして勢いよく突きかかる。目に見えぬ敵を蹴り飛ばして槍を引き抜き、伏せてかわし、
背に向かって槍を振るい、肩からぶつかって、喉元へ向かって突いてゆく。
このコボルト、名をコボたろうという。
敬愛する主人につけてもらった名を何よりも誇りに思う、忠義高き召喚モンスターだ。
彼はしばらく
暖かい陽射しは暑く感じるほどで、コボたろうが木陰に入り、大木を背にしてすこし休もうとしたとき、丘のほうから彼に近づく大きな影があった。
「がうがうー……」
両手に持つハンマーの禍々しさや彼の巨体とは裏腹に、やや頼りない声だった。そのうえ瞳はつぶらで、すこし潤んでいる。
「がう?」
「がうがう……」
どうやら彼──コボさぶろうはお腹がすいているらしい。コボたろうは訓練の進捗をあれこれと訊き、もうすこし我慢するようコボさぶろうに伝えるが、
「はうー……」
どうやら、お腹がすいて力が出ないよー……ということらしい。哀願するような目はうるうると煌めいている。
「がうぅー……」
こんなことで泣くやつがあるか、とコボたろうはコボさぶろうに小言を言いながらも、指で虚空にウィンドウを開き、慣れた手つきでなにもない場所から三枚の干した肉切れとひとつの赤い果実を取り出し、
「がうがう♪」
コボさぶろうは急に笑顔になって兄に礼を言い、小高い丘へとスキップしていった。
調子の良いやつめ、とため息をつきながら、コボたろうはその背を見送った。
コボさぶろうは景色の良い場所でのんびりと食事をとるのが好きなようだ。そういったことにこだわりのないコボたろうは、同じコボルトでありながら生まれたこのような小さな差異を、本人には言わないが、じつは好ましく思っている。
コボたろうの口の
丘の上にはすこし前に建てられたうさぎ小屋がある。
──建てられた、というと語弊があるだろうか。
三日前の夜、あのうさぎ小屋は
星も見えぬ
ぬらついた
さらに深く
あのとき、コボたろうは主人の抱える闇を理解しているつもりでいながら、うさぎ小屋に入った瞬間、闇の深さに取りこまれそうになった。
主人と同時に膝をついたとき、闇を切り裂いてやってきた、ひとつの
『私は私の強さを、藤間くんからもらったから!』
コボたろうは主人のこころに灯ったあかりを頼りに、うさぎ小屋の掃除をはじめた。
窓を開けて血とオイルの匂いを遠ざけて、床と壁を拭き、草の手入れをした。
夜を通して綺麗にし、日が昇り、気づけばコボたろうは召喚世界のなかで、はじめて蒼空を目にした。
眩しいほどの陽光。澄み切った青い空。
灰色の雲など、どこにも見当たらなかった。
コボたろうは川のそばではねたろうと訓練に励む、うさぎ小屋のあるじに視線を送った。
「ぷ、ぷ、ぷぅっ……!」
「ぴいっ、ぴいぴいっ!」
うさたろうは背から生えた双翼で、飛ぶ練習をしていた。
跳躍し、一生懸命に翼をばさばさ上下させるが、すぐにぽてっと地面に落ちてしまう。
「ぴいぴいっ!」
はねたろうはこうやるんだよ! と飛んでみせる。うさたろうは悔しそうに必死で翼を動かすが、見たところ、翼に対して胴体が大きすぎるため、うさたろうが空を飛ぶのは至難の業のように見えた。
コボたろうは「だめだこりゃ」とでも言いたげに視線を外す。
その先では、コボじろうとぷりたろうがなにやら相談をしていた。
「がうがうっ!」
「……(ふるふる)」
「がうっ、がうがうっ!」
「……♪(ぴょんぴょん)」
相談は終わったらしく、コボじろうはぷりたろうから距離をとって、右手に槍を持ったまま大きく息を吸って吐く。
「がうっ……!」
コボじろうはぷりたろうに向かって勢いよく駆け出した。足音とともに、踏みならした草がひしゃげ、散ってゆく。
「がうっ……!」
「……!」
勢いのままぷりたろうにジャンプしたコボじろうは両脚をぷりたろうに乗せ、大きく膝を曲げる。
「ぎゃうっ!」
「……!(ぴょいーん!)」
ぷりたろうが大きく跳躍し、同時に膝を伸ばしたコボじろうは反動で宙高く舞いあがった。
「ぐる……」
見上げるほどの大ジャンプにコボたろうは感嘆の声を漏らす。
最高点に到達したとき、コボじろうは右手の槍を力いっぱい
「ぐるぁぁぁあああああッ!」
発射された槍はぐんぐんと飛距離を伸ばし、何十メートルも離れた切り株に突き刺さった。
「ぐるあぁぁぁぁああぅ!」
「……!(ぴょんこぴょんこ)」
華麗に着地したあと、両膝を折って地面につけ、両手でガッツボーズをして喜びを表現するコボじろうと、その隣で嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねるぷりたろう。
コボたろうはすこし離れた場所で、やや淡白な視線を送っていた。
……果たして、高くジャンプをする必要はあったのだろうか、と。
「がうっ! ぎゃうがう?」
コボじろうが駆け寄りながら、どうだった? と訊いてくる。
その様子があまりにも自信満々だったので、
「が、がう、がう」
「がうがうっ♪」
まあ、シュウマツのときのように、
「ぎゃう……がう?」
槍を投げてしまったらそのあとはどう闘うつもりだ? と問う。
「がうがうっ!」
「ぐるぁう……」
どうやらコボルトボックスのなかに槍をもう一本仕込んでおいて、投擲した槍は戦闘後に回収するつもりらしい。よく考えるものだな……と、コボたろうは感心と呆れが
さてもうすこしだけ訓練を、とコボたろうが槍を握ったとき、ぷりたろうが身体の上側から体液を伸ばすようにして腰をちょんちょんとつついた。
「……がう?」
「……(しょぼん)」
どうやらぷりたろうも空腹のようである。
ジェリーは川の水やそこらじゅうに生い茂る草を食べるだけでじゅうぶんなはずなのだが、ぷりたろうは食べものの味を覚えてしまっていた。
コボたろうはふたたび指先でウィンドウを表示し、そういえば食料の備蓄が不足していることを思い出した。
六人ともなれば、食料の減りも早い。コボたろうは無駄な肉をつけないため、食べすぎないよう心がけているし、コボじろうはそもそもが少食だ。
一日で四人も増え、とくにコボさぶろうとぷりたろうは大食いだ。昨日、倉庫にあった食料を食べつくされてしまったため、コボたろうがウィンドウ内で食料を管理することにしたくらいだ。
コボたろうはウィンドウのタブを切り替え、
このWPは、召喚士の能力や、召喚モンスターが得た経験値に比例して増えてゆく。
いまでは六人がたらふく食べても困らないほどのWPがあるが、初めて召喚されたころはご主君も自分も非力なためWPがなく、草を食べたこともあったな……と、コボたろうはしみじみ思う。
「……♪(ぴょんぴょん)」
「がうがう♪」
ぷりたろうとコボじろうに食料を与えると、ふたりは喜んで木陰に入り、仲良く食べはじめた。
コボじろうはコボさぶろうと同じく、干し肉と赤い果実。もっとも、コボさぶろうよりも肉はひと切れ少ないが。
ぷりたろうは黒パンとチーズふた切れに赤い果実がふたつ。体液を伸ばして体内に取り入れ、ゆっくりと溶かしてゆく。
「……♪」
中心にある
「ぷぅぷぅっ」
「ぴいっ!」
うさたろうとはねたろうもやってきて、コボたろうに昼食をせがんだ。コボたろうはふたりにも食料を渡し、そろそろ自分も、と干し肉と赤い果実を取り出した。
──
──透がひとりでも生きていける力を欲したように、コボたろうも自分ひとりで透を守ることができる力を欲した。
しかし透は強くなるたびに、自立とは、決して、たったひとりで生きていくことではないと学んだ。
その結果、透の周りには頼もしい仲間がいる。
そして、コボたろうの周りにも──
つまるところ、自立とは、誰にも頼らないことではなく、甘えからの解放なのではないか。
すべての甘えや依存を解き放ち、受けた愛を、愛でもって返す──そういった意志あるいは行為こそが自立なのではないか。
アルカディアに降りたったばかりの透も、召喚されたばかりのコボたろうも気づいていなかった。
しかしいま、ふたりで共通している認識がある。
人間も、モンスターも、誰もひとりでは生きられない──
誰しも、いちど手にしたぬくもりを手放したくはない。
掴んだものを離さないよう、立ちあがり、踏んばって、抗い続ける。
それがきっと〝前を向いて生きていく〟ということなのだと。
「……がう?」
コボたろうは果実を頬張りながら、なにか予感がした。
まだ早いのではないか? と感じつつも、期待で勝手に耳はぴょんと立ち、短い尻尾はふりふりと揺れる。
コボたろうは食べかけの果実をコボルトボックスに仕舞い、胸の高鳴りを抑えながら、その場に
コボじろうとぷりたろう、はねたろうとうさたろうがコボたろうに駆け寄った。丘にいたコボさぶろうものっしのっしと坂を駆け下りる。
ついにその声が、コボたろうの全身を駆けめぐった。
『召喚、コボたろう!』
とくん、とコボたろうの胸がなった。
「がうがうっ!」
「……♪」
「ぷぅぷぅっ!」
「ぴぃっ♪」
四人の声援、そして遠くに「がうー……」というコボさぶろうの応援するような声を聞いたあと、コボたろうの意識はすとんと落ち、プライマルソウルは旅立った。
同時にセカンダリソウルがコボたろうの身体にやってきて、
「がうっ」
そうひと鳴きさせ、川のほとりの一本木、その根にコボたろうの背をゆっくりと休ませた。
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